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ティターニア視点 チョコレートよりも甘く 前編

 私は現実と夢の境目をうとうとと微睡んでいた。

 茜の住む古びた家の居間に勝手に入り込んで酒を飲んでいたのだけれども、どうにもひとりで飲んでいたからか酒が回るのが速い。いつもの半分の量を飲んだところで、早々に酔いが回ってしまった。

 ソファに身体を預けて、だらしなく四肢を伸ばす。


 ――こんな姿、茜にみられたら怒られそうじゃのう。


 ……だめだ、起きなければ。まだ夜は始まったばかり。眠ってしまっては勿体無い。

 そう思いながら、手元にあった菓子を口に放り込んだ。

 その菓子は、茜が留守中に私が退屈しないように、と渡してくれた異界の菓子。

『チョコレート』という菓子で、中にナッツが入っているものだ。最近はそれを摘みながら、辛口の酒を呑むのに嵌っていて、私の周りには沢山の空き箱が転がっていた。


 ――かりっ。


 甘くてまんまる。硬いはずのそれは、口にふくむととろりと蕩ける。

 舌先に感じる強烈な甘味。ほんのりと感じる若干の苦味。

 鼻を抜ける『カカオ』とかいう豆の香り。

 甘い甘い『チョコレート』に包まれたナッツも、程よくローストされていて香ばしい。

 身体のなかに染み渡るようなその味。疲れたときは甘いものがいいのだと茜は言っていた。

 けれどもそれをいくら食べても、私の中の怠さ、疲れは取れてくれそうにない。


 ――舌をチョコレートでとことん甘やかしたら、今度は辛いものが欲しくなる。


『チョコレート』の余韻を楽しみながら、私は琥珀色の酒を煽った。

 強い酒精、木が焦げたような香り、そして豊かな風味。甘さなんて微塵もないきつい辛さ。

『バーボン』という名だと茜が教えてくれたこの酒は、ウイスキーの一種らしい。

 ウイスキーの味を楽しむときは、茜が好んで飲むサイダー割り……ハイボールもいいが、私は大きな氷をグラスに入れてそれに直接注ぐ方が好きだ。特にこの『バーボン』は余計なものを入れないでそのままで味わうのがいい。

 小さな氷の欠片を口に含む。ころころとそれを舌で弄んで、口の中の『バーボン』の味を喉の奥へと流した。


 ――ああ、瞼が重い。


 とろり、また眠気が私を襲う。

 ……ああ、やはりひとりで飲む酒はつまらない。今までは酒を飲みながら微睡むなんて、したことがなかった。


 私は変わった。変えられてしまった。

 それは、あのヒトの娘と出会ったから。

 茜と出会い、楽しく酒を飲むことを知ってしまった。一緒にいたいと思ったヒトは、歴代の夫たち以外だとあの娘くらいのものだ。


 ――寂しい、と思うのはそのせいなんじゃろうなあ。妾は、随分と弱くなった。


 ……まるで、か弱いヒトのようだと思う。私はヒトに近づきすぎたのだろう。毒されてしまったのだろう。それは人外の、妖精の女王として致命的だ。でも、それでもいいかと思う自分も居て、なんだか不思議な気分だ。そういう意味でも、私は変わってしまった。



 生まれ落ちたときから、人外であった自分。

 ただの妖精だった自分が、次代の女王に選ばれたその瞬間から、誇り高き人外でありたい、そう常日頃から考えていた。

 自由で弱くて、愚かで優しいヒト。彼らの生き方を羨ましくは思わないけれども、生まれ落ちてからの刹那の時を、精一杯生きている姿は、時折、酷く眩しく感じるものだ。


 ――だからこそ、妾はヒトに惹かれる。ヒトに恋をしてしまう。


 今まで出会ってきた夫たちのことを思い出す。私に愛を捧げたヒトの雄たちのことを。


 恋の魔力とは恐ろしい。相手の姿を見た瞬間、どうしようもなく引かれてしまって目が離せなくなる。

 あれに触れてみたい。あれと話してみたい。あれと共にありたい――。

 一部の賢しい人外からは、恋狂いの女王と言われるほどに、私は何人ものヒトを夫として迎え――彼らを愛し、慈しんできた。ときに、子を産むことすらあった。彼らの人生という、私から見れば刹那の時間を、私が独占し、彼らの優しさ愛情をも独占してきた。


 ――ケルカ。


 私の今の夫。七番目の夫、ケルカ。彼は今何をしているのだろう――あれの肌が恋しい。あれの声が聞きたい。あの、美しい色を暫く目にしていない。

 グラスを頬に当てて物思いにふけっていると、小さな光の粒が私の耳元へと忽然と現れ、ぼそぼそと何かを呟いて消えた。

 その光の粒は私の眷属である妖精だ。

 私は今、持ちうる限りの魔力を妖精たちに分け与え、ケルカを探させていた。それが私の全身を蝕む疲労感の理由だ。

 けれども、数万、数十万の妖精を駆使してもあの人は見つからない。――……私は酷く落胆して、天井をみつめた。



「……ああ、ケルカ。どこにいる? もう、死んでしもうたのか? ……ひとり、私を置いて。理想郷へと旅立ってしまったのか……」



 急に行方をくらませてしまった、私の愛する人のことを考える。

 先日、彼の棲み家を久しぶりに訪れた時――からっぽになっているそこを見て、酷く胸が苦しくなった。

 会いたい、今すぐに会いたい。恋しい……恋しいなあ……そう思って、また酒を煽った。

 そして、ゆっくりと瞼を閉じる。途端、頭の隅でくすぶっていた眠気が、その隙をついて私の意識を深い夢の世界へと引きずり込んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「お前たち。自分の棲み家へ帰ると良い」



