晩酌6 お月見と月下で舞い踊る人外たち 3
「じゃあ、乾杯!」
ちん、と互いに持ったグラスを合わせる。
流石に二人がけのソファに三人で座るのは狭かったので、ソファの近くに椅子を持ってきて、そこにジェイドさんは座ってもらった。
周りを見回すと、少し離れたところで、沢山の人外たちが月明かりの下、月光浴をしている。
化物のような恐ろしい見た目の人外が、特に何をするでもなく、思い思いに草原の中で体を休めている光景は、どこか絵本の中のようなメルヘンな光景だ。
正直、ジェイドさんと私はお酒どころじゃないのだけれど、いつまでも乾杯しないと、ティターニアが怖いことになりそうなので、とりあえず乾杯をした。
グラスに注いだビールに口をつけると、しゅわしゅわと心地良い炭酸が喉を通り過ぎていって、少しだけ気分が落ち着いてきたような気がする。
近くに残った人外たちは、小さな体を持ったものばかりだ。
ぬいぐるみのようなサイズで、葉っぱで覆われた体をしている人外や、バクのような鼻の長い四足の虹色の人外など種類は様々だ。それと、以前も会ったことがある、ティターニアの眷属である妖精たちが、色とりどりの燐光を纏いながら周囲をふわふわと漂っている。
そんな中、まめこは相変わらずお酒の入ったグラスに指先を浸して、ひくっと体を震わせて遊んでいた。
山の主は、象ほどの大きさの黒い人外の背中の上に、ちょこんと座って月光を気持ち良さそうに浴びている。
テオはバーベキューコンロが気に入ったらしく、火の番を買って出てくれている。
そしてちゃっかりと、どこからか取り出したワインを片手に、一足先に料理を食べ始めていた。
私はちゃんちゃん焼きをお皿に取り分けると、テーブルに置いていった。
料理を置くそばから、いろんな人外たちが料理に群がっては食べていく。葉っぱで覆われた小さな人外は、まるで警戒するように料理に近づくと、一瞬悩んだような素振りをみせてから、ぴょん、と料理の上に飛び乗って、体をふるりと震わせた。そして、しばらくして皿から降りると、きれいさっぱり料理がなくなっていた。
その様子をみて、私は唖然としてしまった。
……口が体の下にあるのだろうか。
見た目は可愛らしい葉っぱの妖精のような見た目なのに……そう思って、私は屈んでテーブルの上にいるその人外の体の下を覗いてみた。すると、体の下には鋭い歯が幾重にも重なって並んでいて……正直、見なければよかったと後悔した。
他の人外も、ゼリーのような半透明の体に、皿ごと料理を取り込んだ人外もいれば、ストローのような器官で料理をすすっているものもいた。そんな人外たちが自分の周りに群がっているのだ。……次第に時が経つにつれて、段々と驚くのも馬鹿らしくなってきた。人間の価値観は、今ここにいるのには負担になるばかりで、忘れたほうが幸せかもしれない。
私が料理を取り分けるそばから、沢山の人外たちが群がって、テーブルの上の料理があっという間に無くなってしまう。私はティターニアの分が無くなったら堪らないと、なんとか自分たちの分だけは確保した。
気付けば鉄板の上は空だ。
その鉄板の上にすら、真っ黒な蠢く何かがへばりついて、残り滓を食べていた。
「あっという間ですね……もっと作れば良かったでしょうか」
「妾のチータラは手を付けるなと厳命しておるから、心配するな」
