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学者と文字の世界と秋色アップルパイ 前編

「……天高く、私、肥ゆる秋……」



 庭で秋空に流れる雲を眺めながら、箒を手に私はぽつりとそんなことを呟いた。

 何故そんなことを言っているのかというと、日本に帰った際に、そういえば体重計の電池が切れていたことを思い出して、電池を買ってきていたのだ。


 そして、久しぶりに電池を入れた体重計に昨日乗ったところ……恐るべき数字が叩きだされ、私はその事実に打ちのめされた。

 ……そりゃあそうだ。夕食を控えめとはいえ食べた後に、ティターニアだったり、ダージルさんや最近だとゴルディルさんまで混じって酒盛りをしているのだ。しかも、大分遅い時間になることも珍しくない。



「太るよね……そりゃあ、太るわよ……」



 私は自分のお腹のお肉をそっと摘んだ。

 ぷにん、ぷよぷよとしたお肉は、とても摘みやすく、ひっぱるととても伸びる。

 ……このままだと……おデブになってしまう……。

 そうしたら、きっとジェイドさんも私に愛想を尽かすに違いない。



『ふう、ふう、ふう……。体が重くて動かないよう! ジェイドさあああん! まってええええ!』



 まるで力士のようになった私を、足蹴にして去っていくジェイドさんの妄想が浮かんでは消える。

 そして、最後にはジェイドさんはグラマラスな、恐ろしいほど巨乳の女性の腰に手を添えて、にっこりと微笑んでいるのだ。



 ――やめて! 私より、そんなおっぱい女のほうがいいの!? 肉が付く場所は違うけど、ついてる肉は同じくらいの量じゃない! やっぱり男はおっぱいなのね……!



 そこまで妄想を進めたとき、私はふと気がついた。

 そして、じっと自分の胸を見つめる。

 ……あっ、なんだか残念なボリューム……。

 私はその事実に驚愕して、ジェイドさんの周りにいる、私の知る女性を思い浮かべた。


 大丈夫! 今のところ、大丈夫! 皆そんなにおっきくない!


 でも、そこはかとない不安が私を襲う。万が一にでも、おっぱいを前面に押し出してくる女性がジェイドさんを誘惑するような事態になったら……!

 私は歯を食いしばって、拳を天に突き上げ、空に向かって叫んだ。



「私はおっぱいには負けない……!」

「君は何を言っているのだ」



 そんな私の決意を込めた叫びに、冷静なつっこみが入った。

 後ろを振り返ると、レオンを抱えたルヴァンさんが立っていた。

 呆れ顔で眉を顰めている様は、今日も絶好調で不機嫌なようだ。



「……ちょっと、決意表明を……」

「君は相変わらず意味不明だな」



 ルヴァンさんの台詞に私はむっとしてしまった。

 顔は不機嫌そうなくせに、物凄い優しい手つきで、抱き上げたレオンを撫で続けている人のほうがよっぽど意味不明だ。



「……一体、今日はどんな御用ですかね」

「ふむ。先日君が買ってきてくれた書籍について、色々と相談があってな」



 ルヴァンさんはそういうと、不機嫌そうな顔からにんまりと悪い笑みに表情を変えて「ちょっと顔を貸してもらおうか」と、校舎裏に新入生を呼び出す不良のようなことを言った。



 私は案内された先は、先日ゴルディルさんの件で通いつめた大食堂と同じ一角にある一部屋だった。

 その部屋に入ると、インクの独特な香りがしたのと同時に、異様な光景が私の目に飛び込んできた。


 そこあったのは、部屋一面を埋め尽くさんばかりの本の山。

 天井近くまで積みあがった本は、窓からの光を遮って、部屋の中を薄暗くしている。

 沢山積み上げられている本は絶妙なバランスで辛うじて積みあがっているようにみえ、少しでも触れたら崩れてきそうだ。


 そして、部屋中に散らばっているとんでもない数の羊皮紙。

 数式のようなものや、文章がびっちりと書き込まれた羊皮紙がこれでもかと床を埋め尽くしている。


 私は荒れ果てた部屋の様子に、一瞬足を踏み込むのをためらったけれど、ルヴァンさんは容赦なく部屋の奥へ進んでいくものだから、置いていかれては堪らないと、私は焦ってその後についていった。

