学者と文字の世界と秋色アップルパイ 後編
翌日。午後から妹とジェイドさんと三人で、ヴァンテさんの下にお手伝いに行くことにした。
妹も明日からの旅に向けて、荷造りをしていたけれど、ようやく支度し終わったのか居間で寛いでいる。
私はそんな妹に声を掛けた。
「ね、ひより。よかったら、ヴァンテさんのところに持っていくお菓子を作ってみない?」
「ああ! いいね! あそこで手伝ってると、脳みそが糖分を異様に欲しがるんだよねえ」
「頭使うからね……甘いものがあったほうがいいでしょ?」
妹は甘いお菓子を想像したのか、うっとりとしている。
「何を作るの?」
「片手で摘めるもののほうがいいよね」
「じゃあ、あれがいい! おねえちゃんがよく作ってくれた三角のアップルパイ!」
妹はそう言うと、食料庫にすっ飛んでいき、沢山の林檎を抱えて戻ってきた。
真っ赤な林檎は、秋がまさに旬。スーパーで年がら年中見かける林檎だけれど、秋以外に出回っている林檎は、大体が収穫してから低温で長期間保管していたものだ。そういう林檎は水分が抜けてぱさぱさしていて、どこか味気ない。熟してから収穫された、瑞々しい果汁たっぷりの林檎は、この季節にしか味わえない。林檎は秋を象徴する果物だ。
私は毎年秋になると、妹にせがまれてよくアップルパイを作っていた。
アップルパイなんていっても、ホールの本格的なやつではなくて、パイ生地を三角に折りたたんでその中に煮たりんごを入れたものだ。某ファーストフード店のアップルパイといえばわかりやすいかもしれない。
……確かに、これなら本を読みながらでも、片手で食べられるし、丁度いいかも。
「じゃあ、そうしようか」
「うん!私、自分のエプロンとってくるー!」
妹は楽しそうに、ぴょん、と立ち上がると、バタバタと騒がしく階段を上がっていった。
妹と台所に立つのは、大分久しぶりだ。
最近は妹も、勉強に訓練に、旅にと忙しかったから、そんな時間も取れなかった。
明日から長期の浄化の旅に出発するから取れた時間、というのは皮肉なものだけれど、たったそれだけのことがなんだか嬉しい。
「冷凍パイシートでいいよね」
「生地から作ってもいいけどね……お昼ご飯の仕度をする前には作ってしまいたいし、いいんじゃない?」
そういって、私は冷凍庫から冷凍パイシートを取り出した。
冷凍パイシートを発明した人は偉大だと思う。パイ生地を作るのは意外と面倒だ。それに、上手くいけばいいけれど、失敗したら目も当てられない。
それに生地にたっぷりとバターを織り込んでいると、カロリー的な意味で罪悪感が半端ない。
「ジェイドさん、包丁使うの上手いねえ」
「そうですか?ありがとうございます。茜に教えてもらったお陰ですよ」
ジェイドさんはひよりに褒められて、少し照れた顔をした。
ジェイドさんはピーラーは卒業して、今は包丁で皮を剥ける様になった。
少し前はおぼつかない手つきだったのに、今は林檎の皮むきもするするっと剥ける。
私はなんだか母親が見守るような気持ちでジェイドさんの手元を見つめた。
「リア充……」
その時、妹がなにやら呟いたので、足を思い切り踏んでおいた。
林檎の皮を剥き終わったら、四つ切にして種の部分を取り除く。
果実を細かく刻んだら、それを小鍋に入れて、砂糖とバターをレモンの輪切りと一緒に煮込む。
暫くすると林檎がふつふつと沸いてきて、甘い香りが台所中に広がった。
砂糖も溶け終わると、びっくりするぐらいの水分が林檎から出てくる。
「うわあ、甘くていい匂い」
「林檎のジャムも今度作ろうか」
「いいね!今度お尻作って~」
「尻…?」
ジェイドさんが、妹の発言に首を傾げた。
「いや、本当にお尻じゃないですからね!」
「あの尻はいいものだ」
「ひよりも、誤解を受けやすい発言は控えるように!」
妹が言っているのは、所謂白パンのことだ。
パターを入れて、たっぷり発酵させたふわふわのパン生地を、まるでお尻のように整形するから「お尻パン」。妹はこれに、カスタードクリームや、色々なジャムを入れたものが大好きなのだ。
「……というわけで、お尻じゃなくてパンですから」
「いいですねえ、お尻」
「だよねえ。ジェイドさん。お尻はいいものだよねえ」
「こら」
ジェイドさんと妹が顔を見合わせて笑っている。
そのとき、私の中で何かが閃いた。
……ジェイドさんはおっぱいより、お尻派!?
