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湖の国と、不思議な桃のコンポート 中編

「おおおおおお……」

「ご、ごめん。大丈夫? 本当にごめん……」



 私はユエの鉤爪から漸く開放されると、地面に四つん這いになって震えていた。

 泣かない宣言を撤回したい気持ちでいっぱいだ。

 泣きたい、この溢れる恐怖感を涙で洗い流したい。感情を爆発させて、綺麗さっぱり解消したい!


 ……だって怖かったもの! ジェットコースターなんて目じゃなかったもの……! 


 皆さんは、はるか上空で渡り鳥と目があったことがあるだろうか。

 皆さんは、鼻先ぎりぎりまで湖面が迫ってきたことがあるだろうか。

 皆さんは、シートベルトなしで、数え切れないほど空中で回転したことがあるだろうか――……。


 ……ああああああ。高所恐怖症になりそう。


 ユエはそんな私の様子をみて流石に罪悪感を覚えたのか、私の背中を摩って慰めてくれている。

 私はこわばった顔でユエをたっぷりと凝視してから、ゆっくりと立ち上がった。

 ユエは私の形相が恐ろしかったのか、口端を引き攣らせていた。


 ……ああ、文句を言う気力すらない。さっきの顔でユエも察してくれたようだし、いいとしよう。いいとしたい。……これ以上引きずりたくない。

 取り敢えず、ふらつく頭が収まるまで目を瞑って、どうにかこうにか落ち着いてきた頃。ようやく、場所を確認しようと周囲を見回すことが出来た。


 そこはどこかの山の頂上。

 けれども、その山には頂上に一本だけ木が生えている以外は何もない。

 こんもり丸いフォルムのその山は、不自然な形に盛り上がっていて、なだらかな傾斜の斜面にはびっしりと丈の低い草花が茂っていた。例えるならばそう、抹茶のアイスクリームみたいだ。



「……ユエ、ここは?」

「ここは、前に長が住んでいた場所にほど近い山だよ。

 この間、長のおもてなしで竜蓮花の雫を飲んだでしょ? あの花は竜の棲み家の近くに自然と咲くって話したよね」

「そうですね、あれは絶品でした」

「これも、あれと同じようなものでね。長く竜が住んだ場所の近くに生える木さ」



 すると、ユエは頂上に生えている木にゆっくりと近づいた。

 その木はあまり背丈が高いわけではなく、今は葉の一枚もつけていなかった。

 不思議なことに、その木はユエが近づくほどに、ふるふるとその枝を震えさせた。……一瞬風のせいかとおもったけれど、ユエに近い枝だけが震えているのだ。どうみてもユエに反応している。



「この木は遠い昔、竜に恋い焦がれるあまり、長い時を竜の側で過ごすために身体を木へと変えてしまった乙女だったと言われているんだ」

「これが……?」

「そう、ほら見てみて! こいつ、面白いんだよ」



 ユエはそういうと、手のひらに魔力を纏わせた。

 ユエの魔力は鮮やかな緋色だ。その魔力が手のひらをほんのりと発光させていた。

 そして、魔力を纏わせたままの手をそっとその木へと押し付けた。


 ……すると、どうだろう。

 まるで早送りの映像を見ているように、ふるふると嬉しそうに(・・・・・)身を震わせたその木は、一瞬にして枝に蕾をつけ、白い可憐な花を咲かせると、花びらを散らして青々とした葉を茂らせた。

