日本の味と煌く街、ふたりきりの夜2
「あのドライアドはお主に懐いておったじゃろう。だからな、お主が異界から魂を呼び出せずに寂しがっていると教えてやった。そうすれば、あの幼き精霊はお主らを精霊界へ連れて行くと踏んでな。精霊界には異界の魂も時に迷い込む。異界の魂に会いたいと願うお主のような存在がいれば、尚更だ」
ティターニアはそこまで一息で言い切ると、つつ、と指で透明な壁をなぞった。
「実際、お主は招きの炎を焚いていた。…茜。精霊界で、お主の会いたがっていたものに会えたのではないか?」
ティターニアはそう言うと、目を細めて私の瞳を真っ直ぐ見つめた。
その途端、両親に会えたこと、会えたけれども苦しかった気持ちが戻ってきて、私は顔を顰めてしまった。
でも、この気持ちはあくまで私の中で処理するべきものだ。ティターニアに向けるべきではない。
そう思って、私は舌で下唇を軽く舐めて心を落ち着かせると、ティターニアを真っ直ぐ見つめ返した。
「…それに対しては感謝しています。ティターニア」
「なんじゃ」
「両親が私の『お友達』にありがとう、って」
「…そうか」
「私からも。ありがとう、ティターニア…」
「ふん」
私の言葉を聞いたティターニアは、不機嫌そうにそっぽを向いた。
そして、とりあえずお礼は言い終わったので、序でに文句も言うことにする。
…感謝の気持ちもあるけれど、文句だっていっぱいあるのだ!
「それにしたって大変な思いをしたんですよ!ティターニア!精霊界は本当にわけがわからなくて、色々苦労したんです!」
「なあに、そんなこと妾にだって解っておる。ただ幼き精霊を焚きつけただけではないぞ?精霊界に妾の下僕も送りつけ、そなたらを守るように言いつけた。ほれ、くすんだ色をしたスライムじゃ。見なかったか?」
「…見なかったも何も、私それに押しつぶされましたけど!?」
「ぬ?何故じゃ?」
「私が聞きたいです!」
「所詮は下等生物じゃ。守れという妾の指示を曲解でもしたのかのう…」
「そんなもの、送りつけないでくださいよ…」
「ぬぬ。妾の親切を無下にしおってからに」
「なら、ティターニアもスライムに押しつぶされてみればいいんですよ」
「それはお断りじゃ。おぞましい…」
ティターニアはぶるりと身を震わせ、スライムに押しつぶされている自分を想像したのか、顔を青くした。
私は勝手なことを言っているティターニアを、精一杯眉を寄せて睨みつける。
「一体、どういう理由があってこんなことをしたんですか!」
私の中の怒りを込めてできるだけ強く言ったつもりだったけれど、ティターニアはどこ吹く風だ。
ティターニアはふふふ、と含み笑いをして、愉快そうに背中の蝶の羽を何度か開閉した。
…その様子だけを見れば、大変愛らしいのが腹立たしい。
「妾の下僕のテオがな。一度精霊界に落ちて――こちらに戻ってきた時に、不思議な体験をしたというのじゃ」
「不思議な体験?」
「そうだ。数日間、自分の存在が曖昧になり、どこか別の世界に片足を踏み込んだと」
…曖昧とは、どちらの世界にも属さない、中途半端な状態だという。
テオの場合は特定の扉を開けるたびに、数日間だけふたつの世界を行き来できたらしい。
ティターニア曰く「扉とは外界との繋がり。異界へも繋がりやすいのじゃろう」と言っていた。
私たちにとっての特定の扉とは、この玄関の戸のことなのだろうか。どうも出入りはできないようだけれど。
――そして、どこか別の世界。それは私の元々いた世界のことだった?そういうことなのだろうか。