「それはチータラだけしか確保出来ないというのと同じじゃないですか……」
「まあよいだろう。はよう、皿をよこせ」
ティターニアは、ふん、と鼻で笑って私に手を差し出してくる。
私は相変わらずな妖精女王に、苦笑しながらちゃんちゃん焼きの皿を渡して、私もソファに座った。
「いただきます」
ティターニアは、すっかり慣れた様子で箸を使いこなして、ドラットの身を口へ運んでいる。
そして、もぐもぐとしばらく咀嚼していたかと思うと、ぐいっと酒を煽って、満足げに目を細めていた。
――この様子は、案外悪くないときの反応だ。
私はティターニアの様子に一安心して、自分も箸をつけた。
野菜の水分で蒸されたドラットは綺麗なサーモンピンクに染まっている。
それに、人参や玉ねぎ、それと大振りな舞茸がたっぷり添えてあって、とても色鮮やか。
箸を差し入れると、ドラットの身はふんわりと柔らかく、ほろりと崩れた。
ほかほかと湯気を上げているドラットの身にふうふうと息を吹きかけて、ぱくりと口へ含むと、ふわっと味噌の香ばしい香りがした。にんにくの香りに味噌のしょっぱい味が、ドラットの濃厚な旨味を引き立たせている。それに、一緒に野菜を食べると、しゃきしゃきと楽しい歯ざわりだ。蒸された野菜は最大まで甘みが引き出されていて、味噌が絡んでいない部分すら美味しい。
舞茸はしっとりとしていて、歯を差し入れると、しゃくっといい音をさせた。
途端、舞茸の香りが鼻を抜ける。しっとりと蒸された舞茸は噛めば噛むほど、舌に旨味を伝えてくれて、椎茸と違った濃厚な旨味がある。
「野菜が甘いのう。蒸したのか。なかなかいける」
「ドラットにこの味噌が合うね……白いご飯が欲しい……」
ティターニアはにこにこしているし、ジェイドさんは白いご飯を脳裏に浮かべているのか、遠くをみつめていた。
「うーん。白いご飯…お団子があるからいらないと思って、用意しませんでしたけど。……失敗したなあ」
「でも、この口の中がしょっぱい瞬間に……ごくっ、ふう……酒を飲むと、それも堪らぬ」
ティターニアは、美味しそうに焼酎を飲み干した。
最近のティターニアのお気に入りは、レモンを絞った焼酎のソーダ割――所謂、生レモンハイだ。
確かに酸味のあるお酒に、しょっぱい料理は最高に合うだろう。
私は手元のビールが飲み終わったら、次は生レモンハイにすることを決意した。
「ほらほらほら!僕が素晴らしいつまみをみんなに提供しようじゃあないか!」
その時、テオが芝居がかった動きで、皿に何かを乗せてやってきた。
テオが持ってきたのは、焼き銀杏だ。
銀杏をフライパンに入れて、炭火で炙ってもらったシンプルな一品。
炙られた銀杏は、硬い殻がところどころ黒く焦げていて、ヒビが入っている。
「僕の提供する一時の癒やしに、存分に浸るがいいよ!」
「はよう皿を置け。そして去れ」
「酷い!」
「わあ、テオ。上手に出来たね。おまかせしちゃってごめんね」
「ああ!茜!君はなんて優しいんだ!素敵だ!」
「早く皿を置いて帰ったほうがいいよ」
「……君までも冷たい!」
テオはそう言うと、悲しそうにくるくる周りながら、バーベキューコンロの方へ帰っていった。
なんとなく去っていったテオの後ろ姿を見ていると、コンロの近くで回転をし終わると、ちゃっかり自分の分の銀杏を懐から取り出して、追加で炙り始めている。
……テオ、転んでもただでは起きない男……!