 そして、花があった場所にぷっくりとした小さな実をつけると、あっという間にその実は手のひら大まで大きくなって――……。



「……ほい! これが、竜蓮桃だよ。茜の言ってた……もも? っぽいかなって」

「そうです! そうです! 桃……桃ですよ!」



 うっすら細かい毛で覆われた桃色の可愛らしいフォルムも、ふんわりと香る芳しい香りも。

 それは、夏頃によく見かける、ジューシーな桃そのものだった。

 ひとつ手にとって見ると、ふんわりと柔らかい。強く握ればたちまちに潰れてしまいそうなくらい、繊細な手触り。……きっと、丁度食べごろなのだろう。



「ありがとう、ユエ。これで、妹に美味しい桃を食べさせられる……!」

「ふふん、恩に着るがいいよ!」



 ユエは満面の笑みで腰に手を当てて、大きく反り返った。

 得意げに鼻をふくらませているユエの様子を見て、私のなかに一抹の不安が過ぎった。



「竜にそう言われると、なんだか見返りが怖いんですけど……変なこと、要求しないですよね?」



 私がそういうと、ユエはがっくりと脱力した。



「大丈夫だよ、これくらいじゃあ食べさせろとか嫁に来いとか言わないから……」

「どっ、どれくらい恩を着せられると、食べさせろって言われるんですか! 今後の参考のために教えてください! あ、あと桃は返しませんよ!」

「……例えだよ、例え! バカ正直に受け取らない!」



 私が腕の中に桃を隠してユエをみると、ユエは呆れ顔で叫んだ。


 ……いや、人外は何を言い出すかわからないからね! 一発逆転ミラクルがないとも限らない。


 私がまだ疑わしげな目線をユエに注いでいると、ユエは困ったように頭をぽりぽりと掻いてそっぽを向いた。



「……お礼がまだだったからね。慰めてくれた、お礼」



 するとユエは急に竜化したかと思うと、真っ黒な大きな体で、まるでいじけた時の愛犬(レオン)のように丸くなってしまった。


 私はそんなユエをみて、胸の奥がぽかぽかとあったかくなる感覚がして――思わず笑みを零した。



「そうだったんだ。ユエ……ありがとう」

「…………」



 ユエはそっぽを向いたまま、しっぽの先を何度かぱたぱたと揺らした。


 そのあと、竜蓮桃を腕いっぱいに収穫した。

 芳醇な桃の香りに包まれながら、桃を収穫できたことへの満足感いっぱいに、さて、帰ろう! と意気込んだ時――。


 ……どうやってここから帰るんだろう。


 そのことにようやく気がついて、私は顔色を失った。


 ……もしかして、またユエに運ばれるの……!? そんなの、まっぴらごめんだ!


 私は絶対に二度とユエの背中には乗らない――あんな思いはもう充分だ。

 ええい、こうなったらごねてやる!

 私はその場にどすん! と座りこむと、ユエにリリの迎えをよこすように要求した。

「僕が運んでいく」と主張するユエのことは断固拒否。

 私とユエの攻防は暫く続き――最終的に私は勝利をもぎとった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 無事に帰ってこれた私は、領主の館の厨房をお借りして、妹のために料理をすることにした。


 ――桃のコンポート。

 シロップで果物を煮たものをコンポートというのだけれども、これが普通に果物を食べるよりも甘味が増してなかなか美味しい。

 暑い夏なんかは、かき氷に煮た果実と煮汁をかけて食べたり、濃厚なバニラアイスクリームに添えたり。パンケーキと一緒に食べるのも良い。甘いものが好きならば、一度試して欲しい一品だ。



「……茜、大丈夫かい? まだ顔色が悪い気がするんだけど」

「だ、大丈夫ですよ。ええ……気持ち悪くなったりしていませんとも」



 私は心配そうにこちらを見ているジェイドさんに強がりを言った。

 正直言って、視界が若干ぐるぐるしている。帰りはリリに乗って帰ってきたというのに、ユエのせいで平衡感覚がおかしくなっていたのか、若干辛かった。

 私は目を固く瞑って、こめかみを指先で解すと、気合を入れてまな板へと向かった。

 ――妹に会ってから大分時間が経ってしまった。

 もしかしたら、もう目覚めているかもしれないし――急がなければならない。


 小鍋に白ワインとグラニュー糖を入れて沸騰させておく。

 その間に、桃の皮むきだ。

 桃にざっくりと包丁を差し込んで、くるりと一周切れ目を入れる。

 そして、包丁を抜くと両手でぐりっと実を回す。要するにアボガドを割る時と同じ要領だ。すると、ぱかんと実が半分に割れ、ほんのり淡黄色の果実が姿を現した。

 

 ――なんて瑞々しいの! 甘い香りが堪らない……!


