烏賊とお髭と大地の精霊 中篇
――一日目。
いつもより早くから市場へ向かう。
顔なじみになった店主のおっちゃん、おばちゃんの顔が引き攣るくらいの量の材料を買い、城へ持ってきてもらうようにお願いした。
「茜ちゃん。そんなに沢山何に使うんだい?私たちとしては嬉しい悲鳴だけれど……最近城のほうが騒がしい様じゃないか」
「おばちゃん、心配してくれてありがとう。大丈夫だよ、ちょっと食いしん坊のお客さんが暴れているだけ。何にも心配することはないよ。それより、これとこれも城まで今日中に持ってこれるかな?」
「勿論さ。茜ちゃんの為なら、おばちゃん地の果てだって持っていくよ!」
「おばちゃん、大げさ!……でも、ありがとう」
市場のおばちゃんは私の手に「サービスだよ」といって果物を握らせてくれた。
私は嬉しくなって、深く一礼をしてからおばちゃんに手を振って次の店を目指した。
「――皆さん!よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくな、お嬢さん」
ルヴァンさんは料理人を5人ほど都合してくれた。
ドワーフ達が大食堂を占領しているとはいえ、城の人たちの食事の用意が免除されるわけではない。忙しい中人員を確保してくれたルヴァンさん、厨房のひとたちには感謝したい。
私は市場で注文した大量の食材を眺めた。
取り敢えず今日は小手調べ。
料理人の話を聞くと、焼きもの、煮もの、いずれもゴルディルさんのお気に召さなかったらしい。
ならば、と定番のから揚げで揚げ物を試すことにした。
それとキャベツの酢漬けに枝豆。
ドワーフは火酒をよく好んで飲むらしいから、ボリュームのあるつまみよりも、軽めのつまみのほうが好みかもしれない。
私は料理人に手順を説明して調理をお願いした。その間に、私は市場で仕入れた新鮮な烏賊を取り出して、つるりと撫でた。
今朝上がったばかりの烏賊は綺麗な紅色をしていて、身も厚くつやつやしている。
脚の付け根から胴の中に手を差し込んで、胴と脚の接合部分を手で切り離し、中身を引き摺り出す。すると、うっすらピンク色の、むっちり大きなそれが姿を現した。
旬を迎えた烏賊のそれ――肝にはたっぷりと旨みの塊が詰まっている。
「おお……!」
期待していた通りの大ぶりの肝に、私は頰を緩めて下処理を開始する。
これを使ったおつまみは最終手段だ。
出来ればこれに辿り着くまでに、ゴルディルさんをなんとか出来ればいいのだけれど。
私は烏賊の皮と格闘しながら、そんなことを考えていた。
大食堂の大きな扉の前。
私は両手におつまみを盛り付けた大皿を持ちその前に立った。私の後ろにはジェイドさんや料理人の人達。彼らは大量に作った料理をワゴンに乗せて、いつでも中に突入できるように準備してもらっている。
取り敢えず彼らの出番は後だ。今は私ひとりで行く。
ごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと扉の中に足を踏み込む。
途端目に飛び込んできたのは、先日見たものと変わらない惨状。……いや、空いた酒樽の量が増えているからさらに悪化していると言えるだろう。
酷い臭いが充満している部屋に踏み込んで、まっすぐ部屋の真ん中へと突き進む。
テーブルで酒を飲んでいた他のドワーフ達が、アルコールでどろりと濁った瞳をこちらによこした。
そんなドワーフ達の視線は正直怖い。けれど、やるしかないのだ。
