幼き精霊の帰る場所4
久しぶりの更新で申し訳ありません!
無事体調も復活しました~ありがとうございます。
まめこ、最終話です。楽しんでいただければ幸いです。
前回までのあらすじ
茜たちが異世界から去ってから、寂しい想いをしていたまめこ。なんやかやでやっと茜の家に辿り着いたものの、どうにも姿が見えない。そのとき、ひよりが好きだという向日葵を見つける。
向日葵を見つけに出かけたまめこは、少年たちから種を貰って、ようやく向日葵を見つけることが出来た。ひよりと茜に良い手土産になると意気揚々と帰ってきたまめこ。幼い精霊が見たものは――?
――精霊は上機嫌だった。
上機嫌の理由は、もちろん太陽の光を煮詰めたような、まるで真夏の化身のごとき花だ。
ひよりのような花、向日葵。それをしっかりと握りしめて、軽い足取りで茜の家を目指す。
その間、精霊の脳裏に浮かんでいるのは、大好きな彼女たちの満面の笑みだ。
ふたりは両手を広げて歓待し、向日葵に大喜びしてくれるはず。そしてまた、あの頃のように共に暮らせるようになるのだ。
「……まむふふふ……」
精霊は幸せな未来を想像し、弾むような足取りで陽炎が立ち上る道を進んでいった。
やがて精霊の視界に見慣れた垣根が目に飛び込んできた。けれども、出発前とは違う部分があった。門の前には、4つの輪が着いた異様な金属の塊が鎮座している。それはこちらの世界では「四輪駆動車」――所謂、車と呼ばれる文明の利器である。けれども、そんなもの精霊が知るはずもない。精霊は、警戒するように足を止めると、手にした向日葵をぎゅっと握りしめて車を睨みつけた。
「ぐむむ……」
ぎらりと太陽の光を反射するボディ。大きな瞳のように見えるヘッドライトは、精霊を睨みつけているようにも見える。
「……まめ……!」
もしや、こいつは向日葵を奪おうとしているのではないか。
そんな考えが精霊の脳裏を過る。じりじりと後ずさった精霊は、ゆっくりと反対側に駆け出した。そして、先程通り抜けた穴に飛び込むと、体を無理矢理中にねじ込んだ。
――その時だ。
「――おねぇ――」
「こ――しなさい――」
耳に飛び込んできたのは、なんとも懐かしい声だ。
それは何度も何度も思い出しては、また会えるはず、また聞くことが出来るはずだと渇望していた声。精霊は垣根の枝が、体のあちこちをひっかくのも構わずにそこを通り抜けると、勢いよく縁側に駆け寄った。
「ジェイドさん、レオンお願いしますね」
「ああ、わかったよ」
「おねえちゃん、レオンいい匂いだね~」
「わふっ! わふん!」
「トリミングしたばっかりなんだから、当たり前でしょ。ほら、それよりも早く着替えてきなさい」
――会いたかった。
大好きな人たちの姿を目にした瞬間、精霊の視界が歪んだ。
じわり、と熱いものがこみ上げてきて、あっという間にゴツゴツした肌を濡らしていく。
彼らは、精霊の記憶よりも少し印象が変わっていた。
茜は以前よりも少し髪が伸び、女性らしさが増したように見える。
ひよりは記憶にある時よりも日焼けしていた。きっと、今年の夏も太陽を満喫したのだろう。
それに、ジェイドは見慣れない格好――と言っても、日本では一般的な服装だが――をして長い尻尾を上機嫌でフリフリしているレオンを抱っこしてやっている。
そして、皆、笑顔だった。それだけはあの頃と全く変わらない。
……ああ、なんて懐かしい雰囲気だろうか。そこにいたのは、確かに精霊の――「家族」たちだった。
「すう。はあ……」
精霊は、興奮のあまり乱れそうになる息を、深呼吸して整えた。
どうやら、精霊の存在にはまだ誰も気がついていないようだ。
ぎゅっと、両手に持った向日葵をもう一度握り直す。
果たして、本当にあの頃のように戻れるのか。一抹の不安がよぎる。けれど、精霊は小さく頭を振ってそれを振り払い、声をかけようと口を開きかけた。
……ぐにゃり。
「……まめ?」
けれどもそれは敵わなかった。
急に猛烈な目眩が襲ってきて、どうにも立っていられなくなったのだ。
精霊は、そのままその場に崩折れるように倒れてしまった。堅い地面が精霊の頬に触れ、ホコリ臭さが鼻をつく。
慌てて起き上がろうともがく。けれど、手足は思うように動かず、どうにも力が入らない。、まるで、体内のありとあらゆるエネルギーが枯渇してしまったようだ。
