番外 銀色と道化と甘い金色 後編
テオは空を見上げて、太陽の位置を確認すると、急に慌てだした。
「いけないいけない。美しいものに見蕩れすぎた。愛しい妖精女王が僕を待っている」
テオは仮面を付け直し、わたくしを両手で抱えあげると、きょろきょろと周りを見回した。
そして、何かをみつけたかと思うと、膝を曲げてぐぐっと力を貯めて――一気に宙を蹴り、空を疾走し始めた。
それは、恐ろしいほどに速く、眼下の景色があっという間に後ろに流れていく。
はじめ、わたくしはあまりの恐怖に目を瞑っていたけれど、段々と慣れてきた頃に恐る恐る目を開けてみた。
抱えられているわたくしからは、仮面の下のテオの表情が、口元だけだけれど垣間見ることができた。
「もうすぐ妖精女王に会える。愛しの女王。僕の愛する君。待っていておくれ!」
楽しそうに台詞を紡ぐその口元は、よほど嬉しいのかむずむずと落ち着かず、更には機嫌が良さそうに口元は常にあがっていた。
――きっと、妖精女王に会えるのが嬉しいのだわ。
それを見てしまったわたくしの胸が、ちくんと痛む。
胸に感じた得体の知れない痛みに、わたくしは首を傾げるばかりだった。
暫く進むと、秋の森の中に開けた場所が見えた。どうやらテオはそこに向かっているようだった。
そこからは、煙が立ち昇り、誰かが焚き火をしているのが見える。
「さあ、到着だ。銀色の姫」
テオはそういうと、段々と速度を落としていった。
そして、地面にふわりと降り立つ。地面に積もっていた落ち葉が、そのせいで何枚か舞い上がった。
「ええええ!?シルフィ姫!?」
そのとき、素っ頓狂な声が聞こえた。
声のほうに目を遣ると、それは聖女様のおねえさま。
おねえさまは焚き火の前で、長い枝を持って、驚いた顔をしていた。
「やあやあ!お嬢さん、お久しぶりだね!元気だったかな!僕は無駄といわれるくらい元気だよ!」
「テオ。久しぶりです…というか、なぜふたご姫の片割れを抱いているんですか!?物凄い犯罪臭がするんですけど!」
おねえさまはそう言うと、こちらに近づいてきてテオの手からわたくしを奪い取った。
……テオのぬくもりがあっという間に遠くなる。
「ははははは。愛しの妖精女王がね、もう少し賑やかなほうがいいといったからね!偶々見かけた銀色の姫をお連れしたんだ!」
「つまりは誘拐したということですね!?今頃お城が大変な騒ぎになっているんじゃあ……!」
「誘拐だなんて、失礼な!きちんと招待の意思を示した上で、手を差し出したさ。銀色の姫は僕の手をとった。だから、誘拐じゃない」
「なんて誘拐犯がいいそうな言い訳……!ティターニア!貴女の部下が大変なことを仕出かしましたよ!」
急におねえさまの口から飛び出した、妖精女王の今代の名前に、わたくしの心臓が飛び跳ねた。
「ほ。そんなもの、あとで返せばよかろう」
焚き火から少し離れたところにある、大きな石の上に座った妖精女王が、酒瓶を片手に適当にそういった。
「ああ、誰も問題意識を共有してくれない……!ここには常識が通用しない人外しかいない!なんてこった!」
なにやら頭を抱えているおねえさまを余所に、わたくしはそっと妖精女王を覗き見た。
妖精女王の髪色はやはり金。…金と言っても、限りなく白に近い白金だ。
そして、瞳は澄み渡る空色。透けるように白い肌に、髪色と瞳の色が映えて、とても美しい。更には夜空を彷彿とさせる黒い蝶の羽。太陽の光を反射して虹色に輝く羽の周辺には、淡い燐光が常に舞っている。
最後に、その黒い羽と対象的な真っ白なレースのドレス。白と黒。その二色が妖精女王の姿を、色鮮やかな秋の森の中にあっても、より美しく浮かび上がらせていた。
思わずため息が口から漏れる。
……美しさが突き抜けると、同じ人形であっても、人外にしか見えないほど人間らしさを失わせるものなのだと、このとき初めて知った。
――ああ、それにしても、とても綺麗な金色だわ。
わたくしは、妖精女王の色をみて、心が沈んでいくのを感じた。
すると、そっと誰かがわたくしの肩に手を置いた。
見上げると、泣き顔の仮面の道化師。
彼は何も言わずに、わたくしに寄り添ってくれている。
「なあ、茜。まだ焼けぬのか?この酒と同じ香りだという芋は」
「はいはい。もう少し待ってくださいよ……全く、焼き芋のためだけに、こんなところに連れてこられるなんて」
「お主がいったのであろう?芋の焼酎の香りは甘い芋の香りだと」
「そうですけどね!あなたに迂闊なことを言った私が悪いんですけどね!」
