ひより視点 妹とふわとろたこ焼き 後編
ホットプレートに手をかざすと、かなり熱を持っているのがわかる。
――よし。充分に温まった。
私は油をハケに染み込ませ、鉄板に塗っていった。
「弟子よ……全ては油を塗ることから始まるのだ」
いつもより大きくハケを動かして、なんだか凄いことをしている感をだす。
そんな様子をふたご姫は固唾を飲んで見守っている。
そこで私は、一瞬説明を躊躇した。
……子どもにわかりやすいように説明するにはどうすればいいだろう? ふたご姫は4歳らしい。幼稚園児にもわかりやすい表現。……私は自分のインスピレーションに任せることにした。
「これを忘れると、後でくるんと出来なくてべっしゃーで、ぼろぼろになるので注意するように」
「なるほど。くるん、べっしゃー」
「なるほど。ぼろぼろになる!」
「わかったか! お前たち!」
「「おししょうさま! わかりました!」」
私の意図は、ふたご姫にきちんと伝わったようだ。
もしかしたら、私は何かを教えることに向いているのかもしれない。
何故か遠くの方で、ガタガタガタッと異音がしたけれど、きっと鶏小屋の鳥が飛んだのだろう。
私はたこのはいった皿を手に取ると、たこ焼きプレートの穴に一つづつ入れていく。
すると、熱くなったプレートに接したたこがじゅうう、と焼ける音がして少しだけ身を縮めた。
全ての穴にたこが入ったら、生地を流し込んでいく。
おねえちゃんのたこ焼きの生地は、濃いめの出汁にたっぷりの卵を入れたもの。これが焼きあがると、本当にふわふわになって美味しいのだ。
穴から溢れるくらいたっぷりと生地を注いだら、青ネギ、天かすをたっぷり散らす。具はケチケチしないのが美味しくなる秘訣。
後は生地が固まるのを待つ。
この見極めが重要だ。
早すぎても上手くひっくり返せずにぐちゃぐちゃになるから駄目、遅すぎて固まりすぎても駄目。
――ふたご姫にいいところをみせなきゃ。
私は師匠なのだから失敗はあり得ない。
確実に――決める!
次第にふつふつと生地が沸いてくる。
私とふたご姫は、たこ焼きの生地のいかなる変化も見逃さないように、唯々真剣に生地の表面を見つめた。
居間は静まり返り、遠くで鳴く鶏の声だけがわずかに聞こえるのみ。
――今だ!
私は徐に串を手にして、すちゃっ! と、アニメの暗殺者が武器を構える様に串を逆手に持ち、そのままたこ焼きの生地を弄ろうとして――結局普通の持ち方に戻した。
「おししょうさま、今の動作には一体どんな意味が?」
「おししょうさま、今の動作にはどんな深い意味が?」
「ふ。奇を衒わず、実直に生きよとの師からの教えよ!」
「「おおおおー」」
……かっこよくやろうとしたら、やり辛かっただけなんだけどね!
あまりにもふたご姫が私をキラキラした瞳で見つめてくるので、思わず顔がにやにやしてしまう。
ふたご姫の反応がいちいち面白くて、悪ノリがやめられない。親戚の悪ガキと違って、ふたご姫は素直に私の話を聞いてくれる。そのことも私を調子づかせる一因になっているのだろう。
――ああ、なんて可愛い。
金銀のふたご姫は綺麗で可愛いくてまるでお人形のようだ。そんな子たちが楽しそうに生き生きとした様子で、全幅の信頼を寄せてくるのだ。デレデレとしてしまうのは致し方ないだろう。
……それに、昔から妹という存在に憧れていたことだし。
おねえちゃんみたいに、あったかくて優しい姉。そんな風になれたなら……なんて、何度想像したことか。
それがこの一時だけだけれど、実現できていることが本当に嬉しい。
私は緩み続ける頰をなんとか引き締め、たこ焼き作りを再開する。
串で溢れた生地を軽くまとめると、周りだけ固まって中はまだ半熟の生地を、90度だけくりん、とひっくり返した。
この時点で固まった生地は穴に向かって垂直に立ち、固まっていない生地は穴に溜まっている状態だ。
「変な形ねシルフィ、半分だけ?」
「不思議ねセルフィ、半分だけ?」
全部ひっくり返した方がいいのでは?という視線を向けてくるふたご姫に向かって、私はにやりと笑った。
「ふふふ、こうすると中が空洞になるのだ、弟子よ。それによって、空洞の中が蒸されて食べた時にとろーっとなる! これがとろとろふわふわのたこ焼きにするための秘訣……覚えておくがいい!」
「とろとろ……」
「ふわふわ……」
「「素敵!」」
感激しているふたご姫を尻目に、私はちゃちゃっと全体の半分だけひっくり返す。
