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山と妹と春の味 後編

 ――てんぷらをする時は前準備が重要。

 ――小麦粉、卵、水。

 ――衣に使う材料を冷蔵庫できんきんに冷やしておく。これが大切よ。

 ――茜、たったこれだけのことで格段に美味しくなるのよ。すごいでしょう?

 ――だから絶対忘れちゃダメよ。



 祖母はいつも口酸っぱくそういっていた。

 てんぷらをするたびに、祖母の言葉を思い出す。

 春になると、祖父と妹が張り切って朝から山へ出かけて、昼過ぎには大量の山菜を持って帰ってくる。

 祖母と私は、ふたりの成果を大いに誉めそやして、持ち上げておく。

 ――そうすると、ふたりは次の週末も朝早くからいそいそと山へ出掛けるのだ。

 そんなふたりを、してやったり、と祖母と私はほくそ笑んで見送る。お腹を減らして帰ってくるだろうふたりのために台所に並んでおにぎりを握りながら、何でもない雑談に花を咲かせる。

 春の食卓は鮮やかな緑色。私と妹と祖父と祖母と4人で食べる山菜料理は、いつも美味しくて楽しい。そんな懐かしい思い出でいっぱいだ。



 ――だから春のほろ苦い山菜を食べるたび、胸の奥がほっとする。



 さて相手は大量の山菜だ。躊躇っている時間はない。私は、しょんぼりしている妹の尻を叩いて下準備を手伝わせる。

 大量の山うどと、たらの芽。

 根元の硬いがく(・・)の部分は切り落とす。葉が開いて大きくなりすぎた山うどは葉に近い柔らかい部分と、硬い茎の部分を分ける。

 ふきのとう。

 てんぷらにする分は、閉じた蕾の外側を花開くように開いておく。切り離さないように慎重に。蕾が閉じたまま揚げる分も確保する。他の料理にも使うのでその分もわけておく。

 たけのことわらび。

 これには困った。両方とも「あく」があって、下処理に時間が掛かるものだ。

 うーん、とどうするか悩んでいると、ちょこちょこと短い脚を動かして、山の主がやってきた。

 こちらをじっと、つぶらな瞳で見つめていたかと思うと、木の尾っぽでぺし、ぺし、とたけのことわらびを叩いて、座布団の上へ戻る。そして、



「ぷっひい」



 と、一鳴きすると、たけのことわらびがほんのり緑色に一瞬輝いた。

 特に誰に説明された訳ではないけれど、なんとなくあく抜きは必要なくなった気がしたので、そのまま大きな鍋に湯を沸かし、たけのこは煮ておく。

 わらびは煮過ぎるとぐずぐずになって美味しくない。だから熱湯につけて冷めるまで放置する。それだけでいい。

 ついでに山うどの茎も茹でておく。しんなり柔らかくなったら、ざるにあげて皮を剥いておく。

 さて、山菜の下処理はこれで完了。

 あとは美味しく調理をするのみ。



「茜、出汁とっておきましたよ」



 ジェイドさんが準備してくれた出汁は今日も綺麗な黄金色。ふんわり鰹のいい匂い。ただし寸胴に入っている。ものすごい量だ。

 この出汁でまずは若竹煮を作っていく。

 塩蔵ワカメは塩抜きして食べやすいサイズに。

 大きな鍋に出し汁と酒、食べやすいサイズに切ったたけのこを入れて煮る。

 時折ふわっとあくが浮いてくるので取り除く。

 出汁が沸いてきたら、薄口醤油、みりん、砂糖に塩少々。ほんのり醤油色に染まった出し汁でたけのこを炊いていく。

 その間に味噌汁も。おかずが山菜で青物ばかりなので、豚汁にする。



 ピーラー担当ジェイドさんに、大根、人参、玉ねぎ、じゃがいもを剥いてもらう。

 …たまねぎをどこまで剥けばいいか悩んでいるジェイドさんへのアドバイスも忘れずに。

 大根、人参はいちょう切り、玉ねぎは薄くスライス。じゃがいもは一口サイズに。

 …少しずつ慣れてはきたけれど、包丁さばきがいまだ危なっかしいジェイドさんの手元を時折確認。

「左手はにゃんこの手になるように!」と、言うと何故か物凄く驚いた顔をされて、もう一度「にゃんこ」と言わされた。不可解。



 鍋で豚肉――例の高級オーク肉――の細切れをごま油で炒める。

 ごま油の香りがしてきたら豚肉をいれ、色が変わったら、根菜をいれて少し炒める。油が全体に回ったら、出汁をひたひたになるまで入れて、あくを取りつつ、柔らかくなるまで煮る。