おねえさまは自棄になって不貞腐れながらも、楽しそうに妖精女王と掛け合いをしている。
妖精女王も文句を言いながらも、終始ご機嫌で、おねえさまとの仲の良さが見て取れた。
「ふふふ。愛しの女王様は、今日もご機嫌だね。うれしいことだ」
テオも嬉しそうにそんなふたりを眺めている。
……テオが、本当にあの物語の主人公なのであれば、妖精女王こそが彼が好きになった精霊なのだろうか。
わたくしはどうしても知りたくなって、テオに手招きをした。
すると、それに気づいたテオがかがんでくれたので、そっとわたくしはテオに耳打ちした。
「……テオが好きになった精霊って、妖精女王のことなのかしら?」
「ははは。なんだい。何を言うのかと思えば。違うよ。そもそも妖精と精霊を混同してはいけないよ」
テオはわたくしの問いに丁寧に答えてくれた。
精霊は精霊界とこの世界を行き来する、自然現象を司る、意思を持つ魔法生物。
妖精は世界の有り様の中で、人の意思や願い、植物に宿る生命や、使い古された道具や歴史のある建物に宿る記憶の残滓に、邪気が交じり合って生まれた、本来なら生まれるはずも無かった世界の異物……そういったものが妖精に限らず、大まかに人外と呼ばれる。
……確かに、魔法の先生がそんなことをいっていたような記憶がある。
「精霊も人外も不思議な生き物には違いない。混同することもあるかもしれないね。それに、僕が妖精女王に恋をしたのは、こちらに戻ってから暫くしてからさ……おや、この言い様じゃあ、僕があの物語の主人公だと認めているようなものだね。困ったな」
テオの言葉の中に、妖精女王への気持ちを見つける度に複雑な気持ちになっていると、テオはわたくしの耳元に顔を寄せた。そして「君には僕の秘密が沢山知られてしまったね……これも、誰にも内緒にしてくれるかい?」と、そっと呟いた。
わたくしは何故か頬が火照るのを感じながら、小さくこくりと頷いた。
「ああああ!テオ!小さい子になにしているの!変態!」
「ははははは!確かに僕は変態だ!なんせ姫君の寝室に忍び込むという一線を超えてしまった、変態の中の精鋭!変態は変態らしく、変態っぽいことをしたまでさ!……あれ、なんだかとても傷つくんだけど!泣いてもいいかな!」
おねえさまの言葉を受けて、テオはとても愉快そうに、四つんばいになって悲しそうなふりをしている。
その様子を見ながら、わたくしも何だか可笑しくなって笑ってしまった。
「――はい、どうぞ。熱いですからね。気をつけてくださいね」
おねえさまは、わたくしに銀色の包みにくるまれたものを渡してきた。
軍手とかいう、白い手袋を貸してもらったわたくしは、大きな軍手を持て余しながら、銀色の包みを受け取る。
軍手越しにも、それはほんわかあったかい。それに、なんだか甘くていい匂いがする。
「連れてこられたものは仕方ありませんからね。お芋を食べたら元の場所に返してもらいますから。今日は特別ですよ。セルフィ姫には内緒ですからね」
おねえさまはそういってわたくしに、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってにっこり笑った。
「特別」で、セルフィには「内緒」。
いつもふたりで一緒にいるから、セルフィの知らないところで「特別」なことなんて初めてだ。
そんな秘密めいた誘惑に、わたくしの胸はどうしようもなく高鳴り、頬が緩んでしまった。
それに手元のこれはとても良い匂い。
……どうやって食べるんだろう。
おねえさまをみてみると、その銀の包みを丁寧に剥がしている。わたくしも、恐る恐る銀の包みを剥いてみた。
中から現れたのは臙脂色の皮をもつ丸い芋のようだった。
ところどころしっとりと濡れていて、皮の隙間からはどろりとした黒いものが溢れている。
「むふふふ、むこうに帰ったときに買い込んで来た、安納芋ですよ~糖度が高いって八百屋のおじさんがおすすめしてましたから、期待できると思いますよ。あ、黒いのはみつですからね。気にしなくても大丈夫ですから」
両手で芋をもって、割ってみる。
すると、臙脂色の見た目からは予想も出来ないような、綺麗な金色が姿を現した。
ふわりととんでもなく甘い香りがして、わたくしは思わず唾を飲む。
ほわほわと白い湯気を上げているそれは、とても熱そうだったので、ふうふうと一生懸命息を吹いて冷ました。
「あまい……」
ひとくち食べた瞬間、思わずそんな声がでてしまった。
これは何て甘いんだろう!
