幼き頃からの友というものは 後編
というわけで後編です。おっさんのいちゃつき。
――目を開けると、そこは王城の中にある自室のようだった。
胸の奥がじんわりと温かい。どうやら、懐かしい夢を見ていたようだ。
「起きたか。まったく、お前はしょうがねえなあ」
声が聞こえた方に視線を向けると、そこには心配そうな顔をしたダージルと国王の姿があった。私はぐっと眉を寄せると、彼らを鋭い眼差しで見ながら言った。
「……なにをしている。仕事はどうしたのだ」
「見舞いにきてやったのに、最初の台詞がそれか!?」
「わはは、ルヴァンらしいな」
私は大笑いしているふたりを無視して、ゆっくりと体を起こした。全身を覆っていた倦怠感が抜けて、ずいぶんとスッキリしている。外を見ると、すでに夕方になってしまったらしい。世界が茜色に染まっている。どうやら、長いこと眠っていたようだ。
そういえば、今日の会議はどうなったのだろう。無性に気になって、ダージルに尋ねる。けれども彼は、「知らない」と言うばかりで埒が明かない。私は顔を顰めると、ベッドから足を下ろした。すると、ガシリと強い力で肩を掴まれてしまった。恐る恐る顔を上げると――やけに不機嫌そうな碧色の瞳と視線がかち合った。
「どこへ行く? 治癒術師によると、倒れたのは寝不足と過労のせいらしい。二、三日は、仕事禁止だそうだ」
「禁止!? 王よ、それは困ります! まだ解決していない案件がいくつも」
「黙れ。お前が倒れることのほうが問題だ。これは王命だぞ」
「……しかし」
国王の有無を言わさない迫力に、思わず口ごもる。国王は、歳を経てもなお整った顔に、呆れの感情を浮かべて私を見つめている。
「まったく、お前のなんでも自分で抱えたがる癖はどうにかならぬものか。特別有能な人材を、部下として充てがっているつもりではあるのだがな。もう少し増やすか?」
「いえ、彼らはよくやってくれています。人数は足りております。この件に関しては、私自身の生来の気質ゆえ、仕方がありません」
「うっ、ダージル聞いたか。こやつ、開き直ったぞ」
「駄目だな、こりゃ」
はあ、とふたりの幼馴染が同時にため息をつくのを見て、苦笑を漏らす。どうも、ずいぶんと心配させてしまったらしい。
「……王命とあらば、仕方ありませんね」
私は肩を竦めると、渋々ベッドに戻った。すると、ノックの音が聞こえた。返事をしようとすると、それを制してダージルが対応する。扉の向こうには、侍女が来ているようだった。ダージルは一言二言会話すると、何かを手にして戻ってきた。彼が持ってきたのは、銀の盆に乗った酒瓶が一本と、グラスがふたつ。それに、湯気が上っているカップがひとつ。
「――それは?」
思わず尋ねると、ダージルはまるで少年の頃と変わらない笑みを浮かべた。
「ベリー酒だ」
「ベリー?」
「森で摘んだベリーで作った酒さ。葡萄酒より安く飲めるってんで、平民の間では人気なんだ。そんで、ずっと前に仕込んだのが、やっと飲み頃になったんで持ってきた」
「仕込んだ? 自分で作ったのか? それに、ベリー……平民……まさか、あの時の」
じっとふたりを見つめる。するとダージルは、少し気まずそうに視線を外すと、モゴモゴと口ごもりつつ言った。
「小遣いで樽をひとつ借りてな、酒を仕込んでたんだ」
「だから、あんなに大量にベリーを摘んでいたのか」
「そうだ。酒を仕込む分を確保するの、結構大変だったんだぜ」
「それにしたって、あの頃はまだ酒を飲むような歳でもなかっただろう。それに、お前なら上等な葡萄酒がいくらでも手に入るだろうに。平民が作るような安酒を手ずから作るだなんて、何を考えている」
すると、ダージルはワシワシと自分の頭を雑に掻くと、少し照れ臭そうに言った。
「大人になったら、飲もうと思ってたんだ。俺とお前と、王と三人でな」
一瞬、ぽかん、としてダージルを凝視する。彼は、私の様子に気がつくと、ますます頬を赤く染めた。
「葡萄酒でもよかったが、葡萄を作るところからは難しそうだったし、店で買うのも変だと思ったんだ。ガキなりに、自分で原材料を調達できそうだったのがベリーだったってだけだ。ベリーなら、森に採りに行けばよかったしな。……デカイことを成し遂げた時の祝杯が、自ら作った酒だったら最高にカッコいいだろうとか、思っちまったんだよ」
「デカイこと?」
意味が分からず、首を傾げる。すると、国王が口を挟んできた。
「ルヴァン、お主は相変わらず鈍感だな。我々が成し遂げるデカイことと言えば、アレしかないだろう――」
そう言われて、ハッとする。そうだ、私は当時、そのことについて一人思い悩んでいたじゃないか。
「……邪気の急増期、か」
私の言葉に国王は満足げに頷くと、少し戯けた表情で言った。
「そうだ。我々を待ち受ける最大の試練を乗り越えた時、最高の褒美があれば『かっこいい』だろう? しかもそれを仕込んだのが、子どもの頃であれば、尚更だ。成功する未来を『予測』し、『準備』を怠ることなく、『最高の状態』で事態に臨む――褒美すら、己で用意して。そう、王国最強の騎士団長――当時はあくまで予定だったが、いずれ偉大な存在になる自分がやるべきことはこれだ、とダージル少年は考えたわけだ」
