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初めての旅路、聖女の足跡3

 私たちは、食事の後、用意してくれた部屋へと一旦戻っていた。

 案内してくれた兵士さんが「狭くて申し訳ありません」と恐縮していた、石造りのシンプルな内装の部屋は、ベットやソファなどの生活に必要なものが、程よい広さの部屋に収まっていて、こちらの世界の人からすると狭いのかもしれないけれど、日本人な私からすると、とても落ち着く広さだ。そもそも、防衛のための砦の中にある部屋に、広さを求めるのが間違っているだろう。



「……最近、見せたいものがあるって言われると、禄なことがないんですよね」



 暖炉の前のソファに座って、唇を尖らせて言った私を見て、ジェイドさんは苦笑した。



「確かにそうだね。人外の宴に連れ出されたりねえ。茜は、色んなもの(・・)に人気だからね」

「主にその原因は妖精の女王様にあるような気がするんですけどもね!……今回は関係ないですよね?」



 私は思わず不安になって、周りを見回した。

 けれども、どこにもあの白金は見つからなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。



「流石にそれはないよ。さあ、リゼルさんが待っているよ。いこうか」



 そう言って、二人でリゼルさんの部屋を目指した。

 リゼルさんの部屋のドアをノックすると、中から「どうぞ」という声がしたので、ゆっくりとドアを開けた。


 リゼルさんの部屋に入って、一番最初に目に飛び込んできたのは、大きな暖炉だ。そこにはたっぷりの薪がくべられて、赤々と燃え盛っていた。石造りの部屋だけれども、部屋の中には暖かな色合いの家具と、紺色に統一されたカーテンやタペストリー、そして、美しい黒髪の女性と、立ち昇る光の柱が描かれている不思議な大きな絵が飾られているおかげで、冷たさは感じない。

 暖炉の炎の明かりが部屋全体をほんのり橙色に照らしている様子は、どこか安心感を与えてくれた。



「お疲れのところ、申し訳ありません」



 リゼルさんは、そういって私達に暖炉の近くの椅子を勧めた。

 勧められるままに椅子に座ると、「冷えますからね」と言って、厚手のブランケットを渡してくれた。



「お酒は何を召し上がりますか?」

「ああそれなら、夕食はご馳走になったので、お土産を持参しました。こちらは、異界の蒸留酒です。よかったら、どうぞ」

「おお!それは素晴らしい!異界の貴重な味、楽しみですな!」



 リゼルさんも大層なお酒好きらしい。顔を嬉しそうに綻ばせて、ウイスキーの瓶を受け取った。



「それと、これ。オランジェットっていう、果物の皮にチョコレートをコーティングしたものなのですが」

「菓子ですか?」

「ええ。そうなんですけど、これがウイスキーに合うんです。甘いものは苦手ですか?」

「それほど進んで食べはしませんが、苦手と言うほどでは」

「それは良かったです。これは甘いといえば甘いのですが、どちらかというと苦味がある菓子なのですよ」

「ほほう」



 紙の箱に入ったオランジェットを、リゼルさんは興味深そうにしげしげと眺めている。

 私はグラスを用意してもらって、そこにウイスキーを注いだ。

 今日はストレートで飲むつもりだ。オランジェットには、ウイスキーの香りがとても合う。

 小皿にオランジェットも用意して、サイドテーブルの上に置くと、私たちは少しグラスを掲げ、乾杯をした。


 グラスの中のウイスキーは、暖炉の暖かな光の中で、美しく琥珀色に揺らいでいる。

 それを口へ運ぶと、力強いアルコールを感じると共に、木の香りが鼻を抜ける。

 ウイスキーを飲む度に感じるその香りは、どこか心を落ち着かせてくれる香りだ。



「おお!中々素晴らしい味と香りですな。強い酒精が心地良い。それに、この焦げたような……香ばしい木の香りは」

「このお酒は、発酵に使う樽の内側を焦がしているんですよ。その香りでしょう。この琥珀色も、発酵に伴って、木の樽からお酒に移ったものなのだと、聞いたことがあります。正直、そんなに詳しくはないのですが」

「興味深いですね。こちらの世界にも、蒸留酒はありますが……それらに比べても、引けを取らない美味さだ」



 リゼルさんは、嬉しそうに目を細めて、グラスの中の酒を見つめている。



「オランジェットもどうぞ。なかなか、ドライな味のウイスキーに合いますよ」



 私はオランジェットの入った皿を、リゼルさん側へとそっと押しやった。

 ついでに、自分の分も一つ確保しておく。

 リゼルさんがオランジェットを口にしたのを見計らって、私もそれを齧った。

 乾燥させたオレンジの皮は、爽やかなオレンジの香りを感じさせてくれる。それに、渋みを感じるのだけれど、その上にコーティングされたチョコはどちらかというと甘め。渋みと、チョコの甘い味。一見合わなそうな組み合わせだけれども、口の中で混じり合うと、絶妙にお互いを引き立て合って、とても幸せな味になる。

