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晩酌4 待望の枝豆と気まぐれな女王 前編

 オムライスに唐揚げ、ポテトサラダにナポリタンにプリン。

 餃子とカレーは時間と材料の関係でまた後日。

 まるでお子様ランチのような妹の好物を妹の前に並べて、きらきら嬉しそうな顔を眺めながら食べた夕食は久しぶりに心休まる瞬間で、ここ最近のどんよりした気分が吹っ飛ぶようだ。

 妹は口いっぱいにご飯を詰め込んで、旅先の思い出や武勇伝を嬉々として語る。

 旅先の珍しいご飯のあれこれ。

 素晴らしかった景色の話。

 とんでもなく大きな鯨のような魔物と戦った話。

 邪気に飲み込まれた町の残骸が、酷く荒れ果てていてショックを受けた話。

 浄化後の穢れ地が、綺麗な花畑になってびっくりした話。

 浄化した後、みんなから感謝されて、泣いてしまった話。



「…私、自分のために聖女になったけど。今回の旅で、みんながどれだけ苦労してるか、実際に目の当たりにして。浄化、頑張ろうと思ったの」



 妹は、少し照れたように笑う。



「私、単純だよね!みんなに感謝されてさ…ありがとうありがとうって、言われて嬉しかった。きっと絆されちゃったんだよ。私って本当お人好しだね…だけどさ」



 妹は勢いよく唐揚げをひとつ口に放り込んで咀嚼したあと、ごくんと飲み込んだ。そして、



「こういうお人好しが、世界を救ったら。きっと最高にかっこいいよね!」



 そう言って、にかっと歯を見せて笑った。

 浄化の旅で色々あったのだろう。

 順調だった旅は、妹に自信と目標を与えてくれたらしい。

 妹はどこか吹っ切れたような顔をしている。

 私は妹に気付かれないように、なるべくいつもと変わらないよう表情を作って向かい合っている。

 私は妹のように、綺麗に吹っ切れることは出来そうにない。

 ――なら。

 今まで通り、私にできることをしよう。

 妹のやりたい事を精一杯応援してやる。

 それが、おねえちゃんとしての正しいあり方じゃないか。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 妹がご馳走に満足して、部屋に戻ったあと私はまだ台所にいた。

 今晩ティターニアがやってくる。

 妹が語った旅の話の中で、ティターニアが妹を守ってくれたのではないかと思われる出来事が何箇所かあった。…約束どおり、妹を守ってくれたティターニアを精一杯もてなさなければ。


 ――何を作ろうか。


 ううむ、と頭を捻る。

 夏になって市場では新鮮な夏野菜が出回り始めている。トマトなんて、つやつやで大きなものが山積みだった。夏の日差しを浴びて育った野菜たちは、味が濃くて食べ応えがある。

 トマトなんて出来ればそのままで味わいたいけれど、お酒のおつまみとしてはパンチに欠ける。


 冷蔵庫から、真っ赤に熟れたトマトを取り出して眺める。今朝採りたてだというそのトマトは、如何にも甘そうで美味しそうだ。

 ――ああ。あれがあった!

 冷蔵庫をもう一度開ける。その中にはガラスの瓶に入った桃色のひらひら。

 これは、自家製の新生姜の甘酢漬け――所謂ガリだ。



 春も終わりに差し掛かる頃。薬草売りに相談して、探してもらったのが…新生姜。新生姜はよく料理に使われる根生姜と違って、先っぽが紅色で色白の美人さんだ。初夏に旬を迎える、根生姜の新しい芽の部分。市場で根生姜は売っていたので、手に入らないかとお願いしたのだ。


 すると、彼はいつものにんまりとした笑顔で了承して、すぐさま何処からか用意してくれた。お礼にいつもの如く、甘酢漬けを差し入れしてある。

 新生姜は、根生姜よりも辛味が爽やかで柔らかい。お寿司屋さんで見るガリはこれで作られている。手作りのガリは、辛味を好みで調整できるので、お寿司屋さんで食べるものよりもつまみやすい。私の作ったガリは、米酢にリンゴ酢多めで作ってあるのでどちらかというと甘口だ。そして――堪らなく美味しい。酒のつまみにガリ?と思うかもしれないが、これがなかなか合う。

