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晩酌1 月光とビールと七輪

 ホウ、ホウと鳥の鳴き声が聞こえる。

 窓から見える空は雲ひとつなく、大きな月が綺麗に見える。

 お陰で空気はきん、と冷え込み私はちょっとだけ鼻をすする。パジャマの襟を冷えた両手できゅっと閉じて、もこもこのスリッパに足を通す。

 そうして、私は寝室の扉をそうっと開け、暗く底冷えする廊下に出た。



 私たち姉妹は、ご飯を私が作る事になってから住まいを離宮から自宅に移すことになった。

 料理の仕込み等を考えると正直すごく助かった。離宮からこの自宅は遠いのだ。

 そんな訳で今夜は自宅にいる私なのだが…。

 抜き足差し足。そろそろそろり。

 古い家だ、気をぬくと直ぐにギシギシ床板が鳴る。

 二階の寝室から、妹に気づかれぬよう気配を消しつつ階段を降りる。

 一階にようやく辿り着くと、細い廊下の奥、古びた木の扉をゆっくり開ける。

 ギギ――……と、古い蝶番が錆びた音を鳴らす。

 一瞬どきりとして、耳を澄ましてみるが妹の起きた気配は無い。

 ふう、と小さく息を吐いて扉の奥へ侵入する。



 何も見えない暗がりの中、手で探ってスイッチを入れる。すると何度か点滅しながら、古い白熱電球がその部屋を照らした。

 この部屋は我が家で食料庫、と呼ばれる部屋だ。納戸とも言う。祖母がコツコツと溜め込んだ乾物やら缶詰、保存のきく根菜類、祖父と私で蒐集していた酒類などが収納されている部屋だ。ごちゃごちゃと積み上げられたそれらの中には、かなり古いものもあり少し埃の匂いがする。

 私は色々なものが雑然と置かれたその部屋の奥に進み、棚をあちこちごそごそと探る。

 暫くして目当てのものを見つけると、私はムフフ、と嫌らしい笑いを浮かべて、そっとその部屋を後にした。



 寝るときに暖房を落としてしまった台所は春が近いとはいえ、まだかなり冷え込む。小さな電気ストーブを引っ張り出してきて、スイッチを入れる。そんなに長居をするつもりはないから、これで充分だろうか。

 …やっぱり少し肌寒いので、ちゃんちゃんこも引っ張り出してきて羽織る。うん、鼻先は冷たいけど少しはマシになった。

 戸棚の奥から、「火おこし器」を引っ張り出して、食料庫から持ってきた去年のバーベキューで余った炭をいくつか入れる。

「火おこし器」は鉄の鍋の底が網状になった道具だ。主に炭を入れ、コンロにかけて火を起こすのに使うものである。

 相棒の七輪は既にスタンバイ済みだ。

 ムフフ、と笑いがまた溢れる。

 妹も寝静まり、ジェイドさんも帰った。

 なんの柵も無くなった私はこれから…

 ひとりで秘密の晩酌をするのだ。



 私は昔から酒好きの祖父と共に、夜中に祖母と妹に隠れてこそこそ一杯やるのが好きだった。ふたり向かい合って何でもないような話をしながら、お酒を飲み交わし、私が作ったおつまみを摘む。

 たったそれだけの事だけど、祖父との時間はとても心地いいものだった。祖父の健康をいつも気にしていた祖母に隠れて、というドキドキ感も良かったのかもしれない。秘密の晩酌の度に祖父にいろんなお酒に付き合わされたおかげで、私もすっかり酒好きになってしまった。

 祖父が亡くなった後、一度だけ晩酌をした。ひとり月を見ながらのお酒は、なんだか寂しく感じてしまって、それ以来は辞めてしまったんだけども。

 久しぶりにこの家に帰って来て、この家の匂いが懐かしくて。あの頃に戻れたら、無意識にそう思ってしまったからかもしれない。なんとなく、今日秘密の晩酌をやろうと思ったのだ。



