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夜明けにはサンドイッチとコーヒーを 後編

 サンドイッチを食べ終わると、ジェイドさんは私の手を引いて、遺跡の屋上の縁のほうへと歩いていった。

 コーヒーは食べているうちに飲みきってしまったから新しく淹れた。ほかほかと湯気が立っているカップを屋上の縁へ置いて、二人で並んで夜の闇に沈んでいる湖を眺めた。

 カップのお陰で手元はあたたかいけど、それでもすこし肌寒い。だから持ってきたひざ掛けを広げて、二人で包まって暖を取った。



「今日、ここに来たのはね、見せたいものがあったんだ」

「……そうなんですね。もしかして、前々から計画してました?」

「うん。……バレてた?」

「だって、慣れない街のはずなのに、随分と迷いがなく進んでいたから」

「ちょっと張り切りすぎたかなあ」



 ジェイドさんはなんだか気恥ずかしそうにしている。

 出発前、旅の行程の中でレイクハルトに立ち寄ると知り、時間があればここに一緒に来ようと考えたらしい。そのために、以前この街に来たことがある同僚から話を聞いたり、書籍などで調べてくれていたのだという。



「この街はね、空から見たとおり、湖で囲まれているだろう?

 だからね、この街からみる朝日はとても美しいと聞いたんだ。本当は夕日でも良かったんだけど、朝日のほうが有名だからね。それも、渡り鳥が沢山いるこの時期が一番綺麗らしい。

 それに、ここは嘗て風の精霊を信仰していた神殿だったんだ。運が良いと風の精霊――シルフの姿を見ることが出来るらしいよ」

「シルフを?」



 さっき見た、石像が掲げていた美しい鳥の姿を思い出す。あの躍動感溢れる美しい鳥。お月見のときも声ばかりで姿は見られなかったシルフ――……。

 そのシルフが見られるかもしれないなんて――なんだか、胸がドキドキしてきた。



「見られますかね?」

「どうかな。……見られれば良いね」



 私とジェイドさんは笑い合うと、ふたりで湖のほうへと視線を向けた。

 徐々に地平線の向こうが明るくなってきている。

 空を覆っていた闇を、朝日が徐々に溶かしていき、段々と空が白んできた。

 白く清らかな朝の光が、私達のところまで届くようになると、今までは見えなかった周囲の景色が見えるようになってきた。


 果てしなくどこまでも遠くまで広がる草原に、ゆっくりと朝日が広がっていく。

 遺跡を取り囲んでいる湖も、徐々に光が差し込み始めると、漆黒に染まっていたのに端からじわじわとエメラルドグリーンへと変色していった。


 太陽が本格的に顔を出すと、空が暁の光に満ち溢れた。青い空と暁色のコントラストが美しい。

 風が少しあるせいか、湖にはさざ波が立っていた。その小さな波ひとつひとつに朝日が反射して、きらきらと光っている。

 その波の合間には、羽を折りたたみ水面で身体を休めていた水鳥たちが漂っていた。


 彼らは陽が差し込み始めると、皆一様に、朝の訪れを喜ぶように太陽へと顔を向けて、時折大きな鳴き声を上げる。彼らの鳴き声は時間が経つごとに大きくなり、先程まで静まり返っていたのが嘘のようだ。



