カイン視点 金髪王子と夏の風物詩と生姜焼き 前編
――ギィンッ!
剣と剣が交わり、金属のぶつかり合う高い音が辺りに響き渡っている。
ここはジルベルタ王国の隣国にある大きな沼地だ。
その沼地を含む周囲一帯は、邪気に侵され、穢れ地と化してしまっていた。嘗ては美しい緑に溢れていたのだろう小さな森は、沸々と沼地の底から湧き出す邪気によって黒く染まり、禍々しい雰囲気を醸し出している。
私たちは邪気を浄化するために、その森に踏み込んだ。そして森の最奥にある、邪気の噴出地でもある沼地に辿り着くと、穢れ地を守ろうとする魔物の群れに襲われたのだった。
沼地というからには地面の状態は最悪で、酷く滑る。一歩踏み出すにも、ブーツに泥が纏わりつき苦労するほどだ。動くたびに泥が跳ね、顔に、体に飛んでくる。私たちは戦闘開始から小一時間ほどで、あっという間に体中泥だらけになってしまった。
加えて、今対峙しているのは骸骨剣士。無念のうちに亡くなった剣士の亡骸に、邪気が取り憑いたと言われる魔物だ。
カタカタと歯を鳴らしながら、ギクシャクとした動きで襲い掛かってくる骸骨剣士の首を目掛けて剣を振る。すると鈍い手応えがあり、骸骨剣士の首が飛んだ。
だが、ここで油断ができないのがこいつの厄介なところだ。こいつは体の芯の部分を破壊しない限り、死ぬ事はない。
首が飛んでも尚動きを止めないそいつは、私に向かって剣を振り下ろしてきた。
私は骸骨剣士の剣を紙一重でかわすと、骸骨剣士の腰の辺りに剣を思い切り打ち付ける。
――ガギィン!
鈍い音がして、骸骨剣士の下半身と上半身が分断される。そして骸骨剣士は漸く動きを止めた。
「……はあ……はあ……」
息を整え、周囲を見渡す。今、対峙していた骸骨剣士たちはほぼ倒し終わったようだ。けれども、それは一時のことだ。このまま放っておけば、新たな骸骨剣士たちが地面から湧いて出てくるはずだ。骸骨剣士自体は、厄介ではあるがそれ程強い類の魔物ではない。問題は数だ。一体どれだけ潜んでいるのかわからないが、ぬかるんだ泥の中から次から次へと湧いて来る。この短い時間で、出来るだけ体力回復に務めねばならない。
額の汗を拭い、じっと手元の剣を見つめた。
硬い骨を打ち続けた剣はあちこち綻び、剣を握る手は度重なる衝撃で感覚がおかしくなってきていた。
私は手を何度か開いたり閉じたりして解しながら、沼地の中央を見遣った。
「――……ひより! まだか!」
「んん、うっさいなあ、もう! ――お待たせ!」
ひよりは沼地の中央にある、ぼこぼこと邪気を吐き出し続ける噴出口の前で、内部に浄化の力を送り続けていた。それによって、この地に来たときより、随分と邪気の噴出する勢いは治まってきている。
泥の中で跪いて祈っていたひよりがゆっくりと立ち上がる。その手にはあらかじめ用意しておいた、眩いばかりに輝く浄化の力が込められた大きな秘石があった。
そして、ひよりの足元には彼女を中心にして、青白い魔力で描かれた魔法陣。
魔方陣には浄化の力を増幅する効果がある。秘石と魔方陣。
そのふたつによって、このあたり一帯の穢れ地と、地下深くから噴き出し続けている邪気を、地下に溜まっている分も含めて一気に浄化するのだ。
ひよりは大きく息を吐くと、思い切り手の中の秘石を邪気が今も漏れ出る噴出口に投げ込んだ。
「――浄化!」
ひよりがそう叫ぶのと同時に、噴出口からとんでもなく大きな爆発音が響き、それに伴う爆風が吹き荒れた。
爆風のあまりの勢いに、私は息ができなくなり思わず腕で顔を庇う。
風で飛んできた泥やら骸骨剣士の残骸やらが全身に当たって、あちこち痛い。
どれくらい経ったのだろうか。
気付くと爆風は収まり、あたりは静寂に包まれていた。
がらり、と何かが崩れる音がする。初めは小さな音だったが、其処此処で連鎖するようにがらがらがらと崩れる音が続いた。
それは新たに沼地から這い出ようとしていた骸骨剣士たちが、力を失って人の形を保つことが出来なくなり、ただの骨となって地面へと崩れ落ちていく音だった。
やがて骨の崩れる音が収まっても、あたりは静まり返ったままだ。
しかしその静寂はすぐに打ち破られた。
「うおおおおおおおおお!」
