治癒術師と桃色鮭に魅せられて 後編
カイン王子は具合が悪くなったとかで、あの後直ぐに帰っていった。
なにやらセシル君が「聖女さまがどういう反応するかみたかっただけですから、大丈夫です」と真面目な顔で言って、カイン王子に叩かれていたけれど、どういうことだろう。何にせよ、仲が良いということは素晴らしいことだ。
残ったのは、私と妹とダージルさんとジェイドさんとマルタ。少しだけ大きなテーブルを出してきて、出来上がった料理を並べていく。
今日のメニューは海鮮丼だ。
丼のなかには、サーモンピンクのドラットのお刺身が、ぐるりと真ん中のきらきら輝くいくらを囲むようにして並べてある。いつも思うのだけど、鮭の海鮮丼はこういう風に盛り付けると、お花みたいでとても綺麗だ。
妹はそんな丼を酷く嬉しそうな顔で眺めている。
そんな妹と打って変わって、ダージルさんは顔を引き攣らせていた。
「な、なま……なのか?これ」
「そうだよー。ダージルさん、生魚食べたことないの?」
「この国には生魚を食べる習慣はねえよ……というか、ドラットって毒なかったか?」
「大丈夫ですよ、ダージルさん。毒はそこのマルタに解毒してもらいましたから」
話を急に振られたマルタは、皆に注目されて、びくっと身を竦ませた。
そんなマルタはダージルさんが勧めるがままに、彼の隣に座らされてカチコチに固まっていた。
「治癒術師のマルタだっけか。……うーん。どっかであったことなかったか?」
「じじじじじじ、自分は! 以前の演習にご一緒させていただいたことがあるでありまひゅ!」
マルタはそう言うと、自分の発言のあまりの酷さに真っ赤になってしまった。
けれども、ダージルさんはそんなマルタの様子に全く気づいた様子はなく、ううん、と顎に手を当てて考え込んでいる。そして、何か思い当たることがあったのか、ぽんと手を打った。
「ああ! 思い出した! 毒沼を想定した演習のときに、随行した治癒術師だな! あんとき、本物の毒沼にあたっちまってなあ! お前が居なかったら、やばかったよな! ああ、そうかあ。お前か!」
「お、覚えていてくれ、れれ! 光栄でしゅ」
ダージルさんは思い出せたことが嬉しいのか、ぽんぽんとマルタの頭を叩いている。
叩かれるたびに、マルタは固くなり、顔が真っ赤に染まっていく。
……このまま、叩かれ続けたら、マルタが茹で上がってしまいそうだ。
けれども、ダージルさんは容赦がない。今でさえ限界そうなマルタに更に追い討ちをかけた。
「なんだ。お前が解毒したんだったら、大丈夫だな」
そういって、笑い皺をたくさん作ってからからと愉快そうに笑った。
その瞬間、マルタはぴく、と体を震わせ、とろりと目を蕩けさせたかと思うと、ふわふわと嬉しそうな、幸せそうな表情を浮かべた。
その様子をダージルさん以外の全員で、ほほえましく見つめる。
……ああ、可愛い。恋する女の子って感じだなあ。
「で、これどうやって食べるんだ?」
そんな空気を読めないダージルさんは、食い気たっぷりの発言で空気を切り裂いた。
……この朴念仁め……!
「じゃあ、いただきます!」
皆で元気よくそう言い合うと、一斉に箸をつけ始める。
食卓に並んでいるのは、海鮮丼にあさりのお味噌汁。箸休めに白菜の浅漬け。ダージルさん用のおつまみは後でもってくることにした。お酒を飲む私とダージルさんだけは小さな丼だ。
「おおおお! サーモンだ! とろっと甘くて美味しい!」
妹は、嬉しそうにぱくぱくと食べている。
それに対して、ダージルさんは少し複雑な表情だ。
生の魚を食べる習慣のないダージルさんからすれば、いくら毒はないといわれても、すぐに忌避感は拭えないようだ。
そんなダージルさんに対して、ジェイドさんは日本の居酒屋でお刺身を食べたから、平気そうな顔をしている。
そんな対照的なふたりを見て苦笑しながら、私も丼に箸をつけた。
ドラットの刺身は、サーモンピンクの身のなかに脂の白色が入り混じり、綺麗なマーブル模様になっている。つやつやと光を反射しているその身は、醤油をかけると、醤油が玉になって弾かれてしまうほど脂が乗っている。
わさびを少しだけ乗せて、口へ運ぶと、やはり真っ先に感じるのは脂の旨みだ。
肉の脂と違って、さらりとした印象の脂は、身の甘みと相まってとろりと舌の上に広がる。
もぐもぐと、ひと噛みふた噛みするとあっという間に口の中でとろけて消える、そのドラットの刺身は、トロサーモンといっても差し支えないほどだ。
「脂がのってるねえ……」
「おねえちゃん、やばいわ……。本当いいわ……食べられないと思ってたぶん、より一層美味しいわ……」
「よかったねえ。ひより。カイン王子とマルタにお礼を言わなきゃ」
「そうだね! マルタ! ありがとうー!」
「せ、聖女さまのお役に立てたなら、光栄っす!」
