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晩酌5 ハイボールと恋心 後編

 居間へお盆に載せた料理を持っていくと、王様とダージルさんの姿がない。


 縁側の方をみると、ちゃぶ台を縁側に移動させ、どこからか持ち込んだ大量のふわふわのクッションに座って寛いでいる王様の姿があった。

 私の出したお茶には手を付けずに、ワイングラスを片手に優雅に飲んでいる。既に手土産の葡萄酒を開けているらしい。


 ――お土産じゃなかったのかい。


 まあ、酒好きあるあるだからあまり気にはしないけれど。自分の飲みたいものを土産と称して持ち込んで、持ってきた本人が一番満喫する。そりゃ自分の飲みたいものなのだ、美味いに決まっている。それを我慢するなんて、修行僧でもなければ無理だ。酒飲みは、アルコールに関してだけ非常に自分に甘くなるのだ。


 ――ああ、駄目人間。我が同士。

 ――だけど、持ってきたお酒を飲みきるのはやりすぎだと思うけどね!


 王様に、ぬるい視線を投げかけつつ、盆をちゃぶ台に置いて、ダージルさんを探した。



「あれ。なにしてるんですか、ダージルさん」

「おお! 茜! 出来たか! 待ちくたびれたぞー!」



 ダージルさんが汗を拭きながら庭で焚き火をしている。袖を肩まで捲り上げて逞しい腕を晒し、一生懸命薪をくべている。

 庭には何処からか持ち込んだ椅子やテーブルまで並べてあり、まるでキャンプをするかのような有様だ。


 ――ここ、城の中庭なんだけどいいの? ていうか、どんだけ持ち込んでいるの?

 ――ダージルさんは張り切りすぎた、休日のアウトドア派のパパか何かなの?


 焚き火に関しては、最高権力者がなにも言わないのだから、恐らくいいのだろうけれど。



「茜、後でチーズを串に刺して焚き火で炙ろう。とろっとして美味いんだこれが」



 なにそれ、素敵!

 ダージルさんの提案に心が湧き立つ。

 大昔みたアニメの中で、パンの上にとろけたチーズをのせるシーンがあったけれど、子供心に羨ましく思ったものだ。今回のこれは正にそれに匹敵する浪漫。

 ああもう、ダージルさんが本格的に張り切り休日パパにしか見えない。最終的にパンを焼こうとかマシュマロ焼こうなんて言われたら、ダージルさん家の子供になってもいい。



「ダージルさん、お酒飲んでもいいですよ!」

「はっはっはっ! やったな!」



 うきうき気分につられて、思わずダージルさんの禁酒を解禁すると、ダージルさんは白い歯をにっと見せて、親指をぐっと突き立てた。



 色々な準備も終わり、折角なので焚き火まわりで飲むことにする。なんだかキャンプに来たみたいで胸が躍る。

 テーブルの上には手羽先の唐揚げに、変わり枝豆。あと流石にみんな濃い味なので、きゅうりと大葉の浅漬けも用意した。

 因みに大葉――青じそはうちの庭に生えている。

 随分前に祖父が育てていたのだけれど、知らぬ間に野生化して、夏になると雑草のように大量に繁っているのだ。売っているものに比べると、大きさもまちまちだし、少し噛み応えがあるような気がするけれど、しそはしそだ。有り難く使わせて貰っている。



 料理が整ったところで、お酒作り。ハイボールを作ることにする。


 ハイボールを美味しく作るためには、ちょっとした工夫が必要だ。グラスに氷を入れて、マドラーでくるくるまわす。すると、グラスが冷えて氷が溶けづらくなるのだ。溶けた水はこの時点で捨てるといい。