「――わあ! 凄い!」

「湖面が朝日を反射して眩しいくらいだね」

「はい。それに鳥たちがすごい賑やか――ほら! ジェイドさん、桃色の鳥が一斉に飛び立ちましたよ!」

「本当だ……!」



 明るくなった空に、桃色の大群が飛び去っていく。

 太陽が昇ってきたばかりの空には、うっすらとまだ星々を望むことが出来る。下弦の月も薄くはなったもののその姿はまだ見ることが出来た。

 朝日の暁色から始まり、薄い空色、そして未だ暗い空の天辺にはうっすら見える星と月。そのグラデーションがなんとも美しい。

 毎朝繰り返しているのだろうその雄大な景色は、ただそこにあるだけで、それを見ている人の心を打ち、人を自然と黙らせる。


 勿論、私達もその中のひとりだ。私達は、じっと太陽が徐々に昇っていくのを黙って見ていた。


 ふと思い出して、握りしめたままだったコーヒーを口元に運んだ。

 ごくりと黒い液体を飲み込むと、香ばしいコーヒーの匂いが鼻を抜けた。ほんのり温かいそれが喉を通り抜けていくと、胃からお腹全体を温めてくれる。


 感動のあまり、息をするのも疎かにして景色に魅入っていた私は、コーヒーのお陰で一息つくことが出来た。

 ほう、と息を吐くと、白く染まった息がふわりと空気に溶けていく。

 ちらりと隣のジェイドさんを見ると、彼もコーヒーを飲みながら、目を細めて景色を眺めていた。


 すると私の視線に気がついたのか、彼もこちらを見た。

 そして、私にこういったのだ――。



「本当に、素晴らしい景色だね。ここまで来た甲斐があったよ。

 それに、この雄大な景色を眺めながら――……君と、こうして飲むコーヒーの味は格別だね」



 そのとき私の脳裏には、あのキャンプの夜、父と語り合った場面が色鮮やかに蘇っていた。

 父は照れくさそうに、何度も何度も言い淀みながら、私にこう教えてくれたのだ。



『母さんに、キャンプが終わるまでに、自分の気持ちを伝えようと決めていたんだけどね。

 でも、中々言えなくて――とうとう夜になっちゃって。他のサークルメンバーが寝静まったあとに、母さんを誘い出したんだ。

 それで――コーヒーを淹れてあげて。中々美味く淹れられたから、俺も嬉しくなってね。

 だから、ついつい「君と飲むコーヒーの味は格別だね」って言ったんだ。

 ……そしたらさ、母さんがあんまり可愛く笑って頷いてくれたものだから、いけるんじゃないかって思ってね。

 そのあと、勇気を振り絞って想いを伝えたんだよ』

『……ふうん』

『母さんは忘れちゃったみたいで、あの時のことを話そうとすると、はぐらかされちゃうんだけど』

『……覚えていると思うよ? まさか、馴れ初めの時の事だとは知らなかったけど、お父さんが初めて淹れてくれたコーヒーの味が忘れられないっていってたもん』

『ちょっ……本当!? 母さん! かあさーーっん!』

『お父さん! しーっ! しーっ! 起こしたら、お母さん激怒するよ……!』

『離せ、茜! 男にはやらねばならない時がある……!』



 ――きっと、偶然なのだろう。

 ジェイドさんも深く考えずに、「格別だね」なんて言ったに違いない。

 でも直前に丁度、父のあの言葉を思い出していたから。

 ……なんだか、変に感動してしまって――。


 あまりにも胸が苦しくて、身体の奥底から溢れ出そうとする感情に飲まれてしまって。

 私は息をするのも忘れて、ジェイドさんを只々見つめた。


 しかも、困ったことに、ジェイドさんったらその後私にさらなる追い打ちを掛けてきたのだ。


 ジェイドさんは突然、コーヒーのカップを縁に置いたかと思うと、上着のポケットから何かを取り出し――私の首元に掛けた。

 しゃらりと金属の擦れる音がする。

 胸元に視線を落とすと――そこには、蜂蜜色の石がついた小さなネックレスが掛けられていた。



「……これは?」



 ジェイドさんを見上げると、彼は照れくさそうに頬を掻きながら言った。



「……もうひとつ、計画していたことがあってね。

 君。すっかり忘れてるだろ」

「へ?」



 私がぽかんとして彼を見上げると、「本当にわからない?」とジェイドさんは苦笑いをしていた。

 ……なんだろう、私が忘れていること?



