異世界の市場
異世界の春が近い。
こちらに来た時は城の中にいても凍えるような寒さで、雪が深々と降り積もることもあった。けれど今は道端に雪はまだ残っているものの、若葉が雪の隙間から顔を出し、風は冬の冷たさを失いつつある。
ぽかぽか陽気に眠気を誘われつつ、馬車の小窓から外を眺める。見慣れない景色に否が応にも私の期待が高まる。
今日は食材の買い出しのため、護衛騎士数名とともに市場へ馬車で向かっている。
食材を買い求める為だ。
妹の食事を作るにあたって、初めはカイン王子全面協力の元、王宮の調理場から食材を提供してもらえるという事になっていた。
用意してもらった食材をずらりと並べられ、さあどうぞ! とやられた訳なんだけど、その瞬間私は思ってしまった。
――つまらないな、と。
料理とは、買い出し先で食材と睨めっこしながら、あーでもないこーでもないと、メニューをひねり出すのが楽しいのだ。時たま思いもよらなかった旬の素材と出会って急に献立が変わる事もある。朝に妹に宣言していたメニューと全く違うものを作って文句を言われるのも、ままあること。
ああ、用意された食材で、ただただ料理をつくるなんて!
常日頃、夕方の混み合うスーパーで値引きの瞬間を虎視眈々と狙い、獲物を手に入れることに快感を見出していた私としては、ぜひ自分で買い出しに行きたい。
異世界の店番の親父やおばさまと触れ合いつつ、値引き合戦したい。
そう思ってしまった私にとって、王宮の調理場から提供される最高級食材はもうなんの魅力も無くなってしまった。
その後、妹も巻き込んで、盛大にごねまくり市場への買い出しの権利を得た。
警備の面とか色々調整が大変だったろうに。カイン王子には足を向けて眠れない。
馬車の外の景色が、段々と賑やかなものに変わっていく。住宅が立ち並んだ区域から、商業地区に入ったらしい。ちらほらと店の前に品物を並べて呼び込みをしている店員などが見られるようになってきた。
思わず少し体を乗り出して外を眺めてしまう。
こちらに来てから、ひきこもり状態だった反動かもしれないけれど、私の頰はずっと緩みっぱなしで、随分とだらしない顔をしているはずだ。
「市場、楽しみですか?」
ふと、正面の席に座っていたジェイドさんが話しかけてきた。
彼はどうやら私専用の護衛騎士らしく、こちらに来てからずっとお世話になっている人。
短めの黒髪に綺麗な蜂蜜色の瞳が印象的で、いつも銀色に輝く鎧を身につけ、腰には大きな剣を佩いている。私がどこに行くにもついて来てくれる彼は、先日プリンをこちらに来てから初めて作った時も手伝ってくれた良い人。
所謂お貴族様なのだけど、偉ぶった所もなく、異世界から来た得体の知れない日本人の小娘を良く守ってくれていると思う。
「そんなにわかりやすく浮かれてましたか? ちょっと恥ずかしいですね。――でも、うん。そうですね、市場楽しみです。どんなものがあるんでしょうね」
浮かれている自覚はあったけれど、他人にもそう見られていたと分かるとなんだか気恥ずかしくなる。
ジェイドさんは、私の目をまっすぐ見つめて少し楽しそうに色々と教えてくれた。
「王都からそう遠くない場所に大きな港町がありましてね。お陰でここは魚介類が豊富なんですよ。ジルベルタ王国は、他国との関係も良好で、交易が盛んですから色々な国の品物が集まります。茜の気に入るものが見つかればいいのですが」
蜂蜜色の目を細めてそう言うジェイドさんの声はどこまでも優しい。
魚介類!と一瞬気持ちが沸き立ったけれど、彼の微笑ましいものをみるような視線にちょっと恥ずかしくなって、小さく「そうですね」と言った後、ジェイドさんから視線を外した。
ジェイドさんはいつもこんな感じだ。男の人と付き合った経験が殆どない私は、時々怖くなる。
護衛という仕事上仕方なく私と一緒に居てくれているジェイドさんが、護衛対象に優しいのは当たり前ではないか。私が護衛であっても仕事の効率を考えるとそうする。
――だから、彼の優しさは特別じゃない。
そう自分に言い聞かせる。
彼のような優しいイケメンはいけない。無自覚に自分の魅力をホイホイ振りまくものだから、私のような奥手女子は参ってしまうのだ。
