湖の国と、不思議な桃のコンポート 後編
領主の館の妹の部屋。
予想通りにもう既に目覚めていた妹の、汗でぐっしょり濡れたパジャマを着替えさせ、だるそうにしている妹におかゆを食べさせた。いつもは物凄い勢いでご飯をかき込む妹も、流石に今日はゆっくりとした動きで口におかゆを運んでいる。
「……うん、美味しいよ。おねえちゃん、ありがとう」
妹は熱でぐったりしているのにも関わらず、健気に私に笑顔を向けてくれた。
そっと妹の額に手を当てる。熱はまだ下がった様子はない。きっと辛いのだろう。
魔法がある世界といえど、病は治せないらしい。魔法でどうにかならないのかと聞いた私に、そのことを教えてくれたマルタが、実に申し訳なさそうに「治癒師なのにごめん」と私に謝っていたのが印象的だった。
……マルタが謝る必要なんてないのにね。
おかゆを食べている妹は、見るからに食欲がなさそうだ。
なんとか頑張っておかゆを食べ進めていたけれども、土鍋の中身を四分の一程度食べ終わった頃、妹はレンゲを置いた。
「……ごちそうさま」
「もう無理そう?」
「うん……ちょっとしんどいかも」
「そうか。じゃあ……桃は無理そ」
「いる!!!!」
妹は目をキラキラ輝かせて勢い良く私の方を見た。
「桃缶食べたいって、ダメ元で言ったのに!」
「私も、この季節にまさか桃が手に入るとは思ってなかったんだけどね。あるひとが――ユエっていう子なんだけどね、桃を採りに連れていってくれたんだよ」
食に関しての貪欲さを熱があろうとも失わない妹の姿に苦笑しながら、私は部屋の扉を開けて、外で待っていたユエに声をかけた。
何故ユエがここにいるのかというと、どうしても聖女である妹に会いたいと言ってきたのだ。熱が下がってからでいいかとも言ったのだけれど、コンポートを凍らせてしまった詫びもしたいというので、短時間ならと会わせることにした。それくらいなら、負担にもならないだろうしね。
コンポートの乗ったお皿を持ったユエは、おずおずと部屋に入ってきた。
「この子がユエ。……ほら、ユエ」
私は不安そうなユエの頭をぽんぽん、と叩くと、そっと妹のほうへと背中を押してやった。
妹はというと不思議そうな顔でユエを見ていた。
ユエはごくりと唾を飲み込むと、遠慮がちに妹へと声をかけた。
「あの」
「なあに?」
「………………君が、今代の聖女なの?」
「そうだよ。君がユエ?」
「うん。僕がユエ。……竜だよ」
「そうなんだ」
妹はユエが竜だと知っても、けろりとしていた。更には「よろしくね」と言って笑っている。
そんな妹を見て、ユエは顔を顰めて唇を尖らせた。
「どうして怖がらないの?」
「どういうこと?」
「だって、僕は竜だよ。……前の聖女は、初めは泣くほど怖がってた」
「ふうん。そうなんだ」
妹は楽しそうに「おねえちゃんも泣いてた?」と私を茶化した。
……泣いてません! がぶっとやられたけれど。これは妹には内緒だ。
そんな妹の様子を、理解が出来ないというふうに、益々ユエは変な顔をしてみつめた。
そして徐にため息を吐くと、ベッドサイドに腰掛けた。
「マユと魔力の質がまるきり一緒だから、それだけ見ると同一人物みたいなのにね。
茜といい、君といい――変だよ。なんで怖がらないのさ。なんで、僕をみて笑っていられるのさ」
「そうかな? そんなに変?」
「変だよ――。だって、竜は恐ろしくて強大な力を持っていて、考え方も受け取り方も全然違う。寿命も随分と違うだろう? ……友達が死んでいても気付かないくらい、竜とヒトが生きる時間の流れは違う。
それに、僕がなんでもないと思ってしたことも、ヒトにとっては恐ろしいことだったりするみたいなんだ。
……本当に訳がわからないよ。
歴代の竜の多くが、ヒトとの関わり合いを最小限にしてきた理由がわかったよ。
ヒトとは相容れない生き物なんだよ。
――だから、君は怖がるべきだと思うよ? それが、竜とヒトのあるべき姿なんだから」
私はそんなことを口にしているユエを微妙な気持ちで見つめた。
……ユエと、マユ、フェルファイトスのことを知っているから尚更だ。それに、私のお腹をうっかり噛んでしまったことや、最近だと桃を採りに行った時のことを、彼なりに振り返ってみて、そういう風に感じたのだろう。
すると、妹はじっとユエの瞳を見つめて――不思議そうな顔で口を開いた。
「君は怖がって欲しいの? 変な奴だね。……けどなあ。それは難しいと思うよ?
