日本の味と煌く街、ふたりきりの夜3
ジェイドさんは無事着替え終わり――顔を合わせるのは恥ずかしかったけれど、必死に耐えた――更に祖父のダウンジャケットを着てもらって家から出る。
冷たい風がひゅうひゅう吹き込んできて、あまりの寒さにコートの上から体を摩った。
暑い夏モードだった体には、雪が降るほど冷え込んでいる冬はかなり堪える。
私たちは小走りで家の隣にある畑を横切って、農機具を収めてある大きな納屋のシャッターを開けた。そこに白いトラックと黒の軽自動車を置いてあるのだ。
この納屋は自宅から離れていたこともあって、異世界召喚を逃れていた。久しぶりに見る大きな納屋は、なんだか懐かしい。
マイカー達にガソリンが入っているか確認をしている間、ジェイドさんはもの珍しげに車の中を覗き込んでいた。
「まずお米とか、大量に必要で重いものをトラックで買いにいきましょうか。あ、その前にジェイドさんの洋服ですね。袖も短いですし、流石に長靴はちょっと…。その後、何度か自宅と店を往復することになると思いますけど」
「わかりました。それより、これはトラック…というのですか?」
「そうですよ。この中に乗って移動するんです」
そういいながら、トラックの運転席に乗り込む。
「これも魔道具なのですか?」
「魔法の類は一切使ってませんけどね。自動で動く馬車みたいなものです」
「馬もいないのに凄いですねえ」
そういってジェイドさんは、しきりに感心しながら助手席に乗り込んだ。
車がゆっくりと動き出すと、その度にジェイドさんは楽しそうに周りを見渡して、沢山の質問をしてきた。
そんなジェイドさんの様子に、私も異世界に来た頃こんな感じだったのだろうかと、何だか懐かしく感じた。
そういえばジェイドさんはお貴族様だ。気を使って高めの店に行こうとしたら、数日しか着ないのだし、安くてもいいと言われてしまった。
というわけで、ファストファッションの店で適当にジェイドさんの服を見繕った。
このとき、初めて私以外の日本人とジェイドさんが触れ合う機会があったのだけれど、どうやら私が異世界に喚ばれた時のように、ジェイドさんにも同じ原理が働いているらしく、ジェイドさんも日本語を話せるし、聞き取れるらしい。けれども、やはり書いてある文字は読めないらしく、店員に書いてある内容を聞きながら談笑していた。
そんなジェイドさんを横目で見ながら、洋服を何着か見繕う。ジェイドさんはスタイルもいいから何でも似合いそうで悩む。
いろんな商品を手に取りカゴに入れていると、ふと、あるポスターに目が奪われた。
それは、ファストファッションの店舗内に飾られている、外人が気取ってポーズをとっているポスター。身に着けているのは、そう、フリースだ。その外人が着ているフリースは、なんだかとてもお洒落な服に見える。けれども、品物は同じはずなのに、日本人が着ると何故か野暮ったく見えてしまうのがフリース。
…いやあ、さすがにフリースは…。
似合わないだろう。そう思ったけれど、私は少し躊躇してから他の商品が数点入ったカゴにフリースを入れた。
ジェイドさんに見繕った服を試着してもらう。ズボンの裾あげが要らないとは、素晴らしい限りだ。
ジェイドさんはまるで私の着せ替え人形のように、色々な服を着せられて、着替え終わるたびにジロジロと見られるのが少し恥ずかしいようで、試着室のカーテンを開けるたびに照れていた。
そして、とうとうフリースを試着する番がきた。
ジェイドさんに渡したのは、カーキ色の至って普通のフリースだ。
それを受け取ったジェイドさんは「温かそうですね」なんていいながら、カーテンを閉めた。
そして、私は暫くして試着室から出てきたジェイドさんの、フリースのあまりの完璧な着こなしっぷりに、私は衝撃を受けて思わず口を押さえて震えてしまった。
脚が長い、腕も長い、すらっとした体型…。
ちょっと照れている整ったお顔と、騎士らしいピシッとした姿勢の良さ!全てが相まって、フリースが何やら高級な何かに見える。
――ごめんよ、フリース!静電気野郎とか呼んでてごめんね!フリース…!