 足の踏み場もないとはまさにこのことで、散らばる羊皮紙の中で何も書かれていない部分を選んで、つま先で飛び石の上を跳ねるようにして部屋の奥へと進んでいった。

 ルヴァンさんは羊皮紙を容赦なく踏んでいたけれど、私はなんだか申し訳なくて、そんな真似は無理だった。



「この間の書籍をとある人物に翻訳してもらっていてな……異界の貴重な資料だ。持ち逃げや情報漏えいのことを考えると、信頼の置ける人間にしか任せられない。

 その人物をこの部屋に缶詰にして昼夜問わず作業に当たらせていたわけだが」

「なんだか、物凄いブラックな発言が聞こえたような気がするんですけど」

「ブラックとはどういう意味かわかりかねるが、その人物は嬉々として自ら作業に当たっているから、強制しているわけではない」

「それでも責任者として、労働時間等を管理する義務があると思いますよ!?」

「……ふむ。それも一理あるな。考えておこう」

「凄い悠長ですね!?」



 ルヴァンさんとそんな話をしていると、漸く部屋の一番奥までたどり着いた。

 そこは周りと比べても一層高く本が詰まれており、場所によっては崩れているところさえある。

 その幾本も立ち並ぶ本の塔の中央に、しっかりとした造りの執務用の木机が置いてあった。

 煌々と光を放っているランプが置いてあるほかは、木机の上も本と羊皮紙で埋め尽くされている。


 そんな木机に向かって座り、本と羊皮紙に埋もれながら、作業に没頭しているひとりの男がいた。

 その男は、暗褐色の髪色に翡翠色の瞳。年頃は大体二十歳ぐらいだろうか。大きな丸めがねをかけ、若干頬がこけ、目のしたには濃い隈が刻まれている。その男は、こちらに気づいた様子も無く、机に齧りつくようにして、本を見ながらひたすら羊皮紙に羽ペンを走らせていた。袖から覗いている腕は皮と骨しか無さそうなほど細く、とてもではないけれど栄養状態が良さそうには見えなかった。


 ルヴァンさんは、その男の下へ歩いていくと、机を拳で強く叩いた。ゴンゴン、と木の机から鈍い音がする。

 すると漸く男はこちらに気づいたようで、徐に視線を本から上げた。そして、ルヴァンさんを見ると、へらへらと軽薄そうな笑いを浮かべた。



「ああ。叔父さん。いつの間に」

「ヴァンテ。仕事は捗っているか」

「どうだろう。なかなか異界の本というものは興味深くてね。……本の内容に入る前に、素晴らしい装丁と使われている紙、それに色彩豊かな絵に魅入ってしまうんだ……困ったものだよ」

