ユエ視点 黒き幼竜と現在と過去とメンチカツ 2
マユが倒れた後、フェル達は僕達から離れて、安全な場所に移動しようとしたようだけれど、その後更に吹雪が強くなってきて、移動出来るような状況ではなくなってしまった。
元々、雪原を移動中に急に激しくなってきた吹雪を避けるために、漸く見つけた岩山の陰で休もうとしていた矢先だったらしい。まあ、その岩山は岩山なんかじゃなくって、巨大な竜だったわけだけど。
彼らは休憩しようと残り少ない体力を振り絞ってここにやってきたわけで、更に激しくなった吹雪の中、新たに休める場所を探す余力なんてなかった。
僕はなんだか、マユが倒れたせいで彼らをどうこうする気が失せてしまったから、フェルに敵対する意志は無いことを伝えて、一緒に吹雪をやり過ごそうと提案したんだ。
長に横になってもらい、その巨大な身体で壁を作る。
そこに、フェル達はソリに積んでいた荷物の中から、組み立て式のテントを取り出して貼った。
地面には大量の毛皮を敷き詰めているから、ふわふわして柔らかそうだ。壁もこれまた厚い皮で出来ていて、中に風が入り込むことはない。
天辺に通気口が開いているテントだから、中で焚き火をすることもできる。……テントというよりは、移動式の小さな家のようだった。
「偉大なる古龍よ。貴方のお陰で無事に吹雪をやり過ごせそうだ。御礼を言わせて欲しい」
「……ヒトの子よ。気にするな。我もここから動けぬのだ。その間、己の懐に誰が入り込もうが、我は気にしない」
「ありがとう。貴方の寛大な御心に――最大の感謝を」
フェルは長に丁寧に挨拶をすると、ほかのヒトに指示を出してからテントの中へと入っていった。
僕はその様子を長に寄りかかってじっと見つめていた。
正直言って、襲ってこないヒトはあまり見たことがなかったし、そもそもヒトを避けて今まで旅をしてきたから、彼らの存在自体が珍しかったんだ。
フェルと一緒に居たヒトは、みんな真面目にテキパキと振り分けられた役目を果たし、統率が取れているように見えた。殺意を向けてこない人間というものは、酷く真面目なんだなあなんて、のんびり考えていたんだ。
そんな僕に気がついたフェルは、テントから顔を出すと僕に手招きをした。
どうやら僕が暇しているのを見かねて、テントでもてなしてくれるらしい。
初めはまさか僕に手招きをしてくれているとは思わなくて、テントの外に立っていた僕は思わずキョロキョロと周りを見回しちゃったよ。
フェルはそんな僕を見て、可笑しそうに笑ったんだ。
その後、「竜よ、そこは冷えるから。さあ」と声を掛けてくれた。
動揺してしまったことと、笑われてしまったことはちょっぴり恥ずかったけど、ヒトのテントの中はどうなっているのかなあと興味があったから、その誘いは魅力的だった。そわそわしながら長の顔を見ると、長は僕を一瞥した後、興味がないみたいに目を瞑ってしまった。
……勝手にしろってことかな。
そう判断した僕は、凍えそうなほど冷えこんでいる外から、温かなテントの中に足を踏み入れた。
ぱちぱちと焚き火が爆ぜている。
テントの中は存外広くて、居心地は悪くなかった。
このテントはどうやらフェルとマユ専用らしく、ふたりで使うには十分なほどだった。
炎の温かい光に照らされながら、騎士が淹れてくれたお茶を飲み、毛皮でふかふかの床に座って、僕はフェルとマユを観察していた。
眠っているマユを、フェルが献身的に看病している。
ふたりはとても仲が良さそうに見えた。眠っているマユの手をぎゅっと握って、その寝顔を見つめているフェルの眼差しはとても優しげだ。
――番かなあ。
僕はなんとなく、ふたりの様子をみてそう思った。
生まれたときから、長と一緒にいるおかげで、入れ代わり立ち代わり沢山の竜が挨拶に来る。
その時に竜の番は少なからずともいたから、ふたりの様子はその番の雰囲気とそっくりだった。
それに……。
僕はフェルの近くに寄ると、彼の髪留めを指でつついた。
「……どうしたんだ? 竜よ」
「ん。これ……真珠かと思ったら、違うんだね。……魔石?」
「そうだ。これはマユの魔石だ」
「ふうん。どうして、そんなもの身につけているの?」
僕がそう聞くと、フェルは照れたのかほんのり頬を染めた。
「そうか、竜には無い風習なのだな。
人間の間では、自分の魔力で作った魔石を、好きな相手に贈る習慣があるのだ。
魔力は自分の身体全体を常に巡っている、その人間を形作るもののひとつ。血潮と同じようなものだ。
それを結晶化し、自分の大切な相手に贈ることは、自分の体の一部や、心を贈ることと同じこととされているんだ」
「へえ、そうなんだ。確かに、このマユとかいう雌も、君の魔石を身に着けているね」
焚き火の炎の光に照らされて、きらりとマユの額の碧い石が煌めいている。
これも魔石なのだろう。その碧はフェルの瞳と同じ色だった。
「ああ。だから……私たちは、お互いに自分の心を預けあった中なのだよ」
「つまり番ってこと?」
「つが……ッ! わ、わわわ私とマユはまだ番ってはいないのだが!」
「なんで、そんなに慌てるのさ。番ってそんなにおかしいこと?」
「いや、いや……そういうわけではないのだが!」
「だって種を残すためにさ、まぐわ」
「まぐわってない! まだまぐわってないぞ……!」
フェルは顔を真っ赤にすると、僕の口を両手でぎゅうぎゅうと塞いできた。
……苦しい!