まさに衝撃の事実。
そういえば、海外だと胸よりお尻のセクシーさが重要視される場所もあるときいたことがある。
私はちらりと自分のお尻をみた。
……圧倒的に、肉付きが足りないッッッ!
これは太るべきなのか。いや、違うだろう……。
そんな考えがぐるぐると頭の中を廻る。そんなことを考えていると、何が正解なのかさっぱり解らなくなってきた。
「お尻にも……負けない……!」
「はい?」
うっかり決意を漏らしてしまった私を、ジェイドさんが訝しげに見ている。
私はジェイドさんに向かって、にっこりと笑うと鍋に視線を戻した。
――頭の中で、尻が物凄いことになっているセクシー美女に、挑戦状を叩きつけながら。
水分が上がってきた林檎は、焦がさないように気をつけながら煮詰めていく。
林檎の端が透き通るように見えたら、柔らかくなった証拠だ。
そうしたら鍋ごと火から降ろして、冷ましておく。
その間に、パイ生地の準備だ。
冷凍パイシート一枚分を四つほどに切って、クッキングシートの上に並べておく。
それを四枚分繰り返し、16個用意した。その生地の上に荒熱が取れた林檎を乗せる。
お好みでシナモン。私はシナモン大好きなので、たっぷりとかけておいた。
一応、好みもあるのでシナモン無しのものも用意しておく。
そうしたら、生地を三角に折りたたんで、端をフォークで押しつぶして閉じる。
すると三角のパイ包みが出来上がる。
焼いたときに、空気が抜けるようにするため、生地に切れ込みを何箇所か入れておき、卵黄を表面にハケで塗りつけておく。この卵黄のお陰で、焼きあがると照り照りになるのだ。
そして、最後に200度に熱したオーブンで、2~30分焼くだけ。
パタン、とオーブンを閉めて、ほっとする。
時計をみると、昼食の準備をはじめれば丁度いいくらいの時間。
「結構簡単でしたね」
「そりゃあ、冷凍パイシート様のお陰だからね!」
「生地から作ったら、時間かかるもんね……」
三人でオーブンの中を覗き込む。
お菓子作りは、オーブンに入れた後のわくわく感が堪らなく好きだ。徐々に焼けていく生地の様子をみていると、なんとも心踊るものがある。
それから私は少しして、昼食の準備のためにそこを離れたけれど、妹は暫くオーブンの中を楽しそうに眺めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お邪魔します!」
そういって、羊皮紙が散らばる床を飛ぶようにして進んでいく。
相変わらず、ヴァンテさんは机に齧りついてなにやら羊皮紙に羽ペンで書き付けていた。
今回は初めから本妖精は姿を現していて、私たちを見つけるとにっこりと笑いかけてきた。
私は本妖精の可愛らしさに負けないように、緩む頬を引き締めながら、ゴンゴン、とルヴァンさんのように机を叩いた。
「……おお! 待ってたよ! さあさ、座って座って!」
「……どこに?」
ヴァンテさんは嬉しそうに丸眼鏡の位置を直すと、私たちを手招きした。
けれども、座ってといわれた先をみるけれども、山のように積みあがった本しか見えずに困惑する。
「ええと。あれ? ここに、こないだまで椅子があったよねえ。ひより君」
「そうですね。えっと、多分あの本の下辺りじゃないかなあ」
妹とヴァンテさんは、微妙な顔で笑いながらお互い顔を見合わせている。
「……ヴァンテさん。そもそも、ここにある本って今必要な資料ばかりなんですか?」
「いや、大部分が本妖精のお勧め本だね」
「つまり。ここにある必要性は全くない本ばかりだと?」
「ええ、まあ。そうです……」
ヴァンテさんは、そういうとがっくりと項垂れた。
私は自分のこめかみに血管が浮き出ているのを感じながら、だん! と机に手をつく。
すると、びくりとヴァンテさんと妹の肩が跳ね上がった。
「お仕事の前に、片づけが必要なようですね……?」
「「はい、すみません」」
そのあと、全員でとりあえず作業スペースを確保するために片づけをした。