もしも彼は私を好きなんじゃないかなんてうっかり盛大な勘違いをしてしまったらどうしてくれるのか。
そして、その勘違いが露見したらきっとみんなに笑われてしまう。
そんなのは御免被る。断固として。
私は下唇を軽く噛んで、心の帯を固く締め直した。
◇◆◇◆◇◆◇
「うわあ……!」
異世界の市場はとんでもなかった。
ジェイドさんの言った通り、魚介類を扱う店が一番多い。
そこには、とんでもなく大きな魚や、けばけばしい色をした貝類が並ぶ。大きな籠に横たわった翡翠色のマンボウの様な魚の目がぎょろりと動いてこちらを睨んだ時は、思わず悲鳴をあげそうになった。
どきどきしながら物珍しそうに見る私をみつけると、店員さんは丁寧に魚について説明をしてくれた。海の無い場所に住む人もたくさん訪れる王都で、魚屋を続ける秘訣は如何に上手に商品の説明をし、海を知らない人に魚を買わせるかにある、と魚屋のおっちゃんは誇らしげに語った。
八百屋では、日本のスーパーで見る野菜とは比べものにならないくらい色鮮やかな野菜たちに、瑞々しい果物が山盛りだ。いつだったかテレビで見たマルシェのように、木で作られた商品棚に野菜や果物がそのまま陳列されている。
時々店主が魔法を使って手から霧を吹いて、野菜に潤いを与えている。魔法でしっとりと濡れたトマトらしき野菜は実に美味しそうだ。
だけど、店を覗く度に味見をしろと手の中にぐいぐい食べ物を押し付けてくるのは困った。昔中華街に行った時の甘栗売りを思い出してしまい、なんだか妙な気分。ぱくぱく勧められるままに食べていると、それだけでお腹いっぱいになってしまってお昼が食べられなかった。……屋台の食べ物、期待していたのに。断りきれない自分の性格を呪いたい。
肉屋では、色々と衝撃的だった。
軒先に吊るされた絞めたばかりの鶏に、謎の角が生えている豚らしき生き物。籠の中からこちらを覗く毛むくじゃらのなにか。得体の知れない紫色の謎肉。
……正直ジェイドさんが居なければ近づけなかったかもしれない。肉屋が一番混沌として居たと思う。店の奥から、おそらく商品であろう生き物の鳴き声が聞こえる。同時にダンッダンッと刃物を振り下ろす音が聞こえ、思わず頰が引きつった。
……肉の仕入れに関しては王子に甘えてもいいかも知れない。そう思った。
道端にも様々な露店が並ぶ。
多いのは薬草やポーションの瓶を陳列する薬師たちだ。その一画は、漢方薬のような不思議な香りが漂う。
何に効くのかわからない色とりどりの瓶が並び、そのすぐ横に置かれた香炉から緑色の煙がもうもうと立ち昇り、澄まし顔の薬師はプカリと水煙草をふかしている。
そのなかで刺激的な香りのスパイスや、ハーブを売る怪しげなローブの老人をみつけた。みると薬師らしい人々が彼から商品を買い求めている。薬師のポーションの原材料を販売しているようだった。よくよく見てみるとスパイスやハーブに紛れて、トカゲらしきものの黒焼きや何かの目玉を見つけてしまった。……これを煎じるんだろうか。私はなるべく怪我や病にはかからないようにしようと決意した。
異世界の食材は、見慣れないものから元の世界で見知ったものまで様々だ。それに、一見私の知る食材の様に見えても、実際は違ったりするので驚きの連続だ。
例えばメロンの様な網目の果物を割ってみると、スイカの様な果実だったりする。果物ひとつとっても驚きがそこかしこに隠れていて、いつまでも見ていたいほどワクワクする。
だけど、見るだけなら楽しいそれも、料理人として材料を買いに来ている立場から見ると、中々やっかいだ。
作りたいものがあっても、材料がわからないとそれだけで難儀する。
妹の食べたいものはあくまでも「元の世界の料理」だ。
一筋縄ではいかない異世界の食材で、どう料理を再現していくか。私にはひとつだけあてがあった。
八百屋さんの前に陣取り、棚を眺める。
「茜、手を」
相変わらず優しい声で私に手を差し出すジェイドさん。その大きな手と、ジェイドさんの顔を交互に見て、私は小さく溜息を吐く。
