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夜明けにはサンドイッチとコーヒーを 中編

 遺跡の奥を進んで辿り着いたのは、螺旋状になっている階段。

 恐らく、外でみたあの塔の内部なのだろう。

 石の階段が壁に沿ってずっと上まで続いていた。


 息を弾ませながら階段をひたすら登り、最上段までたどり着いた時、そこには天井の穴へと向かって梯子が掛かっていた。

 ジェイドさんは私からバスケットを受け取ると、躊躇なく梯子を登っていった。


 ――ジェイドさんって、ここに前に来たことがあるんだろうか。


 迷いのないジェイドさんの行動に、若干疑問を抱きつつも、私もその後に続いた。


 梯子を登りきるとそこは塔の屋上だった。

 屋上からの眺めは、闇夜に包まれていてよくわからない。

 月明かりを反射して、時折波がきらきらと光るから、湖に囲まれていることはわかった。

 ジェイドさんを探すと、彼は既に屋上の一角で準備に取り掛かっていた。



「茜、ここに座っていてくれるかい?

 夕食を食べてから結構な時間が経っているからね、軽くなにか食べよう」



 ジェイドさんは、私の為に敷物を敷いてくれた。

 ……そういえば、若干お腹が空いたような気がする。

 私は敷物の上に座ると、大きなバスケットから色々なものを取り出し始めたジェイドさんを眺めた。


 まず取り出したのは小さな携帯用のガスコンロ。それは私が野営でお湯を沸かす時に使っているものだ。小さなガス缶の上に、直接鍋を置けるコンロが付いている優れもの。よくキャンプに連れ出してくれた父親が愛用していたものだ。


 ジェイドさんはその次に、銀色に鈍く光る小さなポットを取り出した。



「……あ、パーコレーター。持ってきたんですか?」

「ああ。ごめんな、勝手に持ってきた」

「いいですよ。ということは、コーヒーを淹れるんですね。私、ジェイドさんの淹れてくれるコーヒー好きですよ」

「そう言ってくれると嬉しいな」



 パーコレーターとは、野外のアウトドア等で使われる、濾過装置がついたコーヒーを沸かすための道具だ。

 これも、父親が気に入って使っていたもの。

 これを使えば、直火でコーヒーを入れられるという、なんとも冒険心を擽られる、男の浪漫溢れるアイテムだ。



「豆は、向こうで挽いてきたんだ。ちゃんと粗挽きにしてある」

「随分と慣れましたね」

「この旅の最中、何度も作ったからね」



 ジェイドさんは話しながら手際よく準備を進めていった。

 コンロの上で、水筒の水を注いだパーコレーターでお湯を沸かしながら、金属製のバスケットという部品に持ってきたコーヒー豆を入れた。その部品には沢山の穴が開いている。そして、筒状の突起が上部に向けて付いていて、熱するとその中でお湯が循環する仕組みになっている。


 ジェイドさんはお湯が沸くと、一旦火を止めて、パーコレーターに挽いた豆が入ったバスケットを入れた。


 そしてガラス制の蓋をして、弱火にかける。

 すると蒸気でガラスぶたの内部が曇った。そして、薄く色づいた湯が循環し始め、ちらちらと時折透明なガラスぶたの向こうに顔を覗かせはじめた。


 直火で沸かすパーコレーターで淹れるコーヒーは濃い目に仕上がる。だから、豆はなるべく粗挽きにして、セットした後もあまり沸かさずに、ガラスぶたから見える色を確認しながら沸かす必要がある。

 強火で煮出しすぎたり、長時間煮込むと香りが飛んでしまって、途端に美味しくなくなるから注意が必要だ。


 ――旅の始めの頃は、失敗することも多くて、随分と濃くなっちゃったりして。なかなかお父さんみたいに上手くいかなかったんだよね。試行錯誤を繰り返して――失敗した美味しくないコーヒーもジェイドさんと一緒に顔を顰めながら飲んだっけ。


