ユエ視点 黒き幼竜と現在と過去とメンチカツ 1
現代→過去→現代と、交互に展開していきます。
読みづらいかもしれません……申し訳ありません!
「へへへ。おねえちゃん、良い誕生日迎えられたかなあ?」
「そうだな、きっと記憶に残る誕生日になっただろう」
「殿下、顔が真っ赤ですよ〜あのふたりの熱々っぷりに当てられましたか。
初心ですね〜初心殿下ですね〜」
「お前は隙あらば主をいじろうとするな?」
風に乗って、ゆっくりと段々と明るくなってきた空を旋回する。
先程までは暗闇に包まれていた空は、朝日に染められてなんとも美しい暁色に染まっている。
眼下の湖は朝日に染められて、闇夜に漆黒に塗りつぶされていた自身の色を徐々に取り戻し、美しいエメラルドグリーンへと変わっていった。
沢山の渡り鳥が、僕の周りを飛び交い、ギャアギャア声を上げて、竜である僕に挨拶をして去っていく。
僕は適当に彼らに視線を遣って、挨拶に応えた。
僕の背中に乗った三人は、眼下に小さく見える水没した遺跡の塔にいるふたりを見下ろしながら、わいわいはしゃいでいた。
三人が眺めている塔にいるのは、茜とあの何かと突っかかってくるヒトの雄、ジェイドだ。
ふたりは朝日を浴びながら景色を眺めて、なんとも楽しそうに笑っていた。
……つまんないのー。
僕は内心でため息を吐きながら、ぐるりと急旋回して、ふたりが居た遺跡から距離をとった。
背中で悲鳴が聞こえたような気がするけれど、知らんぷりだ。
僕は今、機嫌が悪いのだ。
ちょっぴり胸が痛いのは、きっと気の所為。
お嫁さんになれなんて冗談で言っただけで、爪の先ぐらいは気に入ってはいたけれど、ヒトの雌に本気になる訳がないじゃないか!
「……ユエ! 殺す気か……!!!」
「うるさいなあ、乗せてやってるんだから静かにしててよ」
「もしも、ひよりが落ちたらどうしてくれるんだ!」
僕の背中に乗った、金髪碧眼の――あいつにそっくりなヒトが喚いている。
「うっさいなあ! きっとフェルなら、こんなことで文句を言わないぞ!」
「聖人と比べるな、この馬鹿竜――!!!!」
僕はその言葉になんだかカチンとして、素直に背中にヒトを乗せて飛んでいるのが馬鹿らしくなった。
僕は空中で人化すると、そのまま重力に身を任せた。
当然背中に乗っていた三人も、僕と一緒にきらきら朝日に輝いている湖面に向かって真っ逆さまだ。
あちこちから聞こえる悲鳴が酷く耳障りで仕方がない。
――ああ、そうだった。人間は空を飛べないから、こういうのは駄目なんだっけ。勿論、湖の水面に激突する前に拾うつもりだけどね。……けどさあ。
僕は真っ青な顔をして情けない悲鳴を上げ、無駄なのに空中でバタついているそいつを見て、ため息を吐いた。
……こいつ、なんなんだよー!!
なんだか苛々する。フェルとは全然違う!