 たけのこの方はある程度煮えたので火からおろして、一旦おいておく。仕上げは食べる前に。

 ジェイドさんは豚汁のあく取り担当。

 ボウルに水を入れたものと、おたまを握りしめ、真剣な顔でお鍋の中身と睨めっこして、全てのあくを取り去ろうと使命に燃えている。

 ――が、頑張れ!

 心の中でエールを送っていると、炊飯器からご飯の炊き上がった音がした。



「茜、私にも手伝わせてほしい」

「王子!?」



 思いもよらない相手からの言葉に、思わずたじろぐ。

 さっき、ルヴァンさんにチクチク言われたばっかりなので、正直勘弁してほしいのだけど。

 私の狼狽っぷりに、事情を察したのかカイン王子は少し上を見て何か考えた後、がしがし、と王子様らしからぬ粗雑な動きで頭を掻いた。



「…もしかして、ルヴァンあたりに何か言われたのか。ふん。今回の件は、ひよりを止められなかった責は私にもある。ひよりの監督は私の役目だからな。ここで黙って見ている方が落ち着かぬのだ。そうだな…奴に何か言われたらこう言うといい。私もひよりと共に浄化の旅に出る一員だ。時と場合によっては野営もありえるだろう。野営で食事の支度は付き物だ。今回はそのための訓練(・・)だと。無駄を好まぬ男だ。そう言えば文句も出るまい」



 ――まあ実際の旅で、私が食事の用意なんぞするとは思えんがな。

 …にんまりと、意地の悪い笑顔でそういうと袖をまくる。

 カイン王子はいつもひよりに振り回されているイメージだったけれど、この時のとても強かな様子はとても頼り甲斐があって、彼の新しい一面が垣間見えたような気がした。



 大量の山菜の下処理で疲れた顔をしている妹を呼び寄せて、カイン王子が直ぐにできそうなもの…握り飯を作ってもらう事にした。

 熱々の白いご飯を、水を手につけて優しく握る。

 小さめの三角の握り飯を手本で握ると、「…なんだ、簡単ではないか」と、いそいそと白いご飯に手をつける。…と、案の定あまりの熱さにすぐ手を引っ込めた。



「茜、お前の手の皮はどうなっているのだ!?」



 …なにも目の玉が飛び出そうなくらい驚かなくても。

 挙句、私の手の皮が足裏のようにカッチカチなのでは、なんて言い出す始末。…すると、何故かいつの間にか話を聞いていたらしいジェイドさんが現れて、それを全否定。私の手のひらの柔らかさについて語り出した。…勿論ジェイドさんは直ぐに鍋の方へお帰り頂いた。

 ――ただの慣れですから…!

 その後なかなかうまく握り飯が握れず、四苦八苦しているカイン王子の所に、これまたいつの間にか居なくなっていた妹が、冗談で買ったフリフリエプロンを持ってきて、カイン王子に着せる着せないで一悶着あった。