私は心の中で自分を叱咤しながら、なんでもないように表情を取り繕って、前だけを見て進む。
漸く目的の場所に辿り着くと、今日も目を瞑って腕を組み、じっとただ座っているゴルディルさんが居た。
ゴルディルさんの目の前のテーブルには、酒の杯とおつまみが手付かずのままに置いてある。
私は、給仕の人に目で合図をして、それを下げてもらうと、どん! と勢いよく料理を置いた。
揚げたてのきつね色のから揚げからは、香ばしい醤油とにんにくの香りがする。
周りのドワーフもそれに気づいたのか、首を伸ばして私の料理を覗き込んできた。
「こんにちは。はじめまして、小鳥遊 茜といいます。お酒とおつまみをお持ちしました」
私はどきどきする胸をなんとか宥めながら、ゴルディルさんに声をかけるが反応は無い。
怖いけど、ここは強気に出ることにして、許可も取らずに椅子を引いて隣に腰掛ける。
すると、ゴルディルさんは閉じていた瞳をうっすらと開けて、こちらを見てきた。
その瞬間、ゴルディルさんはぴくりと片眉を持ち上げ、驚いたような顔でこちらをまじまじと見てきた。
「――小娘。お前は……異界からきたのか」
耳の奥がじん、とするくらい低く響くバリトンボイスでそう聞いてきたので、「はい」と答えた。
「あなたが中々お酒を召し上がらないと聞いたので、異界の料理とお酒を持ってきたんです。お口に合うかと思って」
「……ふん」
ゴルディルさんはまた目を瞑ってしまった。
暫くそんなゴルディルさんを観察していたけれど、一向に動く様子が無い。
仕方がないので、グラスに用意してきた大きめの氷をごろりと入れる。
そして、そこにたっぷりと米焼酎を注いだ。
――からん。
焼酎で氷が溶け、グラスの中でいい音をたてる。
まるで日本酒のような香りがするのが米焼酎。
芋焼酎と同じくらい香りが強くて、酒飲みの心を刺激する、とてもそそる匂いがする。
私はとんでもなく大きくてごつごつしたゴルディルさんの手をぐっと掴んだ。
ゴルディルさんは片目を開けて、迷惑そうにこちらを睨みつけてくる。
私はそんなことお構いなしに、ゴルディルさんの手の中に無理やりグラスを握らせた。
自分の分のお酒も用意し、ゴルディルさんの手の中のグラスに無理やりぶつける。
「――乾杯。どうぞ。美味しいですよ」
ゴルディルさんは尚も動かない。
仕方がないので、私は焼酎をひと口飲んだ。
ふわっと鼻を抜ける米の香りが心地よい。
味はどちらかというと辛め。だけど舌先を舐める米の甘みが、辛味を和らげてくれる。
強めのアルコールが、顎のあたりををきゅんとさせる。ついつい何かをつまみたくなる味だ。
「……お前さんも飲むのか?」
ゴルディルさんが急に声を発したので、思わずびくっとしてしまった。
隣のゴルディルさんを見上げると、意外そうな顔をしている。
「だって、お酒は一緒に飲んだほうが美味しいじゃないですか」
「……それに異論は無いが。そうではなく……異界では子どもでも酒を飲めるのか?」
ゴルディルさんは私を上から下まで見て、顔を顰めている。
――なんと、このじい様。私を子どもだと思っていたらしい。
私は出来るだけ冷静を装って、引き攣る口元を無理やり持ち上げ笑顔をつくった。
「私、大人ですけれど?」
箸を手にとって、から揚げにガンッと突き刺した。
そしてから揚げを口に放り込んで、もっしゃもっしゃと咀嚼する。
そんな私の様子を黙ってみていたゴルディルさんは、きまりが悪そうに太い指で頬を掻いた。
――もしかして、悪いと思ってくれている?