「出発前に、聖女様から聞いていたんだよ。茜、誕生日なんだって?」

「……あ。そういえば」



 こちらの世界の暦は勿論日本とは違うから、一日一日数えていたわけでもないし正確な日付はわからないけれど――多分、そろそろ私の誕生日だ。

 すっかり忘れていた。

 私がそう言うと、ジェイドさんは呆れ顔で私の額を指でつついた。



「……茜は他人のことばっかりで、自分を疎かにしすぎだよ。

 聖女様が言ってたとおりだったな。やっぱり忘れてたのか」



 ジェイドさんはそういうと、暁色に染まった世界のなかで、朝日よりもなお眩しいくらいの笑顔を浮かべて言った。



「誕生日、おめでとう。

 それは、俺の魔力で出来た石……魔石なんだ。

 魔石というのはその人の心そのものだという、言い伝えがあるんだよ」



 確かにネックレスの石は、ジェイドさんの瞳の蜂蜜色にそっくりだった。

 そっと指先で摘んで魔石を眺めると、綺麗に涙型にカットされていて、朝日を浴びた魔石は金色の輝きを放っていた。


 ジェイドさんは私を優しく抱きしめて、そっと額に唇を落とした。



「大切な人に自分の心をあげる――そういう意味で贈るんだ。

 ……俺の心を受け取ってくれるかな。

 出来れば――普段から身につけていてくれると……嬉しいんだけど」



 そう言った後、ジェイドさんは「ああ、なんだかこっ恥ずかしいな」と呟いて、私の首元に顔を埋めた。ちらりと見えたジェイドさんの顔や耳、首は真っ赤に染まっていた。



「……ふっ」

「茜?」

「ふふふ……」

「ど、どうしたんだよ?」



 なんでだろう。

 私は笑いが止まらなくなってしまった。

 それなのに、不思議な事に私の瞳からは涙が溢れてくる。

 ぽろぽろ、零れて止まらない。


 ――ああ、胸の奥があったかい。

 体中を、信じられないほどの幸福感が包んでいる。


 ……本当に、ジェイドさんに出会えてよかった。

 私はこのひとを――本当に好きだ。

 ……初めての感覚だけれど、胸の奥に「好き以上」の気持ちが育っている気がする。


 ふと、その時哀しそうな瞳をしたケルカさんの顔が思い浮かんだ。

 愛しているのに、傍にいられないと哀しそうに言ったケルカさん。

 私の脳裏に浮かんだのは、本当は会いたいのに、寂しいのに、恋しいのに――大切なティターニアの事を想って、弱い自分を情けなく思いながら、じっと人生の終わりを待ち続けているその姿だ。


 ――そんなの、駄目だ。絶対に。駄目。


 愛おしい人と一緒に居られる。

 それはこんなにも尊くて――幸せで満たされる。それを自分から放棄するなんて。

 私なんかが、長い時を一緒に過ごしてきた彼らのことに口を出すなんて、おこがましいことなのかもしれない。けれど、どうにかしたい。どうにかしてあげたい。そう、心から思った。


 ジェイドさんの腕の中で彼を見上げる。



「……茜」



 ジェイドさんは私が急に泣き出したものだから、戸惑っているようだ。



「ジェイドさんの前だったら、泣いても良いんでしょう?」

「ああ、そうだけど……」



 ジェイドさんの、魔石と同じ蜂蜜色の瞳が不安で揺れている。


 ……心配している? 大丈夫、これは嬉し涙だから。


 頭の天辺から足先まで、全てが満たされている。ああ、なんてことだろう。身体が芯から蕩けてしまいそうだ。

 涙は未だ止まる気配はない。温かい涙が頬を濡らして、朝日を反射しながら落ちていった。

 私は泣きながら、まっすぐにジェイドさんの目を見つめた。



「ジェイドさん」



 今、この瞬間の私の全てを――幸福感を全て込めるくらいの気持ちで。

 幸せで蕩けそうになる顔に一生懸命笑みを浮かべて、言った。



「――ありがとう……。大好き……」



 ジェイドさんはそんな私の表情をみると、ぶるっと一瞬震えて、ぎゅう、と固く抱きしめてきた。

 そして、私の顎にそっと手を添えて持ち上げると――優しく私に口付けをした。


 その時――。


 ――ぴゅるるるるるるるるるるる!


 そんな私達のもとに、甲高い鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 どこか聞き覚えのあるその鳴き声は――シルフ!?