――沼地は戦士たちのあげる勝鬨によって、大きく震えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
浄化が終わり、近くの町へと引き返す。
そこの宿屋で、私たちは湯を沸かしてもらい身体中に着いた泥を落とした。
重い鎧を脱ぎ一息ついていると、使い込まれた傷だらけの鎧を着た、白髪の老将が声をかけてきた。
「カイン王子。この度の浄化、まことにお疲れ様でした」
そう言って、老将は私に深く礼をする。
この男はジルベルタ王国の隣国、カルデス王国のマルス将軍だ。王弟でありながら長年軍を率いてきた老将は、如何にも歴戦の猛者らしく厳格な雰囲気を持っている。
しかしそんなマルス将軍も浄化が無事に終わったことに安堵しているのだろう。目元が緩み、表情は柔らかい。だが前面に喜びを出すことはしない。
未だ国内は厳しい状況にある。穢れ地によって疲弊した国を立て直して、初めて素直に笑えるのだろう。
穢れ地の浄化は順調に進んでいる。
夏のはじめの、2週間にも及ぶ東の僻地への浄化の旅は苛烈を極めた。
穢れ地から穢れ地へと渡り歩き、その度に魔物に襲われそれを打ち払いながら浄化をする日々。
今は城を拠点として長くとも4日ほどの短い期間で穢れ地へと赴いているが、東の僻地に関しては邪気の侵食が激しく、僻地を擁する国そのものも豊かではない為、最も緊急度が高いと判断し長期の旅となった。
東の僻地への旅は、立ち寄る街も侵食の所為で生活に困窮している所ばかりで、ろくな食事も休養もできない、訓練された兵士でさえ音を上げそうな過酷なものだった。そんななか、ひよりは弱音も吐かず、粛々と浄化を続けた。
ひよりは異世界から喚ばれた少女。聖女として、膨大な魔力と浄化の力を持ち合わせているが、それ以外は何の変哲も無い普通の少女だ。
そんな少女が、何の柵もないこの世界のために、過酷な旅に身を投じている。
その彼女の献身に、私たちは誠心誠意応えなければならない。
「カイン王子、ささやかではあるが祝宴を用意させている。良かったら今夜、如何だろうか」
マルス将軍は穏やかな声で提案してくるが、私はふるふると頭を振って遠慮しておいた。
「有難い申し出ではありますが、私と聖女は至急城に戻らねばなりません。兵士や騎士団の一部は明日までここに滞在する予定です。宜しければ、彼らを私の代わりに労って頂けませんか」
「成る程。お忙しい身であるのに、気を遣わせてしまったようですな。残った兵士らへの労りは、充分にさせて貰いましょう」
マルス将軍は深い皺を目尻に刻み、傷だらけの大きな手で、私の手を握った。
「この度の事。本当に感謝しているのです。これで邪気によって疲弊した国も民も、希望を持って明日を迎えられる。本当に――ありがとう」
この旅のうちに何度もきいた感謝の言葉。
私は曖昧に笑って、その場を辞した。
――一体どれだけの人間が、この浄化は幼気な少女の犠牲のうえにあると自覚しているのだろう。
宿の中をひよりを探して歩く。
ひよりももうそろそろ身支度ができた頃だろう。
明日には城へ戻りたい。その為にはなるべく早い出発が必要だ。
「聖女さまはどこですかねえ?」
私の護衛騎士のセシルが、にこにこといつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま、のんびりとついてくる。
セシルは侯爵家の次男でクリーム色の髪に菫色の瞳をした、いつも笑みを浮かべている優しそうな男だ。
まあ優しそうに見えるだけで、実際は貴族らしく腹の中に色々抱えている男だ。敵には容赦はないが、私にとっては信頼の置ける男。私の幼馴染でもある。
「殿下。あそこ」
セシルが指差す先、宿の中庭を見ると、ひよりと彼女の護衛騎士が立ち話をしていた。
ひよりには3人の護衛騎士がついているが、その中の女性の騎士とは仲が良い様で、よくああやって話をしているようだ。
ひよりはこちらに気づいておらず、どうやら護衛騎士の婚約者の話で盛り上がっているようだった。
ひよりは興味深そうに、照れる護衛騎士へ話をねだり、時には驚きに目を丸くして朗らかに笑う。三つ編みにゆるく結われた栗色の髪は、彼女が笑う度に軽やかに揺れる。コロコロと変わる表情は見ていてとても微笑ましく、私はついつい目が離せなくなってしまった。
――ひより。
