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初めての旅路、聖女の足跡1

『ジェイド、ジェイド。これがお前の大切なものとやらか?』

「そうだよ、リリ。茜っていうんだ」



 それは、ジェイドさんに大きな頭を擦りつけていたかと思うと、ギラリと金色の瞳を光らせて、私を鋭い眼差しで睨んだ。



『……まずそうだな』



 そう言って、カチカチと(くちばし)を鳴らすものだから、私の背中に一筋、冷たい汗が流れた。


「こら、冗談でもよせ」とジェイドさんが撫でているのは、とてつもなく大きな鷲だ。

 その鷲は頭は白く、体は褐色の羽毛を持つ、ハクトウワシと日本では呼ばれている鷲に似ている。

 けれども、体の大きさは段違い。大鷲の頭は、うちの屋根に届きそうなほど高い。

 それは大きな体に、これまた大きな鞍を着けており、人間が乗れるようになっていた。

 騎乗用の大鷲。リリと呼ばれている大鷲は人間が乗るために調教された獣だ。

 そんなリリと私は、庭で顔合わせをしていた。



「……よ、よろしくおねがいします……」

『……』

「リリ?……こら、リリ!挨拶をしなさい」

『……よろしく』



 リリは渋々といった風に、私に挨拶をした。

 明らかに友好的でない態度に、私がどう反応すればいいか解らずに、ただリリを見上げていると、その大鷲は甘えるようにジェイドさんに頭を擦り付けた。そして、



『こんな不味そうなの、乗せたくない』



 と駄々を捏ね始め、私達を困らせた。



 妹とヴァンテさんの下で翻訳作業をしたあの日、妹は私に「旅先に来て欲しい」と言った。

 それは、一緒に、という意味ではなく、妹が先行して浄化が終わった後の街に来て欲しいということだった。



 ――結構長いこと時間がかかりそうだからさ。おねえちゃんが来てくれたらなあ、なんて思ったんだけど。やっぱり時間が経てば経つほど、おねえちゃんのご飯が恋しくなるんだよね。



 妹はそういって、決まりの悪そうな顔をした。

 ……因みに、今回の旅は1ヶ月を予定している。今までで最長の長さだ。



 ――我が儘を言ってる自覚はあるからさ。無理なら断ってもいいよ?



 そう自信なさげに言った妹の願いを、私が断れるはずもなく。

 私は異世界に来て初めて、ジルベルタ王国を離れることに決めた。



 荷造りや準備は大変だった。

 妹が出発した一週間後に追いかけるということだったのだけれど、それにしても使い慣れた台所以外で料理をするなんて、小学校の調理実習以来覚えがない。

 しかも、料理をするのは他国だ。

 それも獣人が沢山いる、この国とはまったく違う風土の国らしい。

 一応、王城勤めの料理人であるゼブロさんにお願いして、薪で火を起こす竈や、石窯の使い方は教えてもらった。けれども、便利な道具に慣れすぎた私からしてみると、どれもこれも難しすぎて、なんとか使えるようになるまで大変な苦労をした。それでも今だに使いこなせている感覚は全くない。

 ……仕方がないので、万が一に備えて携帯コンロや、あれも、これもと色々積み込んでいると、結構な荷物になってしまった。



『まだ積むのか、小娘』



 初顔合わせから、数日。

 リリはなぜか私の名前を呼んでくれず、小娘と呼ぶようになった。

 ジェイドさんが何度言い聞かせてもそれは直らず。……小娘という歳では正直無いのだけれど、リリがそう呼びたいのであれば仕方がない。私はそのことは気にしないことにした。