 やがてコーヒーが抽出され始めると、香ばしい、いい匂いが鼻をくすぐった。

 ジェイドさんは次にバスケットからパンを取り出した。

 懐から取り出したナイフでざくざくとパンを切ると、更に小さな小瓶をいくつか取り出して蓋を開ける。

 その時、ちらりと瓶の中に鮮やかなオレンジ色のものが入っているのが見えた。



「それは?」

「にんじんのマリネだよ。それと――これを一緒に挟むんだ」



 ジェイドさんが取り出したのは、透明な瓶に入った茶色いペーストだった。



「これは――予めクリームチーズを混ぜてあるんだよ。一対一くらいかな。ちょっと臭みがあるからね、クリームチーズで臭みを取るんだ」

「へえ。それはなんのペーストなんですか?」

「食べてからのお楽しみ」



 そう言うとジェイドさんは片目を瞑って、楽しそうに笑った。

 ジェイドさんは、手早くパンの表面にバターを塗ると、そこにレタス、にんじんのマリネを置いた。そしてもう一枚のパンに、先程見せてくれたペーストを塗って、二枚を合体させて少しだけ手で押した。

「切る前に少し馴染ませようかな」とジェイドさんは言うと、また新しいパンを手にして同じ工程を続けた。


 ……初めて一緒に料理した時は、卵すら割れなかったのになあ。


 私が卵を割るのを珍しそうに眺めていたのを覚えている。

 そんなジェイドさんが料理が出来るようになるなんて、あの頃は想像も出来なかった。

 両膝を抱えてジェイドさんがそれを作っているのを眺めていると、しゅん、とパーコレーターの方から蒸気の上がる音がした。



「……お。コーヒーもいい頃合いみたいだね。ちょっと待ってくれよ」



 ジェイドさんはバスケットからカップを取り出すと、パーコレーターから中身を注いだ。ふんわり白い湯気が立ち昇り、黒いコーヒーがカップに注がれた。



「ほら、茜。先に飲んでいて」

「ありがとう……」



 ジェイドさんからカップを受け取ると、カップの温もりが夜の冷気で冷たくなった指先に染みた。

 口元にコーヒーを持っていくと、心を落ち着かせてくれるような香ばしい匂いが鼻腔いっぱいに広がる。


 ……ああ、いい匂い。


 そっと口をつけてひとくち飲むと、舌の上に優しい苦味が広がった。

 思わず、ほう、と息を吐く。

 コーヒーを飲むと心が落ち着く。コーヒーを飲む瞬間は、忙しい毎日のなかで貴重な癒やしの時間だ。


 このコーヒー豆は酸味は少なめで深煎り。だから、どちらかというと苦味が強い。妹なんかはミルクと砂糖を入れなければ、飲めないくらいの味だ。私は根っからのブラック党なので、ちょうどいいけれど。

 それに野外で飲むコーヒーというのは、普段飲むときよりも数段美味しく感じるから不思議だ。


 ――ふと、家族でキャンプへ行って、父と語り合った時の事を思い出した。


 確か中学生の頃だったろうか。小さな妹と母はもうテントの中で休んでいて――暇を持て余していた私は、父の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、なんとなく両親の馴れ初めを聞いてみたのだ。