「そこは石造りの美しい街だったそうじゃ。丁度祭りの時期だったそうで、皆が仮面をつけて町を闊歩していたと。テオは大層楽しかったと言っておった。それで、アレがつけている仮面。あの珍妙な仮面をテオは持ち帰ったのじゃ。そちらの世界からな」
テオの迷い込んだ世界。…正直ベネツィアのカーニバルにしか聞こえない。
ティターニアはうっとりと頬を染めて、両手を天に向かって広げた。
「どうじゃ、凄いじゃろう。茜、お主の今の状態だと、そちらの世界の品物をこっちに持ち込めるんじゃぞ?しかも、身ひとつだったテオとは違って、お主らはどういうことか家ごと存在が曖昧になっておる――これは、家に持ち込んだ品物全てを持ち帰れるということじゃろう!?」
「…ティターニア。御託は充分です。つまり?」
「妾は、乳と魚のつまみをたらふく食べたい」
「それってチータラ…?」
「そちらには、妾が食べきれないほど、乳と魚のつまみがあるのだろう…?素晴らしい。茜!買えるぶんだけ買ってくるのじゃ」
ティターニアはお腹いっぱいのチータラを想像したのか、頬を薔薇色に染めたままくるりとその場で回転した。夢見る乙女のような表情で、白いレースのドレスがひらひらと舞う姿はとても妖精らしい。
…私たち、チータラのためにあんな大変な体験をしたのかあああああああああああ!
がくり、と脱力してその場に四つんばいになる。
ああそうだ、バーベキューをしたあの日。ティターニアに、確かにそんなことを言ったような記憶がある。
私があのバーベキューの日にあんなことを言わなければ…。
たかがチータラが欲しいなんて願いのために、あんなに苦労するなんて。それに付き合わされたジェイドさんは堪ったものではない。
私はすっくと立ち上がると、ジェイドさんのほうを向いて、深く頭を下げた。
「ほんっっっとうにごめんなさい!ジェイドさん…!私のせいであなたに迷惑を掛けてしまいました!」
「いえ、いいんですよ。あなたを護ることが俺の仕事であり、使命だと思っていますから」
ジェイドさん…!なんて、男前…!
思わずジェイドさんにキュンとしていると、後ろの方で咳払いが聞こえた。
振り返ると、ルヴァンさんは眉間をほぐしているし、ダージルさんとカイン王子、妹は苦笑い。ティターニアは何故か顔を顰めている。
そのとき、妹が何かをひらめいたように、手をぽんと叩いた。
「つまりだ!私も精霊界に行けば、元の世界にちょっとだけ戻れるってこと!?」
「いや、無理じゃなあ」
妹の発言を、ティターニアが即切り捨てた。
妹は容赦ないその言葉に、不貞腐れたように一瞬で顔を顰めて、唇を尖らせる。
ティターニアはそんな妹を見て「お前まで不細工になっておるぞ」とのほほんと笑っていた。
「ティターニア…その理由を聞いてもいいですか?」
「理由もなにも、次もまた同じような状況になるかなんて限らないしのう」
「…ちょっとまって」
「いやあ、今回は運が良かった。最高の結果が得られたのは、妾の常日頃の行いのお陰じゃろうの」
「ティターニア!」
「…なんじゃ?茜。どうかしたのか」
ティターニアは大きな瞳を細めて、私に柔らかい微笑みを向けている。
「つまり…もしかしたら、私たち」
「精霊界は、全てが入り混じる場所。全てがあやふやで、どう力が働くか、女王である妾にすら読めぬ。…帰れぬ可能性も充分にあった」
「……」
「ああ、あの幼き精霊を責めてやるなよ。あれは多くのことを知らぬ。単純にお主の為にと、動いただけじゃ」
段々と頭が痛くなってきた。
そんな危険な場所に、チータラが欲しい、ただそれだけのために放り込んだのか。
私のなかで、また怒りが沸々と沸いてくる。ティターニアらしい自分勝手さではあるけれど、如何に妖精女王といえどこれは酷い!