……自分はどうしてしまったのだろう。すぐそこに、大好きな人達がいるのに。
――ずっと会いたかったのだ。
再会を信じて、来る日も来る日も、見知らぬ樹の中で孤独に耐えながら過ごしてきたのだ。
なのに――笑顔を貰えるはずだったのに、どうして目の前に広がっているのは、薄暗い床下なのだろう。もう寂しくなくなるはずだったのに、どうしてまだ寂しいのだろう。ひとりじゃなくなるはずだったのに、どうしてまだひとりぼっちなのだろう。折角、向日葵を見つけたのに、どうして落としてしまったのだろう。
どうして、どうして、どうして――。
精霊の頭の中を、疑問ともどかしさが駆け巡る。
「……ううう……」
精霊の瞳からは大粒の涙が溢れ、地面を濡らしていく。
「ほら、ひより!」
「早くしないと、茜が夕ご飯抜きなんて言いかねないぞ」
「おねえちゃん、それだけは勘弁してー!」
「わふん!」
頭上から聞こえてくる声に、精霊の小さな胸が引き裂かれそうになる。
「――あぁ……ね」
顔を上げることも、助けを求めることも敵わず――地面に染みが出来ていく様子を眺めることしか出来ない精霊は、茜たちの賑やかな声を耳にしながら――孤独に耐えきれなくなったように、意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
気がつくと、ゆらゆらとどこかを揺蕩っていた。
それは母なる大樹の中で眠っていた時の感覚に似ていて、酷く心地が良い。
柔らかいものが全身を包み込み、その温もりは精霊自身を守ってくれているようだ。
遠くで、何かがけたたましく吠えている。
聞き覚えのある声だ。けれど今はどうでもいい。この温い何かの中で、いつまでも眠っていたい。精霊はごろりと寝返りを打とうとして――はた、と体が動かない事に気がついた。そして、先程起こったことが鮮やかに脳裏に蘇ってきて、自分が孤独である事実を思い出し、堪らず小さく呻いた。
「……っまめこ!?」
その瞬間、酷く切羽詰まった声が降ってきて、精霊は思わず身を竦めた。そして、重いまぶたをやっとのことでこじ開け、声の主へと視線を向けた。
「うー……?」
「……ああ……良かった……」
そこにあったのは、どこまでも優しさを含んだ黒い瞳。次から次へと大粒の涙がこぼれ、精霊に向かってぽたんぽたんと滴ってくる。いつもと違い、鼻の頭や、目が真っ赤に染まっている。もしかしたら、随分と長い間泣いていたのかもしれない。
それは茜だった。
嘗て、精霊に初めて会った時のような怯えた様子は一切ない。まるで母のような微笑みを讃えた彼女は、宝物のように精霊を抱いていた。
一番の心の拠り所である彼女を見た瞬間、精霊は何度もぱちぱちと目を瞬き、そして安堵の息を漏らした。思わず脱力してしまい、それがぐったりとしているように見えたのか、茜は酷く慌てている。
するとその時、何かが精霊の頬を舐めた。
「わふん!」
それは友人であるレオンだ。
まんまるの瞳をキラキラ輝かせて、レオンはじっと精霊の顔を見つめている。
そして、甘えるように頭をしきりに擦り付けて、温めるように精霊に体を添わせていた。
「はああ……良かった……」
「死んじゃったのかと思ったよ~。レオンが縁側の下に倒れているのを見つけなかったら……ぞっとするね」
精霊の足元には、ひよりとジェイドの姿があった。
ふたりは両足の傍に座り、手で脚を擦っていたようだ。その手の温もり、レオンの体温。精霊を包み込む、茜の温かさ。どうやら、それらを母なる大樹の中のようだと錯覚したらしい。
茜は涙を拭うと、ゆっくりと優しい声で精霊に語りかけた。
「心配していたのよ。私たちが日本に帰って以来、あっちの世界に行っても、ちっとも姿を現さなかったから。会いに来てくれたの? それで、どうしてかこっちの世界に来ちゃったのね」
そして、頬を精霊の顔に寄せると、ぎゅっと精霊を強く抱きしめた。
「ありがとう。私も――会いたかったよ」
茜の言葉の大半は、精霊には理解出来なかった。まだ、人間の話す言葉を完璧に理解出来るほど成長していないのだ。けれど、言葉の端々から感じる温かい気持ちは確かに感じられた。精霊を想い、思い遣るその言葉は、じわりと精霊の体に染みていき、心を震わせた。
精霊は何度も頷くと、歪な形をした手を伸ばして、茜の服を握りしめた。
