古きものが住まう場所、思い出のクリームシチュー1
テスラを出発してから二日目、野営を挟んでたどり着いた先は、テスラとその隣国の狭間にある広葉樹の森だった。
リリに乗って上空からその場所へと近づくと、先程までは針葉樹の森が広がっていたというのに、まるで線でも引かれているように、森の境目で植生が変化するさまはなんとも不思議だった。
リリに乗って空を飛んでいた私たちは、その森の手前の少し開けたところに降り立った。
そこには、テスラの獣人達が待ち構えており、大きな荷馬車が用意してあった。騎士と獣人たちは協力して、その馬車に大鷲たちから荷物を移しだした。
「このまま、リリで飛んでいかないんですか?」
私がそう聞くと、ジェイドさんはリリの顎の辺りを撫でながら教えてくれた。
「この先はね、古の森と呼ばれる場所で、何処の国にも属していないんだ。嘗てはエルフ達の里があった場所なんだよ」
その話を聞いた瞬間、私の頭のなかに、薬草売りのキツネ顔が思い浮かんだ。そういえば、彼も――尤も彼自身は明言していないけれど――耳長のエルフ、という種族なのだったっけ。
「今は、エルフは世界中に散らばっていて、ここには住んでいないのだけれどね」
「……それが、リリから降りる理由となんの関係が?」
「エルフの里の跡地には、今は別のものが住み着いているのさ」
「へえ……」
人が住まなくなってしまった場所に住み着くものというと、お月見のときに見たような……ああいう、おばけっぽい人外だろうか。
けれども、そんな私の予想を裏切って、もっと凄いものの名前がジェイドさんの口から飛び出した。
「今、古の森に住み着いているのは、永い時を生きてきた古龍だよ。彼の上空を飛ぶことは、その古龍に敬意を払う意味でも、避けるべきとされているんだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さく、さくと降り積もった落ち葉を踏みしめながら、森の中の道を進んでいく。
深い森の中に作られた道は、背の高い木に囲まれて、人の踏みしめた場所だけを避けるように木が生えていた。曲がりくねった木の枝や蔦が、絡まりながらアーチを描き、まるで緑のトンネルのようだ。それらが秋の薄い日差しを遮るから、あたりはほんのり薄暗い。秋色に染められた葉っぱ越しに注ぐ陽の光は、柔らかな色をしている。木漏れ日が風が吹くたびにゆらゆら揺れて森の中の道へ差し込んでいる様は、とても幻想的だ。
ぽく、ぽくと馬の蹄の音を聞きながら、ゆっくりと進む荷馬車の後ろをついていく秋の旅路はとても静かで、色々と考え事をするのにはうってつけだった。
といっても、私の肩に乗っているこの人が、度々私の思考を中断するのだけれど。
『おい、小娘。腹が減ったぞ』
「はいはい」
私の背負ったカバンの肩紐に鋭い爪を食い込ませて止まっているリリは、私の手に握られた乾燥肉を鋭い嘴で突いた。
リリで飛んでは行けない――ならば森を進む間、リリをどうするのかと心配だったのだけれど、それは杞憂だったらしい。
リリはジェイドさんに、翠色の綺麗な首輪をつけてもらうと、みるみるうちに普通の鷲のサイズへと縮んだのだ。私が驚いていると『知らなかったのか、無知め』と、リリはカチカチと嘴を鳴らした。
その首輪は魔道具らしく、大鷲を一時的に小さくする力を持っていたらしい。
「首輪で縮むことが出来るなんて、魔法って便利ですね……!」
『小娘のいた世界には魔法は無かったのだろう!? ふはははは、不便な世界だな!』
「そうですねえ、そうかもしれませんね」
『空も飛んだことが無かったのだろう。あのはしゃぎっぷりからみると』
「いやあ、生身で飛んだのは初めてでしたね……飛行機――大きな金属の塊で飛んだことはありますけど」
『なんだと……!? 金属が空を飛ぶ訳がないだろう。嘘をつくな、小娘!』