私がテオの強かさに感動していると、くくく、と笑う声が聞こえた。
その声の方を振り向くと、ジェイドさんが肩を震わせて笑っていた。
「茜は本当に相手が人外であっても、人と対応が変わりないんだね……」
「……う。だって、怖いときもありますけど、どちらかというとどこか人間臭いでしょう?彼らって」
「そうかな。俺には得体の知れない、人ではない何かにしかみえないけどね」
「得体はしれないんですけどね?意味不明だし。けど……無条件で忌み嫌うほど、彼らを知らないというか」
「さっきは鳥の人外に食べられそうになっただろう?」
「そうですけどね!でも、その人外に限らず、私も命を食べて生きているんですから、他の生き物ばっかり責めるのもおかしいかなあと」
……なんて言ったらいいんだろう。
私が彼らを必要以上に恐れないのは、きっと私に人外の基礎知識が無いせいもある。
……知らないからこそ、先入観がなく接することが出来て、
……知らないからこそ、恐れる理由を本当の恐怖に直面するまで見つけられない。
ジェイドさんは「まったく、耳が痛い話だね」と笑っているけれど、きっと人外ごとの逸話を知っているジェイドさんからしたら、ここにいる有象無象はかなり恐ろしい化物ばかりに違いない。
そこまで思い至ると、今更ながらジェイドさんを今日の晩酌に巻き込んだことに、後ろめたい気持ちがふつふつと涌いてきた。
「ジェイドさん、今日は本当に……」
「おっと」
私が謝ろうとすると、ジェイドさんは私の言葉を遮った。
そして、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って、
「折角、女王様が守ってくれるそうだから、今日は人外の宴を楽しもうと思っているんだ。ここにいる人外を宰相殿あたりに報告したら、面白いことになりそうだとおもわないか?」
そういって、笑ってお酒を煽った。
……確かに、いま、この場所はあらゆる人外の見本市のような状態だ。
それを報告できたら、ルヴァンさんが興味を持ちそうではある。
「人外はときに災害のように被害を出すことがあるから、少ない情報でも欲しがるはずだよ」とジェイドさんは、月光浴をしている人外を、存外落ち着いて眺めていた。
「忌み日に外にいるなんて、貴重な経験でもあるしね。だから、気にせず今日は楽しもう。……でも、危険なことになったらすぐに帰るからな。あの、テオとかいう人外に無理やり道を作らせてでも」
一瞬だけ真剣な顔をしたジェイドさんは、ぱくりとドラットを口にして「美味いな」と笑った。
「茜、この木の実はどうやって食べるのじゃ?」
ティターニアは、ところどころ黒く焦げた銀杏を手にとって、じろじろと眺めている。
私はひとつ銀杏を手に取ると、説明しながら剥いていった。
「このヒビ割れ部分から、殻を剥いてくださいね。それから、中に薄皮がありますから、それを剥いて……」
殻の中には、茶色い薄皮に包まれた銀杏。
薄皮を剥くと、中から翡翠色の美しい銀杏が姿を現した。
それに、ちょっとだけ塩をつける。
「ティターニア、口を開けて」
「ぬ?」
ティターニアは私の言葉に素直に従って、ぱかんと口を開けた。
私はその口の中に、銀杏を放った。
「〜〜〜〜〜!ぬう!なんだこれは!もちもちしておるわ……!」
ティターニアは銀杏を飲み込んだ瞬間、頬を薔薇色に染めて叫んだ。
私はそんなティターニアを見て笑いながら、自分の分も剥くと、口に放り込む。
歯ざわりはむっちりもちもち。
青い香りが一瞬するけれど、塩で引き出された甘みがなんともいえず美味しい。
口の中で咀嚼しながら、次の銀杏を剥いて、じっとこちらを見ていたジェイドさんの口にも放り込んだ。
途端、ジェイドさんも少し目を見開いて、驚いた顔で銀杏を咀嚼している。
私はビールを一口ぐびりとやった。すると、塩気がきれいに洗い流されて、また次の銀杏を受け入れる準備が整った。
そうなると不思議と……よし、次の銀杏にいこう!という気持ちがふつふつと涌いてくる。
こうやって恐ろしい銀杏スパイラルに陥るのだ。沢山食べるのは良くないと聞くけれど、まるで蟹を食べているときのように、無言でひたすら殻を剥きつつ食べたくなるのが銀杏。お酒のつまみには、最高の一品だ。
「茜。もう一個よこせ」
ティターニアは銀杏をひとつ手にとって眺めていたかと思うと、剥く前の銀杏を私に押し付けて、にっこり笑って次を強請った。
私は「自分で剥いてくださいよ」と文句をいいながら、一つ剥いてティターニアの口に放り込んでやった。
すると、一つ食べ終わるとまたぱかんと口を開けて待っているではないか。
女王がそんなことでいいのかと思いながら、仕方ないのでティターニアのぶんまで銀杏を剥く羽目になった。
――小皿に剥いた銀杏を貯めていると、ちいさなお饅頭のような人外が、こっそりなん粒か攫っていったりするので、中々貯まらなくて大変だったけれど。
「ほ。茜、とうとう月の魔力が満ちるぞ。空を見よ」
夢中になって銀杏を食べていると、ティターニアがそんなことを言って空を指差した。
私も釣られて空を見上げる。
そして、視界に入ってきたものに心奪われて、息を呑んだ。