そっと自分の手を彼の手に乗せて、なるべくジェイドさんの方を見ない様にして、目の前の果物に集中する。
すると、じわじわとジェイドさんの手から私に温かいものが流れてくるのがわかる。手のひらから順に身体に広がっていき、血管の中をじわりじわりとゆっくり広がっていく。それは、とても気持ちがよくて思わずうっとりしてしまう。暫くして、それが充分に身体を巡ったと感じたら、少しだけ目を細めてできるだけ小さな声で、こういう。
「鑑定」
すると、視界に不思議な黒いウィンドウの様なものが現れて、その果物について色々と教えてくれる。
……例えばこんな風に。
『リコリスの実
冬から春の雪解けの時期に収穫される果実。
小さな赤い果実は糖分を多く含むことから、ジュースに用いられることが多い。北方の雪深い地方では、春になると雪の中からリコリスの実を掘り起こし春を祝う。
砂糖漬けにした加工品は結婚の祝い品として人気である。
味は地球の「ブルーベリー」に似ている。』
これは魔法だ。
しかも、この世界の外から召喚された人間しか使えない珍しい魔法らしい。
妹曰く、異世界トリップにありがちな魔法らしいけれど、魔力を込めて「鑑定」というだけでこの世界のあらゆるものを調べることができるとのこと。
しかも、ご丁寧に元の世界の何に似ているかなんて説明付きで。
正直、これを知った時はなんて御都合主義な魔法だろうと内心呆れたけれど、これが馬鹿にできない。
見た目メロンなスイカが蔓延る異世界でまともな料理を作るのにこんな便利なものはない。
……そう、使わない手はない。頭では理解しているのだけど。
リコリスの実の鑑定を終え、ふと視線を感じてすぐ横に立っている彼を見る。
「……………………」
「……………………」
ニコニコと眩しい笑顔で、楽しそうに私を見つめるジェイドさんと視線が合う。
目が合っているのに、何故かお互い無言だ。
ジェイドさんはひたすらにこやかで。
私は顔を引き攣らせて、不自然な笑顔を浮かべている。
そんな違いはあるけれども。
「鑑定終わりましたので、手を離しませんか」
「まだ、他のものも鑑定するでしょう?このままで俺は構いませんよ」
「いえ、その都度で結構です」
「でも他のものも鑑定するんですよね?」
「はぁ、まぁ。その通りですが。何も繋ぎっぱなしにしなくとも。ほら、ご迷惑でしょうし?」
「俺は構いませんよ?」
「や、だから」
「構いません」
「………………」
魔法を行使するためには魔力が必要で、妹と違って私は特に魔力が多いわけでもなく、普通のスペックである。
だけれども、鑑定魔法はそこそこ魔力を必要とするので、連続で使うためには私のスペックじゃあとてもでないが魔力が足りない。
そこで、魔法も使える護衛騎士ジェイドさんが、私に魔力を融通してくれることとなった。
ありがたいことだと思う。思うのだけれど。
……ジェイドさん曰く、何故か魔力を融通するには手を繋ぐ必要があるらしい。後ろに立って、背中に手を当ててもできるらしいのだが、なぜか彼は手を繋ぎたがる。いつもの笑顔でそれが一番効率がいいと、私の手をぎゅうっと握るのだ。
それなら……まぁ、仕方ないので諦めるけれど。毎回なぜか鑑定を終えてジェイドさんを見ると、非常に楽しそうに私を見つめているのだ。勘弁してほしい。時折、親指の腹で私の手をスリスリするのもやめてほしい。なんだかいたたまれなくなる。
綺麗な蜂蜜色の瞳が、こっちを見ていると思うとなんだかお尻のあたりがムズムズする。
……なんだろう、なんなんだろう。こっちは勘違いしないように頑張って心を宥めているというのに、この人はいつも楽しそうに優しく見てくる。頭の隅っこで、もしやジェイドさんは私に気があるんじゃないかとか、変な妄想が湧いてくるではないか。
――本当勘弁して。
心の中で悲鳴をあげながら、早く終わらせるために必死で鑑定を繰り返して、必要な食材を買い求めていった。
おかげで必要なものは大体揃った様に思う。
さぁ、今晩の夕食は妹の大好物にしよう。
そう思って、手を繋いだ事なんて何でもなかったように表情を装いつつ、ジェイドさんに魔力のお礼を言いながら、さりげなくそっと彼の手を離した。