 はじめは話そうとしてくれなかったけれど、私が何度もねだると父は照れながら教えてくれた。

 大学の同期だったふたりは、サークルで行ったキャンプで想いを確かめあったらしい。


 確か――父が気障ったらしい台詞を言った後に、一生懸命母を口説いたって言っていたっけ。



「――茜?」



 急に黙り込んでしまった私を心配してか、ジェイドさんが声をかけてきた。

 どうやら、支度は既に終えたらしい。

 彼も手にカップを持って、私の隣に座った。



「ああ、すみません。ちょっと、ぼうっとしてしまいました」

「……疲れがでたのかな? うーん、でも竜のあの実を食べたから、それはないか」

「いえ、違うんですよ。昔、お父さんと話したことを思い出していて」

「へえ、君の――亡くなった」

「はい」



 私は空を見上げた。そこには日本では決して見ることが出来ないくらい、数え切れないほどの数多の星が煌めいていた。

 そういえば、よく父に星座を教えてもらったっけ。ここは異世界だから、教えてもらった知識は役に立たないけれど。



「毎年、山や海へ行ってキャンプをして――お母さんと妹が眠った後、ふたりでお父さんの淹れたコーヒーを飲むのが恒例だったんですよ。なんだか、懐かしいなあって」

「仲のいい家族だったんだね」

「そうですね、とっても仲が良かったんです……」



 脳裏に浮かぶ、懐かしい両親の顔。精霊界で会えたからかもしれないけれど、両親の姿ははっきりと思い浮かべる事ができる。

 ゆらゆらと湯気が立ち昇るコーヒーに視線を落とした。

 見た目だけならば、父が淹れてくれた思い出の中のコーヒーと同じ。けれども、場所も一緒にいる人も、淹れてくれた人も。――全部が違う。時の流れというのは、時に人の心を酷く寂しくさせる。


 ……なんだか今日はやけに感傷的だなあ。なんでだろう。


 もしかしたら、場所のせいかもしれない。

 滅んでしまった、もう誰も住んでいない、水中に沈んだ都市。

 嘗ては人が暮らし、泣き、笑い――人生を謳歌していたはずのこの場所。その時代を生きていた人は、この遺跡が湖に沈むなんて露ほどにも思わなかったに違いない。人というものは隆盛を極めているその時、衰退した先のことなどは考えないものだ。


 けれども――結果、栄華を誇った時代はとうの昔に終わりを告げ、人は去り、街は遺跡となって湖に沈んでしまった。


 この遺跡たちは、確実に流れていく時の中で、崩れ、忘れられ、消えていく……それだけの場所だ。

 想いや、思い出、記憶というものは、誰かが意識して思い起こさないと直ぐに廃れてしまう、掠れてしまう、消えてしまう。

 だからこそ、人間というものは、写真を撮ったり、絵に描いたり、文章にしたりしてそれらを遺すのだろう。


 ……思い出して、忘れないで。そういう、遺跡に染み付いた記憶の悲痛な想いが、この場所には漂っているのだ。だから、ついつい何かを思い出したくなる。思い出して――浸って。また、記憶を新しく脳裏に刻みつけたくなるのだ。


 少し気分が沈んでしまった私に、ジェイドさんは優しく声を掛けてくれた。



「良かったら、茜の両親との思い出を聞かせてくれよ」

「……いいんですか? 面白くないと思いますよ?」

「面白いか、面白くないかを決めるのは俺のほうだろ? それに君の両親だったら、きっと面白いよ」

「――う。そうかも……」



 ……特に父だ。父のひょうきんっぷりはジェイドさんに精霊界でバレている。

「お父さん、お調子者だからなあ」と思わず零すと、ジェイドさんは楽しげに笑った。

 そして、コーヒーを飲みながら、私は色々と両親との思い出をジェイドさんに語った。



「――それでですね……うちのお父さんったら」

「うん」

「ひよりがあんまりにも可愛いからって、通りすがる男の人、皆を睨みつけてね……」

「あははは」



 ジェイドさんは私の思い出話にも、楽しそうに付き合ってくれた。

 精霊界で父と会ったお陰で、少しは父の人となりが解るのだろう。

「君のお父さんらしいね」とか「なんだか想像できるなあ」という相槌を打ってくれるのが、堪らなく嬉しい。

 私の中で輝きを失わないようにと、大切に大切にしている記憶を、共有して、笑って、話を聞いてくれるこの眼の前の人のなんて尊いことか。


 私の中にある、沢山の両親との思い出。

 ふと、なにかの拍子に思い出す、両親とのきらきらした思い出は、私の中ではしっかりと息づいている。

 思い出たちは、いつも忘れないでと私の中で存在を主張している。私も彼らを決して忘れたくはない。そう思うから、思い出が蘇った時は大切な宝物を眺めるように、その思い出に浸るのだ。