僕は邪魔なフェルの手を、顔から引き剥がした。
すると、フェルは僕が竜であることを思い出したのか、真っ赤だった顔を一転して青ざめさせ、僕にしきりに謝った。
「別にいいけどさ。……お互いに好ましく思ってはいるけど、まだ番じゃあないんだね。さっさとくっつけばいいじゃないか、なんでそんなまどろっこしいことになっているのさ」
「……竜のことはよく知らないが、人間には色々と事情があるのだ。
――人間は色々な柵に縛られていて、思い通りにならないことのほうが多いのだよ」
「……フェル」
その時、小さくか細い声が聞こえた。
声のした方を見てみると、先程まで眠っていたマユが身体を起こしていた。
直ぐにフェルがマユの元へと近寄り、あれこれ質問をして体調を気遣っている。
僕から見ても過保護なフェルに、マユはくすぐったそうに頬を染めると小さな声で御礼を言っていた。
――仲がいいんだなあ。
温くなってしまったお茶の残りを飲みながら、僕はのんびりと仲睦まじい二人を見ていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
太陽はすっかり昇りきり、暁色の空は朝らしい清々しい色へと変化した。
鳥たちもすっかり落ち着いて、美しいエメラルドグリーンの湖を優雅に泳いでいる。
雄ふたりが眠れなくなってしまった原因を作り出したひよりはというと、遺跡の端に足をかけ、片手を額に当てて、先程まで茜が居た塔の方向をじっと見つめていた。
ついさっき、かなり高いところから落ちたことは全く気にしていないようだった。
……強いなあ。あんなことマユにしたら、気絶してきっと何日も意識が戻ってこないだろうな。
あのふたりと出会った後、何日か一緒に過ごしたのだけど――マユは長と会う度に気絶しそうになっていた。……いや、何回か気絶していたっけかな?
僕に関しては人化した姿だと問題ないようだったけど、竜の姿に戻るとどうしても駄目だったみたいで。結局最終日まで、マユの恐怖で引きつった顔を何度見たことか。
確かに竜の姿の長も僕も、ちょっぴり迫力ある見かけだとは思っていたけれど、あんなに怖がるほどだとは思っていなかったから――後でこっそり、長に自分の見かけについて相談したっけ。
今思えば、マユはよく聖女としてやってこれたなあ、と思う。
ひよりみたいに強くないと、きっと色々と辛かっただろうなあと僕でも思うもの。
ひよりの背中を見ながら当時のことを思い出していると、漸く落下の恐怖から立ち直ったふたりが、よろよろとこちらへ歩いてきた。
そして、僕の肩にふたりしてぽん、と手を置くと「お前なあ……」と話し始めようとして、ひよりに遮られた。
「あっ、おねえちゃんたち帰ったみたい! よっし! じゃあ、私達も行こうかー!」
「な、ちょっと待て、ひより。私は、こいつに話が……」
「うん? ああ、次も降りる時にスカイダイビングしたいって言おうとしたの? 楽しかったもんね!