とろとろ、しっとりの舌触りに、まるでたっぷりの蜂蜜を練ったかのような上品な甘みだ。
「これは、本当に焼いただけなのか?恐ろしいほど甘いのう」
「でしょう!私は誓って何も手を加えていませんよ!これはあくまでこの安納芋の本来の甘さです!」
おねえさまは、芋を片手に胸を張って自慢げにしている。
「お菓子みたいだわ!おねえさま、とってもおいしい!」
「そう?シルフィ姫にそういわれると、嬉しいですねえ」
おねえさまはわたくしがそういうと、頬を緩めてわたくしの頭を撫でてくれた。
わたくしはおねえさまに向かって、にっこりと笑うと、手元の芋にもう一度齧り付いた。
とろり、とろとろで甘い金色のそれは、わたくしの胸いっぱいに幸せを連れてきてくれる。
熱々のところも美味しいけれど、冷めると更に甘さが際立つ。
端っこの少し皮が焦げかけているところは香ばしくて、そこと真ん中の一番甘いところを順番に食べると飽きがこない。
わたくしは、お芋の甘い誘惑に夢中になってしまって、あっというまにひとつぺろりと平らげた。
お腹もいっぱい。美味しいお芋も食べられた。
そんな、セルフィに「内緒」の「特別」な時間は、なんだかとても幸せな気分をわたくしに運んでくれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぬう!食べ過ぎたぞ……」
妖精女王は、おなかを摩りながら、石の上でぐったりとしている。
あれから、彼女は三つも芋を平らげていたから、おなかがいっぱいになるのは当たり前だろう。
「ティターニアは夕食はいらなそうですねえ……」
「夕食はいらずとも、晩酌はするぞ!茜!今日はうまい魚を食べさせてくれるといっただろう」
「まだ食べれるんですか!?」
「食べる!食べるぞ!それでもって目いっぱい飲む!」と騒ぐ妖精女王の言葉に、おねえさまは眉を顰め、口を大きく開けて、呆れかえっている。
わたくしはテオの隣で、そんなふたりを眺めていた。
……妖精女王というと、凄いひとなのだと思っていたのだけれど、何だか随分と印象が違う。
「テオ。妖精女王はいつもあんな感じなのかしら?」
堪らずテオに質問を投げると、テオは顎に手を当てて首を傾げた。
「そんなことはないよ。きまぐれな妖精女王は、普段はもっと残酷で冷酷で、感情をあまり露わにしない。それが今までの女王のあり方だったよ。……僕が好きになった女王は、どこまでも美しく孤高。そんなひとだった。あんなにはしゃいでいる女王は以前の彼女であれば、考えられないね」
「……そう。でも、今はとても楽しそうだわ」
テオは大げさな仕草で肩をすくめた。
「さあね。きっとあのお嬢さんが、女王をそうさせているんだろう。なにやら大切な友達だそうだからね」
「友達……」
「誰しも、大切なものと出会えたときは、変わるものさ。それは場合によっては良いようにも、悪いようにも変わるけれどね。……例えば、僕のように全てを棄ててしまうほど劇的に変わる場合もある」
「……そうね。ねえ、わたくしにとって、大切な存在ってなにかしら」
「それは、僕なんかに聞くまでもないだろう?」
テオはやれやれ、と呆れた風に肩を竦めた。
確かに、解りきったことをきいてしまったかもしれない。
わたくしの大切な存在。
それは紛れもなく、わたくしの姉。セルフィ以外にないもの。
「でもね。わたくし、本当はずっとセルフィが羨ましくて、妬ましかったの。……大切なふたごの片割れなのに」
「そうなのかい?」
「だって、セルフィはわたくしが出来ないことを沢山出来るわ。それに妖精女王の金色まで持っている。それにくらべて、わたくしには出来ないことだらけ。それに金色どころか反対の色」
わたくしは、自分の髪をひと掬い手に取った。
銀色の髪は、太陽の下だと白っぽくみえて、まるで灰色のようだ。
「君の銀色はとても美しいと僕はおもうよ」
テオは恥ずかしげもなく、気障な台詞を言い放った。
わたくしはまた顔が火照り始めたけれど、それには気づかないふりをして、妖精女王のほうをみる。
妖精女王はいまだに、おねえさまと楽しそうに掛け合いを続けていた。
とんでもなく美しいけれど、なんの気負いの無いその姿は、わたくしの心のなかのしこりを溶かしてくれる。
「わたくしは大馬鹿ね。金色のことに誰よりも拘って、自分を金色を持たないからって見下していたのは、わたくしだったのだわ。そんなことに気づかないで、不貞腐れて」
きっと、自分の中で勝手に妖精女王像を作り上げて、それを神様のように昇華してしまったのだろう。
でも、実際の妖精女王は、あまり普通の人間と変わりないように見える。人外であることは間違いないけれど、普通に笑って、普通に怒ったり拗ねたりする、わたくしたちと同じ世界に生きるもののひとりだ。
「ははは。君が大馬鹿か。それはいい」
テオはわたくしの前に回りこんだ。
すると、妖精女王の姿は見えなくなり、わたくしの視界はテオしか見えなくなった。
「愚か者に、大馬鹿もの。なかなかいいコンビじゃあないかと思わないかい?」
そして、また大げさな動作でそんなことをいいだすものだから、わたくしは笑ってしまった。
「そうね。ぴったりだわ」
「ふふふ。これで、銀色の姫と僕はお友達になれたということだね――……」
……友達。テオと友達!なんて素敵なの!