 妹の頭を思いっきり叩いたのは言うまでもない。



 次に作るのはふき味噌。

 ふきのとうと味噌を使った春の味。

 ふきのとうを刻むと青々とした草の香りがする。けれど、それを放置しておくと直ぐに黒ずんでしまう。

 だから、調味料とフライパン、全て準備してから調理をはじめる。

 刻んだふきのとうを直ぐに油で炒めて、しんなりしたらみりんで伸ばした味噌。鍋肌で焦げる味噌は食欲をそそる匂い。暫く炒めたら砂糖で調整。

 ほんのり苦くてあまじょっぱい位が丁度いい。



 お湯を注いだわらびは丁度冷めていい頃合い。

 指で押すとシャキッとした感じ。ポッキリおるとねばねばが顔を出して完璧な仕上がり。

 わらびはざく切りにする。半分はそのまま皿に盛って、鰹節をふりふり。醤油とからしで食べるお浸しにする。

 残り半分は油揚げと、残った豚肉と一緒に炒める。味付けは、うちはいつも牡蠣醬油。めんつゆでも良い。

 わらびと豚肉は意外と相性がいいのだ。

 次に、若竹煮を仕上げる。

 冷めて味がしみた鍋をまた温める。

 ふつふつしてきたら、わかめを入れて少しだけ煮込む。わかめの色が変わらないように、わかめが温まる程度で火を止める。そうしたらお皿にもって完成。

 豚汁もジェイドさんのおかげであくもなく、透き通った煮汁。味噌を溶いて、刻んだネギを乗せて完成。

 最後に山うどの茎。簡単に5センチ幅に切ってから薄切りに。お酢、砂糖、味噌を混ぜたもので和える。仕上げに白ごま。これで山うどの酢味噌和えの完成。箸休めにぴったりのさっぱり味。

 とりあえずここまでは出来た。

 残すは最後。…油との格闘だ!



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「ぷひひん」



 3段重ねの座布団の上、ふかふかのそれに少し埋もれるように山の主が鎮座している。

 相変わらず騎士団の面々は、硬い表情で山の主を見張っている。

 そんな重苦しい空気の中、山の主の前に次々と料理を並べる。

 若竹煮。

 わらびのお浸し。

 わらびの炒め物。

 山うどの酢味噌和え。

 特別大きなお椀に盛られた豚汁。

 たちどころに、部屋の中に美味しそうな香りが漂う。

 山の主はゆっくりとした足取りで、座布団から降りると、料理の匂いをふんふんと嗅いでいる。

 騎士団の面々やダージルさんも、見たことのない料理を珍しそうに眺めている。



 そして、カイン王子が炭入りの七輪を手に現れると、彼らが驚きに騒めいた。…まさか誰も一国の王子が七輪を持って現れるとは思わなかったようだ。

 さらにこの後一国の王子が焼きおにぎりを作る予定だ。…お宅の王子をこき使って申し訳ありません。

 動揺する面々に一切構わず、王子は七輪を置くと、妹が持ってきた握り飯を焼きはじめる。

 ちりり、と握り飯の表面が火に炙られると次第に水分が飛んで、カリカリとしてくる。

 そこにお醤油を塗っても美味しいけれど、今回はさっき作ったふき味噌。

 両面がカリカリになった握り飯の、片面だけにふき味噌を塗りつけて焼く。

 じゅうじゅう味噌が焦げてくると、香ばしい匂いと青々としたふきのとうの香り。

 なんとも美味そうなその匂いに、誰かがごくりと生唾を飲む。

 パチパチと爆ぜる炭の熱に苦労しながら、漸くいくつか焼きあがると、カイン王子はそれを乗せた皿を山の主の前に置いた。



 私というと、未だに台所のなか。

 衣をまとわせた、山うど、たらの芽、ふきのとうを、汗をかきかき、ふうふう言いながらあげていた。

 祖母直伝の天ぷらの衣は、からっと揚がる。

 冷蔵庫できんきんに冷えた材料をざっくりと、だまになっても気にせずに混ぜる。それだけ。

 だけど、油の熱で衣が温くなったら途端にべっちょり。だから、衣を沢山作って置いて、冷蔵庫から少しづつ出しながら揚げる。

 開いたふきのとうは少し粉をはたいて置くのも忘れずに。

 油の中で泳ぐふきのとうはまるで花が咲いたよう。

 しゅわしゅわ、からり。

 薄い黄色に衣が色づいたら完成。

 天つゆと大根おろし、又は天然塩でいただく。

 箸で持つだけでサクサクの衣具合が解って、何とも美味しそう。

 お皿にこれも山盛りにして、山の主の前へ。

 ずらりとならんだ山菜料理。

 どれもこれもすごい量だ。

 山の主はそれらをぐるりと眺めてから私の方をみる。

 黒いつぶらな瞳が期待でらんらんと輝いている。

 私はにっこりと微笑んで言った。



「さあ、召し上がれ」



 山の主は勢いよく料理に飛びついた。

 若竹煮、わらびのお浸し。

 もぐもぐ、しゃきしゃき。

 ぷひー、ぷっひひ。と美味しいのか上機嫌な声。

 酢味噌和えに…と、そこではたと気付く。

 ――ぶた…にく?

 料理に使われた豚肉。目の前の小さなうり坊。

 うり坊…猪のこども…豚は猪の…!