「ええー。嘘じゃないですよ」
知らない場所を只管進むというのは、なかなか体力的にも精神的にもつらいものがある。けれども、何故かずっと私の肩に乗っているリリと話しながら歩いていたので、ちっとも苦痛じゃなかった。もっとも、リリにそういう意図は無かっただろうけれど。
「――おい、リリ。いい加減、茜の肩から降りろよ。いつまで乗っているんだ」
『ふん。ここにくるまで、我はずっと小娘を乗せてきたのだ。我が乗って何が悪い』
ジェイドさんが私の身体を心配してくれて、リリを下ろそうとするけれども、ジェイドさんが近づく度に、リリは翼を羽ばたいて上空へ逃げ、すぐさま私の肩へと戻ってきてしまう。
ジェイドさんは、ほとほと困り果てて、私に向かって何度も謝った。
「茜、重いだろう?ごめんな、すぐ下ろすから」
「うーん、確かに重いですけどね。リリと話しながら歩いていると、楽しいですよ」
「……気を使わなくてもいいんだよ、茜。まだまだ今日予定している野営地まで距離がある。無駄な体力消費は避けるべきだよ」
『ふん。ジェイドは甘い! 甘すぎる! そんなことでは、小娘がつけあが……』
「そうですよ! ジェイドさん!」
私はリリの言葉を遮ると、カッ! と目を見開いて、ジェイドさんを見た。
「あんまり、私を甘やかしてはいけないんですよ! 強い姉になるため――そして、私の体についた余計な脂肪を落とすため! 放っておいてくれますか!」
「大鷲ダイエットってどんな」
『我を利用して痩せようとするな、馬鹿者!』
私は有酸素運動がどれくらいダイエットに有効かジェイドさんへ説いた。そして、変な顔になってしまったジェイドさんを置いて、歩く速さを早めて馬車の前のほうへと出た。『お、おい。小娘』なんて、リリが戸惑っているけれど気にしない。早足で少し距離を稼いで、ジェイドさんに私の声が聴こえないくらいの距離にきた時点で、笑みを零した。
『小娘?急に変なことを言い出したとおもったら、今度はニヤニヤと……とうとう、頭がおかしくなったか?』
「いえ……ジェイドさんって、過保護だなあと」
『過保護とはなんだ、あれはジェイドの優しさだろう。ジェイドは昔から優しかった』
「へえ……。そうなんですね。ねえ、リリ」
『……なんだ。小娘』
「ジェイドさんからわざわざ離れたのは、リリに話を聞きたかったんですよ」
私がそういうと、リリは不思議そうにくりん、と頭を動かした。
「リリ。折角だから、ジェイドさんの昔の話を色々と聞かせてくれませんか」
『……』
「小さい頃から知っているのでしょう?」
『……それは、そうだが。我を卵から孵したのがジェイドだからな』
「へえ、すごい!」
『だろう?大鷲の卵は巨大なうえに、孵るまで時間がかかる。母鳥が、私の卵を温めるのをやめてしまったのを、ジェイドが拾ってくれたのだ。……ジェイドがいなかったら、我はここにはいない』
リリは私から視線を反らし、まっすぐ正面を見て語った。
「感謝しているんですね」
『ああ。……だから、ジェイドは我の親代わりであり、友であり……想い人だ』
「……。そうですか……」
『我が、孵った後なんてな。もっと大変だったんだ……』
「うん」
その後、リリは色々とジェイドさんのことを語ってくれた。
中々上手く飛べなくて苦労していたリリと、ジェイドさんふたりで一生懸命練習した話。
初めての狩りでとれた獲物を、寝ているジェイドさんの枕元に置いたら、えらく叱られた話。
それはジェイドさんとリリの歩んできた歴史。リリは意外と話し上手で、私はありありとその光景が想像できた。リリも私が反応を返すと、嬉しそうに追加情報を付け加えてくれたりして、ふたりで楽しく語らいながら、森の中の道を歩いていった。
ジェイドさんを初めて乗せて飛んだ時の話をしおわった時、途端にリリが黙り込んだ。
「……リリ?」