私は、フリースの無限の可能性をそこにみた。
フリース以外の商品も何点か買い、靴屋で靴も買ってようやくジェイドさんの身だしなみが整った。
その後は、ひたすら米屋やスーパーをはしごして、必要なものを買い集めていく。
「…これ、全部食品なのですか」
スーパーに初めて来たジェイドさんは、広い店内を眺めて口をぽかんと開けて呆然としている。
しかも、そのスーパーは24時間営業だと聞くと、また驚いていた。
…あっちの市場は午前中にほぼ品物が無くなるからね。
でも、正直あっちの世界の市場のほうが私は好きだったりする。季節ものがちゃんとその季節にあって、季節の移り変わりに合わせて、少しずつ品揃えが変化していく。そして毎日新鮮なものしか並ばない。そんな異世界の市場は毎日通いたくなる楽しさがある。
それをジェイドさんに伝えると、彼は嬉しそうに笑っていた。
色々と買い込むと、トラックの荷台はあっという間に満杯になって、何度か家に戻った。
本屋も何件か回って本を買い集めたけれど、専門的な内容の本は分厚くてとんでもなく高いものが多い。本を買うたびに、あっという間にお財布から札が消えていく。
――ルヴァンさんの本の代金が、一番高いんですけど!
そう心で思った瞬間。何故か銀縁眼鏡を光らせながら、にやりと笑ったルヴァンさんの恐ろしい笑顔を思い出してしまい、胃がきゅっとした。
けれども、ルヴァンさんが私にこの本を頼んだことの意味を考えると、真剣に取り組まなければいけないと思う。できるだけ沢山の本を異世界に持ち込めれば、日本の様々な技術によって異世界の改革が起きるかもしれないのだ。
私は気を引き締めて、本を慎重に選んだ。
そういえば、異世界では言葉は通じるけれども、書き文字は翻訳してくれない。なので異世界に喚ばれて暇を持て余していたあの頃、読書すらままならなかったことを思い出す。ならば、と思って何冊か辞書も買っておいた。これで、翻訳が捗ればいい。
この本を異世界で翻訳して、その内容が広まったら…一体どうなってしまうのか。
私はそのことを考えて、未来の展望に胸をときめかせた。その勢いで、興奮気味にぱらりと覗いた専門書の内容は、私にとっては難しすぎて、一瞬にして私のテンションは地に落ちた。
…専門用語って恐ろしく難解だ。これは、向こうの人たちに翻訳できるのだろうか。
…優秀な研究者に期待することにしよう。
その頃にはお昼を大分過ぎていて、私たちは昼食をとることに決めた。
近くのラーメン屋に車を停めて、店内へ入る。
「…らっしゃい」
いつも無愛想な店主がこちらをちらりと眺めて、また作業に戻った。
私たちはカウンター席に並んで座った。
今日の昼食は、以前ジェイドさんにはカップめんを食べてもらったことがあるので、然程、戸惑いは無いだろうとラーメンにした。
それに、お店で食べるラーメンというのは格別だ。インスタントでは絶対に超えられない壁がある。
…正直、私がラーメンを食べたかったというのもあるけれど。
ラーメンの種類を軽く説明をすると、私のお勧めでいいとのことだったので、ジェイドさんには醤油ラーメン、私は味噌ラーメンにした。あとは餃子。これは外せない。
料理を待つ間に、これからの予定を話すことにした。
「まだまだ買うものが沢山ですね…今、車に積んであるものを一旦家に置いてから、また出かけましょう。あと夜になったら、行きたい場所があるんですけど、いいですか?」
「はい。大丈夫ですよ。茜に任せます」
ジェイドさんはそう言って、笑って頷いてくれた。
重い米袋やら、調味料やらを運んでくれるジェイドさんは疲れているだろうに、そんな姿を私には絶対に見せない。
「ジェイドさん、疲れていませんか?大丈夫ですか?」
「はは。大丈夫ですよ、行く先々のもの全てが珍しくて、なんだか楽しい気分なんです。疲れなんて感じてませんよ」
「…あんまり無理しないでくださいね」
「茜は心配性ですね。…あれ、なんだかこんな会話。前にもしませんでしたか?」
「そうですか?」