私は恐らくひよりを好ましく思っているのだろう。召喚された彼女を初めて見た時から、私の胸の中にはずっと彼女がいた。いつも一生懸命で、笑顔が可愛くて、天真爛漫なところがあって姉に甘える時はいつもより子供っぽくなる。
そんな彼女と居られること。それを素直に喜びたいのに、頭の片隅にある彼女への罪の意識がそれを許さない。
――ああ、いかん。こんなこと考えている場合ではない。
私はひよりに声を掛けようと歩き出した。その時、ふと聞こえてきた彼女たちの話の内容につい立ち止まってしまった。
「ひより様はどんな男性がお好きなんですか?」
「わたし? んー……どんなって言うよりは、好きになった人がタイプかなあ。まあ、見た目が良くて優しいに越したことはないけど」
「なるほど〜」
……ふむ。
私は自分の容姿と性格を思い返してみた。
――……多分、大丈夫だろう。周りの評価や、令嬢たちの反応を見る限りでは、なかなか好い線を行っていると思う。
ほっと胸をなでおろした私の耳に、また護衛騎士の声が聞こえてきた。
「なら、カイン王子とかどうなんですか? いつも一緒にいらっしゃるし、カイン王子、とても優しくて聡明で。しかも容姿端麗! まさにひより様の好みではありませんか?」
――うおおおおい! 護衛騎士! お前はなんてことを聞くのだ!
私は大いに動揺した。
止めたい。非常に止めたい。もしひよりが私のことを好みじゃないと切り捨てたらどうしてくれる!
しかし盗み聞きの様な状態の今、下手に出て行くのもなんだか気まずい。私はドキドキしながら、ひよりの答えを待つしかなかった。
ひよりは、護衛騎士の言葉に「え〜」と言いながら、考え込むように少し黙る。
そして答えが出たのか、顔をしかめながら、何故か両手の指をわきわきとさせてこう言った。
「――想像してみて? 例えば、カインとそういう関係になって、ベッドで一緒に寝るじゃない?」
――ひ、ひより! なななな、何を!?
ひよりの意外な言葉に赤面してしまう。まさかもう、心を通わせる前から同衾のことを考えているなんて……!
私は熱くなってきた頰に手を当ててなんとか冷まそうとするが、私自身もひよりと同衾する妄想をしてしまい一向に効果がない。
――ひよりより先に起きた私は、彼女の寝顔を眺めている。そうしているうちにあっという間に時は過ぎ、起きなければいけない時間が近づいてくる。
私はひよりを優しく揺り起こすと、寝ぼけたひよりが可愛らしい顔でふんにゃりと「おはよう」と言うんだ。その姿があまりにも愛らしくて、私は幸せを噛み締めながら、朝日の中、ひよりにおはようのキスを……。
私は思わず鼻を押さえた。
「殿下、落ち着きましょう。顔面が一国の王子として些かいただけない顔になっていますよ」
「う、すまぬ。セシル……」
「殿下は昔からむっつりスケベでしたから。大丈夫、換えのハンカチはたくさん用意してありますので」
「ちょっと後で主従関係についてじっくり話そうか。セシル」
私はセシルが差し出したハンカチを毟り取り、鼻に当てた。いや、流石に出血はしていないが念のためだ。
セシルと小声で小競り合いをしていると、ひよりの声がまた聞こえて来た。
「……想像できた? んでね、朝起きるじゃない。起きた時、横にカインがいるわけね?」
「素敵じゃないですか」
「まあねえ。イケメンだもんね。だけどさぁ。
黒髪黒目が普通の国で育った私にしたら、金髪碧眼のイケメンが裸で横たわってたら……きっと笑うわ。それも爆笑。朝日の中おはようのキスとかされたら、それこそ腹筋崩壊の危機よ。
そして突っ込むと思うの……欧米か! って」
「ひより様、イケメン、欧米とは一体」
何故かその後、ひよりと護衛騎士の話はイケメンと欧米とやらの用語解説へと移行していき、これ以上ひよりの好みについて言及される事は無かった。
私は思わず顔を上げて空を見上げる。
中庭から見える空は四角く切り取られ、夏の真っ青な空は今日も清々しい。
「セシル……黒髪は私に似合うと思うか」
「ははは、なにを馬鹿なことを」
私の言葉を速攻で切り捨てるセシルの声はどこか私を哀れんでいるようで、ぽんと肩に置かれたその手の温かさは、夏だからかちょっと鬱陶しかった。
2/10 カインの護衛騎士の名前をセイン→セシルに変更。