 ガスコンロに火を入れる。

 火おこし器の中の炭に火が当たると、ちりちり、ぱきん。と炭がはぜる軽快な音が聞こえて耳に楽しい。

 その間に食料庫からとってきた里芋を水で洗う。

 夜だから外も冷え込んでいる。とても水が冷たい。

 はーっと赤くなった指先を息で温めつつ、頑張ってこびりついた泥を落とす。

 綺麗になったらお皿に乗せて、ふんわりとラップをかける。そして、レンジで大体3分チン。

 その間ににんにくを用意してみじん切りにしておく。それも皿に盛ってラップをする。味噌とみりん、酒、砂糖を用意して混ぜ合わせておく。

 チン!と電子音がなると、ちょっとびくびくする。妹が起きて来やしないかと耳を最大限研ぎ澄ませながら、そろそろと里芋の皿とにんにくのみじん切りの皿を取り替えて、30秒チンする。



「あち、あちち」



 レンチンした里芋はふんわり柔らかくなっていて、素手で力を込めて皮を剥くと、ずるりと剥ける。

 なかなか熱いので、右手左手順番にほいほい放り投げて熱さを凌ぐ。

 なんとか剥き終わったら、小鍋を用意して先ほどの味噌の合わせ調味料を温める。

 お砂糖が入っているので焦げないように注意しつつ、くつくつ周りが煮立ってきたらにんにくをいれる。

 にんにくの香りが味噌の香ばしさと相まってとてもいい匂いがする。レンジでチンしてあるにんにくには火が通っているので、そこまで煮詰めなくていい。

 ぺろっと味見していい塩梅であればにんにく味噌の完成。

 里芋は別皿に乗せ、にんにく味噌も小皿に取り置く。

 吊り戸棚の中から、アレ(・・)も取り出して一緒にお盆にスタンバイ。



 その頃には火おこし器の中の炭もいい頃合いだ。

 火傷しないように注意しながら七輪へそうっと炭を落とす。ほんのりと炭の暖かさが頬を撫でて、赤々とした炭が晩酌への期待を煽る。

 再び抜き足差し足。

 キッチンから居間を抜けて縁側へ。こんな晴れた綺麗な月の夜は縁側で飲むのが祖父との決まりごとだったのだ。

 勿論雨戸が閉まっているから、2枚分だけ開ける。

 雨戸を開けた途端、ひゅう!と風が私を襲う。

 寒い!と悲鳴をあげそうになるのを堪えて、軽く足踏みをして寒さを紛らわし、居間からコタツをずるずる引きずってくる。すかさずスイッチをいれて温めておく。



 今すぐコタツへダイブしたい気持ちを抑えながら、七輪と食材をのせたお盆を持ってくる。

 七輪に網をのせて、里芋を乗せる。

 もちもち里芋の表面が炭で炙られて、少しづつカリカリになってくる。

 じゅるりと唾を飲み込みつつ、にんにく味噌をひと匙ふた匙塗りつけてまた焼く。じゅうじゅう味噌の焦げる匂いがたちどころに辺りに広がってなんとも言えない、いーい匂い。

 ――よし!