 私は纏わりつくたくさんの妖精たちを労ると、そっと地面に足をおろした。

 隣に目をやると、若干顔色の悪いケルカがいた。彼の周りにも、小さな光の粒が纏わりついている。

 彼らは女王である私の命に従って、私とケルカをここまで運んできてくれたのだ。


 青い空、澄み渡る空気。

 ここはヒトの立ち入ることが滅多にない、山間に広がる花畑。

 名も知らぬ花たちが山の斜面に一面に広がって、芳しい香りを放っている。

 爪先ほどの大きさしか無いけれども、色鮮やかなその花たちは、私が一歩踏み出す度に、その可憐な花弁を散らして宙に舞った。


 清々しいこの場所の空気を吸って、すっかりケルカの顔色も良くなってきたようだ。

 私は目を細めて花畑を眺めている彼の横顔を見つめた。


 ケルカは古の民(エルフ)。そして、薬の研究者だ。

 彼との出会いは、日差しの眩しい夏のころ。

 ある日、ケルカは興味の赴くままに珍しい薬の材料を求めて森を彷徨い歩いているうちに、うっかり禁忌とされている森の奥深くに足を踏み入れてしまい――人外の領域へと入り込んでしまったのだ。

 ――そうして、私と出会った。


 濃厚な土と緑の匂いを含んだ風が吹き込む、青葉が眩しい夏の森のなか。

 きらり、きらりと、風にそよぐ葉の間から緑色の光が差し込む深い森の奥。深緑色に苔むした大樹の下、彼は私を呆然と見つめていた。


 ……紅。


 彼を初めて見た瞬間、目に焼き付いたのはその色。

 一面の緑色の中で存在を主張するように煌めいていた、彼の紅色の瞳。その色があまりにも美しく、目が離せなくなってしまった。

 ――心が、彼にどうしようもなく惹かれてしまった。


 6番目の夫が死んでから随分と経っていたから、私もどこか寂しさを抱えていたのだろう。

 私は、一瞬にして彼の虜となってしまったのだ。


 あの時。ケルカも私を見た瞬間、真っ赤に顔を染めて微動だにせずこちらを見ていた。

 あとから聞いたところ、彼もその時私に一目惚れしたらしい。

 そうして、お互いに惹かれ合った私たちは――自然と寄り添うようになり、心を通わせるようになったのだ。


 景色を楽しみながら、ゆっくりと花畑の中を進む。

 赤、青、黄色。決して花屋には並ぶことのない名もなき花たちは、私達の目を充分に楽しませてくれた。

 ケルカも楽しそうに景色を眺めている。

 ――その時、私はケルカに悪戯をしようと、唐突に思いついた。


 私は繋いだ手をぐい、とわざと強く引いてやった。

 すると、ケルカはあっという間に脚を縺れさせて、花畑へと倒れ込んでしまった。

 どすん、と鈍い音がして、色とりどりの花びらが舞い散る。

 彼は驚いたのか、いつもは糸のように細い目を見開いて、柔らかな土の上に寝転がってぱちぱちと目を瞬いていた。


 私は満面の笑みを浮かべると、ケルカの上に身体を投げ出して抱きついた。

 そして、思い切り彼の首元の匂いを嗅ぐ。なんとも落ち着く匂いだ。

 すると、「くすぐったい!」とケルカは悲鳴を上げた。仕方がないので、私は匂いを嗅ぐのをやめてあげた。


 顔をあげると、ケルカと目があった。私がにんまりと笑うと、彼は困ったような顔で笑っていた。

 そして、彼の長い三つ編みを指先で弄びながら言った。



「なあ、お主。ここはいいところじゃろう? 妾のお気に入りの場所じゃ」

「……うん。すごく、すごく綺麗な場所だね。こんな場所があるなんて知らなかった」

「そうじゃろう? ここは、ヒトには立ち入ることは難しい。それこそ空でも飛ばない限り」

「大鷲すら、たどり着くことが難しいほど標高が高いものね。……連れてきてくれて、どうもありがとう」



 そういって、ケルカは私の頭をそっと撫でてくれた。

 ケルカの少し遠慮がちな手つきは、彼の優しさを体現しているようでとても心地が良い。

 私は暫く彼が撫でるのに身を任せていたけれども、段々とケルカへの愛情が溢れてきてしまって、それを発散するために行動を起こした。

 寝転がっている彼の首元に擦り寄る。そして、その首筋にかぷりと歯を立てた。



「――痛ッ」

「おや、すまぬ。甘噛みのつもりだったのだが」

「……痛くしたら、甘噛みじゃないだろ?」

「それはそうじゃの。謝ろう」

「それよりも、なんで噛むのさ……」

「それは……お主は妾のものだと印をつけているのだよ。ほら、歯型がついた。これで、他の雌はお主に手はだせぬ」

「いっ……! ななな、何してるんだよ!」