 今回の旅で、私を運んでくれるのがリリだ。リリはジェイドさんのご実家の持ち物で、卵からジェイドさんが孵して手塩にかけて育てた騎乗用の大鷲。

 だから、私に慣れてもらうためにも、顔合わせの日から時間を見つけてはリリに会いに行っていた。

 態度は相変わらず冷たいけれども、本気で邪険にしているわけではないようだったので、私のリリに対する態度も大分軟化している。


 リリは目の前に積み上げられている荷物を眺めて、うんざりした様子だ。



「ごめんなさいね。お米やら食材やら、色々と必要で」

『それを運ぶ方の身にもなれ。これだから雌は好かないのだ』



 リリはイライラが募ったのか、大きな黄色い嘴をふわふわの羽毛に突っ込んで乱暴に体を掻いている。

 私はそんなリリをじっと見上げた。

 ……あの胸あたりのふわっふわの羽。おもいっきり抱きしめたら、さぞ心地良いだろうなあ……。

 脳内で羽毛に文字通り埋もれる自分を想像してうっとりする。

 たまにレオンのお腹に顔を埋めることがあるけれども、ダックスフンドなレオンは毛がそんなに多くない。

 それに、自分より大きな動物の体を思い切り抱きしめる、というのは浪漫だと思う。

 ……そんな、私の邪な考えを感じ取ったのか、リリは、じり、と僅かに後ずさった。



『小娘。目つきが怪しいぞ。何を企んでいる!』

「……えっ!あ、ごめんなさい!別になにも」

『貴様、やはり我とジェイドの仲を裂こうとしているのだろう!ジェイドの真実の「一番」は我だということに、嫉妬しているのだな!』

「……へ?」



 リリが突然言い出した言葉に私の思考が停止した。



『我と、ジェイドは将来を誓いあった仲なのだ……!邪魔をするな小娘!』

「なに言ってるんだ、お前」



 その時、ジェイドさんが割り込んできて「俺はお前とそんな約束をした覚えはないぞ」と言ってくれたので、ほっとする。好きな人がケモナーなのかと勘違いするところだった……。



「茜も、変な妄想しない!」



 ジェイドさんに私の考えはお見通しだったらしく、呆れた顔で私の脳天にチョップを落としてきた。

 ごん、という鈍い衝撃がして、ちょっぴり痛い。



「どうせ、俺が小さい頃に言った『ずっと一緒にいよう』的な言葉を未だに言ってるんだろ?」

『ぐぬぬ……我にとっては大切な言葉なのだ。ジェイド自身の言葉といえど、馬鹿にするな』

「お前は俺に執着しすぎだ。だからお前は今だに婿も迎えられないんだよ。早くしないと、行き遅れるぞ」



 ……行き遅れ……!ジェイドさんが発した、その言葉が私の頭にずん、と重く伸し掛かった。

 この世界では大鷲にすら結婚適齢期があるというのだろうか。



『うるさい。我がいつ婿を迎えようと、我の勝手だろう』

「そうですよ!ジェイドさん!」



 急に、興奮気味に話に混じり始めた私に、リリとジェイドさんが目をまんまるにしてこちらを見ている。



「女性に対して、行き遅れだの……失礼ですよ!」

「え、いや」

「ジェイドさんには、デリカシーが足りませんね!ねえ!リリ!」

『……う、うむ。デリカシーとは何かは知らぬが』

「……なんかごめんなさい?」



 ジェイドさんは腑に落ちないような顔をしているけれども、私の怒りを感じたのか取り敢えずといった様子で謝った。その顔は、結婚していない女性に行き遅れと発言することが、如何に罪深いことなのか、まったく理解していない顔だ。