 私は勢いよく立ち上がると、急いでキッチンへ向かう。私は足音がしない中での最大速度を出しつつ冷蔵庫にたどり着いた。

 冷蔵庫の中には、プレミアムなビールが数本。

 それを一本と、泡立ちがいいという陶器のビールグラスを手に掴み、また最大速度で縁側へ戻る。

 さっと素早くコタツへ潜り込み、ぷしゅぅ、と缶を開けて、とくとくとく、とグラスへ注ぐ。

 すると細かいキメの泡がもこもこと美味しそうに膨れ上がって私の唇を誘う。

 その泡を唇を少しだけ尖らせてちゅっと吸ったあと、一気に口をつけてゴクリと金色の液を飲み込んだ。

 喉の奥をしゅわしゅわと炭酸が弾ける。炭酸の刺激と一緒に、さわやかな苦味が一瞬だけ舌を舐める。苦味を味わう前に、それは喉の奥にすうっと消えていった。



 ふわぁ、と息を吐くと流石に寒い。

 慌てて箸で里芋をひとつ。

 里芋のにんにく味噌、七輪炙り。

 ふうふう冷まして、はむっと食いつけば、ねっとりした里芋と香ばしい味噌がビールで冷え切った口内を優しく温める。そして味噌の奥に隠れるのはみじん切りのにんにく。すり潰していないにんにくは焼いたことによって少しだけ自己主張をする。口の中からにんにくの香りが鼻に抜けて、夜中にこんなものを食べている罪悪感を私の胸からちょっとだけ連れてくる。

 そしてまたぐいっとビールをひと口。



「はあぁ…」



 口から出た声は満足感からか、罪悪感からか。

 まあどっちでもいいけれど、私の顔はゆるゆるで、暫く戻りそうにない。

 足元はコタツでポカポカ、体はちゃんちゃんこでぬくぬく。顔や手は寒いけれど、七輪の熱も心地よい。

 わたしはご機嫌で、さっき戸棚から取り出しておいたアレ(・・)――スルメを七輪で炙り出す。

 すると、そこに。



「よう、嬢ちゃん。良い夜だな」



 聞きなれない男性の声がして、私の体の中の温もりがざっと引いていった気がした。

 いきなり現れた男は驚く私をよそに、「まあまあ、おっ美味そうだな、嬢ちゃん俺にも一杯」なんていいながら、重そうな金属製のブーツを庭先にぽいぽい投げ捨ててコタツへ潜り込んできた。

 ちりちり、ちりり。

 スルメのゲソが七輪の熱で反り返る。

 炙られたそこから濃厚な潮の香りがしてきて、思わずごくりと唾を飲む。

 ――早くしないとスルメが熱で干からびる。

 炙ったあと冷めたスルメはスカスカして美味しく無い。だから、一旦七輪にあげたスルメを降ろすなんて論外だ。あつあつで食べなければ意味がない。

 にこにこしていなくなりそうも無い男を、ぐぬぬ、と見つめる。

 はあ。寒さで白いため息を吐いて、私はキッチンへ急いで酒とグラスを取りに戻った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「おうおう、嬢ちゃんも食べなァ」



 まるで自分が主人だとでもいいたげな態度のその人をそっと見る。

 私の目の前には、追加で用意した里芋を口いっぱいに頬張る壮年の男。

 月明かりに青白く輝く鎧は男が騎士なのだと教えてくれる。だけど、ジェイドさんと違って男の鎧は漆黒だった。

 七輪の上の里芋があっという間に男の口に消えていく。



「それにしても、はふっ、熱っ、はぁ。こりゃ美味いな。食べたことの無い芋だ。ねっとりねばねばして、面白い。それにこの…味噌?とか言う奴な!にんにくがきいてて、しょっぱくて、ちょっと焦げたとこなんか…ごくっごくっごくっ…ぶっはぁ、あーこの酒とぴったりだなぁ」



 どん、とこたつの上に勢いよくグラスを置く男。彼の前には既に三本の空き缶が転がっている。

 ――私のビールぅ。

 悔しく思いながら、スルメのゲソを囓る。

 先っぽの細いところは火で炙られてぽきん、とすぐ折れる。カリカリになったゲソはまるでお菓子のよう。ちょっと太めのところは、吸盤はコリコリ、身はしっかり。噛めば噛むほど海の味が口いっぱいに広がって、しょっぱさが酒を呼ぶ。