 オランジェットの余韻を楽しみながら、ウイスキーをまたひと口飲むと、より深くウィスキーの香りが感じられて、これがまた合うのだ。

 楽しくお酒を飲む、というよりも、疲れた心を癒やすために少しだけ酔いたい、そんな気分のときには、ぴったりの組み合わせだと思う。



「へえ。甘い菓子に、香り高い酒。意外な組み合わせだけれど、美味しいですねえ」

「そうでしょう?ウイスキーの香りと味を楽しむためにも、間にオランジェットの爽やかな香りと甘い味を挟む。これが美味しく飲むための秘訣なんです」

「茜様は、なかなか通でいらっしゃる」

「あはは。全部、亡くなった祖父の受け売りなんですけどね」



 よくふたりきりの秘密の晩酌のときに、祖父の酒談義に付き合わされたものだ。



「私からしてみれば、自分の孫娘と酒について語り合える、茜様のお祖父様が羨ましいですなあ」

「そのせいで、こんな飲んだくれ娘が生まれてしまいましたけどね」



 肩をすくめる私に、リゼルさんは首を振って真剣な眼差しで、拳を振り上げて語りだした。



「お酒は程度ですよ。楽しく飲める範疇であれば、女性であってもお酒を嗜むのは良いことだと思います。この世界の女性たちも、めくるめく酒の世界について、もっと知るべきです!」



 そう力説するリゼルさんはどこか不満げだ。……普段から、何か鬱憤が溜まっているのだろうか。



「……リゼルさん、私生活でなにかあったんですか?」

「ええ、まあ。私がたまの休みに家に帰って飲んでいると、娘と妻が口うるさくてね……」

「でも、それはリゼルさんの体を気遣ってのことでしょう?」

「それはわかっているのですがね……。言い方というものがあると思うのですよ。気遣いも程度が過ぎれば、嫌味にしか聞こえない。まるで、美味い酒を毒のように言われる身にもなってください。肩身の狭い思いをして飲む酒というのは、実に不味い。毎度毎度、酒を飲む度に嫌味を言われるのです。堪ったものではありませんよ!」



 話しているうちに興奮してきたのか、ふうふう、と息を荒げて、リゼルさんは顔を真っ赤にしている。

 リゼルさんの様子がどうにもおかしい。

 ……もしかして、もう酔ってしまったのだろうか。

 そういえば、リゼルさんは食事中も随分お酒が進んでいた。

 ちらりと、ベットサイドのテーブルを見ると、手が付いた酒瓶とグラス。

 ……既に私達がくるまえに一杯飲っていたらしい……。

 それは酔っ払うよなあ、と思いながら、ウイスキーをちびちび飲みながら、リゼルさんを眺めた。


 しばらくすると、リゼルさんの愚痴が止まらなくなってきた。

 背中を丸めて、グラスを煽る姿は、日本橋のサラリーマンの如し。そんな哀愁の漂うリゼルさんが、グラスの中を見つめながら、ぽつぽつと話す内容は尽く家族への愚痴や、仕事上の愚痴。

 普段、一緒に飲む相手は楽しく飲むタイプばかりだったので、こういう酔い方をするタイプは珍しい気がする。



「……飲み過ぎではないですか? 今晩のところは、もうやめておいたほうが」



 ジェイドさんは心配そうにリゼルさんを嗜めているけれども、リゼルさんは「いいえ! 聞いてくださいよ!」と聞く耳をもたない。……酔っぱらいに何を言っても止まるはずがなかった。



「――昔は、愛してると言って抱きしめてくれた妻も、今や私のことを避ける始末……娘には臭いと言われ、息子は反抗期。家に私の居場所はないのです……」



 とうとう目を真っ赤に染めて、泣き始めたリゼルさんをみて、ジェイドさんとふたりして苦笑しながらも、こういうお酒もたまにはいいかなと彼の話に付き合った。


 ウイスキーも一杯飲み終わった頃。

 リゼルさんは、いきなり愚痴をやめたかと思うと、懐から懐中時計を取り出して、席を立った。



「茜様。申し訳ない、妻への愚痴を聞かせるためにここにお呼びしたのではないのですよ」

「あら。そうなんですか?」

「そうなんです!酒が入ると、どうも口が軽くなっていけない。さあさ、茜様、ジェイド様。こちらの外套を羽織ってください!……さあ、はやく!」



 急に慌て始めたリゼルさんに困惑しながら、手渡された外套を羽織る。

 すると、リゼルさんは部屋の奥にある、小さなバルコニーのような場所につながるドアに手をかけた。



「もうすぐ、時間のはずなのですよ」

「……なんの、時間ですか?」

「それは、ご覧になった後で説明させていただきますよ。さあさ!どうぞ!」



 リゼルさんに促されるままに、バルコニーへ出ると、肌がぴりぴりと痛むくらい冷たい風が体全体を包んだ。

 月明かりに、沢山の星が瞬いている。

 ここは標高が高いからか、雲は視界より下に見えた。下界は曇っているのだろう、雲海が広がっている。ふわふわの真っ白い雲海から、標高の高い山々だけが顔を出して、それを青白い月の光が照らしている様子は、見惚れるほど美しい。



「ええと、あっちの方角ですな。良かった、間に合った……」



 リゼルさんはそういうと、私達をとある方角のほうへぐいぐいと押した。

 ここからは、晴れた日中であれば隣国が一望できるという。



「……リゼルさん、一体何を」

「ほらっ!ほらっ!来ましたよ!茜様!どうぞ、あそこを見てください!」



 私の疑問に答えようとはせずに、興奮気味にリゼルさんはどこかを指差している。

 何度か質問を投げてみても、「いいから、いいから!」とはぐらかされてしまった。

 ……まったくもってリゼルさんの真意がわからないけれども、ここで押し問答していても仕方がない。諦めてその方向を見てみると、遠くまで広がる雲海の中から、一筋の光の柱が立ち昇っているのが見えた。

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