鍋の話
おもてなしご飯コミカライズ3巻が3月4日に発売決定となりました!
単行本でしか見られないカラーイラストや、おまけマンガも収録。
異世界の空の下、懸命に生きている茜たちをどうぞ見てやってください!
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冬はやっぱり鍋だ。
何を食べたい?
自分に尋ねると、真っ先に上がるのがそれ。
だって、肌を刺すような寒さも、いやぁな乾燥すらも、全部、全部解決してくれるのがお鍋だから。ついついビールを飲みすぎてしまうのを知りながら、今週末もやっぱりお鍋。
でも、今日はいつものお鍋とは違う。
今日は、ジェイドさんは出かけていていない。そのかわり、私の隣にいるのはふくれっ面をしている妖精女王。
彼女と作るお鍋は、どんな味になるだろう。
*
「――材料が地味じゃ」
「黙って手を動かしてくださいね」
「水が冷たい」
「冬ですからねー仕方ないですねー」
ブツブツうるさいティターニアと一緒に台所に立つ。
珍しく手伝うと言い出した彼女は、調理が始まった途端に文句ばかりだ。
「むう。もうちょっと簡単にできんのか」
「鍋だから、どっちかというと簡単ですよ?」
「ぐぬ……」
まさか、魔法でパパっと出来るとでも思っているのだろうか。
ちょっぴりおかしく思いながら、さくさくと白菜を切っていく。
芯の部分は細切り。葉っぱの部分はザク切りに。あっという間に白菜の山が出来ていく。
「随分と多いな」
ティターニアは私の手元を繁々と覗き込むと、白菜を一切れつまみ上げた。
旬を迎えて、水分をたっぷり含んだ白菜は、つやつやとしていてなんとも美味しそうだ。今日の主役はこの白菜。白菜の甘味を出汁でいただくシンプルな一品だ。
「これが美味しいんですよ。いっぱい食べましょうね」
「ええ……。妾は肉が良い。こないだ食べた『すき焼き』は美味であった」
「あれは特別なときにしか出せないんです」
「むう。葉っぱが主役の鍋なんぞ、ちっとも美味くなさそうじゃ」
私はむくれてしまった妖精女王を笑い混じりに眺めると、彼女の耳元でそっと囁いた。
「ケルカさんに食べてもらう料理の練習なんでしょう? エルフはお野菜が好きじゃないですか。ねえ、奥様。旦那様好みの野菜料理を作れた方がいいんじゃないですか?」
「~~~~~!!」
すると、途端に真っ赤になった妖精女王は、ふらふらと視線を彷徨わせて、最後には消え入りそうな声で「そうじゃの」と言った。
「うっふっふー。じゃあ、頑張って作りましょうね。『ピェンロー』!」
「…………ふん」
私はそっぽを向いてしまった妖精女王に苦笑しながら、コンロに鍋を乗せて火を着けた。
*
ピェンローとは中国で鍋料理のこと。
昔、ある芸術家が紹介したことによって、テレビなんかで話題になった。そのときに、興味をそそられて作ってみたところ大ハマリ。一時期作りすぎてひよりに怒られたくらいだ。
この鍋は、先述したとおりにかなーりシンプルな料理だ。
シンプルだけに、手を抜くと途端に味が落ちる。とは言っても、何も特別なものを用意しなくていい。旬を迎えた材料を新鮮なうちに調理して、出汁を丁寧にとる。たったそれだけでいい。
このお鍋は干し椎茸の出汁がメイン。
調理の直前に水で戻したり、煮込みながら戻すだなんてとんでもない。じっくりゆっくり半日以上掛けて茸を戻す。これが、美味しくなる秘訣。
前日から水に浸けて置いた干し椎茸。しんなりしょんぼりしていた茸は、水分をたっぷり含んで一回り大きくなっている。浸けて置いた水は茶色に染まり、鼻を近づけると濃厚な旨味を期待させる匂いがする。土鍋に、戻し汁ごと椎茸を入れて火をつける。
「本当は入れないらしいんですけどね」
そう言って取り出したのは、薄っぺらいけれど、強烈な旨味を隠し持っているアイツだ。
「昆布……だったか?」
「お料理に旨味を足すならこれです。強烈に主張しないから、邪魔しないですしね」
乾燥昆布の表面を軽く拭いて、沸騰させないように気をつけながらくつくつ煮込む。
その間に、お鍋にたっぷりのお湯を沸かしておく。これは春雨を茹でる用だ。
昆布はエグみが出ないうちに取り出しておく。そうしたら主役が登場だ。
「……入るのか? これ」
「入れるんですよ」
ティターニアは怪訝そうな表情で、ザルに山盛りになっている白菜を見つめている。
任せてくださいと自信満々で、出汁に次々と白菜を投入していく。
……お?
…………おお?