そして、私は串をふたご姫に手渡した。
まさか自分たちがやるとは思っていなかったのか、ふたりは顔を見合わせて頰を赤く染めた。
「さあ、やってみよ!」
「「はい! おししょーさま!」」
ふたご姫は、ちゃぶ台に手をつき体をうーんと伸ばしながら、串を使って不器用に生地を纏めて、苦労しながら生地をひっくり返していく。
私は口と手が出そうになるけれど、我慢して見守ることに努めた。
……一生懸命やってる時に手出しをされると、凄くイラつくからね。
ふたご姫はひとつできるごとに、「うまくできた」やら「わたくしのほうが上手」やら言い合い、競争しながらも楽しそうに生地をひっくり返していった。
ふたご姫のぶんが全部終わる頃には、私がひっくり返したぶんはいい感じに生地が固まっていたので、更にくるりと生地を回す。
「まんまるだわ! シルフィ!」
「まんまるね! セルフィ!」
生地の表面がきつね色に色づき始め、じゅうじゅう焦げる音がする。油でてらてら光るまんまるのそれは、ここまできてやっとたこ焼きらしくなってきた。
全部生地を回し終わると、焦げない様に串でくるくるたこ焼きを回す。時たま生地が足りなくて、中のタコが見えているものがあるけれど、それはご愛嬌。
――おねえちゃん、遅いなあ。
もうできてしまうのに、おねえちゃんの姿はまだ見えない。私はうーん、と考えて台所からソースと青のり、鰹節、マヨネーズを持ってきた。
小皿にひとつずつ取り分けて、ソースをかける。
「おねえちゃん達が帰ってくる前に、味見しよう!」
「「味見?」」
「そう! みんなより先に食べるの。味見は作った人の特権なのよ!」
「「とっけん……」」
顔を見合わせるふたご姫に「特別ってこと」と教えてあげると、ぱっと顔を綻ばせて嬉しそうだ。
小皿をふたご姫の前に置く。その上のソースがすでにかかったたこ焼きに、青のりと鰹節をのせると、熱で鰹節が踊り出した。
「動いてるわ! シルフィ!」
「生きてるみたいね! セルフィ!」
「はいはい、いいからいいから。さあ、食べよう! いただきます!」
正直お腹が空いて空いて仕方がなかったので、驚くふたご姫を半ば無理やり黙らせて、私は両手をぱん!と合わせて食べ始める。
ふう、ふう、と慎重に息を吹きかける。
こいつの中身が、まるでマグマのように熱いことは知っている。
迂闊に食べるとやけどをしてしまうことも。
けれど、冷ましてから食べるなんてとんでもない。こいつの美味さはその熱さの向こうにあるのだ。
気合を入れて、一個丸々をひと口でぱくりと頬張る。
「あっ……つぅ!」
カリカリッとした生地の表面に噛み付くと中からどろりとした熱々の生地が口の中に溢れ出した。
途端に舌が、そして口内が熱さでビリビリと痺れる。
はふっはふっと、口の中の熱を必死で逃がして、何とかその熱に耐えていると、暫くして熱に慣れたのか漸く味を感じることが出来てほっとする。
たこ焼きの一番美味しいところは生地だ。
しっかりと鰹節と昆布の出汁が効いた生地は、甘めのソースとの相性は抜群。
外側のカリカリの下に存在する、卵たっぷりのふわふわ階層の食感は、食べていてなんとも楽しい。
とろっとした中心部分は口の中にまったりと広がって、ほんのりしょっぱい薄口しょうゆの風味がこっそりするところもいい。沢山いれた青ネギの風味もいいアクセント。
生地を味わっていると、こりっとしたたこに行き着く。
忘れちゃいけない。たこ焼きだもの、たこも楽しみの一つ。
たこははじめはソースやら生地の味に負けて、余り味を感じることが出来ない。だから食感だけを楽しむ。そしてもぐもぐと味わいながら食べているうちに、覆っていた生地は全部喉の奥に消えて、最後に残るのがたこ。
その時点でやっとたこの甘い味がしてくる。
噛めば噛むほどしみてくるたこの味。思いがけずに大きいたこが入っていたときの嬉しさは、心踊るものがある。
そこで私は、はっ!と気がついた。
――マヨネーズかけるの忘れた!
なんて事だ。ソースとマヨネーズの黄金コンビを忘れるなんて私らしくない!
慌ててお皿にもうひとつたこ焼きをとる。
そして、今度はたっぷりとマヨネーズとソースを掛けた。そして一口で食べる。
たこ焼きはいい感じでちょっとだけ冷めているので熱さで悶えずに済んだ。ソースの濃い味とマヨネーズのまったり酸っぱいまろやかな味が、とろとろに混ざり合って堪らない!