「はい。俺が茜を心配していて、でも茜は俺を心配性だって」
「…ああ。ありましたね。逆だなんて、何だか変な感じですね?」
「そうですね。変な感じです」
そういってお互い顔を見合わせて笑った。
そのとき出来上がったラーメンがカウンターに置かれた。
「…醤油に、味噌。おまち」
「ありがとうございます」
店主にお礼を言って、どんぶりの中を覗き込む。
ほわほわと白い湯気を上げる味噌ラーメンには、チャーシューにねぎ、わかめにコーン、メンマ。
ジェイドさんの醤油ラーメンには、チャーシューにねぎ、海苔にメンマに味玉が乗っている。
味噌の香ばしい匂いをいっぱいに吸って、割り箸をぱきりと割った。
そして、ジェイドさんと視線を合わせて、
「いただきます!」
と同時に言って、レンゲでスープを掬った。
息で冷まして、スープをひと口。
外の寒さで冷えていた体に、じんわりとあったかいスープが染みる。
濃い目の赤味噌を使ったこの店の味噌ラーメンは、わりと甘めの味付け。その奥にあっさりした鳥だしを感じられる。
麺はたまごいりの黄色い縮れ麺。くるんと波打つ細めの縮れ麺を持ち上げると、スープをたっぷり絡ませて、ほわほわ湯気をあげている。
私は、ふうふう息を吹きかけてから、勢いよく吸い上げた。
…ずる、ず、ずるるるるるるるるる!
麺はもちもち。噛み切ると驚くほどの弾力でぷりんと弾ける。
たっぷり絡んだスープのお陰で、口の中が一気に潤う。鼻に抜ける味噌の香りもいい。
チャーシューは二枚入っている。
一枚箸でとってかぶりつく。
硬めに茹でてあるチャーシューは、チャーシューだれをしっかり染みこませてあり、噛むとほろりと崩れる。そのままで食べると、ぱさぱさしそうなチャーシューは、温かいスープの海にしっかり漬かっていたから、今はしっとり、噛むとチャーシューだれの味がしっかりして、食べ応え抜群。
店主の手作りのメンマは、1.5センチほどの太さの四角柱。
噛むとしゃき、こりこりっとして、いつかカップ麺で食べたときのようなものとは比べものにならない絶品。正直この店で一番美味しいのはこのメンマだ。
チャーシューだれに漬け込んである四角柱の太いたけのこの歯ざわり、甘さ。既製品では絶対に出せないこの味は、何度食べても美味しい!
いつかおつまみチャーシューと瓶ビールを、この店で頼んでみたいものだ。…そうなったら、一気に親父街道まっしぐらな気がするけどね!
「…はいよ。餃子お待ち」
その時、餃子が出来上がった。
「へえ、面白い形ですね」
「中に挽肉と野菜を混ぜたものが入っているんです。ここのは絶品なんですよ」
ここの餃子の特徴は中に具が沢山入っていることだ。白い生地の中に、ぎっしり詰まった生地にはにんにくと生姜、ニラ、キャベツがたっぷり入っている。
醤油皿に、お酢をたっぷり、醤油をちょっぴり、ラー油をたらりとしたら、そこに餃子をつける。
そして、思い切り齧り付くと、じゅわっと熱い汁が溢れ出てきて、思わず口の端から零れた。
「うわ、汁が」
「本当、びっくりするくらい中から汁がでてきますね…!」
「こんな小さい餃子のどこに入ってたんだって位ですよね!それに香味野菜が利いてて美味しい!」
この餃子は挽肉より野菜が多めだ。ニラとキャベツが大半を占める具は、野菜の甘みがしてあっさりと食べられる。
「このたれも酢を多めにしたほうが、俺は好みですね」
「わかります!寧ろお酢とラー油だけでもいいかも」
具に味付けがしっかりしてあるから、醤油は余分だったかもしれない。
ジェイドさんと私は、六つあった餃子を、ぱくぱくとあっという間に食べてしまった。
レンゲでコーンとわかめを掬って食べていると、ジェイドさんがお箸で味玉を割っている場面を目撃してしまった。
…味玉。食べたかったかも。
茶色く染まった白身も、オレンジ色の半熟の黄身も如何にも美味しそうだ。
「…はんぶんこ、しましょうか」
私から味玉に注がれる熱視線に気づいたジェイドさんが、私から顔を逸らして笑っている。
…そんなに、物欲しそうな顔をしていたかなあ!?