「ほら、言った通りじゃ。蓋が閉まらん!」
「閉めるんですよ!」
富士山もかくやという白菜を、蓋でぎゅうっと押し込む。
……むむ、むむむむ……? 蓋が浮いている。まるで帽子みたいだ。
「……」
じとりと睨んでくる妖精女王の視線を躱しながら、熱が通ればかさが減りますからと別の行程に入る。用意したのは豚バラ肉に、鶏もも肉。これを一口大に――。
「それって一口大です?」
「食いごたえがある方がいいじゃろう」
ティターニアの豪快なカットに思わず笑いを零す。
これを一口で食べられるのは、ドワーフのゴルディルさんくらいしか想像できない。
「これは食べると言うより、出汁を取るためのお肉ですから、ちっちゃくしてくださいね」
「お前は文句ばかりじゃな」
「料理って、こういうものなんです」
途端にぷっくり膨らんだ妖精女王のほっぺたを指で突く。ぷひゅっと変な音をさせた妖精女王は、気が抜けてしまったように私の肩に寄りかかった。
「……難しいものじゃな。妾に出来ぬものはないと思っていたのじゃが」
ティターニアの髪に挿された髪飾り。そこに嵌められた赤い石が、窓から入る光を反射してちかりと光っている。
私は鍋から出ている水蒸気を眺めながら、穏やかな口調で言った。
「焦らなくてもいいじゃないですか。何度でも練習に付き合いますから」
「……」
「時間はまだたっぷりありますよ」
「……っ、でも」
私の言葉に、ティターニアは弾かれたように顔を上げた。
空色の瞳が動揺して揺れている。眉がすっかり下がってしまっていて、うっすら瞳が濡れているように見えるのは、多分、気のせいじゃない。
私はケラケラ笑うと、今も昔も変わらない彼女の頭を抱いた。
「――大丈夫」
「……っ」
黙りこくってしまった妖精女王の頭を撫でて、お鍋の様子を確かめる。山盛りだった白菜は、大分しんなりして、蓋もきっちり閉まっていた。芯の部分はうっすらと透きとおっている。もう少し煮込めば、トロトロになるはずだ。
そこに鶏肉を投入。うっすら白くなったら、お玉一杯分のごま油を入れる。黄金の珠が水面でくるくる踊って、ぷんと辺りに胡麻の香りが広がる。そして蓋を閉めてまた煮込む。白菜が、口の中で蕩けるくらいまで柔らかくなればちょうどいい頃合い。
「豚肉を入れて、春雨を入れて。最後にもう一回、お玉一杯分のごま油。アクを掬いながら、また煮込んで……完成」
台所中に、胡麻と甘い白菜の香りが漂っている。
鍋づかみを取ろうとして、その手を妖精女王に止められる。彼女は私の皺が寄った手をさすると、自分が持っていくと請け負った。
……助かった。最近は、歩くだけで節々が痛くて辛いのだ。大切な鍋をひっくり返したらことだもの。
その時、からり、玄関が開いた音がした。
途端に賑やかな声が聞こえてくる。
「おばあちゃん! いい匂い! お腹空いたー!」
「こら、手を洗いなさい! お義母さん、お邪魔します!」
「ジェイド爺ちゃん、杖ここに置いておくね」
「ありがとう。茜、お酒を買ってきたよ」
「あら、嬉しい! 今日はお鍋よ。ティターニアと一緒に作ったの。さあ皆、支度を手伝って――」
ふと居間を見ると、ティターニアは切なそうな顔で佇んでいた。
私は彼女に近寄ると、その手を引いた。
「食べましょう? 飲み物はいつもの梅酒でいいかな」
「……うむ」
ティターニアは頷くと、ぐいと袖で涙を拭ったのだった。
*
綿雪が、ふわふわ舞う雪の一日。
とある場所で鍋を囲んでいる男女の姿があった。
女性が、自慢げに「この鍋は塩や一味で味を調整して食べるのだ」と告げると、驚いたように目を見開く。女性に教わりながら、ぱらりとこだわりの岩塩を入れて、少しだけ一味を振る。
男性は箸を持つと、恐る恐るという様子で白菜を口に運んだ。
――美味い!
その声を聞いた途端、女性は満面の笑みを浮かべた。
何度も練習したのだから完璧に再現できて当たり前だと、自身も鍋を口にする。
途端に上機嫌になって、酒をぐびり。酔いにほんのり頬を染めた。
そして、女性――妖精女王は懐かしそうに鍋の中身を見つめると、男性に向って言った。
「もうあの娘はいなくなってしまった。だが、あの娘の味は残っておる。明日も明後日も、作ってやろう。たくさん、たくさん教わったのじゃ。お前に食べさせるために……」
期待していると言われ、妖精女王は柔らかな笑みを浮かべた。
女王は空を見上げる。
ふわふわと舞う雪の向こうに、かつての友人の笑顔を思い出して。
鍋の熱が、心までじんわりと温めてくれるような、そんな気がしていた。
時系列が大分先のお話になってしまいました。
ちょっと、こういうお話を書きたい気分でして。完結後の更新なのでどうぞお許しください。