 そして、ウイスキーを注いで、またくるくる混ぜる。これも、ウイスキーを冷やすため。氷が余分に溶けると薄まって美味しくない。

 そして、炭酸を氷を避けて静かに注ぐ。大体ウイスキーと炭酸の割合は、1対2くらいだろうか。

 最後にマドラーで一回だけくるりと混ぜる。

 あんまり混ぜると炭酸が抜けてしまうから注意だ。



 しゅわしゅわしゅわ……



 グラスの中で、炭酸が弾ける。ウイスキーの琥珀色が炭酸で薄まってもなお綺麗に発色して、立ち昇る細かい泡、透明な氷と合わさってとても涼しげな見た目だ。

 人数分のハイボールを用意して配ると、王様とダージルさんは、グラスから香るウイスキーの芳醇な香りに、目を見開いて頰を緩ませた。

 わたしも手の中のグラスを目を細めてみつめる。


 今日の晩酌はハイボールによるハイボールの為の晩酌。

 わたしの中の期待が膨らむ。

 早く飲みたくて飲みたくて周りを見回すと、みんなもグラスを手に待ちきれない顔だ。

 私は王様をみた。こういう時の乾杯の音頭は、立場の高いひとがするものだ。

 だけれど、王様はにやりと笑って、私にやれと言わんばかりに顎でしゃくってきた。


 ――むむ。任せられてしまった。


 仕方ないので、こほん、と咳払いをしてこう言った。



「では、いただきましょう。乾杯!」



 ちん、とグラス同士がぶつかり合う高い透き通った音があたりに響き渡った。



「ほほう。この弾ける水で割った酒は飲みやすいな。それになかなか喉越しがいい。……香りも好みだ。ドワーフの作る酒に似たような風味の酒があったな。懐かしい」



 王様がハイボールを飲んで、嬉しそうに笑った。

 この国で飲まれるお酒といえば葡萄酒が大半だ。火酒などの蒸留酒は、ドワーフが住まう国ではよく飲まれているのだそうだが、ジルベルタ王国ではあまり飲まれていない。ジルベルタ王国の特産が葡萄酒、というのも理由の一つだろう。


 ……そんなに高いウイスキーではなかったから、正直言って不安だったけれど、気に入ってくれたようだ。


 ほっと胸をなでおろし、私もひとくちハイボールを飲む。

 きんきんに冷えたハイボールは、昼間の暑さを忘れさせてくれる、なんとも夏らしい爽やかさ。しゅわしゅわ口の中で弾ける炭酸が、日頃の暑さで疲れた気持ちをさっぱりさせてくれる。

 そして、その後に追いかけてくるウイスキーの芳醇な香りと、くらっとする程よいアルコール。

 舌先に仄かに感じる甘み。鼻を抜ける木の香りもどこか甘さを含み、心地よいまろやかな味は優しい酩酊感を与えてくれる。


 ――うう、美味しい……。

 私はハイボールの余韻に浸りつつ、おつまみに手を伸ばした。



 まずは枝豆。ピリ辛のタレに漬かった枝豆を口に含んで、ちゅっと豆を口の中に出す。

 こりこりした枝豆を噛みしめると、刻んだ生のにんにくの強力な香り。唐辛子のぴりっとした刺激。醤油と胡麻油の香ばしさが、食欲をそそる。

 刻まれた生のにんにくのパンチ力は物凄い。一気に口の中がにんにくに染まる。だけれど、匂いなんて気にならなくなるくらい、止まらなくなる中毒性がこの枝豆にはある。美味しくて食べていると、口の中がだんだんしょっぱくなってきて、ついついお酒をぐいぐい飲んでしまう、危険な飲酒専用起爆剤だ。


 ぐいっとハイボールを煽る。

 しゅわしゅわが辛みを流してくれて、ほっと一息。……でも、直ぐに口が刺激を恋しがる。ついつい枝豆に伸びる手を止められない。

 私が枝豆ばっかり食べていると、王様がなんだか興味津々な目でこちらを見ていたのに気付いた。

 ……最高権力者に見られていると非常に居心地が悪い。



「ああ。すまないな。女性が美味しそうに酒を飲む姿があんまり珍しいから、ついつい見てしまった」

「……いえ。いいのですけど。この国では女性はあまり飲酒はしないのですか?」

「いや? 食事時には葡萄酒は付きものだし、舞踏会などの社交場にも酒は必ず用意してある。――だだ、私の知る女性はみんな澄ました顔でひとくちふたくち飲んだらおしまい、なんて女性ばかりだからな。大きなグラスで幸せそうに酒を飲んでいるのは、私の知る限り其方くらいだ」



 そうか、庶民ならいざ知らず、貴族社会で生きている王様からみたら、普段会う女性は場をわきまえマナーをきっちりと叩き込まれた淑女のみ。お酒をガバガバ飲んでいるような女なんて出会う機会なんてないのか……。