 なんという恐ろしい事実。

 山の主に知らず知らずに、ある意味共食いを…っ!?

 愕然として思いっきりカイン王子の方を振り返る。

 するとカイン王子も今気づいたのだろうか。

 右の眉がぴくり、ぴくりと痙攣している。そして、小さく目立たないように――山の主を指差した。

 はっとして山の主をみると、豚肉を使った料理も気付く様子もなく、もりもり食べているではないか。

 ――これは。

 再びカイン王子の方を向いて口パクで『と・も・ぐ・い?』と聞いてみる。

 すると彼は『だ・ま・れ。ば・れ・て・な・い』と返してくれ、ぐっと親指を立てた。



 もう一度、今度はそろそろと山の主をみる。

 彼は一通りの料理に口をつけて、次は好みのものから平らげるつもりらしく、とある料理に掛り切りだ。…そう。豚肉を使ったわらびの炒め物に…!

 その瞬間、全てがどうでもよくなった。

 ――大丈夫!バレなきゃいいのさ!

 ちょっとだけ小悪党の気持ちがわかった気がした。



 がつがつ、ぷひん。がつがつがつ…。

 静かな室内に、山の主が食べる音だけが響く。

 私も妹も、王子も騎士団も誰も彼もが、固唾を飲んでその様子を見守っている。

 一皿、二皿、三皿…山盛りだった料理が山の主の腹の中に収まるたびに、皆の緊張が高まっていく。

 ――何故ならば。

 はじめは、カイン王子の脚に隠れるほど、ちいさなうり坊だった山の主は、みるみるうちにひとまわり、ふたまわりと大きさを変え、今や見上げるほどの大きさになっているからだ。

 彼の姿は既にうり坊とは呼べず、一人前どころか永い年月を過ごした力ある獣の姿をしている。



 頭は日本家屋の低い天井すれすれ。脚は大樹の幹のごとくどっしり太い。ふわふわだった茶色い毛は、ごわごわとうねり、何故か所々から植物や花が生えてきた。ちょこん、と可愛らしくあるのみだった牙は、とてつもなく大きく立派に反り返り、まるで象の牙のよう。木の尾っぽは、それこそ若木ほどの大きさへと成長し、縁側を突き抜けて家から飛び出している。

 大きな体が部屋にぎっしりと詰まり、時折見える隙間からこちらを伺う騎士団員の小ささががその途方も無い大きさを物語っている。

 不思議なのはこれだけ大きくなっていても、古ぼけたわが家がミシリともいわないこと。

 山の主の力なのだろうが、大きな猪に狭い居間というちぐはぐさが益々現実離れした光景に拍車をかけた。



「ぷるるるるるっ」



 山の主は順調に皿の中の料理を食べ進めていたが、ある程度平らげたところでふっと顔を上げた。

 そして何故か変わらない可愛らしい鳴き声が、満足そうに今までになく大きく辺りへ響き渡る。

 それを見ている私たち――人間は動くことができない。

 山の主は、太く大きな脚でのっそりと立ち上がると、鼻先を私に近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐ。

 私の頭より大きな瞳をぎょろりとこちらへ向けると――きゅううう、と目を笑うように細めた。

 そして、ぶるるるるるるっと大きく身震いをする。それのせいで息ができないほど大きな風が巻き起こり、思わず目を瞑る。

 ――暫くして目を開けると、山の主は忽然と消えていた。



「…っ、はあああぁっ」



 誰ともなく長い息を吐く。

 あれだけ強い風が吹き荒れたのに、部屋の中は一切荒れていない。

 だけれど、私は思わず目を見張った。

 山の主があらかた食べてなくなったはずの大量の料理が、配膳した時のままの姿でそこにあったのだ。

 つう、と冷や汗が背中を流れる。

 ――もしかして私の料理、気に入らなかった?

 ――気に入らないから帰ってしまった?