よくよく見ると、部屋の奥には大きな書庫があり、どうやらそこから本妖精は本を召喚していたようなので、必要なさそうな本を詰め込んでいく。
「本の並びとか、わかりませんからあとで直しておいてくださいね」
「うん。わかったよ。でも、そのうち本妖精に喚ばれるだろうから、気にしないで」
ヴァンテさんは、散らかっていても全く気にならないひとのようだ。
あんな几帳面なルヴァンさんの甥っ子なのに……なんて思いながら片付けていると、部屋の隅で本を片付けていたヴァンテさんが偶々手に取った本が、見たことも無いタイトルの本だったらしく、ヴァンテさんは感激して近くの本妖精に抱きついて、また本の雨に押しつぶされていた。
……こうやって、この部屋が出来上がったのか。
私は深く、深くため息を吐いて、片付けに集中した。
2時間ほど経って、一応の作業スペースは確保できたので、早速作業に取り掛かろうとしたとき、妹が空腹を訴えた。
……確かに、もう直ぐおやつの時間でもあるし、本の片付けは思いのほか重労働で、体が疲労を訴えている。
翻訳作業に疲れたら食べるはずだったのに、本末転倒な気がしなくもないけれど、私は持ち込んだアップルパイを食べることに決めた。
全員にアップルパイを配って、序でに水筒に入れてきた温かい紅茶も添えた。
ヴァンテさんはアップルパイを見て「おお、パイだ……」と嬉しそうにしている。
そして、「いただきます!」と三人で声を揃えて言うと、ヴァンテさんは一瞬目を丸くして、「それは異界のしきたりなのかい?」と興味深そうにしてから、彼も「いただきます」と言ってパイを手に取った。
アップルパイは、きれいに狐色に焼けている。
卵黄を塗った部分は飴色に輝き、切込みを入れた部分から、金色の林檎が顔を覗かせていた。
パイに齧りつくと、ざくざくっとパイ生地が小気味のいい音をたてる。
ぱりぱりのパイ生地はバターがたっぷり練りこまれているから、何層にも分かれていて、ぽろぽろと生地が落ちるのが難点。けれどもかりかりの耳の部分の香ばしさは堪らない。
それにカリカリするだけではなく、煮林檎に近い生地はしっとりしていてバターの風味が充分に感じられていてとても美味しい。
それに、中の林檎のとろとろ加減が丁度良い。
果実から出た水分だけで煮た林檎は、しっとり、とろり。
砂糖の甘みの中に、林檎の酸味が感じられて、バターたっぷりの生地と相性抜群だ。
それに、シナモンをたっぷりといれたので、シナモンの香り、風味がただ甘酸っぱいだけの煮林檎にはしないで、味に深みを持たせている。なんとも癖になる味だ。
「ん、甘いパイというのは、余り食べたことはなかったけれど、美味しいね…!」
そういうヴァンテさんは既に2個目に手をつけている。
「リコリスの実のパイなんかは、よく見るけどねえ。林檎もなかなかいけるね。あ、もう一個」
「……凄い勢いですね」
「いやあ、僕、そういえば朝から何も食べてなくて」
「……は!?」
ヴァンテさんは、いつものことだからと言ってひらひら手を振りながらあっという間に三個目も完食し、四個目のパイに手をつけ始めた。
「なんかね、食べる時間が惜しくて」
「そのうちしんじゃいますよ……?」
「いやあ、僕の理想の死に方は、本に埋もれて人知れず死ぬことなんだ」
「すごい迷惑ですねそれ」
私がそういうと、ヴァンテさんは目を丸くした。
……だって、そういう死に方をしたら、きっと近くにあった本なんかも、とんでもなく悲惨なことになって、読めたものじゃなくなるだろうに……。
「え、え、え……! ああああ! そうか! そうだよね! これはちょっと理想の死に方について再考せざるを得ないね」
私の考えをいうと、「僕としたことが、本を駄目にする可能性を考えなかっただなんて!」とヴァンテさんは頭を抱えた。
……本当に、変わった人だ。
頭を抱えてうんうん唸っているヴァンテさんを見ていると、誰かが私の袖をくい、と引っ張った。
なんだろう、とそちらを見ると、物欲しそうな顔をした本妖精がそこにいた。