……だって、君。なんだか泣きそうな顔してる」
妹はそう言った後に、熱で真っ赤なほっぺたを緩めて笑い、更に言った。
「泣きそうな君を怖がるなんて――なんだか、変じゃない?」
すると、ユエはびくり、と身体を一瞬震わせると、何かを堪えるように下唇を噛み締めた。
――ユエ?
不思議に思ってユエの様子を見守っていると、彼は急にぱっと顔を上げて、打って変わって明るい表情でお盆を妹に差し出した。
「……あのさ、これ。僕のせいで凍っちゃったんだけど」
「……桃!」
「茜と一緒に採ってきたんだよ。食べてくれる?」
「勿論! わあ、おいしそう!」
妹はスプーンを手に取ると、コンポートの皿を受け取った。
そして、そっとスプーンを桃色に染まった実に差し込んだ。
――しゃりっ
半分凍っているコンポートは、軽やかな音を立てて半分に割れた。
何度か桃にスプーンを差し、一口大に切り取ると、ぱくりと口に含んだ。
そして――目をゆっくりと見開くと、ふんにゃりと笑み崩れた。
「〜〜〜〜ッ! しゃりっしゃり!!! 美味しい〜〜!!!!」
そう叫ぶと、直ぐにまたもうひとくち。ううん! と頬に手を当てて幸せそうにしている。
……そうなのだ、このコンポート。うっかりユエが凍らせてしまったのだけれども、これが不幸中の幸いと言うのだろうか。恐ろしく美味しい一品へと進化を遂げていた。
表面は凍っていてしゃりしゃり。
中はしっとりとろとろ。甘い桃の果汁と、お砂糖の甘味。更にはレモン汁の爽やかな風味。
それがシャーベット状になったコンポートを口にすると、冷たさとともに口の中に広がるのだ。
これがまた、最高に美味しい。
しかも食べ進めていくうちに、しっかり凍っている部分と半分溶けかかっている部分が出てきて、これまた絶妙なしゃりとろ具合へと変化するのだ。
発熱中の妹にとっては、最高の一品になったに違いない。
その証拠に、食欲が無いはずの妹が、あっという間にひとつぺろりと平らげてしまった。
「……ごちそうさま!」
妹は、ぱん! と両手を合わせて、非常に満足げだ。
「……美味しかった?」
ユエが不安そうに妹にそう聞くと、妹は満面の笑みで頷いた。
途端、ユエはむずむずと口元を動かして、くすぐったそうに笑った。
そして「良かった……」と小さく呟くと、安心したように天井を見上げた。
そんなユエを見て、妹は何を思ったのか布団から抜け出すと、四つん這いでユエの方ににじり寄った。
「いやあ、君、ユエ君だっけ! 君が凍らせたんだね〜! ナイス! いい仕事したねえ!」
「わ、えっ、なに」
急に親しげにニヤニヤしながら近づいてきた妹に、ユエは警戒するように身を引いた。
けれども妹は容赦なくユエに詰め寄っていく。
「もう、私は感動したよ! 桃缶すら諦めていたのに、こんな! こんな美味しいの! ああ〜! 美味しかった! ありがとうね!!! あ……おねえちゃん、おかわりは!?」
「……ひより?」
ひよりは勢い良く私のほうへと顔を向けると、ベッドから軽やかに降りてきて、ぐるぐると私の周りを回った。さっきまで熱で真っ赤になっていたはずなのに、今はとても顔色も良いし……それにテンションがおかしい。
なんだか変だ。いきなり絶好調になっている気がする。
「ひより! あんた、熱があるんでしょう!? 寝てなきゃ……」
「熱? そんなの下がったんじゃない? 身体がとっても軽いもの!」
「へ?」
妹はそれを証明するように、ぴょんぴょん、とその場で飛び上がった。
しかも、そのあと色々と迸るものがあるのか、謎の踊りまで踊り始める始末だ。
どうみても病人どころか、元気が有り余っているようにしか見えない。
私が困惑していると、ユエが「……あ!」といきなり叫んだ。
……なんだか嫌な予感がする。こういうパターンのときは……。
「そういえば長に、竜蓮桃は人間に与えると元気になりすぎるから、あげちゃ駄目って言われてたんだった」
「えええええええええええ!」
「いやーうっかりうっかり」
ユエは頭を掻きながら、てへ! と舌をだして笑っている。
……笑っている場合じゃないでしょおおおお!