フェルだったら、きっとこういうときは――
僕は落下しながら、昔――多分、人間からすると随分と遠い昔――フェルたちと出会った日のことを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風が上空で渦を巻き、恐ろしい化物の唸り声のような音を鳴らしている。
夜になり随分と冷えこんだお陰で、空から降ってくる雪は粉状のまま大地に降り注ぎ、強い風に煽られて、まるで白いカーテンに遮られたように視界は真っ白だった。
世界中を旅していた僕と長は、あまりの吹雪に立ち往生してしまい、この雪原で吹雪が止むのを待つことにした。
正直、竜は寒さには弱い。
本来であれば、僕のような幼い竜は母竜と共に寒さを避けて越冬するのがきまりなのだ。
だけど、次期長に選ばれている僕は、卵だったころから現竜の長である古龍とともに過ごすことが決められていた。だから他の幼い竜とは違って、のんびり越冬しているわけにもいかないのだ。
――そういうわけで、僕はこんな過酷な状況の雪原で、巨大な長の傍で身体を縮めて吹雪が去るのを待っていたんだ。
まさか、この雪原であいつらと出会うなんて――このとき、露程にも思わなかったけれどね。
雪は一向に止む気配はなく、寧ろ地吹雪は酷くなる一方だった。
暇つぶしをしようにも、寒くて動くのも億劫だし、視界は真っ白で何も見えない。
暇で暇で死にそうだ――なんて考えていた時、何者かが僕達の方へと近づいてくる気配に気がついた。
魔力の大きさからすると、然程強い生き物ではないようだ。足音からすると、二足歩行――ならば、ヒトだろう。
……全く、面倒なことになりそうだ。
僕は長を煩わせることのないように、人化の術を使うとそのヒトたちが到着するのを待った。
暫くして――毛皮を何重にも重ねて着込み、頭の天辺から目元だけしか見えないような防寒具を着込んでいるヒト達が、白く煙る視界のなかから姿を現した。かなりの人数だ。彼らは荷物が満載のソリを引き摺っていて、この寒さで疲弊しているのか、肩を落として疲れ切っている様子だった。
彼らは僕の姿に気がつくと、途端に表情を強張らせて、各々腰に下げている剣や携えていた杖を構えた。
僕に向けて、痛いほど視線が注がれている。誰も彼もが言葉一つ発さずに、緊張した面持ちで居て、装備の金属が擦れる音だけが辺りに響いていた。
けれども、所詮はか弱いヒトだ。竜の僕からすれば取るに足らないものだ。僕はそいつらが殺気立っているのになんて一切構わずに、くん、と鼻を鳴らした。
――なんだろう、不思議な魔力の感覚がする。
ひとり。そう、ひとりだけ――まるで雪みたいに真っ白で、清々しい魔力の奴が居る。
こんな魔力はみたことがない。こいつは一体……?
その魔力の正体が直ぐには解らずに僕が首を傾げていると、その中のひとり、碧い瞳をしたヒトが前に進んできて、すらりと腰に下げた剣を抜刀すると、僕に鋭い視線を投げかけてきた。
「お前は何者だ。……魔物か。人外か」
「………………」
人化していたのに、あっという間にヒトではないと見破られたようだ。
……なんでだろう。
僕の完璧な人化が見破られたことにショックを受けていると、そいつは、まるで僕を品定めするように不躾な視線を寄越した。そして、僕の手足に現れている青い証を見た瞬間、はっとして顔を上げた。
「……その竜紋。お前は――……貴方様は、竜か!」
すると、そのヒトは構えていた剣を鞘へと仕舞った。そして周りのヒトへも合図をして、剣や杖を僕に向けるのをやめさせた。けれども、そのヒトは剣の柄から手を離すことはしなかった。
……どうやら、まだ警戒されているようだ。
そのヒトは、頭に被っていた防寒具をするりと取り外した。
防寒具のなかから現れたのは、見事な金髪。長い髪の一部を編み込みにしていて、その先を真珠の髪留めで留めていた。碧い色をした眼差しはきりりとしていて、そのヒトの意志の強さを示しているようだ。
そのヒトの纏う雰囲気から、もう少し年齢がいっているかと思っていたのだけれど、意外にもそいつの顔はどこかあどけなくて、酷く若いことに驚いた。
そいつはいきなり僕に向かって頭を下げた。
「竜よ、私はジルベルタ王国、第一王子フェルファイトス。
我々は邪気を祓う浄化の旅をしている。そして今は、最後の浄化の地、穢れ島へと向かっているところだ。
貴方様がどういう竜なのか知らないが、我々の態度に、もし気分を害されたのであれば謝りたい」
「ふぇるふぁ……? なに?」
「フェルでいい。親しいものは皆、そう呼んでいる」
「ふうん」
僕はじっとそのフェルとかいうヒトを見つめた。そいつの碧い瞳は不安げに揺れていた。
竜というものは高い知能を誇り、ヒトなんて問題にならないくらい強大な力を持つ。僕がその力をふるえば、自分の命なんてあっという間に散ることを理解しているんだろう。