マルタはまた緊張してしまったらしく、どこかの野球少年のような語尾になってしまった。
私と目が合ったマルタは、また自分の発言が可笑しなことになっているのに気づいたのか、ぱっと顔を赤らめた。
そんなマルタをほほえましく見ながら、今度はいくらに手をつける。
随分おおきな筋子だったので、たっぷりとしょうゆ漬けが出来た。だから、結構な量が丼の中に乗っている。
白っぽかったいくらは、醤油に漬かったことによって、真紅の玉へと変わり、一粒一粒がねっとりと絡み合う。箸で酢飯ごと持ち上げたいくらは、ゆっくりと緩慢な動きで山から零れそうになっている。私は、いくらが零れないうちに、と急いで口へ運んだ。
途端、ねっとりとしたいくらの中身が、ぷちぷち、と膜を破って溢れ出す。
醤油だれに漬かったいくらは丁度良い塩気だ。
強烈に感じる旨みと、とろとろの食感は、酢飯と絡むと素晴らしく美味しい。
「マルタ、いくら美味しいよ!」
「そうだね。毒も上手く解毒できたみたい。……ドラットの卵って美味しいんだね。凄いな。このお刺身? も、結構いけるね。生臭くない」
箸に慣れていないマルタは、スプーンを片手に丼の中身をまじまじと眺めている。
「でしょう? 新鮮だから生臭さはないと思うよ。それにご飯も酢飯にしたから、酢の酸味で少しは和らぐと思うんだけど」
「確かに! この甘酸っぱいご飯のお陰で食べやすいわ。うん、あたしこれ好きよ」
いつもは白いご飯でやる海鮮丼だけれど、慣れない人には酢飯のほうが食べやすかろうと思ったのだ。
箸で刺身を持ち上げたダージルさんは、くん、と匂いを嗅いで、じっと見つめている。
その刺身は丁度いくらが近くにあったらしく、赤いいくらが何粒か纏わりついていた。
そんなダージルさんの隣で、マルタは存外平気な顔をして、ぱくぱくと食べている。
どうやらマルタの緊張も、ご飯を食べることで解れたようで安心した。
「やっぱり、生は駄目ですか? ダージルさん。この国では半生にスモークしたものとかも無いんですかね」
「そんなの、聞いたことねえなあ。ドラットは基本的に焼くか蒸すものだと思ってたからな……」
「そうですか。半生でスモークしたものに、チーズを添えると無性に美味しいお酒のつまみになるんですけどね」
私の言葉に、ダージルさんの耳がぴくぴくっと反応する。
「このいくらも、私の世界のウォッカ……うーん、ドワーフの火酒みたいな強い酒精のお酒の名産地では、一緒によく食べられるものなんですよ。白パンとかクラッカーに乗せたりして食べるんです。そのときは醤油漬けではないんですけどね」
「……う」
「お酒に合うのになあ。ダージルさんは食べられないのか。残念ですねえ。ね、マルタ」
「ん? んんん? そ、そうだね? 茜」
「仕方ないですね。今度ゼブロさんに相談してスモークも挑戦しようと思ってたんですけど、ダージルさんには声はかけな」
「ちょっと待て」
ダージルさんはカッと目を見開いてこちらを見ている。
そして、手元の丼を険しい表情で眺めたと思うと、たっぷりと醤油をかけて、箸で持ち上げ――……
ばくっと目を瞑ってひと口食べた。
「……う、おお!?」
次の瞬間、ダージルさんは頬を緩めて、丼の中身をまじまじと見ている。
どうやらそんなに悪くなかったらしい。
私は背後からダージルさんにすすす、と近づくと、さっと目の前にお猪口を置いた。
そして、徳利からとくとくと辛めの日本酒の熱燗を注いだ。
「まあまあ、どうぞどうぞ」
「お、酒か!」
「お刺身に日本酒も堪らんですよ~」
「本当か!? おお……すまんな」
ダージルさんはお猪口の中身をでれでれした表情で眺めた後、くいっと一気に煽った。
「……ぶはっ! うめえ! 魚の脂と合うな! これ」
「そうでしょう、そうでしょう」
「生の魚なんてと、尻込みしていたが……これはいいな」
そういってダージルさんは隣のマルタを見た。
ダージルさんが余所見をしていたのをいいことに、うっとりと眺めていたマルタは、目がばっちりと合ってしまって思わず固まっている。
「お前のいうとおり、美味いなあ。……俺も好きだよ」
にっと笑って、笑い皺を沢山作りながらダージルさんが放った、なんでもない一言は、マルタの心を容赦なく撃ちぬき、マルタは今までに無いほど真っ赤になって、座ったままの体勢で後ろへゆっくりと倒れた。
「――ま、マルタァァァァァ!」
「ど、どうしたんだ、こいつ!」
そのせいで居間は阿鼻叫喚の混乱に陥り、マルタを必死に介抱する私と、おろおろと「やっぱり毒が!?」と慌てるダージルさんを宥めるほかの面々のせいで、暫く大変な騒ぎになってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「茜、ごめんね……」