「私もジェイドさんも、味見しちゃったんですけど……!?」
「大丈夫、大丈夫。多分、数日眠れなくなるくらいだろうから」
「それって大問題じゃあ!?」
ユエは訳がわからないような顔をして「眠れないと駄目なの?」と首を傾げている。
……竜がどうかは知らないけれど、人間には睡眠は必要だから――!!!
流石にこれは文句を言わねば、と私が意気込んだところに、いきなり興奮気味の妹が割って入ってきた。
そして、さっとユエの手を掴むと、とんでもなく嬉しそうに笑った。
「おお! 寝なくていいの!? 凄いや! さっすが竜!」
「ん? そうかなあ、えへへへへ」
「いやああああ! 笑顔が可愛い! 弟みたい! こんなん、怖いわけないじゃない! 可愛さしかないわ! ……おねえちゃん、これ欲しい!」
「ものじゃありません!」
妹はぎゅうぎゅうとユエを抱きしめて、更には頬ずりをしている。
腕の中のユエもなんだか満更じゃない様子だ。
……おおい、竜のプライドはッッッ!? さっき切なそうに「相容れないんだ……」とか言ってなかったっけ!?
私はなんだかどっと疲れが出てきて、妹が今まで寝ていたベッドへと倒れ込んだ。
――桃の効果で、元気になっていそうなものだけれども、そんな実感は私にはない。もしかしたら、私には効果はなかったのだろうか?
そんなことを考えながら、天井をぼうっと眺めた。
妹はどうやらユエを随分と気に入ったらしい。
ユエに根掘り葉掘り、歳やら、普段何しているやら、好きな食べ物はやら色々な質問を投げている。
ユエも戸惑いながら、それに辿々しく応えていて、会話を聞いているだけなら、仲のいい姉弟っぽくはある。私は目を瞑ってふたりの会話を聞いていた。
「へえ、竜って凄いね……! そうだ、人の姿はちっちゃいけど龍の姿に戻ったらおっきいんでしょう?」
「ちっちゃ……。そうだよ、僕はこれでも次期竜の長! そこいらの竜に比べたら、遥かに大きいんだ!」
「へええええ! みたい、みたい! ついでに触りたい! 出来れば乗りたい!」
「ふ、ふふふふ……。ほんとう?」
「うんうん! 竜って憧れてたんだあ……!」
「! ……仕方ないなあ、ちょっとだけだよ?」
「やったー!」
……ちょっとだけ?
私は嫌な予感がして、がばっとベッドから起き上がった。
すると――既に時は遅し。
部屋の窓は大きく開け放たれ、妹の背中が窓の外に躍り出た後だった。
「……え、え、ええええええ!? ちょ、ひよりいいいいいいい!」
私は思わず叫んで、窓へと駆け寄る。
そして、窓のふちにしがみつくと、思い切り外へと身体を乗り出して妹の姿を探した。
――そこには。
「いくよー!」
「あははははは! すっごーい!」
巨大な黒竜――ユエの背中に跨って、気持ちよさそうに空を飛ぶ妹の姿があった。
その妹の姿はまるで、おとぎ話の竜に乗った騎士のようで――物凄く様になっている。
レイクハルトの住民たちも、飛んでいる竜に気がついたのか、皆ぽかんと口を開けたまま、空を見上げて指差したりしていた。
……あっ。
その様子を見て私はちょっぴり傷ついた。
……私の時は、背中を鷲掴みにして宙吊りだったのに、凄い不公平感……!!!
きっとそこにジェイドさんが居れば、的確に突っ込んでくれたのだろうけれども、その時の私は只々かっこよく空を飛ぶ妹が妬ましいやら、羨ましいやらで――……。
兎にも角にも、妹はユエのお陰(?)で、元気が有り余って困るほど回復したのだった。
200万PV御礼SSを、異世界おもてなしご飯〜番外編〜に投稿しました。
以前活動報告にあげていたものも載せています。
宜しければご覧下さい。