 ごくごく、噛み噛み、止まらない。



「それも、美味そうだな」



 ひょい、と七輪からゲソが消えた。

 男はスルメを口にして、うう、美味い。なんていいながら目尻を下げる。

 男はダージル、と名乗った。

 灰色の髪に、暗くてよく見えないけれども薄い瞳の色。ぼんやりとした色の配色なのに、鋭い目つきに顔中に細かく刻まれた傷跡が彼の壮絶な過去を思わせる。彼が里芋に手を伸ばす度、がっしりとした筋肉質の腕がちらちらみえて、己の強さを誇示しているよう。

 ――なんなんだろう、この人。

 不思議に思いながらも、そんな人に恐怖を覚えず、のんびりとお酒を飲んでいられるのは、彼の目尻に深く刻まれた笑い皺のお陰だろうか。

 ビールをぐいぐい煽る度、鋭いはずの瞳が細められて目尻の笑い皺がぐっと深くなる様は、若い頃の祖父を思い出す。



 スルメの中で一番好きな耳の部分を、さっと七輪で炙る。薄くて炙るとすぐ硬くなるのでほんの少しあったまる程度。

 指でちぎってダージルさんと半分こ。

 無言で渡すと、「おお」と笑って受け取ってくれた。

 むぐ、と口に放り込むと、スルメのどの部分よりも一層濃い塩の味が、ほっぺたをキュンとさせる。じゅわっと溢れるよだれを一緒に流し込むように残りのビールを飲み干す。

 余韻を楽しみながら、まんまるの大きな月を見上げる。違う世界のはずなのに、月はおんなじに見える不思議に、酔いも手伝って思わず童謡を口ずさむ。

 少し子供っぽいなあ、と自分でも思いながら歌うお月様の童謡は、冷たい夜の空気に溶けて、なんだかとても良いもののように思えるからこれも不思議。

 パチパチ、と拍手をしてくれたダージルさんも私の知らない異世界の歌を一節歌ってくれた。

 それから、お互いなんだか気持ちよくなってきて、七輪の炭が真っ白く燃え尽きるまでのんびり2人で飲み続けた。



 翌朝。

 なんだか苦虫を噛み潰したような顔をしたジェイドさんと、やけにニコニコしたダージルさんが一緒に朝の挨拶に来てとても驚いた。

 ダージルさんは、ジェイドさんが所属する騎士団の団長様だったらしい。昨日は仕事上がりにたまたまうちの近くを通りかかった時に私がひとり晩酌をしているところに行き合ったとか。

 ぽかん、と口を開けたままで固まる私の肩に、ぽんと手を置いたダージルさんは、夜中警備の薄い時間帯1人で酒を飲むのは危ないと注意してくれた。お前はこの国の賓客で、万が一にでも狙われることがあるかもしれないのだから、と。



 私は別の意味で固まった。それは、夜中の秘密の晩酌をしてはいけないという事だろうか。

 ――私の夜中の楽しみが。

 青くなった私に、ダージルさんは慌てた様子で他に誰か警備のものがいれば大丈夫だから、といった。

 是非その際は自分が警備の役目を引き受けようとも。

 わたしはほっとして胸をなでおろした。

 すると、何故か満面の笑顔のジェイドさんが



「茜、俺もその時は呼んでくださいね」

「え、でも。ジェイドさんの勤務時間が終わってからですし。一日中一緒にいるのに夜中もなんて」

「大丈夫ですから、呼んでくださいね」

「ほら、休まないと」

「呼んでくださいね」

「…はい」



 目の奥が笑っていなかった…。

 何故かダージルさんが後ろで大笑いをしていた。



 その後、話を聞いた妹に知らない人とお酒を飲んではいけない、ついでに後ろも付いていってはいけないと釘を刺された。

 因みに妹は祖父と私の秘密の晩酌の事は知っていたらしい。2人の大切な時間の様だったから、知らないふりをしていた、とも。

 …妹は私が考える以上に大人だったようだ。

 それ以降、秘密ではなくなった晩酌を開催する時は、ダージルさんとジェイドさんが来てくれるようになった。

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