わたくしが感動していると、そこに怒ったおねえさまが乱入してきた。
「あー!テオ、またシルフィ姫になんかしてる!なんて犯罪臭い!ロリコン!クルクスの同類!」
「なっ……!クルクスってあの変態な護衛騎士だろう?あんなのと僕を一緒にしないでほしいな!変態度合いが違うのだよ、変態度合いが!」
「変態度合いってなに!そんなものあるの!」
「あるさ!君は何故、僕が友達を作るのを妨害するんだい!……はっ、まさか僕のことを……?」
「ちょ、ちょっと、何もじもじしてるのよ!」
「駄目だよ~ほらあ~いきなり恋人からなんて、心の準備が~友達からで、おねがいしますう~」
「なんだこいつ、えらい腹立つ!」
いきなり揉め始めたふたりを眺めていると、いつの間にかわたくしの隣に妖精女王が立っていた。
妖精女王は呆れ顔でふたりをみていたけれど、ふと、わたくしの存在に気がついたのかこちらを見てきた。
綺麗な空色の瞳とばっちりと目が合ってしまったわたくしは、思わず硬直してしまう。
「ほほ。お主、妾の血筋か」
妖精女王はにんまり笑って、わたくしを見下ろした。
「……え。何故わかるの?」
「そりゃあ、わかるじゃろ」
「だってわたくし、金色は持っていないわ」
「そんな『色』だのに拘るのは人間だけじゃろう。魔力の質が妾にそっくりじゃ。そんなもの、傍によれば解る」
妖精女王はそういうと、わたくしの髪を触って、
「それに、この色はお主に似合っておる。色なぞ、どうでもよかろう。……ふむ。真夜中の月の光の色じゃな。……美しい色じゃ」
といって、ふんわりと美しい顔で笑った。
その言葉が、あまりにも嬉しくて……嬉しくて。わたくしはじわりと涙を滲ませた。
そのあと、お昼寝をしなかったわたくしは、強烈な眠気に襲われて、ふらふらになってしまった。
辛うじて、テオが運んでくれたのを覚えているけれど、道中どうやって城の部屋まで戻ったのかは解らない。
大分時間が経っているはずなのに、何故かベットにはセルフィが眠ったままで、わたくしはその横にそっと横たえられた。
すると、直ぐにテオはその場を立ち去ろうとする。
その背中に、今にも閉じてしまいそうな目を必死に開けて、わたくしは呼びかけた。
「……テオ。約束よ」
「銀色の姫?」
「絶対に絵を描いたら、見にきてね。わたくし、頑張るから……」
「ふふ。わかったよ、約束だ」
わたくしはテオが約束してくれたことに満足して、襲い来る眠気に素直に身を任せた。
……意識が沈み込む瞬間、額に柔らかいものが触れたような気がした。
「シルフィ。おはよう!」
セルフィの元気な声で、わたくしの意識は無理やり引き戻された。
目を擦りつつ体を起こすと、セルフィは首が凝ったのかぐるぐるとまわしている。
「なんだか、物凄い眠った気がするわ。なぜかしら?」
「さあ、なぜかしらね。セルフィ」
わたくしはセルフィにばれないように、こっそりと微笑む。
今日のあの出来事は「内緒」で「特別」なこと。わたくしの大切な思い出。
心の戸棚にそっとしまいこんでおくべきもの。
……ごめんね、セルフィ。
心のなかで、そっと謝って、わたくしはセルフィに声をかけた。
「セルフィ、このあとは何か予定があったかしら」
「ええと、座学のあとは自由時間だわ」
「じゃあ、わたくしやりたいことがあるの!」
わたくしがそういうと、セルフィは目をまんまるに開いて驚いている。
それもそうだ、わたくしから何かをやりたいなんていうのは、とても珍しいことだもの。
今日見たあの素晴らしい景色。わたくしの友達に早く見せてあげるためにも、頑張らなきゃ!
「あのね。わたくし、今日はね――」
わたくしのやりたいことをきいたセルフィは、ぱっと顔を輝かせて、笑って頷いてくれた。