 瑞々しい果実からは、次から次へと大量の果汁が溢れ私の手を汚した。

 途端に甘い桃の香りが周囲に漂う。

 その甘くて可愛らしい香りに、思わず私の頬が緩んだ。


 次は皮むきだ。皮は一緒に煮込むので捨ててはいけない。

 この皮が桃のコンポートを可愛らしい桃色に染めてくれる。まあ、無くても美味しいけれどね。人によっては、皮を入れると味が落ちると言う人もいる。そこはお好みで良いと思う。

 中に入っている種を取り出す。固めの実であればやりやすいのだけれども、今回のこの桃は大分柔らかい。

 私は実が崩れないように慎重に作業を進めていった。


 あとは煮込むだけだ。煮詰めておいた小鍋の中身に、桃と剥いた皮を投入する。

 煮汁は桃がひたひたになるくらいが丁度いい。それを弱火でことこと煮込んでいく。


 ……おお、綺麗な色。


 すると、桃の皮の色が煮汁に溶け出して綺麗なピンク色に染まる。

 それが桃の実にも浸透してきて、半円の実がうっすら色づいた様はなんとも可愛らしい。


 煮上がったら、レモンの絞り汁を入れて粗熱をとる。ゆっくり冷ますことで、いい具合に甘味が果実に染みて美味しくなる。

 そのとき、ジェイドさんが私へと声を掛けてきた。



「茜、おかゆの具合はどうかな」

「良さそうですね。うーん、お出汁のいい匂い」



 私はコンポートにかかりっきりだったので、今回はジェイドさんにおかゆを作ってもらっていたのだ。

 おかゆの作り方はいたって簡単だ。

 まずは、土鍋に浸水しておいた米に塩と出汁を混ぜたものを入れて、ゆっくりと炊いていく。大体20分くらいだろうか。


 蓋を取って鍋の中を覗いてみると、ふわふわと濁った出汁の中をお米が上下にくるくると回っていた。

 たっぷりの鰹節でとった出汁に若干お米の甘い香りが混じって、なんともいい匂いがする。



「卵を入れて……味見をして、塩気が足りないようなら足しましょうか」

「わかったよ」



 ジェイドさんはそう言うと、よくかき混ぜた卵を菜箸を伝わせて鍋に入れた。

 すると、沸いている出汁のなかから、ふわふわと玉子が浮いてきて、途端に鍋全体が金色に染まった。さっくり混ぜると、ところどころ白身がまだらに固まって、そこがぷるんとしていて美味しそう。


 最後に火から上げて、刻んだ青ネギを散らす。

 ほわほわと湯気を上げている金色のおかゆに、鮮やかな緑の青ネギが散ると、緑色が一層際立って綺麗だ。

 

 スプーンで一口分を掬って味見。

 すると、ほろっと舌の上で米粒が解けた。そして、まろやかな玉子の味が出汁を引き立てていてなんとも優しい味。お米から出た粘り気も丁度いい塩梅で、これに昆布か梅干しを添えて食べたいくらいだ。