「だあああああああっ! やめろ!! ガキの頃は、誰だって将来の自分の活躍を妄想するだろうよ!! てか、お前もノリノリだっただろうが!! なんだっけなあ、英雄王の凱旋だっけか!? おめえは浄化の旅に行かねえだろ、どう考えたって!」
「う、うわははは。字面がカッコいいではないか、英雄王。しかし、この計画の主導していたのはお前だ、ダージル。私はな、幼馴染のために渋々付き合ってやったまでだ」
「ちくしょう、裏切ったな!?」
大騒ぎしているふたりを他所に、盆の上の酒瓶を見つめる。これはあれだろうか。以前、茜から聞いた、異世界の若者もよく罹患するという――「厨二病」というものに、ふたりも罹っていたと。そのことに思い至ると、当時彼らから貰った「説教」が蘇ってきて、思わず噴き出しそうになった。慌てて咳払いをして誤魔化すと、私は彼らに意味ありげな視線を向けた。
「つまり、将来について難しいことは考えなかったが、そういう妄想はしたわけだ」
すると、みるみるうちにふたりの顔が茹でダコのように真っ赤になってしまった。
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。
「私のように思いつめるよりかは、よっぽど健全な考えだな。まあ、そのことに意味があるかどうかは別として」
「ぐぬ……! 浪漫だよ、浪漫。わかんねえかなあ!!」
ダージルは、ヤケ気味に酒瓶を手にすると、慣れた手付きで栓を開けた。そして、ワイングラスに注ぎ、国王に渡す。最後に、私にはカップを渡してきた。
「――お前の分は、あらかじめ温めて貰ったからな。スパイスを入れて、酒精を飛ばしてある。……平民たちは、風邪を引いた時にはこうやって飲むらしい」
「ふむ」
カップを受け取ると、じんわりと温かな温度が伝わってきた。ベリー酒は、葡萄酒よりも赤みがかった瑠璃色をしている。甘酸っぱい香りに、スパイスの香ばしさが混じっていて、なかなかうまそうではある。しかし、それに口をつける前に、私はダージルに尋ねた。
「――で、どうしてこれを今、飲もうと思ったのだ」
「…………」
すると、ダージルはぐっと言葉に詰まった。なにかまだ、言いにくいことがあるらしい。国王はその理由を知っているらしく、いやに楽しそうにくつくつと喉の奥で笑っている。国王が時たまよこす視線が、いかにも「鈍感な奴め」と言っているように思えて、私はぐっと眉根を寄せた。
「……訳を言え」
思わず、心底不機嫌な声を出すと、ダージルは観念したように喋りだした。
「別に変な意味はねえよ。本当は、急増期のアレコレが済んだら三人で飲もうと思ってたんだが。なかなかお互い忙しくて、その機会がなかった。ずっと、気にはなっていたんだが」
すると、もごもごと言葉を濁していたダージルは、ちらりと視線を私に向けて言った。
「平民の間では、この酒は長寿を願って飲まれることもあるんだ。お前が倒れたって聞いて。死んじまったら嫌だなと、心底思ってな。……なんつうか、これを飲めばお前の寿命が伸びるかな、と」
「……ぷっ」
「わ、笑うなよ!?」
「い、いや……。ククク、これは笑うなという方が難しい」
「だったら、倒れるほど無理すんじゃねえ! お前がいなくなられたら、こっちは困るんだからな!!」
ダージルは吐き捨てるようにそう言うと、ぷいとそっぽを向いてしまった。彼の耳朶が、まるであの日バルコニーから見た夕日のように、真っ赤に染まっているのが見えると、益々笑いがこみ上げてくる堪らず、口元を押さえて笑っていると、国王も釣られて笑いだした。
「――はははは! まったく。私の幼馴染たちは、今も昔も変わらずに面白い」
そして、国王はすうと目を細めると、手にしたグラスを軽く掲げて言った。
「せっかくだし、ルヴァンの快復を願って、乾杯しようではないか。我ら三人、幼き頃より同じ時を過ごしてきた。それは、これからもずっと変わらない。どうか、ルヴァン、ダージル。最年長の私よりも先に死んでくれるなよ」
「はっ。そりゃお互い様だ。肝臓の具合には気をつけるんだな、飲ん兵衛王」
「……お前も人のことを言えないだろう、ダージル」
私たちは顔を見合わせると、同時に笑みを零した。
そして、互いにグラスとカップを合わせると――高らかに言った。
「「「――乾杯!」」」
平民が、その安さから好んで飲むというその酒の味は、確かに普段飲んでいるものに比べると、味の深みもなにもかも足りないもののように思えた。けれども、味とは関係なく、一口飲むたびにじんわりと心に、臓腑に、温かなものが沁みてくる感覚は、なんとも忘れがたく――それから、私たちは個人的にベリー酒を作るようになり、事あるごとに杯を合わせるのが定番となったのだった。
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