小さな子供が母親にするような仕草に、茜は小さく笑うと、精霊を抱きしめる腕に益々力を込めた。
「まったくもう。無茶をするわね」
しかし、それも長くは続かなかった。
精霊にとって聞き慣れない声がしたかと思うと、誰かが茜の手から精霊を取り上げたのだ。
「精霊王様」
「わたくしの子が、迷惑を掛けたようね」
「いえ、とんでもありません。まめこは、私たちにとっても大切な存在ですから」
「精霊であるこの子を、そういう風に言ってくれるのはとても嬉しいわ。ありがとう」
その人は優しげな手付きで精霊を抱っこすると、茜に向かって小さく頭を下げた。
穏やかに茜と会話をしているその人物は、精霊が生まれ落ちた世界を創り上げた神、その人だ。全身から仄かな光を放ち、誰もが見惚れ、無意識に惹かれ――圧倒される程の美しさを持つ。
なにせすべての命の生みの親である。生きとし生けるものすべては彼女に惹かれるようにと、魂に刻まれている。そんな精霊王の腕に抱かれる――それは、幸福以外の何ものでもない――はずだった。
「……うー」
けれども、精霊にとっては違ったようだ。
ヨロヨロと手を茜の方に伸ばし、必死に精霊王の手から逃れようともがいている。それには精霊王も驚いたらしい。思わず取り落としそうになり、慌てて手の位置を変える。
「んっ、もう。どうしたの? 駄目よ、あなた。魔力が枯渇しているのよ」
「んん、んんん……っ!」
「まめこ? こっちに来ちゃ駄目。ほら、じっとして……」
慌てて茜が精霊王の下に近づく。何故、精霊が自分の方へと来たがっているのか理解できずに困惑する。茜は眉を下げると、精霊が必死に伸ばしてきた歪な手を両手で握りしめ、そして言った。
「……一緒にいたいのかな。でも、ごめんね。私たちの世界には、魔力がないのよ。精霊であるまめこが住むには適さないの。精霊はいわば魔力の塊。あと何年かしたら、そっちに移り住むつもりなの。それまで待っていてくれる? だから……――今は、一緒に暮らせないのよ」
その瞬間、急に周囲の空気が変わった。
密度――そう、密度が急に増したような感覚がする。ざわざわと、何かの息遣いや擦れる音、笑い声、ささやき声が耳に飛び込んでくる。
『クフフ。そう、そうよ。そうなのよ』
『あなたは精霊。忘れちゃったの?』
『ニンゲン、チガウ。イッショ、ムリ!!』
『諦めなさい。ドライアド。森の子供。あなたは、どうあがいたって――こちらの領域の住民なのだから』
それはあらゆる種類の精霊たちだった。精霊王と精霊、茜たちを取り巻くように、みっしりと精霊たちがひしめき合っている。精霊王と共に、あちらの世界から精霊を迎えにやってきたのだ。皆、興味深そうな、それでいて哀れみの籠もった瞳で精霊を見つめ、時には面白そうに突いたり、触れたりしてくる。
『帰りましょう。小さな子。私たちの世界へ』
『ソウダソウダ。イッショニアソボウ。ニンゲンナンテホウッテオイテ』
『寂しいなら、共に居て欲しいなら、私たちが居るじゃない』
『可哀想な子。人間に惹かれるだなんて』
すると、一人のドライアドが精霊たちの中から一歩進み出た。そして、よく似た歪な手を伸ばして、優しい声で言った。
『……さあ、おいで。人間のことなんて、忘れた方がいい』
精霊は伸ばされた手をじっと見つめていた。
その様子を、精霊王や茜たちは固唾を飲んで見守る。
茜は酷く複雑な心境だったが、これも精霊のためになるならばと、黙って見つめていた。逆にひよりは目に涙をこぼれんばかりに湛えて、下唇を噛み締めて精霊を見つめている。
やがて、成体のドライアドがしびれを切らして動き出した。
伸ばした手で、精霊に触れようとしたのだ。けれども、その手は精霊に触れることなく終わった。精霊から伸びた緑の蔓に払いのけられてしまったのだ。
「やーーーーーーーっ!!」
それを皮切りに、精霊は大きな声を上げて大暴れし始めた。
体のあちこちから蔓を伸ばし、花を咲かせ、実を着ける。何故か大量の蛙まで溢れ出て、賑やかな声を上げて跳ね始めた。
「ひゃっ!? なにこれなにこれ、おねえちゃんっ!」
「まめこ!? 落ち着いて……きゃあっ!」
「茜、離れ――うわあああっ!」
「あ、あなた。落ち着いて……!」
ゲコゲコ、しゅるしゅる。辺りは大騒ぎだ。