一瞬本の雨をお見舞いするつもりなのかと、身構えたけれど、唯そこに立ってこちらを眺めているばかりで、どうしたいのかいまいちよく解らない。
「おねえちゃん、その子、パイが欲しいんじゃない?」
妹の言葉に、確かにその本妖精の視線がパイに固定されているのに気づいて、私はそっとパイをひとつ渡した。
すると、本妖精はぱっと表情を明るくさせて、パイを受け取ると、本の山の隙間に滑り込んで行ってしまった。
不思議に思って、そちらの方向を眺めていると、なにやらきゃーきゃーと騒ぐ声がした。
暫くしてその声が収まると、ひとりの本妖精が満面の笑みで戻ってきた。
そして、私にぽん! と触れて、本をどこかから喚びよせ私の頭の上から降らせた。
急に頭に襲い来る鈍い痛みに耐えながら、その本のタイトルを見ると、見事に料理関連の本。
……これは、もっと勉強しろという本妖精からの意思表示なのか、凄く良い笑顔をしているから、美味しかったという意思表示なのか……。
私はなんだかとても微妙な気分だったけれど、本妖精に取り敢えずお礼を言っておいた。
その後は張り切って作業に取り掛かった。
同時に床に散らばった羊皮紙も片付けつつ、隙あらばお勧め本を降らそうと近寄ってくる本妖精を避けながらの作業はなかなか大変だった。ヴァンテさんと顔を突き合わせながら、漢字の部首の説明から、辞書の調べ方、ひらがなやカタカナの違いなど、本当に基本的な部分から教えていく。
ヴァンテさんが用意した、異世界語の基本的な文字や単語を、丁寧に、一文字一文字日本語へと置き換えていった。それはとても地道な作業。しかも、翻訳のプロでもなんでもない私達が挑んだその壁は、恐ろしく高いものだった。
けれども亀の歩みのようではあるけれど、確実に日本語が異世界語に翻訳されていく。それによって得られる達成感は、次第にヴァンテさんの目を知識欲でぎらぎらと輝かせ、私たちは少しずつ翻訳されていく文章に胸をときめかせた。
――暫くすると、外が大分暗くなってきた。
それを切欠にして、今日の分の作業はお仕舞いにすることにした。すると、ヴァンテさんは内容をまとめた羊皮紙をまとめ、本妖精を呼び寄せた。
「じゃあ、今日の分。いつもより多いからね。頼むよ」
そういって、本妖精の小さな手に羊皮紙の束を握らせる。
すると、たくさんの本妖精が羊皮紙を持った本妖精のもとに集まり、きゃーきゃー騒ぎながら羊皮紙の奪い合いを始めた。
小さな子どもが喧嘩しているようにしかみえない光景に、私はハラハラとしてしまうけれど、ヴァンテさんや妹はいたって普通の顔でそれを眺めていて、いつものことなのかと思う。
最終的に何人かの本妖精が羊皮紙を勝ち取り、それを大事そうに抱きしめると、仄かに発光し始めた。
「さあ、本妖精たち。異界の知恵をここに」
ヴァンテさんがそういうと、本妖精たちはよちよちと羊皮紙を大事そうに抱えたまま、ヴァンテさんの下へ集まり始めた。そして、小さな手でヴァンテさんの体に触れると、本妖精の体に纏わりついていた光が、ヴァンテさんへと移っていく。
ヴァンテさんは、その光を両腕を使ってまるで粘土を纏めるようにかき集めると、懐から取り出した手のひらほどの水晶に押し込んだ。
すると、光はすっと水晶の中に吸い込まれ、あっという間に掻き消えてしまった。
「やはり、人数が多いと捗るね。今日で随分と知識が溜まったよ」
ヴァンテさんは水晶を愛おしそうに手のひらで撫でている。
本妖精もその水晶を背伸びして覗き込み、楽しそうにきゃっきゃと笑った。
ヴァンテさんはまっさらな新しい羊皮紙の束を取り出すと、水晶を片手に持ったまま、指をその上で滑らせた。
すると、不思議なことに、羊皮紙の上に新しく文字が浮かび上がってくるではないか。
私はびっくりしてしまって、近づいて羊皮紙を覗き込んでみた。すると、その浮かび上がっている文字は今日作業した内容そのものだった。
気づくと、妹も私と一緒になって覗き込んでいる。
妹は「これ、綺麗だよねえ」と、うっとりと羊皮紙の表面に踊る文字を眺めていた。