けれども、私が高まった怒りを爆発させようとした瞬間、ティターニアは自分の頬を指で掻きながら、私から目を逸らして、もごもごと小さく話を続けた。
「――でも。もし、そんなことになったら。…妾が迎えにいったに、決まっておるだろう。茜は、妾が……と、友達を見捨てるような薄情な妖精にみえるのか?」
何とも絶妙なタイミングで、照れ顔でそんなことを言われてしまった私の中の怒りは。
あっという間にぷしゅう、と萎んでいき…残ったのは得体の知れない疲労感だった。
「…まあ、妖精女王の言葉を信じるならば、今の状態でも問題はないのであろう。ならば、茜。折角なので、元の世界を満喫してくればいい」
「ルヴァンさん…!」
ティターニアの言葉に翻弄されて、疲労を感じていた私に、先ほどまでの厳しい言葉とは打って変わって、ルヴァンさんが優しいことを言い出した。
ルヴァンさん!素敵!たまには優しいこともいえるんだ…!
「――ああ。ついでといってはなんだが。茜。君は忘れていないだろうな?」
…忘れる?
ルヴァンさんの言葉に感動していた私は、何を忘れているのか直ぐには解らずに首を傾げた。
「この機会に、異界から持ち込んだ調味料、穀物、既製品、酒類――そちらでしか買えないものを全て買い足せばよいだろう。出来れば…そうだな。来年の春…もしくは夏までもつ位の量が理想だ」
ルヴァンさんの言葉にはっとする。
…そうだ!色々と少なくなっていたんだった!
「あと、時間があれば、そちらの世界の書物…そうだな、農業や産業、工業…魔道具等に関わるものを買ってきてくれると助かるのだが」
「あ、おねえちゃん!私、お菓子が食べたい!沢山買ってきてー!あとジュースも!ジャンクなやつがいい!」
「お?好きなものを頼んでいいのか?美味い酒と、つまみ!よろしくなー」
「妾の乳と魚のつまみも忘れるでないぞ!」
「おい、お前たち。何を自分勝手なことを…」
「えー、カインは欲しいものないの?」
「む。…マヨネーズは切らさないようにして貰えると助かる」
「あのう。それ全部買ってたら…ゆっくりする時間なんて、ないですよね?あれ?」
ぽつりと呟いた私に、ルヴァンさんは銀縁眼鏡をくいっとあげて、爽やかな笑顔を向けた。
「君は聡いな。ああ、料金については気にしなくてもいい。そちらでも、宝石や金というものは高額で取引されているのだろう?現物支給になってしまうが、代金以上は後日支払うと約束しよう。茜――思う存分、ゆっくり満喫してくれ」
「……」
こうして、私の久しぶりの日本滞在は、買い物に追われることに決まった。
取り敢えず方針は決まったので、みんなと別れて、あまりにも寒いので冬服に着替える。
そして、居間にストーブとこたつを持って来て、温かいお茶で一息いれた。
久しぶりにテレビをつけると、異世界では砂嵐ばかりだったテレビ画面に、クリスマスのCMが流れた。スマホは電源が切れたまま放置しているので、確認できないけれども、もしかしたら召喚されたあのクリスマスイブの日なのだろうか。
そう思って暫くニュースを見ていると、今日はクリスマス当日らしい。召喚されたのがイブだったので、その翌日ということだろうか。
時計を見ると午前10時前。丁度、色々なお店が開き始める頃だ。
温かいお茶と暖房のお陰で、漸く内からも外からも体が温まり、ふう、と一息つく。
縁側の方向をみると、白く曇った空から、今もちらちらと白い雪が落ちてきていた。
ついこの間まで、夏の暑い中にいたので、なんだか不思議な光景だ。
「――ティターニアは困ったものですけど。…お陰で、色々と補充できそうですね」
「そうですね。これからも、茜の故郷の味を食べられるんですね。…嬉しいです」
ジェイドさんは、そう言ってふっと笑った。
本当に心からそう思ってくれているのが見て取れて、私の胸があったかくなる。