 顔をあげて空を見る。すると、沢山の小鳥たちが朝日に向かって飛んで行くのが見えた。

 

 シルフは、一体一体は私の手のひら大ほどしかないようにみえた。

 まんまるの胴体に、常にせわしなく翼を羽ばたかせているその姿は、石像にあったあの美しい鳥の姿というよりも、どちらかと言うとハチドリのような可愛らしさを持っていた。

 

 シルフがぴゅる、ぴゅるる、と甲高い声を上げて、空を飛び回る度に、燐光を纏った白い羽が舞い落ちてくる。

 その羽を触ろうとそっと手をのばすと、まるで淡雪のように私の手のひらに触れると消えてしまった。

 

 朝日に向かってその小さな翼を羽ばたかせ、沢山のシルフが飛び去っていく。

 彼らが飛んだ後、儚く消えてしまう運命の白い羽が舞い降りてくる光景は、まるで天使が飛び去った後のようで――。


 私とジェイドさんは顔を見合わせると、なんだか嬉しくなって互いにぎゅうと強く抱きしめあった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……ジェイドさん」

「うん……」



 ジェイドさんの腕の中で、彼の逞しい胸に顔を擦り付ける。

 太陽はすっかり昇ってしまって、秋の清々しい空が広がっているけれども、腕は今だにジェイドさんを離すまいと彼の背中に回ったままだ。


 太陽が昇ってきたから、さっきまでよりは大分ましになったけれども、それでもまだ寒い。

 そんな中ジェイドさんにくっついているのはとても魅力的で、心地よいんだけれど。

 いつまでもそうしているわけにはいかないので、彼の胸を軽く押して身体を離した。


 ――なんだか、凄く離れがたいなあ……。


 そう思った時、私の頭に素晴らしいアイディアが降臨した。

 うん、そうだ、あれを忘れてた!



「ねえ、ジェイドさん。これから私の部屋に来ませんか?」

「え」



 私がそう言うと、ジェイドさんは一瞬、目を見開いてから手で口元を覆った。

 心なしか顔が赤い気がする。……どうしたんだろう。



「いいでしょう? 駄目ですか?」

「だ、駄目というかなんというか。………………いいよ」



 私の誘いに、何故かジェイドさんはそわそわと視線を彷徨わせてから、了承してくれた。

 途端に私の心が浮き立つ。――やったあ!



「本当ですか!? じゃあ、今日は目一杯飲みましょうね!」

「………………はい?」



 これで部屋に残してきた、ティターニアをおびき寄せるために用意したおつまみが無駄にならなくて済む。

 それに、朝一番から「食料をムダにしないため」という大義名分のもとでお酒が飲めるー! ふふふふふ!



「ふたりで楽しくお酒を飲んでいたら、ティターニアが寄ってくるかもしれないですね! 一石二鳥とは正にこのことですよ!」

「……お、おう」

「さあ、そうとなったら早く片付けて帰りましょう〜! いやあ、いい景色でしたね!」

「そ、そうだね……」



 そのとき、ジェイドさんがなんだか物凄く残念なものを見るような目線をこちらに向けているのに気がついた。

 ……なんだろう。

 そんな目で見られる理由がわからなくて首を傾げていると、ジェイドさんは、はあ、と大きなため息をつき、私の頭をぽん、ぽんと優しく叩いた。



「……なんというか。茜は茜だなあ……」

「んん?」

「ちょっと、自分の発言を省みてごらん」

「んんんん?」



 なんだ、なんだ。私、変なこと言ったかなあ。

 ジェイドさんからのプレゼントが嬉しくって、なんだか離れがたかったし、今日これからも一緒にいたいなあと思って、私の部屋に招待――しょうた、い……おおおお!?


 ……端からみると、私めっちゃジェイドさんを誘ってないか……!?


 その瞬間、さっきジェイドさんが少し顔を赤らめていた訳も、残念そうに私を見ていた理由も全部合点がいった。

 顔に一気に血が昇るのが解る。私の顔はいま、きっと真っ赤だ。



「じぇ、じぇじぇじぇじぇじぇ……」

「はいはい、落ち着こう。取り敢えず、片付けをして……茜の部屋に行こうか」



 ジェイドさんはふっと優しく笑うと、私の耳元に顔を寄せて、そっと囁いた。



「折角、お酒があるみたいだから飲もう。……それからのことは」



 耳にジェイドさんの吐息がかかる。

 なんだかそれがやけにくすぐったい。



「まあ、色々と。……ね」



 私はなんだか無性に、ここから全力で逃げたしたい気持ちになった。 

6/10 18:30 すみません、最後のオチを変更しました。ちょっと茜を鈍感にしすぎた……。大人カップルなので、こんな感じに変更です。

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