 私が覚えている限り、思い出はきっと色褪せることはない。

 きっとそれは、私が生きているうちは遺るのだろう。私が死んでしまったら――忘れられてしまう程度のものなのだろうけれど。

 けれど、それも話を聞いてくれ、共感してくれ、記憶してくれる人がいるならば――きっとその思い出の寿命(・・)は、格段に伸びるのだ。そして、そんな人は大事にしなければならない――私はそう思う。


 胸の奥が温かくなるのを感じていると、丁度話の区切りのいいところで、ジェイドさんが私に先程まで作ってくれていた食事を差し出してくれた。



「茜、ほら。小腹が空いただろ? 俺が作ったから、ちょっと不格好だけど」

「――わあ! 美味しそうですね」



 ジェイドさんが作ってくれたのは、楕円形にスライスしたパンに具材を挟んだサンドイッチ。

 鮮やかなオレンジ色のにんじんのマリネ。それに薄い茶色のペースト状のものに、たっぷりのレタス。

 オレンジ色と、鮮やかなレタスの緑。なんとも目に鮮やかな色合いで、とても美味しそうだ。



「いただきます!」

「どうぞ、召し上がれ」



 思い切りパンに大口で齧り付く。

 パンは外側はぱりっぱり。中は思いの外ふわっふわで、鼻に一瞬酵母の香りが抜けた。

 中の具材のレタスはしゃくしゃくしていてとても良い歯ざわりだ。


 マリネもなんともいい味だ。これはあの瓶に入れて持ってきたのだろう。

 オリーブオイルに、塩と砂糖、それに爽やかな酸味――これはレモン汁だろうか。それらでマリネされた人参は程よく水分が抜けてコリコリしていて、人参自体の甘味が酸味で引き立てられていた。

 

 それに、なによりもこれ! この謎のペースト……!


 ――なんて、上品な旨み!

 とろっとろのペーストは、きっと内臓(レバー)のペースト。

 舌先に広がる旨みの塊、クリーミーなその味の先にちょっぴり感じる鉄分。

 濃厚な内臓(レバー)の味が、さっぱり味のマリネとしゃきしゃきレタスと絡むと、思わずにやけてしまうほど美味しい。



「……なんですか! このペースト……! 美味しい〜!」

「渡り鳥の内臓(レバー)のペーストさ。このあたりで有名なんだよ」

「これはジェイドさんが?」

「残念だけど、厨房から貰ってきた。流石にペーストは作れない」

「この人参のマリネは……」

「細く切れなくて、太くなってしまったんだ。理想はもうちょっと細めなんだけど。

 ……残念な見た目になっちゃったなあ」

「……! そんなことないですよ、最っ高に美味しいです……! このサンドイッチ!」

「そうかい? なんだか照れるなあ」



 ジェイドさんはそういうと、笑って頭を掻いた。

 見た目が悪いとジェイドさんは謙遜しているけれども、私にはそうは見えなかったので、思い切り賞賛の言葉を贈った。だって、本当に美味しいんだもの。

 ジェイドさんによると、前に王都に二人で遊びに行った時に食事をした、レストランの奥さん――確かセリアさんだったか――に教えてもらったレシピだと言う。


 ……確かに、あそこの頬肉の煮込みはとっても美味しかった!


 あのレストランのレシピなら、このサンドイッチの美味しさは納得の味だ。

 興奮気味にサンドイッチの美味しさを語る私に、ジェイドさんは居心地が悪そうに宙に視線を彷徨わせた後、ぽん、と私の頭を軽く叩いた。



「……わかったから。もう、充分伝わったから。恥ずかしいから」



 ……どうやら、照れているらしい。耳を真っ赤にしているジェイドさんの姿が、なんだかとても可愛らしくて。

 私は笑いを堪えながら、もうひとくち、美味しいサンドイッチに齧りついた。

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