 あんまりな結果に絶望していると、誰かがぽん、と肩を叩いた。



「茜、ご苦労だったな。そなたのおかげで、山の主は力を取り戻し、満足したようだ」

「う、そ…。だって、あんなに。料理が残って」



 私の言葉に、カイン王子は一瞬目を丸くすると、ふわりと微笑んで、私の頭をぐしゃりと乱暴に撫でた。



「山の主は精霊だ。あれは充分に茜の料理を堪能した筈だ。その証拠に山菜に含まれる魔力がすっかり無くなっている。…人から人外への供物というものは、そういうものだ、茜」



 料理へと意識を向ける。

 違いは私にはよくわからない。

 …よくわからないが、そうなのだろうか。

 微妙な顔をしている私をよそに、カイン王子はその場にいた全員に声をかける。



「山の主は帰った!これで問題は解決しただろう!さあ、皆、疲れただろう!捧げた後の供物は人が残らず食べるのが礼儀だ!見慣れない料理ばかりだろうが、茜の料理は美味いぞ!私が保障しよう!城の厨房から酒を持ってこい!私の名を出してもいいぞ!思う存分食べていってくれ!」



 そういう彼の声には、気持ちのいい達成感が含まれていて、それを聞いた皆の緊張がふっと緩んだ。

 そして、ダージルさんはじめ騎士団の面々は、勢いよく「応!」と叫び、嬉しそうに方々に散った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 賑やかな声が春の少し肌寒い夜の空気を震わせる。

 料理はあまりにも大量でなかなか減らず、あちこち声をかけてまわってたくさんの人が集まっている。

 我が家の居間や縁側では、ダージルさんや騎士団員はもちろんのこと、警備の兵士まで皆寛ぎながら、料理に舌鼓をうつ。酒もいい感じに回ってきて、楽しそうな声が辺りに響いている。

 食べなれないだろう日本の料理が口に合うか不安だったけれど、ありがたいことに、料理の評判は上々で、皆嬉しそうに食べてくれていた。

 そんな賑やかな我が家の中、少し離れた和室に私たちはいた。



「じいちゃん、ばあちゃん。お父さん、お母さん。今年の初物の山菜だよ。…山の主が食べた後だけど、美味しいから食べてね」



 シックな木造りの半畳ほど大きさの仏壇に、山菜料理を盛った盆を置く。お酒が好きだった祖父の為に、日本酒も一杯供える。

 手を合わせ、暫く目を瞑り居なくなった家族へ想いを馳せる。燃えるお線香の香りが心を落ち着けてくれる。



「…不思議な風習だな。自分の家に亡くなったものの魂を祀るのか」



 カイン王子がぽつりと言う。



「…遺骨が眠るお墓は別にあるんですけどね。毎日祈りを捧げるために、家にも死者の住処を用意するんですよ」



 …うまく説明出来ただろうか。でも、仏教を学んだわけでも、お坊さんでもない私にはこう言うしかなかった。魂をお墓に、仏壇に、幾つにも分けて祀るこの習慣は、死者に毎日会いたいという生者の我儘なのだろう。自分たちの食べる食事を死者に供えて、その後に生者で食べる習慣は、人外に供物を捧げる異世界の儀式とどこか似ている。

 お線香が燃え尽きた頃を見計らって、仏壇の前に折りたたみのテーブルを出す。お盆を下げて、追加で持って来た料理も並べて、食べることにする。



「――いただきます!」



 少し冷めてしまった天ぷら。だけど、口に含むと、ざくりと衣がいい音をたてる。

 塩をつけただけのたらの芽の天ぷらは、みずみずしい歯ざわりと、鼻を抜ける青々とした香りがなんとも気持ちいい。

 山うどもふきのとうも、不思議と油で揚がると苦さが甘味に変わる。天つゆに、じゃぶじゃぶつけると、出汁と醤油が衣に染みて、とろとろじゅわり、また違う味だ。

 苦くてほんのり甘い春しか食べられない貴重な味に、さくさくと次から次へと箸が進む。

 胃が油で疲れて来たら、酢味噌和えをぱくり。

 山うどの爽やかな青味と、酸っぱいお酢が油っこさを全て流して、次の皿への活力になる。

 出汁香る若竹煮は、一口食べればじゅわっと汁が染みてくる。わかめのつるんとした口当たりと、たけのこのさくさくした歯ごたえが食べていてなんとも楽しい。



 わらびのお浸しをしゃくしゃく食べていると、ふき味噌の焼きおにぎりが焼けた。

 味噌の端っこが焦げるくらい焼いたそれは、水分がとんだパリパリご飯と、ねっとり苦甘しょっぱい味噌がとても合う。

 熱々をはふはふいいながら、口いっぱいに頬張るのがいい。

 ごくりと飲み込んだら、直ぐに口にわらびの炒め物を放り込む。油揚げとねばねばわらびに豚肉。油分とわらびが、牡蠣醬油の旨味でなんとも美味い。ついついご飯が欲しくなる味に、追加で焼きおにぎりに食いついた。