いやあ、カイン……。君も中々イケる口だねえ!」
「いや、ちが」
「というわけで、ユエ! 次も、ぽーんとよろしく!」
「わかったー」
ひよりは僕にそう言って笑うと、ぐっと親指を突き出してきた。
意味はよくわからなかったけれど、僕もそれと同じポーズをしてみた。
……そうか、あの空に放り出すやつ。あれはヒトにやっても怒られないんだなあ。覚えておこう。
というわけで茜達が居たあの塔へ、空から直接乗り込んだ。
何故か雄ふたりがぷるぷる震えていたけれども、きっと物凄く楽しかったんだと思う。
ひよりたちはその遺跡の内部へと入っていくと、中を探索し始めた。
外は湖に浮かぶ水鳥たちの鳴き声で騒がしいのに、その朽ち果てた遺跡の中までは鳴き声が聞こえず、そこはしん、と静まり返っていた。
白い石で造られた壁や床には、沢山のヒビが入っており、触れれば崩れてしまいそうだ。
太陽の光が壁の隙間から差し込むその場所は、静まり返っているせいもあって、時間が停まっているような雰囲気を漂わせていた。
小さな瓦礫を踏みしめながら、皆、遺跡のあちこちに視線を彷徨わせつつ、奥へゆっくりと進んでいった。
「わあ、結構ボロいね。装飾とかはほぼ全滅だねえ」
「古い家具があちこちに残されていますね。全部壊れていますけど……ここに嘗て本当に人が住んでいたんだと実感できますね」
「石像は割りかし残っているな。……ほら、これが有名な『風と共にある乙女』像だな。
風の精霊シルフを象っている、珍しい石像だ」
遺跡のほぼ中央に位置する、広間のようになっている場所の真ん中にその像は立っていた。
朝日が差し込んでいるその広間には、石像を囲むように崩れかけた長椅子が段々に幾つも設えてあった。
石像の前は一段高くなっていて、そこには小さな机も置いてあった。
「ここが、風の神殿の中心部だろう」
「当時は、ここで説法をしていたのかな」
「そうだろうな。風の精霊信仰は、この国ではかなり盛んだったらしい。今は廃れて見る影もないが――それでも、この国の生活様式の中には、今もその精霊信仰の名残ともとれるものが沢山残っているんだ」
「……そう」
カインとひよりは、そういうと石像の真正面にある長椅子に腰掛けた。
石で出来た長椅子は、何十人が座っても大丈夫なように、かなり横長に作られている。
ふたりの会話が正しいのであれば、嘗てはここは精霊を信仰する信者たちでいっぱいだったのだろう。
ひよりは、暫く石像を見上げていたかと思うと、胸のあたりに手を当てて静かに目を瞑った。
状況が理解できなかった僕は、ひよりに声をかけようとしたんだけれど、セシルに止められてしまった。
セシルは、人差し指を口に当てて「しーっ」と言うと、僕に何故か飴玉をくれた。
きらきら金色に輝いているその飴玉を見て、何故か僕はとっても理不尽な気持ちになったけれど――はちみつ味のその飴玉はまあまあ美味しかったので、気にしないことにした。
取り敢えずひよりに構ってはいけないらしいので、口の中で飴玉を転がしながら、適当な長椅子に座って時間を潰していると、ひよりはゆっくりと目を開いて石像を改めて見上げ、徐に口を開いた。
「やっぱり、ここはとっても邪気が薄いね。人が住んでいないところは、邪気が漂っていることが多いのに。なんというか、この薄さはジルベルタ王国に通じるものがあるよ」
「そうか、やはり……」
「うん。私達の立てた仮説は、間違ってないと思う」
「この国の生活の中には、まだ精霊信仰の名残がある。それにここも寂れてはいるが、シルフが現れることで知られている。この国は、我が国ほどではないが、他の国と比べると精霊との関係が深い」
カインのその言葉を聞くと、ひよりはその大きな黒い瞳をきらきらと輝かせた。
「だからこの国の浄化は、びっくりするくらい簡単だったんだ。
精霊の加護が厚いといわれているジルベルタ王国。嘗て、精霊信仰が栄えていたこの国。この2つの国だけ、邪気の噴出地が突出して少ない。……精霊、きっとそこに答えがあるよ」
「ふむ。やはり、茜にもう一度精霊界の話を聞くべきだな。それと、あの妖精女王の下僕の道化――あれも、精霊界帰りだと言っていた。詳しく話を聞きたい」
「……何の話?」
僕が話に割り込むと、ひよりとカインはふたり顔を見合わせると――ニッと揃って白い歯を見せて笑った。
そして僕にこう言ったんだ――。
「この先、聖女を喚ばなくてもいいようにするための話!!」