それに驚いたのか、辺りに犇めき合っていた精霊たちは姿を消してしまった。
精霊王は、必死になって暴れる精霊をなだめようと声を掛けている。けれども精霊の混乱は深まるばかりで、事態は一向に収拾しそうにない。
「やーーーーっ! やあああ……っ! あーねっ! あぁねっ!!」
精霊は大粒の涙をポロポロと零し、その手を、茜に、ひよりに、レオンに、そしてジェイドに向かって伸ばしている。それはまるで、母親を求める子供のようだった。必死に、声を枯らして叫び、精霊王の手から逃れようともがいている。
「……まめこ……」
茜は瞳を揺らすと、一度視線を落とした。
そしてきゅっと唇を噛みしめると、勢いよく顔を上げた。
「まめこっ!!」
そして、思い切り精霊に走りより、その小さな体を抱きしめた。
「ごめん。一緒にいたいんだよね。ごめん。本当に、ごめん……」
「まめー……」
茜は愛おしそうに精霊を抱きしめると、その頭に顔を埋めた。
精霊は求めていた温もりに包まれると、冷静さを取り戻したようだ。嬉しそうに声をあげると、「んっ……」と体に力を入れる仕草をして、ふるりと震えた。
「……まめこ? これは……」
「まめー……」
その瞬間、精霊が伸ばした蔓や、精霊自身の体から暖かな色が溢れ出した。
小さな花びらを幾重にも重ねて、暑い真夏を想起させる、太陽とも言われるその花が、まるで早送りをするように次々と花開く。混乱の局地に至っていたそこが、暖色に彩られて鮮やかに浮かび上がる。突然、向日葵の花に囲まれた茜は、驚いたように目を何度か瞬いて、けれども次の瞬間には破顔した。
「まめこちゃんっ!! 覚えていてくれたんだねっ!!」
そこに、勢いよくひよりが飛び込んだ。
茜ごと精霊をぎゅうと抱きしめたひよりは、顔を真っ赤にして感激している。
「向日葵……すっごい綺麗。ありがと。まめこちゃん、ありがと……!」
「ぐむ……ひより、苦し……」
「ほら、茜が苦しそうだよ。力を緩めて」
「あ、ごめん」
見かねたジェイドが声を掛けると、ひよりはようやく力を緩めた。けれど、精霊の頭を撫でるのはやめない。そして、三人がくっついているところに、自分も! と言わんばかりにレオンが潜り込み、三人の合間からひょっこりと顔を出した。
三人と一匹で、ぎゅうぎゅう押し合いへし合いしている現状に、自然と笑顔になる。
その様子を少し離れて見つめているジェイドも穏やかな表情を浮かべ、一気にほのぼのとした空気に包まれた。
「――……」
けれども、精霊王だけは浮かない表情をしていた。
彼女は世界を創り出した神だ。すべてを理解している。けれど、止めはしなかった。これこそが、精霊の望むことなのだと知っていたからだ。
「……まるで本当の家族のよう」
精霊王がぽつりと呟いた言葉には、どこか苦々しさが残っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
やがて、精霊は両手を合わせてお椀のような形を作った。
茜やひより、ジェイドは不思議そうにそれを見つめている。
「まめ……」
精霊は小さく呟くと、手のひらから何かを生やし始めた。
初めは小さな双葉だった。しゅるり、と早送りの映像のように徐々に大きくなっていくそれは、小さな蕾を着けて、膨らみ、白い花を咲かせた。
「……あっ」
茜にはそれが何かすぐにわかったらしい。驚きながらも、僅かな笑みを湛えてそれを見守っている。やがて、白い花が散ると、さやが姿を表した。初めは膨らみも少なかったそれは、徐々にふっくらとしてきて見慣れた姿になっていく。
「わ、おねえちゃん。これ……」
「うん。枝豆だね。まめこが、私に初めてくれた、贈り物」
やがて、立派なさやを実らせた精霊は、満足そうにそれを見つめて――更に力を籠めるような仕草をした。
「……まめこ?」
枝豆の実や葉の鮮やかな緑色が茶色く変色していき、茎が徐々に枯れていく様子を見た茜は、怪訝そうな声を上げた。
けれども、枝豆の成長は止まらない。
葉はかさりと乾いた音を立てて、水分が抜けきった茎は触れれば折れてしまいそうだ。
「……っ! まめこちゃん!?」
「えっ?」
その時、ひよりが驚いたような声を上げたので、釣られて茜は顔を上げた。
そして、目に飛び込んできた光景に絶句した。
――今は、秋だったろうか?