「この国に至急必要なのは、本の内容なのだがな」

「……それは解っているんだけどね。全く素晴らしいね。内容以前に、この本自体に価値がある。

 製紙技術も将来的にわが国に取り込みたいものだ……時間をかける価値はあるよ」

「ふむ……一考の価値はありそうだな」



 ふたりは顔を突き合わせると、私が買ってきた本を指差ししながら、色々と話し始めた。

 真剣な顔で話し合っているふたりは、私の存在を忘れてしまったようで、盛んに意見を交わしている。

 ……なんとも邪魔しづらい雰囲気に、仕方なく私は時間を潰そうと適当に周りを見回した。


 山のように積まれている本の大多数は、この世界の本だ。

 その中に、私が日本で買ってきた本がちらほらと入り混じっている。

 もしかして、日本の書籍の内容と、こちらの世界の本の内容を照らし合わせているのだろうか。

 私は床に落ちていた一枚の羊皮紙を拾って、内容を眺めた。

 こちらにきて暇を持て余していたころに、本を読むために文字を学んだので、すらすらとはいかないけれど、なんとか読むことが出来た。



「……んん?」



 その羊皮紙の内容はとても不可解なものだった。

 こちらの世界の言葉と、本を丸写ししたのだろう歪な漢字や英語、ひらがなが入り混じっていて読みづらいことこの上ない。



「ああ。それは意味不明な言葉を抜き出したものだよ」



 私が羊皮紙を見ていることに気がついたのか、ヴァンテさんが私に声を掛けてきた。



「君がひより君の姉君かあ。はじめまして。ルヴァン叔父さんがいつもお世話になっています」



 ヴァンテさんは丸眼鏡の奥の目を人懐こそうに細めながら、私に握手を求めてきた。

 私は握手に応えながら、挨拶を交わす。

 そして、ヴァンテさんは私の持つ羊皮紙を取り上げると、眉を寄せてそれを眺めた。



「君が持ち込んだ辞書と照らし合わせながら読み込んでいるのだけどね。なかなか理解が難しい」

「専門書が多いですからね。……私だって、読めるのに理解が追いつかないような、難解なものも多いですから」

「そうか……なかなか厄介なものだねえ」



 ヴァンテさんは困り顔で、ううん、と首を傾げている。

 それにしても、この沢山の本の山をひとりで解読しているのだろうか。

 どう考えても、人一人の許容量を超えている気がする。



「色々な事情があって難しいのだと思うのですが、もう少し人員を増やせないのですか?」

「なかなか人間(・・)はね。色々と柵があって厄介だからね……でも、僕独りでやっているわけではないんだよ」



 そういうと、ヴァンテさんは指をぱちんと鳴らした。

 すると、本の山の隙間からひょっこりと何かが顔をだした。



「僕の友達さ。本妖精(ブックフェアリー)たちだよ。彼らも手伝ってくれているんだ」



 本の隙間から顔を出したのは、私の膝上ほどの身長しかない小人だ。

 ふくふくしたほっぺに、まんまるの目。大きな頭に小さな体をしていて、人間で言うと二歳児くらいにみえる。それらはにこにこと笑みを浮かべてこちらを見ていた。



 ――天使……!?



 それらは白雪姫に出てくる小人のような格好をしていて、大きなボンボンがついている帽子は、小さな頭からずれ落ちそうになっている。その帽子からはみ出ている髪がこれまた金色のくるんくるんの癖毛なのだ。

 それはヨーロッパの宗教画に出てくる、天から舞い降りた天使と見まごうばかりの愛らしさ。そんな、素晴らしく愛らしい幼児が、大勢本の影から現れ始めた。色違いの服を着込んだ本妖精たちは、どこか顔つきも似ている。……兄弟なのか、そういう種族なのかは私にはわからないけれど。

 すると、とある本妖精が、よちよちとあどけない歩みでこちらに近づいてくると、ぺこりと私に礼をした。



「……可愛い!」



 幼児特有の可愛さといったら解ってもらえるだろうか。

 本妖精のついつい守りたくなるような姿に、私の中の母性本能がビンビン反応している。

 私は本妖精の前にしゃがみこむと、目線を合わせて「こんにちは」と声をかけた。

 すると、本妖精は私の手に触れようと、小さな「お手手」といいたくなるような手を伸ばしてきた。

 私は可愛らしい姿にほっこりして、ためらわずにその手に触った。



 ――どん。



 途端、本妖精にほっこりしていた私の手の中に、いきなり分厚い本が現れ、次から次へと積みあがっていく。



 ――どん、どん、どん!

「お、重い……!」



 どんどんと積みあがって行く本の重さに耐え切れなくなって、私は思わず尻餅をついてしまった。

 その間も、重い皮の装丁の本が雨のように私に降り注いできて、押しつぶされそうになる。



「わ、本妖精、だめだよ。やめなさい」



 その時点でやっと、ヴァンテさんが止めに入ってくれて、漸く本の雨が止んだ。

 体中にのしかかる本の重みに耐えながら、私はなんとかそこから這いずりだすと、ルヴァンさんはあらぬ方向を見て肩を震わせているし、ヴァンテさんは困ったような顔をしていた。



「ごめんね。本妖精を知らなかったんだね? そうだよね。異界から来たんだもの。失念してたよ」



 ヴァンテさんは床に沢山散らばってしまった本を回収しながら、私にすまなそうな顔を向けた。

 人外の見た目にだまされてはいけないことは、ティターニアやまめこで散々学んできたはずなのに、油断してしまった私にも非があるので、私は笑って謝った。



「本妖精は、古い本に宿った念から生まれた妖精なんだよ。書庫や図書館に現れる有名な妖精だ。触れると、本を愛する心からか、無理やり沢山の本を押し付けてくる特性がある。

 ……でも、押し付けられた本をみてごらんよ。その妖精のお勧め本なんだよ! 素晴らしいと思わないかい! 妖精ごとに趣味嗜好が違っていてね! このこは生物学に興味があるんだねえ……! 素晴らしい!」