しょっぱくてまろやかなマヨソースと鰹節の旨味。これぞたこ焼き! という味だ。
――うん。美味しく出来たんじゃない?
たこ焼きをごくりと飲み込んで、思わず頬をゆるませる。
おねえちゃんの作るたこ焼きに負けないくらい美味しく出来たと思う。
ふたご姫のほうを見ると、熱さに苦戦したのか、まだ口の中のたこ焼きと格闘している。
ふたご姫にとっては初めての味。どういう反応が返ってくるか不安だったけれど、見る限りぷくっとしたほっぺは真っ赤だし、目はとろっと細められていて眉毛も下がっている。顔を見れば美味しいと思っていることは一目瞭然だ。
でも、どういう感想が口から出るかはまだ判らない。
私はどきどきしながら、ふたご姫が食べ終わるのを待った。
ふたご姫はごくん、とほぼ同時に飲み込むと、いつもやるように顔を見合わせる。
そして、ぱっと同時にこちらを向いて、
「「おししょうさま!とってもおいしいわ!」」
そう言って、破顔一笑した。
それがあんまりにも嬉しくて、ぶるぶるっと体の底から喜びが湧き上がる。
自然と口がへらりと綻んで、だらしない顔になってしまったのは仕方の無いことだと思う。
「ひより!」
そこに、おねえちゃんがジェイドさんや、知らない騎士さんを連れて戻ってきた。
騎士さんは多分ふたご姫の護衛騎士なんだろう。
ふたご姫に「キモイ」だの「寄らないで」だの言われて喜んでいる。
……変態? なのかなあ。
おねえちゃんはホットプレートのたこ焼きを見て、「凄い美味しそう! ひよりやるじゃない」と嬉しそうだ。
私はふふん、と胸を張って「食べてから言ってくれない?」と偉ぶった。
おねえちゃんは私の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、「生地とか材料は私が用意したんですけどねえ」と笑っている。
そんなおねえちゃんに「焼きが重要なのだよ、焼きが!」と反撃してふざけあった。
「じゃあ――……いただきます!」
たこ焼きはジェイドさんや、変態さんにも好評で見る見るうちに無くなった。
次の周回では、ふたご姫が変態さんに作り方を教えたり、おねえちゃんがこっそりビールを飲んだり、大分騒がしかったけれど、その日の昼食はここ最近の中で一番楽しかったのは間違いない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ふたご姫と変態さん――クルクスさんというらしいけれど、覚えられそうにない――が帰って、縁側で冷たい麦茶を飲む。
私にとって、ごくごく飲む真夏の麦茶ほど美味いものはないと思うけれど、きっとおねえちゃんはビールが一番とか言うんだろうなあなんて、適当なことを考えていたときだった。
おねえちゃんが少しまじめくさった顔で横に座ってきた。
ちら、とおねえちゃんの方を覗き見る。
こういうときのおねえちゃんの話は重いときが多い。
――なんだなんだ、私なにしたっけ。
――もしかして、戸棚の中の貴重なポテトチップを食べたのがばれた!?
――それともおねえちゃんの洋服を勝手に借りて、更に汚して返したのがばれたとか!?
身に覚えがありすぎて、嫌な汗をかいてきた。
だらだら汗をかいて、顔を青くしている私におねえちゃんは深刻そうな顔でこう切り出してきた。
「ひより、ひよりはさ……まだ先の話だけどさ」
「うん」
「浄化の旅が終わった後は、どうするの? 元の世界に戻って、高校……行くんだよね?」
思いがけない言葉に、びっくりして思わずおねえちゃんをみつめる。
おねえちゃんは、やたら緊張している。まるで私の答えを聞きたいのに怖がっているみたいで、なんだか変な感じだ。
とりあえず、変に勘繰っても仕方がないので、私は自分の考えを正直に話した。
「うーん。正直、終わってみないとわからないけど。元の世界に戻って高校生活を楽しむのもありだし」
「……うん」
「このまま異世界に残って、あっちの世界じゃ絶対に見れないような景色を観に、諸国漫遊するのもいいね!」
おねえちゃんは、私の言葉を聞くと顔を曇らせた。
「……まだひよりは高校生でしょう。私、てっきり聖女としての役目を終えたら、戻るものだとおもってた」
「まあ、どうするかはそのとき決めるよ。もっと勉強したい気もするし、折角こっちの世界でいろんな人と会えたんだから、それを簡単に捨てるのも勿体無い気もするしね」
おねえちゃんは黙りこくって何やら考え込んでいる。
何か悩みがあるのだろうか。
……未来のことについて不安があるんだろうか。
おねえちゃんはいつもひとりで抱え込んで、ひとりで泣いて、ひとりで完結するところがある。