食事が終わり、ダージルさんも鮭のカマの塩焼きをつまみにお酒を散々飲んで帰った後、漸く目を覚ましたマルタは涙ぐんで私にそういった。
「せっかく茜が用意してくれた席なのに……あたし、なにやってんだろう」
居間の隅に布団を敷いて横になっていたマルタは、腕で自分の顔を覆った。
ぽろり、ぽろりと覆った顔から涙が零れ、少し震えている。
「……ダージルさん、心配してたよ。目覚めるまで待つって言ってたんだけど、今は会いたくないかなって思って」
「……うん。そうしてくれて助かったよ、茜」
恥ずかしいところを見られた直後に、好きな人には余り会いたくないものだ。ジェイドさんに恥ずかしいところを見られまくっている私が言うのだから、間違いない。
少しの間、泣いていたマルタは、涙が枯れるとごしごしと顔を腕で擦って起き上がった。
そして真っ赤な目をして、私に、にかっと歯を見せて笑った。
「今日、団長様にあたしの散々酷いところをみられちゃったけど。それでも好きな人の近くにいれたこと嬉しかった……。こおんな近くに居たんだよ。心臓が団長様のほうに移動したんじゃないかって思っちゃった」
「うん」
「おっきくて、力強くて。それでもってやっぱり優しくて。にっこり笑って、あたしに好きだよって……」
「……うん」
「意味は違っても、夢見てた場面が叶ったよ。茜。あたし、ここに来てよかった。王子様にびびって帰らなくてよかった」
マルタは私に立ち膝で擦り寄ると、ぎゅっと抱きしめてきた。
「茜……ありがとう。本当にありがとう」
そういったマルタは、とてもとても可愛らしい顔で泣きながら笑った。
――後日。
洗濯物を干していると、マルタが息を切らしながら走りこんできた。
「ああああああああ! 茜えええええええ!」
「ど、どうしたのマルタ」
マルタはどうやらかなり混乱しているようで、意味のわからないことを暫く言い続けていた。
私はマルタを落ち着けるために、台所から麦茶を用意すると、マルタはそれを一気飲みして、漸く落ち着いたようだ。
「……で、何があったの?」
「あ、あのね。あのね。執務室にいきなり団長様からの手紙が来てね。……この間の侘びをさせて欲しいって」
「ほほう」
「……今度食事でも一緒にどうかって」
「ほほほう」
「もう! ほほほう、じゃない!」
「あたし、どうすればいいの!」とマルタは真っ赤な顔で叫んでいる。
私はニヤニヤする顔を抑えきれずに、そのままの表情でぽん、とマルタの肩を叩いた。
「デートみたいじゃない! 頑張れ!」
「人事だと思って……!」
「だって、願ったり叶ったりじゃない?」
「でも、あたし、デートなんて何年ぶりかってくらいなのよ! 服は!? 髪型は!? バッグは!? 靴は!? どういう物を着ればいいの!? 食事のときの畏まったマナーなんて知らないよ! 凄いところに連れて行かれたらどうしよう……お貴族様だよ!?」
「やー……ダージルさんに限ってそんなところに連れて行かない気がするけどなあ」
どちらかというと、場末の酒場とかに連れて行きそう……。
晩酌時の話でも、平民向けの美味い店談義が始まるような人だ。
ダージルさんは良い意味で貴族らしくない人だ。
「まあ、よかったら相談にのるよ」
「本当!?」
「うん。だって友達でしょ?」
さらりとなんでもないことのように私は「友達」と言い放つ。
……内心かなりドキドキしていることは、悟られてはいけない。
マルタは私の言葉に、一瞬きょとんとして、何度か瞬きをしたあと――破顔一笑した。
「そうだね。友達だね。よろしく、茜」
「うん……よろしく、マルタ」
こうして、私とマルタ。ふたりは友達になった。
それからマルタは度々私に会いにきてくれるようになり、私もお昼なんかはお弁当を作ってマルタを訪ねたりするようになった。他愛の無い話をふたりで話していると、とても楽しくて時間が過ぎるのがあっという間だ。
こうして、異世界に「友達」という大切なものが、また一つ出来たのだった。
【おまけ】
「あれ、ティターニア?」
「お主、最近妾の知らぬ雌と仲がいいようじゃの」
「そうですねえ。私の友達ですから」
「……茜の友達は妾じゃろう?」
「いや、マルタも友達ですよ」
「………………妾は? じゃあ、妾はなんなのじゃ?」
「そうですねえ。ティターニアは……」
「……ごくり」
「こっちの世界でいちばん最初にできた友達で」
「おお……」
「いちばん長い時間を一緒に過ごした、大切な友達ですよ」
「……ふん。そうか」
「ティターニア、今晩は暇ですか?」
「暇じゃ! 暇で暇で仕方がない!」
「じゃあ、お酒飲みましょうね」
「うむ、うむ! 楽しみじゃの!」
(……一瞬、呪われるかとおもった……)
――そんなひやりとする、ちょっと怖いところもある友達との日常の風景も。異世界に来て私が手に入れた、大切なもののひとつだ。