 確かに私の周りに散らばっている本の題名は生物に関するものが多いように思えた。

 それらの本をぎゅっと抱きしめたヴァンテさんは、如何にも愛おしそうに本に頬ずりしている。



「僕の夢は、世界中の本妖精のお勧めの本を読みきることなのさ……ああ、これも、これも、これも! まだ僕が目を通していない本だ……素晴らしい!」



 感激で瞳を潤ませているヴァンテは、頬ずりしていた本を投げ出して、今度は本妖精を抱きしめた。その脳天に向かって重そうな本が次々へと降り注ぎ、鈍い音がしているが気にならないらしい。



「ルヴァンさん……御宅の甥っ子さん……」

「言うな。変わり者だとは、私も承知している」

「一見、犯罪者にしか」

「……だから、他の人間はここには配置していない」

「た、大変ですね……」

「みなまで言うな」



 はあ、とため息をついたルヴァンさんは、銀縁眼鏡の位置を直すと、私に向き直った。



「君に頼みたいこととは、彼の翻訳を手伝って貰えないかということだ」

「私は、難しい本の内容はわかりませんよ?」

「そこまでは期待していない。君には基本的な文字の意味や、辞書の調べ方などを教えて欲しい」

「そういうことでしたら…」



 わたしはこくりと頷くと、ルヴァンさんは「すまないな」とまた頭を下げた。



「いつ頃からお手伝いすればいいですか?」

「出来れば直ぐにでもお願いしたいのだが」

「それは構いませんよ。もうそろそろ、ひよりも長期の旅に出るそうですし……待っている間は、時間に余裕が出ますし」

「ああ、それなのだがな」



 ルヴァンさんが私に何か話を切り出そうとしたその時、大きな音をたてて、部屋の扉が開かれた。

 びっくりしてそちらをみると、驚いた顔の妹が扉を開けた体勢のまま、固まってそこにいた。



「あれ? おねえちゃん?」

「ひより! どうしたの?」

「ああそうか、ルヴァンさん早速おねえちゃんに話を通してくれたんだね。私は、ヴァンテさんに挨拶にきたんだよ」



 妹は、足元の羊皮紙を容赦なく踏みつけながら、部屋の中に入ってきた。

 そして、ヴァンテさんに手を挙げて挨拶をすると、



「明後日から、浄化の旅に出ますから、明後日以降は翻訳作業のお手伝いは暫くお休みにしますね」



 と、ぺこりと頭を下げた。


 私は知らなかったことだけれど、妹はヴァンテさんの手伝いを度々していたらしい。

 確かに、全く予備知識がない状態での翻訳作業よりも、誰かの手伝いがあるほうが捗るに違いない。



「はじめは、私は君に頼もうと思っていたのだがな」

「私が止めたんだよ。私がどうしても手伝いたかったの。

 ……この、翻訳作業を手伝うのって、私がやりたいことに近いような気がして」



 妹はそういうと、困ったような顔で頭を掻いた。



「だけどね……私の知識じゃ中々難しくて。私、あんまり勉強出来るほうじゃなかったでしょう? 訳わかんなくて」

「ひより」

「おねえちゃん、お父さんとお母さんのことがあったから、進学しなかったけど、大学に行くことになっていたでしょう?

 だから……悔しいけど、おねえちゃんに手伝ってもらったほうが捗るだろうって、ルヴァンさんにお願いしたの。それに、私、浄化の旅とかで結構城を空けることも多いから」



 妹はそう言うと、きゅっと口を引き結んで、私に向かって頭を下げた。



「おねえちゃん。お願いします。どうか手伝ってください」



 妹の顔は凄く真剣で、きっと色々葛藤があったんだろうことが見て取れた。

 私はふっと笑うと、妹の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。



「ひよりに言われなくても、手伝うってルヴァンさんにもう言ってたよ。……水臭いなあ。私はひよりのおねえちゃんなんだから、遠慮なく頼ってよ」



 妹はぐちゃぐちゃになった髪のまま、私を見た。茶色い大きな瞳には、涙が滲んでいる。



「ありがとう……」



 妹は、そう言うと顔をくしゃりと歪ませた。



「その代わり、ひよりも一回やるっていったんだから、時間があるときはきちんと手伝うんだよ?」

「うん。わかってる! やるって決めたからには、最後までやるよ」

「一緒に頑張ろう」

「……うん!」



 そのときの私は、妹の成長が嬉しくもあり、妹の心の中の未来図をまだ詳しく教えてもらえていないことに、若干のもどかしさを覚えていた。

 そして、きっと色々と考えているのだろう妹と、まだ先のことだと決断を先延ばししている自分を比べて、なんとも情けない気分になった。

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