さっと顔を青くしていると、ジェイドさんは味玉をお箸で半分に割って、レンゲに乗せて渡してくれた。
なんだか申し訳ないような気持ちでレンゲを受け取ると、そのままぱくりと味玉を食べた。
とろーっと卵の黄身が口の中でとろける。
黄身に染みこんだたれの味がこれまた丁度いい塩加減。
まったり、とろとろの味玉は私に幸せを運んでくれる。
味玉の美味しさに悶えながら、ジェイドさんにお礼を言ってレンゲを返した。
「うう。幸せ~」
「茜は本当に食べるのが好きですね」
ジェイドさんはちょっと呆れ顔だ。
「だって、美味しいものを食べると、幸せになるでしょう?」
「そうですけどね」
「日本は美味しいものだらけの国なんです!食に溢れたこの日本で生まれたからには、美味しいものを求めて西へ東へどこまでも!というのが、日本人の性なのです」
「それは茜だけの話じゃなくて?」
「…そ、そんなこと、ないですよ…?」
…うっ…。ジェイドさんのつっこみが厳しい。
私はさっと目を逸らした。
「日本人とて、人間という生き物です。個体差はあるかと思われます!」
「こっちを見て言いましょうね」
「わ、私が食い意地がはっているわけではないですよ!」
「はいはい」
「ジェイドさん…!」
ああ、完璧ジェイドさんに食いしん坊認定されてしまった…!
両手で顔を覆い、またジェイドさんに好かれそうな素敵な女性像から遠のいたことを嘆く。
ジェイドさんはそんな私を慰めるつもりなのか、頭をぽんぽん、と軽く叩いた。
そして、私が返したレンゲを徐に手にとって、スープをひと口飲んだ。
――あ。
その光景を目撃した私に衝撃が走る。
ジェイドさんは気づいていないようだけれども、どう見てもそれは…。
「茜、ラーメンって美味しいですねえ」
ジェイドさんが美味しそうにラーメンを食べている。
私は彼に顔の火照りがばれないように、ちょっとだけ俯いて残りのラーメンを食べた。
ラーメン屋をでて、冷たい風に身を晒す。
火照った体が一瞬にして冷やされて、少しほっとする。
「さあ、茜。買い物がんばりましょうか」
「はい!頑張りましょう!」
そうふたりで声を掛け合って、午後いっぱいを使ってひたすら買い物をしてまわった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
辺りは既に暗くなって、雪も止んだ冬の夜はかなり冷え込む。
かじかむ指先に息を吹きかけながら、ふたりで辿りついた先は、駅から程近い裏道にある赤提灯が下がった居酒屋。
「ここが、茜の来たかった場所ですか?」
「はい!そうです。王都でジェイドさんがお気に入りのお店に連れて行ってくれたでしょう?だから、今度は私のお気に入りの場所にと思って」
古めかしい昭和の香りがする古い看板に、色落ちしてしまっているのれん。
格子戸の扉の向こうから温かな光と、お客さんの賑やかな声が聞こえる。
そう、ここは私がいつも通っていた顔なじみの居酒屋だ。
私のお酒とおつまみの好みを知り尽くしている、大将の経営するお店。
「ちょおおおっと、というかかなり庶民的なお店なんですけど…」
どちらかというと、近所の親父どもの溜まり場のような店だ。けれども、とても居心地がいいし、気心も知れている。私の大好きなお店。
「ジェイドさんを是非連れてきたくて」
数日だけれども、日本に居られると知ったときに一番に思い浮かんだのがここだ。
是非ともジェイドさんを連れて行きたい、そう思った。
「楽しみですね」
ジェイドさんはそういって格子戸に手を掛けた。
私は久しぶりの馴染みの店に、わくわくしながら一歩足を踏み入れた。
在庫がね 無いなら買いに いけばいい …まさかの帰郷です。ご都合主義、申し訳ありません。
日本編は5で終了です。