 おかゆは炊けているご飯から作っても美味しいし手軽だけれど、やっぱり生米から炊いたおかゆは、ふっくら柔らか、とろっとろになるので格別だ。



「塩分は足さなくても良さそうだ。これは食欲がなくてもいけるね」

「でしょう? 病気の時のおかゆほど、嬉しいものはないなあと思います」

「俺が病気のときはパン粥を食べていたよ。あれも甘くて美味しいんだ」

「パン粥! 懐かしい……試験勉強している時に、夜食にって、母が蜂蜜をたっぷり入れて作ってくれましたよ」

「へえ……それも食べてみたいな」

「今度作りましょうか……」



 そんな話をしつつ、妹の部屋へ持っていく準備をすすめていく。

 皿や鍋をお盆に乗せて、妹の部屋へと持っていく準備が終わった頃には、コンポートの粗熱も冷めていた。

 あとはこれを味を馴染ませるために、一日くらい冷蔵庫に入れておきたいところなんだけれど、それは時間がないので諦めよう。



「うーん、でもこれ。時間がなくて寝かせる時間がないのはいいとして。

 冷たくないと美味しくないと思うんですよねえ……取り敢えず氷の入れたクーラーボックスにでも入れておきましょうか? 食べる時に取り出す方向で。ちょっと怖いですけどね」



 氷は魔法で出すことが出来るので色々と重宝している。

 クーラーボックスに氷を入れればそれなりに冷えるからいいのだけれど、溶けた氷で水浸しになることも多い。かなり不便だ。

 ……このコンポート。クーラーボックスへの入れ方を間違えると、水が鍋の中に入り込んで酷いことになりそうだ。



「……そうだね。こういう時、冷蔵庫が恋しくなるね」

「ジェイドさんも、異界の道具に随分と馴染みましたね」

「そりゃあ、あんな便利なものはないからね」



 そのとき厨房の入り口からひょい、とユエが顔を出した。

 ひょっこりと顔だけだして、こちらの様子を伺っているユエは、ちょっぴり不安そうにしている。そんな表情は本当に小さな子どもみたいだ。


 ユエは竜蓮桃の木があった場所からこちらに戻ってきた後、拗ねて部屋に閉じこもってしまった。

 どうやら、私が帰りにユエに乗るのを拒否したのがかなりショックだったらしい。


 ユエからしたら、生まれた瞬間から空を飛ぶのがあたりまえで、私のことも良かれと思って運んであげた、という感覚だったのだろう。けれども、宙吊りにされたまま運ぶことが如何に危険なことかを、ジェイドさんや、運ぶことのプロであるリリに懇懇と説明され、説教され――。



『もう! なんなんだよ! なんで怒られなきゃいけないの!』



 自分がしたことの危険性に関しては、幾らかは理解したようだけれども、それでも納得ができずにむくれてしまったのだ。


 竜のなかでは年若い、と言われているユエ。

 彼は次期長候補として、古龍と共に世界中を旅していたというが、人間とはほぼ関わり合ったことはなかったらしい。フェルファイトスへの誤解もあって、人間を自ら避けてきたということもあるかもしれない。


 だからこそ、彼は今だに人間との付き合い方がいまいち解らないようだ。

 どうにも力加減が解らなくて混乱しているユエを、なんとかして助けてあげたいけど――こればっかりは本人が経験を積んで学んでいくしかない。


 落ち込んでいるユエを、見守ることしか出来ない自分になんだかやきもきする。


 

「あーかーねー」

「はあい」



 ユエが変な節をつけて私の名前を呼んできたので、私もそれに間延びした返事を返した。



「……ねえ、入っていい?」

「いいですよ」

「どうしたの? 何か困ってる?」

「これをどうやって冷やそうかと悩んでたんですよ」

「それを冷やしたいの?」



 ユエはにこにこ笑いながらこちらへ近づいてくると、私の手にした鍋の中身を覗き込んだ。



「任せてよ。僕、熱い息の調整は苦手なんだけどね、冷たい息は得意なんだ」



 そして――ふう、と息を吹きかけた。


 すると、みるみるうちに鍋の表面にうっすらと霜が積もってくるではないか……!

 ………………霜?



「ああああああ! ユエ、凍ってる! 冷える通り越して、凍ってる!!!!!!」

「あ、やっちゃった」

「ユエェェェェェ……!」



 私の悲鳴は、領主の館の広い厨房の中に響き渡った。

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