「もし、私に失礼なことを言ったと思っているならば。お酒を飲んでください」
「………………」
「人を子ども扱いするよりも、人のもてなしを無視することのほうが、よっぽど失礼にあたると思いませんか」
ゴルディルさんは「……ぬ」と小さく唸ったあと、手の中のグラスをじっと見つめた。
そして徐にグラスを口元にもっていくと、一気に飲み干した。
「――ふぃー……」
ゴルディルさんの口から長い息が漏れる。
それは明らかに、不満からくるものではなく美味しい酒を飲んだときの反応。
私はにやりと笑ってゴルディルさんを見ると、彼は見られていたことに気がついたのか、顰め面をしてまた黙り込んだ。
「どうですか?お口に合ったでしょうか」
「……ふん」
ゴルディルさんは鼻を鳴らした。そして、それ以降また黙り込んでしまった。
私は問答無用で、ゴルディルさんの空いたグラスに焼酎を継ぎ足し、取り皿に料理を盛ると、ゴルディルさんの前に置いた。
そして何食わぬ顔で私もお酒を飲み続けた。
「なあ、そこの嬢ちゃん。その料理は俺らも食っていいのか」
物欲しそうな顔で、近くの席に座っていたドワーフのひとりが私にそう聞いてくる。
から揚げの香ばしい匂いに当てられて、堪らなくなってしまったのだろう。
「勿論です。皆さんのぶんも用意してありますよ。料理人の皆さん。お願いします!」
私がそう声をかけると、扉のほうから料理人たちが、料理が乗ったワゴンを押して入ってきた。
「異界のお酒に合う料理です。皆さん、沢山召し上がってくださいね!」
「おおおおおおおっ!」
大食堂はドワーフたちの歓声に包まれ、彼らはこぞって料理に群がり、幸せそうに舌鼓を打っていた。
ゴルディルさんは口をへの字に引き結び、そんなドワーフたちを見ていた。
「ゴルディルさん。妹のための道具、作ってもらえますか?」
私がにっこり微笑みながら、ゴルディルさんに問いかけると、彼はから揚げをひとつ口に放り込んで、
「わしは脂っこいものは好かぬ」
そういうと、グラスの中の酒をまた飲み干した。
「そうですか」と私はその様子を見ながら笑う。結局ゴルディルさんは、持ってきた米焼酎を三本飲み干した。
まだ、戦いは始まったばかり。
私は芳しい焼酎の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、じっとゴルディルさんのことを見つめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――二日目。
「……また来たのか」
「今日は麦焼酎です!おつまみは――……」
「お前さんの作るつまみはどれもこれも味が濃いな」
――三日目。
「魚の干物か……?固い。歯が欠けそうだ」
「そんな真っ白でびくともしなさそうな歯が!?」
「うるさい。兎に角固いものは好かん」
――四日目。
――ピピピピピ!
だるい体を無理やり覚醒させて、けたたましく鳴り響く目覚まし時計を止める。
連日の飲酒が思いのほか辛い。
右手で、ぐにっと自分の頬を触るとなんだか浮腫んでいる気配。
「……くっそう。今日こそは」
私はそうつぶやくと、頬を手のひらで何度か叩き、体に残った酒の名残を振り払った。
今日は芋焼酎を持っていくことにした。
一日目は米、二日目は麦、三日目はウイスキー……これまでの傾向から見るに、ゴルディルさんにはアルコール度数の高いお酒が合いそうな感じだ。だからこそ満を持しての芋焼酎。
芋の香りが独特な芋焼酎。これは好みの分かれるお酒だ。
なぜならその強い香りは人によっては臭みと感じてしまって、受け付けない場合がある。けれども、その香りも慣れれば癖になる。香りが強いため、炭酸や水で割っても香りが薄まらずに、純粋に焼酎の味を楽しめるのも魅力だ。
おつまみは大体なんでも合う。けれどもやっぱり本場が九州のお酒。
芋焼酎といったらこれだろう。私はさつま揚げをつくって持っていくことにした。
幸いジルベルタ王国は魚が豊富だ。
白身魚を見繕って、すり身にして揚げていく。
脂っこいものが駄目だと言われたけれど、これは魚だしそんなに脂分は感じないだろう。
さつま揚げとあとは……枝豆。ゴルディルさんは塩分控えめがどうやら好みのようだ。
あとはしそと大根の浅漬け。これも甘めに漬けてある。
ここ数日でゴルディルさんの大体の好みは掴んだ。
今日のメニューは先日までのリサーチを全て活かしきった自信がある。
「――うしっ!」
私は気合を入れて、今日も大食堂へと向かった。
「おお!お姉ちゃん!待ってたぜ!」