『なあ。……ジェイドは、優しいだろう?あれはいい男だ』
リリは金色の瞳で私をじっとみてきた。
私もその視線をまっすぐに見返した。
「はい。私もそう思います。優しいだけじゃなくて、強くて、頼りになる。……ジェイドさんは素敵な人ですよ」
『……ああ。そうだな。なあ、茜』
「なんですか」
『どうして、我は人に生まれなかったのだろうなあ』
「……」
『お前が羨ましいよ』
リリはそういうと、黙り込んでしまった。
私もなんとなく喋るのをやめて黙々と歩くことに集中した。すると、段々と霧が濃くなってきた。
その霧の濃度はとても濃い。それは私の前を歩く騎士の後ろ姿が、少し霞んで見えるほどだった。
肌を撫でる冷たい霧の感触が……視界が白く染まっていく光景が、じわじわと私のなかに不安感を呼び込んだ。
『……小娘。ジェイドの傍へと戻れ』
「そうですね」
リリの声も心なしか緊張しているように思えた。
私は歩く速度を落とすと、ジェイドさんの姿を探そうと後ろを振り向いた。
――けれども。
「……え」
私は驚きのあまり、小さく声を上げた。
そこには白く濃い霧が立ち込めていて、私の後ろを進んでいたはずの荷馬車の姿も、何人も居た筈の騎士たちの姿も。……勿論、ジェイドさんの姿もなかった。
「ど、どういうこと!?」
――そうだ、私の前にも騎士が居たはず……!
そう思って振り返ったけれど、そちらのほうまで霧が立ち込めていて、真っ白で何も見えない。
何か聞こえないかと、耳を澄ましてみたけれども、辺りは静まり返っていて、荷馬車の音や馬の蹄の音どころか、葉が擦れる音すら聞こえなかった。
「え、あ。……や、いや……! 何?なんなの!? ジェイドさん……! ジェイドさん……!」
『落ち着け、小娘!』
リリの制止する声がきこえる。けれども、私はどうしようもない不安感に囚われていて、闇雲にそこらを歩き回った。
おかしなことに、先程までは深い森の中にある道を進んでいたので、脇に入れば直ぐに樹木に行き当たりそうなものなのだけれど、いくら進んでみても白い霧が立ち込めているばかりで、何も無い。
まるで突然真っ白で何もない空間に放り出されたようで、じわじわと恐怖が心を蝕んできた。
震える手で、胸の辺りを掴んだ。ジェイドさんに会いたい。ジェイドさん、ジェイドさん、ジェイドさん――……!
『小娘! 聞いているのか! 阿呆め!』
「――あっ……痛ッ……」
そのとき、リリが声を荒げて、私の肩を強く鋭い爪で抉った。
途端に、肩に鋭い痛みが走って――そこで、漸く私は立ち止まった。
リリは、私の肩から飛び上がると、ゆっくりと地面に降り立った。
ふわり、と白い霧が、リリの羽ばたきで揺らめいた。
『落ち着け。……騒いでも、あてもなく彷徨っても、どうにもならん』
「リリ……」
私はリリに抉られた肩を触った。途端に、ビリビリするほどの痛みが走る。……けれども、その痛みは私に正気を取り戻させるには丁度よかった。
「リリ。どういう状況かわかりますか?」
『……この霧から、恐ろしい気配がする。誰かが意図的に生み出した霧には違いない。ああ、ジェイドは無事だろうか』
リリはそういうと、真っ白な霧の向こうを睨んだ。
「すみません。私が、勝手な行動をしたばっかりに」
『ふん。……まったくだ。我にはお前を守る義理は無いのだから、お前がどうなろうと構わないが』
リリは首を何度か動かすと、苛々したように身体を嘴で乱暴に掻いた。
『きっとお前が傷付けば、ジェイドが悲しむだろう。……それは、我の望むところではない。仕方がないから今は守ってやる。……だから勝手をやるなら、ジェイドと別れてからにしろ、阿呆』
そう言って、リリは私から視線を反らした。
私は何度か目を瞬いてリリをみた後、リリの不器用さが、なんだかくすぐったく感じてしまって、こんな状況なのに笑ってしまった。
「――あれ? おかしいな」