 そこで私はとある衝撃的な事実に、ここにきてやっと気付いた。

 ちら、とジェイドさんの方を見ると、焚き火の反対側でダージルさんと楽しそうに何かを話している。

 ジェイドさんだってお貴族様。きっと今まで出会った女性は、みんなお淑やかで、美しく、お酒なんかより、お茶とお花を愛するような可憐な乙女ばかりだったに違いない。

 そんなジェイドさんからみた時の私を想像してぞっとする。



 ――たいした美人でもなく。

 ――大酒飲みで。

 ――淑女らしいマナーも身についておらず。

 ――味見と称してつまみ食いしまくる、がさつ女。



 おう……。終わったわ。私、本格的に終わった。

 じわっと涙が湧いてくる。気持ちを封印どころの騒ぎじゃない。それ以前の問題だった。女として終わっている。なんてこった……。



「お、おい……。どうしたのだ。いきなり涙ぐむなど、私が虐めたようではないか。ほら、これで拭け」



 王様が慌てたように懐から絹のハンカチを取り出して、私の手に押し付けてきた。


 ――わあ、すべすべ。


 いきなり手の中に飛び込んで来た上等な手触りに思考がブレる。そのお陰で一旦涙がひっこんだのだけれど、続く王様の言葉にまた涙が滲んできた。



「さっきのは違う。悪い意味じゃなくてだな? ああ……えー……。つまりアレだ、そこら辺の男よりもたくさん飲む上に、楽しく酒が飲める女は珍しいから、面白いなと」

「フォローになってないじゃないですか! しかも、ち、珍獣扱いですか!? うぅ……まあ、私なんて異世界から来た珍獣みたいなものですけれど!」

「なぜ更に泣くのだ! 其方は意外と思考が後ろ向きだな? そうじゃなくてだな、ああもう。涙が止まらぬではないか。全くダージルに知られたら、面白おかしく揶揄われかねん。……少し待て」



 そういうと、王様は懐から異常に装飾過多なナイフを取り出し、お土産に持ってきたチーズをスライスして、それを串に刺して焚き火で焙り出した。



「其方は、美味いものに目がないようだからな」



 そう言いながら、表面がふつふつと炙られて沸いてきたチーズを、くるくると回す。



「これはな、迷宮の奥に生息する特殊なカビで発酵させたチーズでな。こうやって火で炙ると、とんでもなく柔らかくなるのだ」



 とろりと溶け出したチーズは、くるくる回ると遠心力で丸く形を変え、最終的には棒付き飴のような姿になった。

 王様は困ったような顔でそれをすっとこちらに差し出した。



「ほれ、美味いぞ。食うがいい。……それで、泣きやめ。頼む」

「…………」



 ぐす、と鼻をすすってそれを受け取り、口へ持っていく。

 熱そうだったので、ふうふう息を吹きかけて、恐る恐る一口齧る。口から串を離すと、チーズがびろーんと伸びた。



 ――ふおおおお!



 思わず感動で心が震える。

 凄い!この伸びる感じ、テレビとかでよく見るやつだ!

 顔をふりふりして、苦労してチーズを千切る。

 はみ出したチーズを唇ではむはむと口の中に収めて、漸くひと噛み。すると、とろけていたチーズが口の中の熱でさらにとろとろにとけた。

 鼻を抜ける乳の香り、ねっとりと口の中に広がる濃厚なチーズのまろやかな味。



「〜〜〜〜!」



 ……堪らなく美味しい!

 その美味しさに悶える私に、王様がワイングラスを渡してきた。みると、王様の手には例のお土産の葡萄酒。

 ――おお、ダージルさんの給料3ヶ月分の葡萄酒!