「今日のつまみは何だ?おお、美味そうだ~」
「はやくしてくれよー。俺、酒の量を減らして待ってたんだ」
「嘘付け!お前、さっき酒樽一個ひとりで飲み干してただろうが」
私が大食堂に入ると、顔なじみになったドワーフ達が、やんややんやと嬉しそうに声を掛けてくれる。
私は笑顔で適当に彼らを往なしながら、ゴルディルさんの下へ向かった。
「………………」
「今日も来ましたよ!今日こそお仕事始めて貰いますからね!」
相変わらずゴルディルさんは仏頂面だ。
私はそんなゴルディルさんには慣れてしまったので、グラスに氷を入れて芋焼酎を注ぐ。
――芋はお湯割りが好きだけれど、流石に今は夏だし。
とくとくとく、とお酒を注いだら、取り皿に料理を乗せていく。ゴルディルさんはおつまみはそんなに食べない。この一皿で焼酎2本は飲み干してしまう。これもこの数日で学んだ事だ。
私も自分の分を注いで、おつまみも取り分けたら、ゴルディルさんのグラスと半ば無理やり杯を合わせた。
カチン!と澄んだ音がして、中の氷がからりと揺れた。
「……お前さんは」
その時だ。珍しくゴルディルさんが自分から私に話しかけてきた。
「お前さんはそんなにも、聖女を……妹を死地におくりたいのか」
ゴルディルさんの視線は手元のグラスに注がれていて、こちらを見てはいない。
私はそんなゴルディルさんをじっと見つめる。
「わしらがこの国から頼まれたのは、浄化の最終地点。大陸の北の外れにある海に囲まれた穢れの島に行くためのものだ。そこはどこよりも邪気の噴出が多く、また流れの速い潮に囲まれているために、どこの軍隊も手を出せず放置するしかない、この世で最も澱んだ島だ。
あの島の周りは不思議と冬になり流氷が流れ着くと潮が止まる。今までは氷の上を渡り、周辺国の総力でもって魔物を狩っていた。放っておくと、氷を渡って魔物が大陸にやってくるからな……だが、邪気の急増期に入った今、あの島は今どういう状況になっていると思う?
そんなこと聞かれなくともわかるだろう。今までに見たことも無いくらいの量の邪気に侵された島には、濃縮された邪気に汚染されたとんでもねえ化け物がウヨウヨいるんだろうってことくらい」
ゴルディルさんは、静かに平坦な口調で語った。
「知ってるか。聖人フェルファイトスが死んだのも――あの島だ」
その静かな言葉が私の胸に突き刺さる。
「わしらが作ろうとしているのはあの島にたどり着くための氷上船。お前の妹が最期に乗ることになるかもしれねえもんだ」
ゴルディルさんは白髪混じりの剛毛に覆われた顔をこちらに向けて、じろりと睨みつけてきた。
「それでも、お前さんは妹を送り出すのか。わしにお前さんの妹の棺を作れというのか」
「………………」
私は手の中の芋焼酎を一気に煽る。
芋の強い香り、ほんのり感じる甘みとクラクラするくらい強いアルコール。
ぷは、と息を吐いて口元をぐい、と手の甲で拭った。
「――妹を、信じてますから」
喉の奥から声を絞り出す。
可愛い妹が危険な旅の空の下、いつ命を落とすかもしれない。そんなのは承知の上だ。
何度も何度も何度も何度も! そんな事、嫌になるくらい考えた事だ。
「私の妹は、絶対に私の元に帰ってくる。私にできるのは、そう信じて待ち続けるだけ」
「覚悟……しているということか」
唇が震える。喉から上手く言葉が出ない。
けれども、きちんと言わなければ。
「………………はい」
「……そうか」
視線に私のすべての想いを込めて、怖い顔をしているゴルディルさんを睨んだ。
暫く無言で見つめ合っていると、ゴルディルさんが長く、長く息を吐いた。
そして、さつま揚げをひとつ摘んで口に放り込む。
よく咀嚼して、ごくり、と飲み込んで酒を煽ると、ゆっくりと瞼を閉じた。
「美味いな」
私の胸がどきり、と高鳴る。
「じゃあ……」
「まだ、駄目だ」
私の浮かれた声をゴルディルさんは即否定した。
心の中で膨らんだ喜びの感情が萎んでいく。
そんな私をゴルディルさんは片目を開けてちらりとみて、ふっと微かに笑った。
「明日。明日、最高の酒とつまみを持ってこい。酒は初日のあれがいい。この揚げた魚のすり身も、あの緑の豆もだ。あと、お前さん、何か隠し玉があるんだろう? 何日経っても焦る様子がありゃしねえ。
それも持ってこい。明日、わしが満足できれば――作ってやる」
「明日……!」
「ああ。明日だ」
私はお腹の底から湧き上がる興奮をなんとか押さえ込む。ここではしゃいではいけない。そうだ、明日、明日が決戦だ!
私は勢いよく席を立つと、深く一礼をして明日の仕込みをするために大食堂を後にした。