その時だ。透き通るような少年の声が、唐突に耳に飛び込んできたのは。
驚いて声のしたほうをみると、そこには不思議な出で立ちの少年が、白い霧で煙る中、こちらをみて首を傾げていた。
その少年は、引きずるほど長い黒髪を手でかきあげると、こちらへと近づいてきた。
私はその少年と目があった瞬間、ぞわり、と鳥肌が立った。
その少年は12、3歳ほどの人間に見えた。身長は私の胸辺りまでしか無くて随分と小柄だ。一見すると、普通の少年に見える。
けれども、少年の金色に輝く瞳の瞳孔は――……縦に細く、まるで爬虫類の目を彷彿とさせるものだったのだ。
少年の顔つきも、どこか爬虫類を思わせる。
目は釣り上がっていて、鼻は低い。唇は薄く、口は普通の人よりも大きく見えた。
青色の薄い布地に、複雑な文様が織られている少年が纏う服は、どこか男性用のアオザイのような雰囲気があった。浅黒い少年の肌には、青い入れ墨が彫られていた。植物の蔦に似た文様の入れ墨が、頬やむき出しの腕にも彫られている。それは腕から手の先に近づくほどに密度を増して、指先に至っては真っ青に染まっていた。少年の長く鋭い爪も鮮やかな青色だ。
少年は私のすぐ側まで来ると、ずい、と顔を寄せてきた。そして、あまりのことに固まっている私の首元に背伸びをして顔を寄せると、遠慮なく鼻を鳴らしながら匂いを嗅いだ。
「――うーん。あれ?ちょっと違うや。おかしいなあ、マユが来てくれたと思ったのに。道理でマユにしては、魔力が少ないと思ったんだ」
「――マユ?」
急に少年の口から飛び出した、日本人らしき名前に、思わず私は声を上げた。
少年は蛇のような目を、ぎょろりと私のほうに向けると、ぱちぱちと何度か目を瞬いた。
そして、うーんとまた首を捻って、口をへの字にまげて暫く考え込んでいたけれども、「まあいいか」と私へ向かって礼をした。
「なんか、違う気もするけど。僕は使いっ走りだしね。言われたとおりにするだけさ。……ごほん!……お迎えに上がりました。聖女様。……我らの長がお呼びだ……です。長の招きに応じて頂き……ください」
そして、私の手をとると、手の甲に唇を落とした。
「――ッ!?!?」
見知らぬ少年に、いきなり手の甲にキスをされたものだから、私は驚きのあまり声が出なくなってしまった。
目を白黒とさせていると、少年は私を見上げて、縦長の瞳孔の瞳を細めた。
「……沈黙は、肯定とみなすよ」
そういうと、少年の瞳が怪しく煌めいた。
『……ッ、小娘! それから離れろ!』
リリの焦ったような声が聞こえた瞬間、少年の青い入れ墨が、まるで沸騰するように沸き立って、艶やかな光沢を帯びた。そして、あっという間にそれは黒い鱗のようなものに変わり、その鱗はまるで身体の表面を侵食するように広がっていき――やがて、全身を覆い尽くした。そして、骨がきしむビキビキという嫌な音と共に、みるみるうちに少年は巨大化していった。
私は今もなお怪しい光を放っている金色の瞳から目をそらすことが出来ず、大きく見上げるほどになってしまった少年を呆然として見ていた。
フシュルルル……と少年の大きく裂けた口から、霧のような白い吐息が漏れる。
口から覗く牙は、びっしりと犇めくように生えていて、涎でテラテラと鈍く光っていた。全身は鱗に覆われていて、太い四足に、大きな翼を持つそれを、私は晴れ渡った秋空のはるか上空を飛んでいるのをみたことがあった。
――竜、だ。
巨大な黒竜を見た瞬間、私は恐怖のあまり、腰を抜かしてしまった。
「……。さあ、聖女様。我ら、竜の棲み家へ招待しましょう」
少年はそういって、私の向かってその大きな顎をゆっくりと開けた。
粘り気を帯びた竜の涎が牙から糸を引いているのが見える。
そして、それが勢い良く私に向かってきて――お腹の辺りに、恐ろしいほどの激痛を感じて――……。
――私の意識は、そこで途切れた。