晩酌6 お月見と月下で舞い踊る人外たち 2
「さあ、こちらの扉から、月夜の宴へ参ろうではないか!」
妹の見送りを受けながら、いつかの草原へと繋がっている扉の前へと立った。
相変わらず、どういう仕組みで繋がっているのかわからないけれど、テオが開けた居間から廊下に繋がっていた筈の扉の向こうには、風に草花がそよぐ草原が見えている。
ジェイドさんは顔を顰めて、緊張しているようだ。
真剣な眼差しで周囲に目を遣って、片手を無意識に剣に添えている。
「下僕。今日も荷物を運んで来るんじゃぞ。酒は忘れるなよ。絶対じゃぞ」
「ふふふ。僕には迂闊なところがあるからね!それは妖精女王の頼みといえど、確約はできな……ぶふう!」
「それくらい、間違えずにやれ。馬鹿もの」
緊張しているジェイドさんをよそに、ティターニアとテオはいつも通りにじゃれ合いながら扉を潜ってしまった。その後を、テオの魔法で宙をふわふわと浮いている料理や材料、バーベキューコンロなどがついていく。山の主も、とてとてと小さい足を動かして入っていき、まめこもふわふわした足取りで扉を潜った。
「さあ、ジェイドさん。行きましょう」
私はジェイドさんに手を差し出した。
正直これくらいで驚いたり、緊張したりしていてはティターニアとは付き合っていられない。
私の手をまじまじとみたジェイドさんは、眉を下げて苦笑したあと、私の手を取った。
草原に足を踏み入れると、秋の夜の冷たい風が私の体を撫でていく。
どこまでも広がる草原は、遠く地平線まで真っ平ら。星が地平線で消えて見えなくなる。そんな景色が360度広がっていた。
ティターニアの言うとおり、空にはとてつもなく大きな、美しい金色の月が登っている。
それは、まんまるの月のクレーターが目を凝らさなくても見えるほどで、青白い月明かりが草原中を仄かに照らしていた。
精霊界で見た、幾つも連なる月も壮観だったけれど、大きな月が一つ浮かんでいる風景も圧巻だ。
ティターニアの姿を探していると、遠くに炎がちらちらと揺れているのを見つけた。
うっすら暗闇の中に、前回も見たロッジ風の建物が見える。
私はジェイドさんと手を繋いだまま、そちらに足を向けた。
ロッジ風の建物に近づくにつれて、以前のようにソファと椅子が並び、その周りに沢山のランプが置かれているのが見えた。
ティターニアは相変わらず、白いソファがお気に入りのようで、ランプの仄かな明かりに照らされる中、そこに体を沈めてまったりと寛いでいる。
テオはというと、バーベキューコンロを設置してくれたらしく、その側に立っていた。
「茜。火を起こせばいいのだね?僕に任せてくれたまえ!」
私達に気がついたテオは、そういうと炭を手にとって、空に掲げた。
すると、炭に炎が纏わりついて、赤々と燃え始める。
バーベキューコンロにすでに入っていた炭にそれを入れると、他の炭にもあっという間に燃え広がって、周囲に炭が焼ける匂いが立ち込めた。
「凄いね!テオがいると火おこしがあっという間だね……一家に一台テオがほしいかも」
「はははは!そうだろう、そうだろう!僕の有用性にやっと気づいてくれたんだね!君が……好きだ!」
「あ、ちょっとうざいから前言撤回で」
「な、なんだってー!」
テオはそう言って、悲壮な雰囲気の踊りを始めて、おどけている。
「茜。そんなのに構ってないで、酒を飲もう」
「そんなの……!相変わらず、愛しの妖精女王は辛辣だね!」
「そうしたいんですけど、料理の仕込みをしてからでいいですか?」
「ぬ……仕方ないのう。はよう」
酒瓶を抱えたティターニアは、待ちきれないようでソファの上でうずうずしている。
そんなティターニアが微笑ましくて、私は腕まくりをして最後の仕上げに取り掛かった。
油を引いた鉄板をバーベキューコンロに置いて、そこにドラットの皮目を上にして置く。
すると、じゅうじゅうといい音がして、ドラットの身が少し縮んだ。
ドラットに焼き色がついたら反対にひっくり返して、周りに野菜を敷き詰める。
そうしたら、鉄板用の蓋をして野菜の水分で少し蒸すのだ。
ホットプレートと違って、焦げやすいので火加減に注意しながら、しばらく放っておく。
その間に小さなテーブルに、お団子と出汁で煮た里芋、林檎や梨などの果物を飾った。
すすきが欲しかったけれど、ないものは仕方がない。
「それはなんだい?」
ジェイドさんが不思議そうに十五夜のお供え物を見ている。
「これは、お月さまに捧げるお供え物ですよ。私の国では、秋の豊穣に感謝して、お月さまにお供え物をする風習があるんです」
ジェイドさんは「へえ」と言って、お団子を指先で軽くつついた。
白くて丸い塊は、お団子を初めて見る人からみると、食べ物というより不思議な物体に見えるだろうな、なんて事を考えつつも、着々と準備を進めていった。
お供え物の準備が終わった頃には、ドラットにも野菜にも火が通っている筈だ。私はゆっくりと蓋を開けてみた。
途端ふわりと水蒸気が立ち上り、しっとりとかさを減らした野菜たちと、きれいなサーモンピンクに変わったドラットが姿を現した。
最後に合わせておいた、味噌だれを回しかけ、ドラットの身をほぐしながら混ぜ合わせて、バターを落としたら完成だ。
味噌が鉄板に触れるとじゅくじゅく焦げるいい音がする。
それに、バターの香りがなんとも食欲をそそるいい匂いだ。