 もう一本あったらしいその葡萄酒をワイングラスに注いでくれた。



 ……とく、とくとくとく。



 出来れば御土産のお礼を王様に言ってから飲みたかったけれど、今は口の中がチーズの味で緊急事態だ。有り難くその葡萄酒を頂くことにする。

 くる、とグラスを回して、香りを嗅ぐ。それは薄く金色に染まった白の葡萄酒。ふわりと芳醇な葡萄の香りがする。


 ――ん。いい香り……。


 私は目を細めて、ひとくち葡萄酒を含んだ。

 途端鼻を抜ける花のような芳しい香り。口当たりはとても軽くて、酸味はあまり感じられない。充分過ぎるほどの果実感のおかげで、とても飲みやすい類の葡萄酒だ。最後にすうっと舌に残る深味と余韻はチーズに最高に合う。

 涙なんかとっくの昔に引っ込んだ私は、思わずうっとりとして、飲み込んだ後も未だ残る葡萄酒の余韻に浸った。



「はは。泣き止んだか。美味いだろう、このチーズにはこういう果実感が強い葡萄酒が合うのだ」



 王様は優しい顔で、手の中のグラスの中の葡萄酒を見つめる。



「はい。とっても美味しいですね……。口の中が幸せです」

「幸せか。我が国が誇る葡萄酒を、そう言って貰えると嬉しいものだ」



 そう語る王様の瞳はどこまでも優しい。

 ――自分の国を愛しているんだなあ。



「其方の世界の酒もなかなかイケる。……欲を言えば、割らないままストレートで飲んでみたいのだが」



 王様はそういってニヤリと笑った。

 ナイスミドルの王様のそんな表情は、正直言って反則なくらい色っぽい。

 私も不敵に見えるように意識して、ニヤリと笑いかえした。



「――……このウイスキーは、ストレートよりロックの方が香りが立って美味しいですよ」

「ほほう。それは興味深い」

「……ナッツも用意しましょう」

「ふむ。それはいいな。茜、用意している間にチーズをもうひとつ炙っておこう」

「王様手ずから……恐れ多いです」

「ふ。気にするな……其方と私の仲だろう……」

「くっくっく……王様、あなたも……」

 ――つくづく酒好きですなあ。



 話をしながら、ふたりでにんまり悪い顔をする。

 気分は何故か悪代官。……このノリについてこれる王様の凄さよ。

 うきうきと台所に向かいながら考える。

 多分王様と私のお酒の好みは一緒だ。

 お酒を愛する心もどこか似ている気がする。

 言うなれば、居酒屋でたまたま出会ったおっちゃんと意気投合するような感覚。

 ……いや、王様をそこら辺の酒飲みのおっちゃんと同列視するのはどうかと思うけれど。

 そんな私の後ろ姿を見送りながら、男性陣がなにやら話しているのが聞こえた。



「わが国の王は、うら若き女の子をなに泣かしてるんですかねえ?」

「……ダージル、やはり気づいていたか? ……もう笑っているから問題ないだろう。美味い酒とつまみは何よりの薬だ」

「それにしても、美味いものを与えれば泣き止むんだなあいつ……餌付け出来そう……」

「何を言ってるんですか、団長。ご自分のことをよくよく思い返してください」

「んん? なんだあ?」

「餌付けされているのは、我らですよ……」

「はっはっはっ!正しくそうだな!そして、其方がいの一番に餌付けされた。違うか? 護衛騎士よ」

「自覚しております」

「胸を張っていうなよ、ジェイド」



 最後あたりは、台所にいたせいかよく聞こえなかったけれど、男性陣も楽しそうに話しながら飲んでいる。

 グラスとピスタチオを手に、焚き火のそばへ戻るとみんなが笑顔で迎えてくれた。


 ――ああ、いい夜だなあ。


 お酒が美味しい夜は心が躍る。

 幸せな時間を噛み締めながら、新しくお酒を作る。

 グラスに焚き火の炎が映りこんで、とても綺麗だ。

 私たちはお酒を飲み交わしながら、笑い、冗談を言い合いつつ、楽しく夏の夜のひとときを過ごした。



 焚き火も燃え尽き、後片付けも一通り終わった。

 居間で酔い覚ましのお茶を飲んでから、みんなを玄関まで送った。



「なかなか美味かった。また来よう」



 王様は次も来る気満々だ。

 私は少し苦笑いして、頷く。

 ダージルさんと、ジェイドさんは既に挨拶を済ませて玄関の外へ出ていた。



「それにしても、其方の料理は美味いな。其方は浄化の旅が終わったら、元の世界へ帰るつもりなのだろう? これが食べられなくなるというのは非常に残念だ」