一瞬、そんな考えが過って、それはないとすぐさま打ち消す。まだ、紅葉には早いはずだ。なのに、どうして――。
「まめ……」
精霊の頭上――ふさふさと茂っていた緑の葉が、黄や紅に染まり、枯れ始めている。
元々ゴソゴソとしていた木の肌も、大きくひび割れ、まるで長い年月を経た老木のようだ。そこに鮮やかに咲く向日葵の花。今も数を増やしている花に、強い違和感と覚えると共に、綺麗だと思っていた花がまるで精霊の命を吸っているようにも思えてぞっとする。
「やめて。まめこ!? どうしたの!?」
「……んん……」
「まめこちゃん!」
「まめこ!」
「くうん……」
全員で精霊を取り囲み、止めさせようと必死に声をかける。
けれど、精霊は一向に止めようとしない。只管、健気に真剣に命を賭して、最後の贈り物をしようと、自らの命を魔力に、そして花に手のひらの豆に集中する――。
……やがて、手のひらのさやは褐色に染まった。そして、ぱかりと境目を開くと、中にあった豆を露出させた。
そこにあったのは、まるで雨に濡れた後の葉のような深碧の珠。仲よさげに四粒並んだそれは、きらりと眩い光を反射していた。
その精霊の創り出した結晶を、揃って息を飲んで見つめる。
茜の脳裏に浮かんでいたのは、厳冬の中で咲いた梅の花。妖精女王の手に落ちた、真紅の宝石の記憶。それは酷く哀しい想いを伴うものだと知っていた茜は、信じられないような気持ちで精霊を見た。
――ぱきん。ぱき、ぱき……。
その瞬間、何かが割れるような音がして、また茜の心臓が跳ねる。
やめて、と口に出そうとして、駄目、と引き留めようとして精霊に手を伸ばす。
……けれども、その手は何にも触れることはなく。
精霊の体は、ざらりと粉になって散ってしまい、空を切った。
「……っ!! う、そ……」
はくはく、と口を何度か開閉する。
息がうまく吸えない。信じられなくて堪らず視線を泳がす。けれど、足元には白い灰と埋もれるようにして散らばる向日葵の花に、深碧の珠。あの時々怖いけれど、どうしようもなく可愛らしい精霊の姿はどこにもない。
茜は、心臓のあたりをかきむしるような仕草をすると――
「いやあああああああああああああああ!!」
空に向かって絶叫した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一気に静まり返ったその場所に、茜とひよりの鼻をすする音が響いている。
茜は、指先を灰で真っ白に染めて床に這いつくばるようにしている。それはまるで精霊を抱きしめようとしているが如く、けれどもその腕には誰も収まることはない。ただ只管涙と嗚咽が漏れるだけだ。
「……泣くのはおよしなさい」
その時、声を上げたのは精霊王だった。
ゆっくりと茜の傍でしゃがみ込んだ精霊王は、優しく背を撫でる。
茜は涙でボロボロになった顔をあげると、精霊王が纏う白い衣を掴んだ。
「どうして……っ!」
「……」
「どうして、あの子がこんな目に……っ!!」
精霊王は、茜に言葉に小さく首を振り、その手を離すと、灰に埋もれるようにして落ちている深碧の珠をひとつずつ拾い始めた。
「大丈夫よ、ヒトの子」
そして、拾い上げた深碧の珠を、茜の手に握らせた。
「あなたの世界は、魔力がない世界。精霊には絶対に住まうことの出来ない世界。人間で言えば、水がないようなものだわ。体の大部分を形作るものがないようなもの。でも、この子はどうしてもあなたたちと一緒にいたかった。人間の言葉を理解するくらい、大きくなっていれば違った結末があったのかもしれないけれど」
精霊王は、もう一粒の珠をひよりに握らせながら言った。