 最後に豚汁を、ずずっとすすり、じゃがいもを頬張る。ほこほことろっとしたじゃがいもと、味噌。豚の出汁も十分染みていて、豚汁の中で一番好きな具。

 一通り食べたけれど、まだまだ沢山ある料理に、次は何を食べようかと心の中で舌舐めずり。

 天ぷらに手を伸ばしたところで、妹の異変に気付く。

 ぱくぱくと料理を口にしながら、ぐすぐすと鼻を鳴らしている。



「ばあちゃんの味…」



 私も「そうだね」と、小さく答える。

 山菜料理は祖母の味。両親が死んで、祖父母の家に行ってからよく食べた味。懐かしい、楽しい思い出一杯の、思い出の味だ。



 ――だから春のほろ苦い山菜を食べるたび、胸の奥がほっとする。

 だけど。

 ――死んだ祖父母を思い出して、寂しい気持ちにもなってしまう。



 妹もそうなんだろう、まんまるの瞳から涙がぽろり、ぽろりと溢れだす。



「おねえちゃん、カイン、みんな、ごめんなさいっ…わ、わたしのせいで」

「うん」

「こんな大ごとになるとは…思わなくって…!ただ、今年はこっちにいるから、山菜、食べられないんだなって…」

「うん」

「思ったら…っ、なんだか無性に寂しくて…っ!でも、ご、ごめんなさ…っ」



 妹をぎゅっと抱きしめて、肩口に顔を埋める。

 ぽん、ぽんと背中をリズミカルに叩く。

 妹の肩が震えている。

 その震えが、早く止まるように、ぽん、ぽんと優しく叩く。



「ごめんなさいっ…!迷惑かけて…ごめんなさい…!」



 ぎゅう、と抱きしめる力を強くする。

 いつも強くて朗らかな妹は、時々想いが強すぎて突っ走ることがある。

 でもそんな時、妹を止めたり窘めたり、やらかした事をなんとかするのはいつだって私だ。



「ひより、おねえちゃんがなんとかしたからね。もう大丈夫」



 腕の力を緩めて、妹の顔を見て、にっと笑う。



「ちゃんと他の――迷惑かけた人みんなに謝れる?」



 妹は口をへの字にきゅっと閉じて鼻をすすりながら、うんと頷く。

 私はもう一度、ぎゅうーっと強く妹を抱きしめて、頭をグシャグシャになるまでかき混ぜた。



 ――後日、迷惑をかけた騎士団や警備をしてくれた兵士のみなさん、色々体制を整えてくれたお偉方の皆様にお詫び行脚をふたりで一緒にした。

 みんな結局何事もなかった事を喜んで、笑って許してくれた。――聖女という立場上、強く言うことができない、というのもあるのだろうけど。

 ルヴァンさんのところに行った時だけは、私も妹も胃に穴があきそうなくらいチクチク言われてキツかった。最もなことを眉間にしわを寄せて、低い声で延々と語るルヴァンさんの迫力といったらなかった。何にせよ怒ってくれる人がいるというのは、有難いことだ。

 それから妹は少し前より何事にも慎重になったと思う。

 この春の大事件は良くも悪くも妹にとってはいい教訓だったのだろう――。



 ついでに。

 あの日。山の主に供物を捧げた日から、朝起きると、縁側に山菜や果実などの山の恵みが、草の葉を編んだ籠に入れられて度々置かれている。

 庭の土の上に小さなうり坊の足跡があるから、きっと山の主からの贈り物だろう。

 日本の山菜も贈り物に入っていることもあり、有り難く頂くことにしている。

 時折、仏壇に料理を乗せた盆を置いておくと、仏間から「ぷひん」と可愛い声が聞こえるので、きっと彼も美味しくいただいているに違いない。

 ――今日もまた、草の葉を編んだ籠を見つけて頰が緩む。

 この分だと来年の春も山菜が食べられそうだ。

 私は、青々とした春の恵みの香りを胸いっぱいに吸って、軽い足取りで台所へと向かうのだった。

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