 その味を想像して、思わず唾を飲み込む。

 トマトとガリ。これでアレが作れる。よし、一品目は決まりだ。



 冷蔵庫に入っているもうひとつの食材をとりだす。それは――エビだ。

 今年はエビが豊漁らしく、大ぶりのエビが市場で沢山売られていた。お酒のつまみでエビ…。これはアレしかないだろう。ガーリックシュリンプ。ぷりぷりのエビににんにく…簡単で美味しくて、お酒もご飯もいける憎いやつだ。


 アヒージョもいいけれど、生憎パンを切らしている。パンが無いアヒージョは嫌だ。美味しい油が無駄になる。それは今度にしよう。

 取り敢えず2品。

 ティターニアは、梅の実とチータラも食べると言っていたし、余りおつまみがあり過ぎるのもお酒の邪魔になる。こんなものだろうか。



「枝豆があればいいのに」



 思わずぽつりと呟く。

 枝豆ならあっても邪魔ではないし、口休めにもおつまみにも丁度いい。

 それに、今は夏。枝豆が恋しくなるのは仕方ない。

 こちらの世界では、枝豆を食べる習慣がないようで、市場に売っていない。大豆はあるので、農家につてがあれば手に入りそうなのだけど…。

 まあ、無い物は仕方がない。

 ――ティターニアを満足させてやる!

 私は決意も新たに、気合いを入れてまな板に向かった。



 まずは下ごしらえ。

 ガーリックシュリンプは、殻のまま食べる料理。

 取り敢えず頭と邪魔な脚はむしる。

 背わたを取るために、キッチンばさみで背中の部分をじょきじょき切る。そして中の黒いワタを抜いておく。

 ワタはきちんと取り除かないと、食べた時にジャリっとして嫌な感じがする。その瞬間の残念な感じは、なんとも言えない。だからワタを抜くのだけは省略してはいけない。ワタを抜かなくても食べられない訳ではないけれど、美味しく食べるための大切な一手間だ。


 背ワタをとったら、塩と片栗粉、水を入れて揉み洗い。片栗粉で白かった水があっという間に汚れで灰色に変わる。

 汚れが落ちたら、水分を拭き取って、オリーブオイル、白ワイン、塩、胡椒、ニンニクのみじん切りを入れたマリネ液にエビを漬ける。出来れば1時間以上。最低でも30分。長く漬けたほうが、殻が柔らかくなって美味しい。白ワインは無ければ料理酒でもいい。白ワインのほうが風味は良いけれど。



 エビの下ごしらえが終わって、さあ次だ!と意気込んだ瞬間、ぞくっと背中を悪寒が走った。

 ――何かがそこにいる気配がする。

 …ティターニア?

 そう思って、私は恐る恐る後ろを振り返った。

 すると、部屋の隅、少し薄暗いそこに――何かが少し俯いて立っているのがみえた。


 …ティターニアじゃない!


 それが分かると、ぞわぞわぞわ!と全身に鳥肌がたった。

 それはどう見ても人外だった。

 小柄な少女程の身長で、シルエットだけならば人に見えなくはない。

 それ(・・)は、ほんのりと胸のような膨らみがあり、未成熟な少女を思わせる体型だ。

 けれども、人とは決定的に違う。肌が――全て木で出来ている。ゴツゴツぼそぼそとしていて、木だけに褐色だ。しかも、一部苔むしている部分さえある。

 頭頂部からは、まるで髪の如く細長い緑の葉がふさふさと茂っていて、その葉は顔らしき部分の大半を覆い隠していた。さらには、背中を丸めて俯いている為に、表情を読み取ることは不可能だ。寧ろ目や鼻があるかすら怪しい。それだけ異様な姿だった。


 それ(・・)は、私が見ているのに気がついたのか、人間ならば口があると思われる部分をもごもごと蠢かせた。そして、酷く掠れた声でこう言った。



「まめ…」



 ――なにこれ怖い!