竜とヒトとの関係性というものは時代によって随分と変わってきた。
ある時代では、ヒトと竜はまるで親しい隣人のような関係性を保っていた時代もあったそうだ。
ある時代では、竜の身体を形作る鱗や牙。万能薬になりうる血を求めて、人間がこぞって竜を狩ろうとした時代もあったらしい。
ある時代では、ヒトの賢者と竜が力を合わせてヒトの国を救ったこともあった。その後暫くは竜は神のような扱いを受けたと長から聞いている。
――それは既に過去のことだ。
今、ヒトと竜はあまり深く関わることはなくなった。
勿論、竜個々の意思でもって、ヒトと関わり合いを持つものもいるけれど、多くの竜は人里離れた場所に居を構え、ヒトとは関わり合いにならないように長い一生を過ごしている。勿論、その中にはヒトを毛嫌いしているものも少なくはない。
そうなった原因は知らない。
長もその理由までは僕に教えてくれなかった。
今まで遭遇したヒトの中に、竜の素材を求めて問答無用で襲い掛かってくる馬鹿は少なからずいたから――きっと、そういう積み重ねがそうさせたのだろうと思っている。
……だから、このヒトは僕を見定めようとしているのだろう。
ヒトに友好的な竜なのか。そうでないのかを。
どうしようかな。
僕は考えを巡らせる。正直言って、ここでこいつらを殺しても長は咎めないだろう。
長自体は、仲のいいヒトの友人がいるようだけれども、竜は基本的に「掟」以外に関しては他の竜の成すことに干渉はしない。
「星と共に生き、星と共に死ぬ」という掟。それを守りさえすれば、ヒトを殺そうが仲良くしようが自由だ。
僕はそいつをもう一度見た。
何故だろう、こいつは僕を竜だと解っても、怯えを一切感じさせない真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
澄み切った空のような碧色の瞳が僕を射抜いてくるのが――なんだか、癪に障った。
僕は体中に魔力を漲らせ、身体を変化させていった。
骨が変形する不快な音があたりに響く。
やがて、人化していたときは僕よりも大きかったフェルを、僕は遥か高みから見下ろしていた。
――さあ、怖がれ!
僕が竜化したのは、たったそれだけの理由。
まっすぐ見つめてくるフェルが、ビビって腰でも抜かしたら愉快だと思ったから――竜化したのだけれど。
「きゃああああああああああ! いやあああああああああああ!」
僕の姿を見て、腰を抜かし、泣きわめき、ビビりまくったのは――そいつじゃなくて。
そいつの後ろにいた、一回り小さな体をしたヒト――恐らく雌――だった。
「ま、マユ……! 駄目だ、落ち着け!
ほら、俺の後ろに下がっていろ! お願いだ、その場にうずくまるな!」
「や、嫌……!! 嫌よ、助けてフェル、フェル、フェル、フェル……!!」
「な、なに?」
「そこの竜! ちょっと、人の形態に戻ってくれないか! ……頼む……!」
その雌が恐怖のあまり混乱し始めると、フェルは僕にそう言って必死の形相で頭を下げた。
僕は訳もわからず、唖然としてその雌が泣きわめいているのを見ていたけれども、重ねて「本当に、頼む! 竜よ……!」と言われたので、素直に人化した。
すると、途端にその雌はぴたりと泣き止み、ぱっと顔を上げた。
その雌は長い黒髪に、タレ目がちな黒い瞳を持った、見慣れない顔立ちのヒトの雌だった。
大きな黒い瞳を涙で潤ませて、鼻を真っ赤に染めてこちらを見ている。
――ああ、あの不思議な魔力。こいつがその持ち主か……。
その雌の身体からは、先ほど感じた雪のように真っ白な魔力の気配がした。
僕がその不思議な魔力を持つ雌に声をかけようと、口を開きかけた瞬間――頭上から、低く地を這うようなよく通る声が響いた。
「…………お前は、聖女……か?」
その言葉を発したのは、勿論長だ。今まで静観していた長は、雪に塗れていた頭を軽く振ると、一見すると山にしかみえないほど巨大な体を動かして、ヒトたちのほうへと首を動かした。
そして薄っすらと瞳を開けて、ジロリとそいつらを睨みつけた。
ヒト達は、僕の背後にあった岩山のようなものが、巨大な竜であったことに気がついていなかったようだ。
皆、顔を引き攣らせて一歩退いた。
「……ヒッ」
「マユ!」
長が悲鳴を上げたヒトのほうへと視線を遣った次の瞬間、マユと呼ばれているそのヒトの雌は、白目を向いて――真後ろにぱたりと倒れた。
僕は予想外のマユの反応に呆然として――焦ってマユを介抱しはじめたフェルをただ見ていることしか出来なかった。
これが、僕とフェル。そして聖女であるマユとの出会いだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あははははははは! すっごい! カインすごかったねえ……!