「はい、そのつもりです。ええと。私なんかの手料理をそこまで褒めていただけるなんて光栄です」



 私が恐縮しながらそう答えると、王様は何かを思いついたように顎を指で擦ると、にやりと笑った。



「そうだ。其方さえ良かったら、浄化の旅が終わった後、こちらへ残らないか?」

「――は?」

「生活の保障はしよう。できれば、其方の知る調理法や、レシピなどを我が国に広めてみないか」

「――へ?」

「料理屋をするのもいいな。きっと其方の味は庶民にも受けるであろうし――であれば、開店資金をこちらで用立てよう。そうだ! 王族用の特別室を作れば、お忍びでいつでもいけるではないか。中々素晴らしい案ではないか?」



 いきなり勝手な事を言い出した王様を、私は慌てて静止した。



「いえ、あの。私の料理は元の世界で作られた調味料を多く使っていますし、いつかは在庫がなくなります。そうなれば、こちらであるもので料理することになりますし。その時に、思い通りの味が出せるとは到底思えませんから、急にそんな事を言われても――」

「……ふむ。そうか」



 ……納得してくれただろうか。

 そっと王様をみやると、未だ楽しそうににやにやしていた。



「まあ、料理云々は兎も角。其方さえ残りたければ、残ってもいいのだが?」

「…………っ」

「聖女とその姉である其方には、我が国は返しきれない恩がある。料理という明確な理由があれば、残るという選択肢を選びやすかろうと思ったまでだ。

 もしこちらの世界へ残ってくれるのであれば、理由は別に何でも良いのだよ。我々は其方ら姉妹をいつでも歓迎する。

 ――ただな、其方は聖女のことばかりで自分の将来まで考えが及んでいないようだからな――少なくとも」



 王様は声をひそめて更に話を続ける。



「幻滅されたかもと嘆くあまりに、泣いてしまうほど好いている相手がいるのならば、こちらへ残るという選択肢は一考の価値はあろう」



 そう言うと、ちらりと後方のジェイドさんを覗き見た。



 ……王様を送り出しひとりになると、私は急に力が抜けて玄関に座り込んでしまった。

 ……異世界に残る……?

 頭の中でその言葉がぐるぐると回る。

 まだ浄化の旅も始まったばかりの段階で、終わった後のことを考えることは愚かなことだ。

 妹の旅が失敗するなんて、想像もしていないけれど、そのあとは元の世界に帰るのは当たり前だと思っていた。

 だからこそ、ジェイドさんへの気持ちを抑えよう抑えようとしていた訳で……。


 ――そもそも!まだひよりは16歳で!高校生なんだから、学校も行かないといけないし、大学に進学したいなんて話になれば、私が面倒をみなきゃ――……。



『其方は、聖女のことばかりで自分の将来まで考えが及んでいないようだからな』



 王様の言葉を思い出す。

 ひよりひよりひより。

 ああ、その通りだ。私は妹のことばっかりで、自分のことを考えていなかった。

 妹の面倒をみること、それ自体は間違ってはいない。わたしのやるべきことだ。

 でも、もしも。もしも、妹が私の手を離れたら――……。



 その時、私はどうしたいんだろう。



「――茜?」



 視線を上げると、心配そうなジェイドさんが居た。

 私を心配して戻ってきてくれたらしい。



「今日、泣いていたでしょう。色々あって疲れているのかもしれません。1日ぐらい家事をおやすみして、ゆっくりしませんか」

「でも、ひよりのご飯が」

「聖女さまも、偶にはお城のご飯も食べたいかもしれませんよ」



 そう言って、いつものように優しく笑ってくれる。

 じわ、とまた涙が滲んできそうになって、慌てて俯いた。



 ――優しいなあ……。好き。ジェイドさん、好き……。



 頭の中が、ジェイドさんへの想いでおかしくなりそうだ。

 この人を素直に好きだと、思ってもいいのだろうか。

 好きな人の隣に、居たいと願ってもいいのだろうか。

 ずっと目を逸らしていたその選択肢。考えるのをやめていた自分の未来について。

 好きだという甘い感覚と、未来へのどうしようもない不安が私を襲う。



 ――私、私は……。



 ぐるぐる混乱する頭でいくら考えても、その答えはすぐに出そうにはなかった。

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