それは、おねえちゃんの今までの生活から考えると仕方のないことなのかもしれないけれど、なるべくなら溜め込まないで私に相談してほしいと思うのは、散々おねえちゃんに迷惑をかけてきた私にとっておこがましい事なのだろうか。
『いい加減、おねえちゃんから自立しなさい』
夢の中で言われた言葉を思い出す。
そんなこと、言われなくたってわかってる。私がおねえちゃんに甘えすぎで、依存しているってことぐらい。
両親の死後、親代わりとしてずっと私の面倒を見てきてくれたおねえちゃん。勿論おじいちゃんやおばあちゃんもいたけれど、いつだって寂しい時に隣にいてくれたのはおねえちゃんだった。
おねえちゃんは私にとって大切で、大好きな存在。私に一番近い家族。だけど、おねえちゃんはお母さんにはなり得ない。本当は私と一緒で、おねえちゃんだって誰かに甘えたい筈だ。
だから、早く一人前になっておねえちゃんから自立しなきゃ。おねえちゃんの邪魔にならないように、おねえちゃんを応援できるくらい強くなりたい。
ふと脳裏にさっきのふたご姫の笑顔が浮かんでくる。
もし、私が聖女としての仕事をやり遂げて、自分の人生の岐路に立たされたとき。
ああいう笑顔が沢山見られるような道を選びたい。
心の底からそう思ったから、自然と口から言葉が漏れ出た。
「多分私が異世界にこなかったら、普通に高校に行って大学に行くか、就職するんだろうけど。でもさ、おねえちゃん。今の私たちは異世界にいるんだよ。無理に元の世界の柵に囚われることはないと思わない?」
私がそう言うと、おねえちゃんは一瞬ぽかん、とした。
「……そうだね。私たち、今、異世界にいるんだもんね……」
「そうだよ。おねえちゃん、私たちは今普通じゃない体験をしてるんだよ!」
私は大きく手を広げて、真っ青な空を仰ぎ見る。
異世界なのに、空の広さは日本となんにも変わらない。いや、こっちのほうが空気が綺麗なぶん、青色が濃いような気もする! そんな空を飛んでいるのは飛行機じゃない。大きなドラゴンに、得体の知れない怪物たち! 空気に溶け込んでるのは、PM2.5でも排気ガスでもない、不思議な魔法の力だ。
「きっと浄化の旅が終わったとき。私たちが選べる選択肢は、普通の女子高生なんかよりもずっとたくさんあるんだよ。どんな選択肢があるのかは今はわからないけど……だから、今からどうしようかって悩んでるのって勿体無いよ」
「ひより……」
「私は元の世界じゃあおねえちゃんに守って貰うばっかりだった。だけどね、この世界じゃ違う。私には力があって、私にも……ううん、私にしか出来ないことがたくさんある。私、自分にしか出来ないことを成し遂げたい! やりたいことをやりたい!」
――そうだ。私は誰かが敷いてくれた道じゃなくって、自分で自分の道を選びたい!
「私、勝手でしょ。自分のことばっかり! でも、自分のことは自分でなんとかする」
……おねえちゃんから自立する。浄化の旅が終わったら、そうしよう。
今決めた! これで決まり。勢いで決めたし、後々後悔するかもしれないけど、それでもいい。
「だからおねえちゃんが私にずっと付き合う必要はないんだよ。……おねえちゃんも、私のことは気にしないで、おねえちゃんのやりたい道を選んでいいんだよ。わたし、おねえちゃんのやりたいこと、絶対に応援するから!」
一気に私の想いを吐き出し終わったとき、おねえちゃんは下唇を噛み締めてなんだか泣きそうだった。
こんなおねえちゃん初めて見る。
私の勝手な願いは、おねえちゃんを傷つけてしまったのだろうか。
でも、おねえちゃんごめん。これだけは譲れない。
おねえちゃんの床に置かれた手に、自分の手を重ねる。
私の言葉で、おねえちゃんを傷つけることもあると思うけど、きっと救うことも出来るはず。おねえちゃんが救われるなら私はいくらだって言うよ。
おねえちゃんが私にしてくれたように、私だっておねえちゃんの力になりたい。
「おねえちゃんのやりたいことを応援する。それが妹でしょ!」
そういった瞬間、おねえちゃんは顔をぐしゃっと歪めて、不器用な笑顔で「……ありがとう」って言ってくれた。
それ以来、おねえちゃんは時々何か考え込んでいる。
……私にとって、おねえちゃんはすっごい大人でいつも正しいことばっかり選べて、何にも迷うことなんてないんだと思ってた。だけど、違うんだね。おねえちゃんだって色々と迷うことがあるんだ。
おねえちゃん。私たち、これからどうなるんだろうね。これから先、自分の道を選ばなきゃいけなくなった時、どんな選択をするんだろう。
思いがけず来てしまった異世界の空の下、私たちの未来はまだ――はっきりと見えていない。