 むくれている私を見たリリが、金色の目を何度か瞬かせ、頭をクイッと傾げたかと思うと、ふとこんなことを言い出した。



『確かに、我はジェイドの言葉に大変傷ついた』

「……え、ごめんよ。リリ』

『いや、我とジェイドの仲だ。我の言うことを聞いてくれれば許してやろう』



 そう言うと、リリはお尻をジェイドさんの方へ向けた。



『我の尾羽の付け根を撫でろ』

「……ん?そんなことか。リリは昔から、ここが撫でられるのが好きだったな」

『うむ。さすがジェイド。我のことをよく理解している』



 ジェイドさんは、言われるがままにリリの尾羽の付け根を優しく撫でた。

 リリは心地よいのか、瞳を細めてうっとりしている。

 しばらくすると、今度はこんなことを言い出した。



『今度は、我の胸の辺りだ。思い切り抱きしめろ。ジェイドは昔からそうするのが好きだっただろう』

「確かに、お前のここはふわふわで気持ちいいけどな?……今しなきゃいけないことなのか?」

『当たり前だ。今、ここですることが重要なのだ。……ほれ。早くしろ。お前のことは我がいちばん(・・・・)知っておるのだから』



 ジェイドさんは不思議そうな顔をしながらも、リリの胸部分のふわふわな毛に体を埋めた。

 その毛は見た目よりも随分と厚みがあるらしく、ジェイドさんの体がふわふわに半分埋もれてしまうほどだ。



『ふふふ。我の胸は気持ちいいだろう』

「そうだなあ。それにいい匂いだな。太陽の匂いだ」

『午前中、日向ぼっこをしていたからな。当然だ』



 そんなことを楽しそうに話している二人を、私は少し離れて見ていた。

 ……なんだか、邪魔してはいけないような、親密な雰囲気だ。

 居心地が悪くて、そわそわしていると、ふと、リリと目が合った。


 ――リリは、私と目が合った瞬間。

 勝ち誇ったように、目を細めて、嘴をカチカチと鳴らした。

 それはまさに、これは自分の男だと主張する、恋する乙女の目!

 ……私のライバルは、おっぱいの大きいお姉さんでも、お尻がセクシーなお姉さんでもなく、大鷲だったのかっ……!!!

 そのあまりの衝撃の事実に、頭の処理が追いつかず、くらりと目眩を起こした。



「……茜っ!?どうしたんだ……!?」



 心配してくれているジェイドさんの声が、どこか余所余所しく感じるのは、どうか私の妄想のせいだと思いたい……。



 ――猛禽類などには……負けないッッ!



 私はそんな決意を込めて、リリを睨んだ。

 リリも、喧嘩上等と言わんばかりに、羽を膨らませて、嘴をカチカチ鳴らしている。

 こうして大鷲と恋の火花を散らしながらも、数時間後には準備も終わり――翌日。旅の初日を迎えた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 王城の中庭では、計三羽の大鷲が出発を今か今かと待っていた。

 もちろん、その中の一羽はリリだ。

 リリの他には、大きな水の入った樽を専用で運ぶ大鷲に、警備のための騎士を乗せた一際大きな大鷲。リリよりも二回りほど大きなその大鷲の背中には、荷物の他に、複数人が座れる大きな籠のようなものが取り付けられて、なんとそこに5人もの騎士が乗り込んでいるのだから驚きだ。

 私の荷物は、紐でリリの背中に括り付けられて、その荷物の前に二人乗り用の鞍が据えてあった。

 ……背中に鞍や荷物を積んでいては、うまく羽ばたけないのではないだろうか。

 一瞬そんな疑問が頭を過る。



「ああ、大鷲は自分で羽ばたいて飛ぶわけじゃないんだ。風の魔法で浮き上がるんだよ。方向転換なんかに、翼は使うけどね。大鷲は大きくて、体が重いから、自分の羽ばたきで浮き上がることが出来ないんだ」



 素直に浮かんだ疑問をジェイドさんにぶつけてみると、そんな回答が返ってきた。

 なるほど、確かにこんなに大きいと飛ぶのも一苦労だと思う。

 きっと魔法が無い世界であれば、進化の途中で飛ぶのを諦めて、翼が退化してしまうのではないだろうか。

 またまた異世界の不思議に感心していると、全ての準備が整ったので、リリの背中の鞍にジェイドさんに助けられながらも、なんとか乗り込んだ。

 すると、ジェイドさんが大きくて分厚い外套と、手袋、マフラーを渡してくれたので、それを着込んだ。まったく風を通さない素材のそれらは、とても暖かい。



「さあ、行こう!リリ!」

『任せておけ。ジェイド』



 ジェイドさんが声をかけると、リリは大きく翼を広げた。

 途端、強い風が周囲に巻き起こる。

 すると、羽ばたいてもいないのに、リリが浮き始めた。

 耳元で風がひゅうひゅうと鳴いている。

 地面からふわりと浮き上がったリリは、そのまま垂直に上空に上がっていった。

 いきなり襲ってきた浮遊感に戸惑う私を、鞍の後ろに座って体を支えてくれているジェイドさんが、「大丈夫」と言って励ましてくれた。けれども怖いものは怖い。私は思わず体をジェイドさんにぴったりとくっつけた。



『小娘!あまりジェイドとくっつくでない!』

「――む、無理!」



 リリはすかさず文句を言っているけれど、正直私はそれをまともに取り合う余裕なんてない。

 革製の丈夫な手綱をしっかりと握りしめてはいるけれども、地上がみるみるうちに離れていくのを目の当たりにして、思わず目を瞑ってしまった。



「目を瞑っていると、却って酔うよ」

「えええ!?」



 しかも、ジェイドさんがそんなことを言い出すものだから、目を開けたり瞑ったり繰り返す。目を瞑っていたい。でも目を瞑っていると酔う……ジェイドさんの前で吐いたりしたら最悪だ。私は一体どうすればいいの……!?