「よっぽどあなた達が好きだったのね。それだけ、大切にしてくれたのね。……ありがとう。本当にありがとう」
ジェイドにもう一つの珠を握らせる精霊王。最後に残った一粒を手にした精霊王は、レオンを見つめて微笑んだ。
「――これは、ドライアドの種」
「……種……?」
茜が首を傾げると、精霊王はひょいと宙から何かを取り出すような仕草をした。
そして次の瞬間には、丸いブローチを手にしていた。それは王妃が茜にとプレゼントしたものだ。
「――素晴らしいわね。天寿をまっとうしたドライアドの木を削って作られている。こんなに貴重なものを持っているだなんて、運命というやつなのかしら?」
「き、ちょう……?」
「神が運命なんて口にするのは変な感じね。でも――これでこの子の望みを叶えられる。種をこれで包み込めば――ずっと一緒に居られるのよ」
精霊王はふわりとブローチを宙に浮かべると、手のひらでさっと触れた。
その瞬間、ブローチはまるで粘土のように形を変えた。そして、4分割に別れそれぞれの珠へと飛んでいく。
そしてぐにゃりと変形して、珠を取り囲んだ。
――ひとつはペンダントトップに。
――ひとつは髪留めに。
――ひとつはピアスに。
――ひとつはボタンに。
茜たちは、手の上で変形したそれを呆然と見つめている。
精霊王は満足そうに仕上がりを眺めると、ぽんと両手を打った。
「これで携帯しやすくなったでしょう。いつも一緒にいてあげて。そして、あちらの世界に腰を落ち着ける日が来たら――そうね、鉢にでも植えてあげればいいわ」
「鉢って、植物じゃあるまいし」
茜はあまりの状況についていけず、思わず頭を抱えてしまった。
そんな茜に、精霊王は楽しそうに笑って言った。
「馬鹿。植物の化身なのだから、間違っていないわ。魔力がたっぷり含まれた土の中で過ごせば、すぐに生えてくるわよ」
「生えて……」
「不思議だと思う? でもね、そういうものよ。妖精女王の伴侶のように、人間から人外になるわけではないもの。それほど時間は必要ない」
精霊王はそう言うと、茜の頭を包み込むように抱きしめた。
「これは別れじゃない。だから……また、会った時。あの子を、笑顔で迎えてくれる?」
「……っ!!」
茜は精霊王の腕の中で、泣きそうになるのを必死で堪えながら――何度も何度も頷いたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
暗く冷たい場所で、じっと膝を抱えて眠っている。
誰もいない、何も見えない、聞こえない。
けれど、徐々に体に何かが染みてくるのを感じる。
乾いて乾いて仕方がなかった体に、温もり溢れる何かが染み込んできて、徐々に開放されていくような、そんな感覚がする。
あまりの心地よさに、ううん、と大きく体を伸ばす。
すると、ぼこりと手が冷たい場所を突き抜けた感覚がした。
ニギニギと手を動かして、一気に動き出す。
この先に何が待っているのか、よくわからないけれど――きっと、楽しいものが待っているに違いない!
そう思った精霊は、勢いよく飛び出した。
――ぼこん。
「んんん~~~っ!! ばあっ!!」
そして――暗い中を抜けた先。そこで待っていたものは――。
「……おかえり……まめこ……!!」
何よりも温かい、満面の笑顔。
一万字超えましたね(頭抱え)
少し遠回りなエンドではありますが、これもまめこのひとつのエンドかな~と思っております。
さて、この先少し多忙になりまして、更新は不定期とさせていただきます。
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