さて、と私は腰に手を当てて、テーブルの上を眺めた。銀杏は焼き立てを食べたいから、まだ手を付けなくてもいいし、あとはティターニアの定番のつまみのチータラもたくさん用意したし……最後にお団子が待っているから、そんなに沢山おつまみがあっても仕方ないだろう。
そう思って、私は席に着こうと後ろを振り向いた。
その瞬間、顔を真っ青にしたジェイドさんと目が合う。
私も、そんなジェイドさんを見て、固まってしまった。
「ほ。気づけばこの国中の人外が勢揃いしておるわ。……ふふふ、宴の始まりじゃのう」
ティターニアはグラスを片手にご満悦で笑っている。
私はパクパクと口を開閉して、なんとか悲鳴を飲み込んだ。
――そこには。
見上げるほど大きな半透明の化物。
にゅるにゅると触手をうねらせている、鳥のような何か。
小さな、緑の葉っぱを全身にまとった小人。
前足をぺろりぺろりと舐めながら、地面に伏せっている、灰色の狼。
淡い燐光を振りまいている、無数の妖精たち。
……それ以外にも、たくさんの有象無象がジェイドさんの周りや、ティターニアの座る白いソファの周りに身を寄せ合うようにひしめき、私を見つめていたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
月夜の青白い光に照らされた、大小様々な化物たちは、揃いも揃って身じろぎもせずにこちらを伺っていた。
――紅い目。青い目。金色の目。
色とりどりの目が、ソファの周りに置かれたランプの光を反射して、暗闇の中できらりと怪しく光る。
私は、瞬きするのも忘れて、恐怖のあまり動くことが出来なくなってしまった。
心臓がばくばくと激しく脈打っている。
息が苦しい。酸素が足りない。すると自然と空気を求めて、息が上がった。
きっと互いに動かずに見つめ合っていたのは、ほんの数瞬のこと。
緊張のあまりこみ上げてきた唾をごくり、と私が飲み込んだその時、漆黒の翼を持った、私の背丈ほどある大きな鳥が、徐ろに、羽の下からするりと長い触手をこちらに伸ばしてきた。
その触手は、ぐねぐねとうねりながら近づいてくる。その触手の色はまさに漆黒。艶もなく光を反射することもない、まさに闇そのもの。……闇が実体をもって、私に触れようとしている!
それを見た瞬間、私の体中にぞわりと鳥肌が立った。それに触れられそうになっていることが、あまりにおぞましくて、思わず後ずさる。
「これ。触るでない」
触手に気づいたティターニアがそう言うと、シュッと勢いよくその触手は鳥の羽の下に引っ込んだ。
「これはお主の獲物でも餌でもない。やめよ」
目前に迫った触手が引っ込んだことに、一瞬安堵したけれども、次の瞬間に放たれたティターニアの言葉に肝が冷える。
……この鳥みたいなおばけ。人間を食べるの……?いや、まさかね。
「茜、妾の隣へ来るがよい。間違って食われぬように」
「やっぱり人間を食べるんだ――――!!」
「いきなり叫ぶな、うるさい」
私の背中に嫌な汗が流れる。
ティターニアは私の叫びがよっぽどうるさかったのか、顔を顰めて耳を小指でほじっている。
私は駆け足でティターニアの隣へ行くと、ぴったりと寄り添うように座った。
けれども座った瞬間、ジェイドさんのことを思い出して、慌てて立ち上がった。そして、人外に囲まれているジェイドさんの手をとると、ソファの所まで引きずった。そして、お尻でティターニアを端っこに押しやって、ソファに無理やり三人で座った。
二人がけのソファは三人も座るとぎゅうぎゅうだ。満員御礼となってしまったソファに、ティターニアは「狭い!」と文句を言っている。
「こら、ヒトの雄は呼んでおらぬ。そこを退け」
「駄目です!ジェイドさんが食べられたら困りますから!」
「そんなヒトの雄なんぞ、ひと口ぐらい食われてもいいじゃろうに」
「お菓子じゃないんですから、ひと口とかそういう問題じゃないんです!死んじゃいます!」
「むう……ヒトとはなんともか弱く、儚い生き物よのう」
「しみじみ浸ってる場合じゃないでしょう!?」
私が強く抗議すると、ティターニアは非常にめんどくさそうに、周りの人外たちに「こやつらは食うなよ」と手をひらひらさせながら言った。
すると、ティターニアの周りに集まっていた有象無象の大半が遠ざかっていく。
――いま下がった奴らは、もしかしてあわよくば私達を食べようとしていたのだろうか。
「ほほ。ヒトは化物によっては、とてつもなく美味そうに見えるそうじゃから、仕方ないのう」
「ティターニア!危険はないって言ったでしょう!」
「そうじゃ。もうこれで、危険はないじゃろう。ここに残ったのは、お主の料理に惹かれてきた『雑食』ばかりじゃ」
「その『雑食』って表現に悪意を感じます!」
――まるで、人間も食べるって言ってるみたいじゃない!
私がそう叫ぶと、ティターニアは心底面倒そうにため息を吐いた。
「妾は妖精女王。妾の命に背き、妖精族を敵に回そうなどと考える輩はおらぬよ」
「……ほんとうに?」
「おや、茜は、妾を信じていなかったのか?」
「信じてますよ……ティターニアは、たまにとんでもないことをしでかしますけど、嘘はついたことがありませんから」
私がそういうと、ティターニアは「むふふ」と笑って、私に空の杯を差し出してきた。
「さあ。飲もう。今日も美味いつまみを期待している」
今日も美しい妖精女王は、月明かりに照らされて、きらきらとまばゆい笑顔をこちらに向けた。