「兎に角、買い物に行きましょうか。ここにいても、埒が明きません。…それと、ジェイドさん。着替えましょう」
「え」
「鎧を着ている人なんて、日本には居ませんから…。この国は平和なんですよ。街の平和はおまわりさんが守ってくれてますし。…下は、黒いパンツなので、そのままで大丈夫そうですね?少し生地が薄いですけど…ずっと外に居る訳ではないので、大丈夫でしょう」
ジェイドさんのパンツの生地を確認しつつ、鎧を眺める。
「この鎧の下には何を?」
「…半袖ですね」
「じゃあ…サイズが合わないとは思いますけど、取り敢えず祖父のセーターを着ましょうか」
そう言って、押入れの奥に入っていた祖父のセーターを引っ張り出して渡した。
ジェイドさんが着替えている間に、靴を確認する。
祖父の靴はとうの昔に捨ててしまったので、長靴ぐらいしか大きなサイズのものはない。
…どこかで靴を買うしかないなあ…。
玄関に置いてあるジェイドさんの靴、というかブーツは太ももまで覆う鎧と同じ金属製で、普段着にはとてもではないが合いそうにも無い。
そう思って、ジェイドさんに靴の件を話そうと、居間の扉に手を掛けて――ガチャリと開けた。
「っわ」
その瞬間目に飛び込んできたのは、逞しい上半身を晒しているジェイドさんだ。
畳の上には分解された鎧が散乱していて、どうやらまだ着替え中だったようだ。
ジェイドさんは驚いた顔をして、着替えている最中の姿勢のまま、固まってこちらをみていた。
「――あ…、ええと。あの、鎧なので。脱ぐのに結構時間が――」
ジェイドさんは数瞬の後、はっと我をとりもどし、そう言って恥ずかしそうに頭を掻いている。
そのせいで、腕が頭を掻くために上にあげられ、逞しい腹直筋が私の目に飛び込んできた。
騎士団で常に体を鍛え続けているジェイドさんの体は、とても綺麗に鍛えられていて、8つに腹筋が割れている人を、私は生ではじめてみた。腕も想像していたよりもずっと逞しい。
一見すると細身のジェイドさんだけれども、脱ぐと…。
…ゴクリ。
私は次の瞬間、顔に血が上り、真っ赤に染まるのを自覚した。
「し、失礼しましたあああ!」
私は急に恥ずかしくなってしまって、勢いよく居間から飛び出した。
そして、勢いそのままに仏間に飛び込んで、戸を閉める。
そのまま弾む息を整えながら、ずるずるとその場に座り込む。
――え、えらいものをみてしまった…!
目を瞑ると、脳裏に浮かぶのは、ジェイドさんの筋肉質でありながら均整の取れた美しい肉体。
ノックすらしなかった自分を責めながら、そういえばこれから数日はジェイドさんとふたりきりだということに思い至り、更にジェイドさんを意識してしまって、顔を赤くする。
――ど、ど、ど、どうしよう…!って、どうもこうもしないけど!
ああ、と天井を仰ぎ見る。
そうか。もしかしなくても、この数日間好きな人とふたりきり?
更に精霊界でまたジェイドさんの目の前で号泣してしまったことを、ふと思い出した。
彼には私の恥ずかしいところを見られてばかりだ。
それも含めて、なんだか照れくさいような、気まずいような。
――ジェイドさんに、どんな顔をして会えば…。
本当の意味で朝から晩まで一緒にいることになる、これからの数日間を想像して、また顔が熱くなる。
私の心臓は耐えられるのだろうか…。
それよりも、さっきのジェイドさんの裸を直ぐに頭から追い出したい。
そのとき、そういえば妹がこんな状況のことを「なんとか」って言っていたなあと思い出す。
――なんだっけ、うーん。…ああ!あれだ!
――ラッキースケベ!
…って、スケベってなんだ!?なんなのさ!?
しかも男の人の裸を目撃するラッキースケベなんて誰得!?…ああ、私か!ちくしょう!
笑顔で私にそんなことを教えた妹を憎らしく思いながら、私は頭を抱えた。