「こうやって、僕の魔力で書き記すことによって、僕が許可した人にしか閲覧できない魔法書が出来上がるんだよ。それに一度こうやって記録したものは、僕の友人である本妖精の知識にもなる。
これからは、この知識を元にして、妖精たちも少しずつ翻訳作業を手伝うことが出来るだろう……でも、今日やったことはあくまでまだはじめの一歩だ。むしろ足を踏み出してもいないのかもしれないね。
そう、僕らはまだ内容を理解するところまでは踏み込んでいない」
ヴァンテさんは私にそう語りながらも、指を羊皮紙に滑らすのを止めない。
その光る文字を見つめる表情は、そこに書かれていく知識に対する愛情がありありとみてとれて、ヴァンテさんは、本当に本というか学問が好きなのだなと感じた。
「これの内容を僕達が本当に理解したとき。……きっと、素晴らしいことが起きるんだよ。君の妹であるひより君の望む未来。
――僕は、それの手伝いを出来ることが、心から嬉しいと思う」
目を細めて、羊皮紙を見つめるヴァンテさんと、それを真剣な眼差しで見守る妹の姿は、どこか私からすると、眩しく感じられ――私はそっとその場を離れた。
部屋を出ると、辺りは既に真っ暗で、美しい星が空で瞬いていた。
腕を上げて伸びをすると、随分と凝っていたらしく、肩関節からぱきぱきと音がする。
妹も首をぐるぐる回して、疲れた様子だ。
三人で小さな灯りを手に、王宮の暗い廊下を自宅の方向に向かって歩いた。どうやら丁度仕事終わりの時間らしく、沢山の人が廊下を行き交っていた。
「大丈夫?疲れてない?ひよりってば、明日から旅なのに」
「大丈夫だよー。移動だけだしね。最初は」
寧ろ馬車の中でどうやって暇を潰すかが問題だ!と妹は真剣に悩んでいる。
そんな妹の姿をほほえましく思いながらも、私はなんだか複雑な気分だった。
……どうやら、私のそんな気持ちは妹にバレバレだったらしく、妹は私の傍に寄ると腕に抱きついてきた。
「おねえちゃん。私がはっきりとどうしたいか言わないから、戸惑ってるんでしょ?」
妹はにっこり私に向かって笑うと、廊下の窓へ駆け寄り、そこから見える夜空を眺めた。
私も釣られて窓のほうへ目を遣る。窓から見える数多の星が瞬いている異世界の夜空はとても美しい。
……この世界にも、星座というものがあるのだろうか。そんなことが頭を過ぎる。
「まだ、はっきりとは決めてないの。だから、言わない。きっとおねえちゃんに余計な心配をかけるだけだからね」
そのとき、流れ星が流れた。
しゅん、と尾を引いて儚げに消えてしまった流れ星。普段ならきっと、それを見れたことが嬉しくてはしゃいでしまいそうだけれど、今はそんな気分ではなかった。
「決まったら教えるよ!中途半端なことはしたくないし、言いたくも無いからね」
そういった妹の顔をみると、どこかいつもより大人びていて、私はどきりとしてしまった。
内心の動揺を悟られたくなくて、私はごまかすように笑顔を作る。
「わかった。……ひよりが教えてくれるまで、私待ってるからね」
「うん。そうしてくれると、嬉しい」
「それに、明日から旅でしょう?考える時間は沢山ありそうだもんね。私はここで待つことしか出来ないけど」
私がそう言うと、妹は一瞬、驚いたような顔をした後、「あちゃあ……」と頭を抱えた。
「な、なに?」
「私、おねえちゃんに言うのすっかり忘れてた!」
うっかりした!と叫ぶ妹の様子に、何だか無性に胸騒ぎがする。
なんだか、とんでもないことを言われそうな雰囲気だ。
「おねえちゃん、お願いがあるんだけど!」
「……なに?」
妹は非常に爽やかな笑みを浮かべて私に向き合った。その顔は在りし日のルヴァンさんの凶悪な笑顔に似ていた。
「浄化の旅先に、おねえちゃんも来て欲しいんだ!」
「……はあああああああああ!?」
私の間抜けな叫び声は、すっかり暗くなった王宮の廊下に響き渡り、反対側の通路を歩いていた文官が驚きの余り、手に持った書類を廊下にぶちまけたほどだった。