 彼は私の言葉に大いに動揺して、顔どころか耳や首まで真っ赤になって照れている。

 私はそんな彼への愛おしさが益々募ってきて、また首筋に噛みつきたくなったけれども、それはなんとか我慢して、歯型をぺろりと舐めるだけでとどまった。


 薄々感づいてはいたけれども、私は随分とこのヒトに入れ込んでいるらしい。舐められた場所を手で隠して、更に動揺している彼の姿がおかしくて、愛おしくて――小さく笑って彼の目を覗き込んだ。

 そこには、綺麗に太陽を反射して煌めく――美しい紅色があった。



「お主の目は、なんて綺麗な色なんじゃろうなあ。出会ったときから変わらず、この瞳の色は見惚れるほど美しい」



 思わずそんな言葉が口から滑り出した。……お世辞抜きに、本当に綺麗な色だ。


 まるで朝露に濡れた薔薇のような、

 まるで夕日に照らされた空のような、

 まるで美しい装飾品の中で一際目立っている宝石のような。


 この世界のあらゆる美しい赤や紅が集められたような彼の目の色は、私のお気に入りだ。

 特に、普段は随分と細い目をしているから、私以外には滅多に見られることがない。……それがいい。


 彼は私の言葉に照れたのか、瞼を伏せてその美しい紅を隠してしまった。

 ケルカは口元をむずむずと蠢かせると、はぁ、とため息を吐いてから非常に困った様子で私に言った。



「……君のほうが、綺麗だよ」

「馬鹿め。そういう言葉が聞きたいわけではない。今はお主の瞳の色の話をしているというに」

「……だって、世界で一番綺麗と言っていいくらいの君に、私なんかが綺麗だと言われても」



 彼はそう言って、うっすらと目を開けて私を見た。そして、そうっと壊れ物を触るように慎重に私に触れた。

「妾は別に美しくともなんともない」と、私の本心を言うと、彼は僅かに首を振って「私にとっては、いや、私じゃなくっても――君は文句なく世界で一番綺麗だと思うよ」と、蕩けてしまいそうなくらい優しげな笑みを浮かべて言った。


 なんだかとても恥ずかしい。この目の前の口は、放っておくといつもお尻がむずむずしてしまうような甘い言葉を無意識に吐くのだ。

 私はそれを阻止するために、彼の口を自分のそれで塞いだ。

 彼の柔らかい唇に噛み付くように吸い付くと、彼は一瞬その細い目を見開いたけれども、直ぐに口づけに応えてくれた。


 私が彼の上に覆いかぶさっていたから、主導権は私にあった。

 だから、彼が少し苦しそうな様子になってきても、構わずにその唇を貪り食った。

 そして、漸く私が彼の唇を解放した時、彼は息も絶え絶えで、しかも先程よりも更に真っ赤に染まっていた。

 私はそんな彼を満足気に見ると、ぺろりと口の端についていた唾液をなめとった。



「ん……! ちょっ……! もう、酷いよ!」

「なんじゃ、まるで生娘みたいなことをいうな。お主と妾の仲じゃろう? 口づけくらい、ケチケチするでない」

「そういうことじゃなくてね、男としての矜持的な意味で――ああ、もう!」



 すると次の瞬間、天と地がくるりと入れ替わった。

 彼を組み敷いていたはずなのに、気がつくと青い空が視界に入ってきて――なによりも、私を彼が見下ろしていた。はらりと彼の長い三つ編みが肩から零れて、私の頬を撫ぜた。

 それから彼は、口元をむずむずさせて視線をあちこち彷徨わせて、何か戸惑うような仕草を見せた。


 ――もっと、ガツガツと来てもいいのにのう。


 私は彼の様子に少し呆れながら、それでも私のことを気遣って自分勝手な振る舞いをしない彼が好きなのだと、あらためて実感する。

 未だおろおろと私を組み敷いたまま何もしてこない彼を、私はきまぐれに(・・・・)挑発することにした。



「なあ、お主。……妾は唇が寂しい……」



 そう言って、彼の薄い唇に指先を伸ばした。すうっとゆっくりと端から端までなぞる。

 視線を彼の口元へと情熱的に注ぐ。

 自分の口を少しばかり開いておくのも忘れない。ちらりと舌先を蠢かせれば――ほら、釣れた。



「――……もう、知らないからね」

「んんぅ……っ」



 彼は私の両手に自分の手を絡め、私を押さえつけると、一気に私の唇に自分のそれを重ねた。

地の文では「妾」ではなく「私」になっています。

……違和感あればご指摘ください。 地の文も「妾」と連呼させると、なんだか変だったので一応「私」に。

R15指定要りますかね……(不安)

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