私一度でいいから、スカイダイビングしてみたかったんだよね! 最高に気持ちよかったー! またやりたい!」
湖面に皆が打ち付けられる寸前、僕は全員を無事に回収して、近くにあった遺跡の上に降ろした。
すると、ひよりは興奮気味にカインと呼ばれているあいつに近づくと、その背中をバンバンと容赦なく叩いた。
「ね! カインもそう思うでしょう!?」
「ちょ……待て、ひより。まだ触るな……」
「殿下、脚がまるで生まれたての子鹿のように」
「お前も同じだろう……」
「ふ、ふふふ……流石に、怖かったですね……殿下……」
「何故ひよりはこんなに元気なんだ……」
カインと、まるでお菓子のようなクリーム色の髪で、菫色の瞳をした護衛騎士――セシルは、前かがみになって震える脚を押さえていた。どうやら、先程の落下が随分と堪えたらしい。
……軟弱ものめ。茜だって、あの大鷲から飛び降りていたのに。
それから暫く、その遺跡の上で休むことにした。
遺跡の縁に腰掛けて、雄ふたりが無様に座り込んでいる様子を眺める。
正直言って、あの竜蓮桃を食べたこいつらに、休憩は要らないと思うけどね?
――そうそう、実はこの雄ふたりも竜蓮桃を食べたんだ。
あれは、熱が下がったひよりと一旦別れた後のことだ。特にすることもなく暇を持て余して……なんとなく屋敷のバルコニーで、夜の湖を眺めていたときだった。
「ねえ! ユエ!」
突然、僕のもとにひよりが現れて、僕にこう言ったんだ。
「暇なら私に付き合ってくれない? あと、仲間を増やしに行こう!」
僕が訳も解らずに固まっていると、ひよりは問答無用で僕の手を掴んだ。
そして詳しい説明も無く、屋敷のなかのとある部屋の前へと連れていかれた。どうやらそこが、カインと護衛騎士のセシルの部屋だったようなんだけれど。
ひよりが「ちょっと行ってくるね!」って言って、そいつらの部屋へと入っていったんだ。僕は扉の外で待っていたんだけどさ。
部屋の中から、お腹を抱えて大笑いしているひよりが出てきたから、きっと騙し討ちみたいな感じで食べさせたんだろうね……。
その後、ひよりを追って慌てて部屋の中から出てきたカインの姿をみて、僕は心臓が止まるかと思った。
だって金髪碧眼のカインは、あの日出会ったフェルにそっくりだったんだ。
「……お前は、誰だ?」
フェルよりは金色の髪は短かったし、身長も高い気がした。
けれど、僕をまっすぐ射抜いた碧色の瞳も。
僕の顔を見た瞬間、警戒して顔を顰めたのも。
ひよりを自分の背中に隠して、腰に下げた剣に手を添えたのも。
まるで状況は違うけれど、あの日のフェルそのもので――。
僕は心臓が激しく鼓動しているのを感じながら、息を飲んでカインを見つめていた。
そしたらね、ひよりがカインの前に出て、僕を庇うように立ちふさがったんだ。
「カイン! 怖い顔したら駄目だよ。怖がっているじゃない! 小さい子になにしてるの!
この子は、私の恩人なんだから。大切な子なんだから! 変なことしたら怒るよ!」
「なッ……!?」
けど、ひよりがそう言った次の瞬間。
カインと呼ばれた、見かけだけはフェルにそっくりなそいつは――なんだか酷く情けない顔をした。
その顔を見た瞬間、僕の中に得体の知れないもやもやしたものが沸いてきた。
眉を下げて、瞳を揺らしてひよりを見ているカインの様子が――凄く癪に障った。
だから、思わず僕はカインに向かって、びしっと指を突きつけて言ったんだ。
「何だお前、軟弱だな!」
「……ぶっ!!!」
するとカインの直ぐ後ろに居たセシルが噴き出して、お腹を抱えて笑いだした。
僕の言った言葉がおかしかったのか、カインの情けない顔がおかしかったのか――何がなんだかわからないけれど、大笑いしているセシルに、焦った様子で突っかかっているカインの様子もまた気に入らなくて。
僕は両手を組んで、鼻息も荒くカインを睨みつけた。
カインはなんだか困ったような顔をして、僕を見ていた。
これが、フェルそっくりなそいつ――カインと、僕との出会い。
フェルに連なるものとの出会いだったんだ。