「そういうときは、下を見ずに正面を見ればいいんだ」



「俺が支えている限りは大丈夫」と言って、ジェイドさんが腰に腕をまわしてしっかりと支えてくれた。お陰で、体は随分と安定している。恐る恐る目を開けてみると、そこには素晴らしい風景が広がっていた。


 リリは進行方向を定めるためなのか、風に乗って大きな円を描くように飛行している。

 酔わないために、顔を真っ直ぐに固定しているのだけれども、リリが旋回する度に見えるのが、高台に建つ、まるでミニチュアのような小さな白いお城。その周りには秋色の森が広がっている。少し離れたところに、赤い屋根が立ち並ぶ大きな王都が見えた。王都から細く長く続く街道。そこには馬車に沢山の荷物を乗せた商人や、大きな荷物を持った旅人が行き交っていた。

 そしてなによりも美しいのは、王都から少し離れ、秋色の森が切れた向こう側。そこは、一面の金色に染まっていた。



「わあ!綺麗!」

「麦畑だよ。凄いだろう、このあたりは麦の一大産地なんだ」



 風が通り抜ける度に、海の波のようになびいている黄金色の小麦畑は圧巻の一言だ。

 辺り一面が大きな麦畑の中には、作業のための通路が格子状につくられている。

 その中に、ぽつんぽつんと古ぼけた羽をゆっくりまわしている風車が建つ。そして、日本のものとは趣が違う、藁葺(わらぶき)屋根のまあるい可愛らしい家が建っている。そんな小麦畑の中で、時折、作業中の農民がこちらを眩しそうに見上げていた。

 日本に居たのであれば、絶対に見られない景色。まるで絵画の世界に飛び込んでしまったような気分だ。


 ――そのとき、遠くに何か光るものを見つけた。

 太陽の光を反射してきらきらと輝いているあれは、海だろうか。



「――ジェイドさん!あれは、海?」

「そうだよ。前に言ったろう?王都の近くには港があるんだ」



「丁度上空を差し掛かるから、みてごらん」とジェイドさんが言うと、リリは港の方へ頭を向けた。


 暫くして辿り着いた海の上。きらきらと碧く輝く海。丸くえぐれた湾のそばには、王都の建物より随分と色鮮やかな色合いの家々が立ち並んでいる。赤や黄色や緑。日本だと絶対に選ばないようなカラーリングの家々が立ち並ぶさまは、はるか上空から見下ろすとまるでおもちゃの家のようで、とても可愛らしい。

 港には、帆を畳んだ船が沢山並んでいて、漁師なのだろうか、日に焼けた男たちが行き交っている。

 港の近くには、沢山の露店が並んでいる。多くの人が軒先でやり取りをしているのが見えて、活気がここまで伝わってきそうだ。


 興奮して町並みを眺めていると、後ろの方から笑い声が聞こえた。



「ねえ、茜。もう怖くないのかい」

「え?……あ、ああ!そういえば怖かったんだった!」



 ジェイドさんに指摘されて、自分が思い切り地上を見ていたことに気付く。

 もうすっかり空を飛ぶ感覚にも慣れて、先程までの恐怖なんてどこかへ行ってしまった。



「あんまり綺麗なものだから、忘れちゃったみたいです!」

『小娘は単純だな』

「うん。私って単純だとおもう!」

『……自分で言うな。馬鹿ものめ』

「あはははは!」



 ふと飛んできたリリの嫌味にも笑って答えられるくらい、私の気分は高揚していた。

 まさしく言葉通りの旅の空。

 見たことのない景色、それを空から眺める感覚は素晴らしいもので、私はそのあともあれこれジェイドさんに質問しながら空の旅を満喫した。

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