 最初の一言が意味不明で、それが益々怖さを増幅する。腰が引けて、思わず後ずさる。けれど、私の後ろは流し台だ。直ぐに逃げ場が無くなる。

 どうしよう、とあちこち見回す。

 流し台の上には窓があるけれど、窓際にはごちゃごちゃ調理器具が置いてあって、スピーディに逃げられそうにない。窓に噛り付いている隙に、背中でも刺されたら一巻の終わりだ。残りの出口は――その人外のすぐ横。つまり、私に逃げ場は無かった。


 その間にも、それ(・・)はずるずると足を引きずりながらこちらへにじり寄ってくる。

 時折「まめ…」と呟いているのが恐ろしい。

 そうこうしているうちに、それ(・・)のふさふさと茂った葉が眼前に迫り、息がかかりそうなくらいに近くなった。

 ぶわっと、山の中にいるような濃厚な土と、木々の匂いが鼻をくすぐる。山の中で匂うなら癒されそうなその緑の香りも、台所で嗅ぐと異様でしかない。


 ――木のお化けかなんかなの!?


 回らない頭で一生懸命考えてはみたものの、答えは一向に出そうになかった。



「…まめ…」



 それ(・・)は少し首を傾げながらまた謎の言葉を発した。私が反応を返せずにいると「…まめ!」としつこく何度か繰り返しはじめた。

 もしかして、何か伝えたいことがあるんだろうか。同じ言葉を何度か繰り返すだけで、それ(・・)は特に私に危害を加える様子はなかった。

 暫くすると、私に話が通じないことに困り果てたのか、それ(・・)はもごもごと口を蠢かせ、頭を左右にブンブンと降ったと思うと――ピタッと止まった。


 しん…と静寂が辺りを支配する。

 人外に迫られた状態の静寂ほど恐ろしいものはない。

 私はどうすることもできずに、唯々息をひそめながら逸らしたくなる目を必死にそれ(・・)に固定して、どうにか逃げ出せないかと頭をフル回転させるけれど恐怖でなかなか思考がまとまらない。

 どれくらい時間が経ったのだろう。

 それ(・・)はゆっくりと口を開いた。



「え…まめ?」

「…はい?」



 先ほどとは変わった言葉の内容に、思わず聞き返してしまった。

 一瞬、やってしまった!と後悔したけれど、それ(・・)は、通じたと思ったのか、ぴくん!と体を震わせ、謎の言葉をまた喋り始めた。



「え…まめ、えぇまめ…え、あぁまめ…」

「えあまめ?…もしかして…枝豆…?」

「えあぁまめ!」



 どうやら合っていたらしい。

 それ(・・)は、嬉しそうに左右にぶんぶんと激しく体を振っている。

 それにしても枝豆と言われても、どうして欲しいのか解らない。枝豆を寄越せということなんだろうか。



「ごめんね?ええと、枝豆はないんだよ?大豆ならあるけど…」

「えあぇまめ!」



 私の言葉を理解しているのかどうか判らないけれどそれ(・・)は、ぶんぶんと体を振るのをやめない。

 私は困ってしまって、どうしたものかと悩んだ挙句、なんとか説得してお帰りいただくしかないと結論づける。


 ――現物を見てもらって、諦めてもらおう。


 そう思って、流し台の引き出しに入っていた大豆入りの袋を、それ(・・)から目を離さないように視線を固定したまま、手探りで取り出してそれ(・・)に差し出した。



「ほら、大豆しかないの。…枝豆はないから。豆が欲しいならあげようか?ね、だから…」



「帰ろう?」と続けようとしたけれど、私の手からそれ(・・)が袋を受け取ったせいで、言葉が詰まる。

 それ(・・)は、木の小枝をいくつも繋ぎ合わせたような歪な手で摘むように袋を持つと、それを眼前に持ち上げてじろじろと眺め始めた。

 そして徐にその袋をがぱあ、と大きく口を開けて、ぱくりと飲み込んだ。



 ――飲んだああああ!



 悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。

 想像して欲しい。自分の目の前で、自分の頭より大きく開けられた口の中に、自分の渡したものが飲み込まれる瞬間を。

 全身が粟立つ。汗が背中を伝う。もぐもぐと大豆を袋ごと咀嚼するそれ(・・)が、他を捕食する何かにしか見えない。まるで迂闊に手を出すとどうなるか見せつけられた様で、足が震える。

 やがて、ごくりと大豆を飲み込んだそれ(・・)は、ぷるぷると体を震わせて一言叫んだ。



「まめ!」



 その瞬間、それ(・・)がうっすら緑色の光に包まれた。そして、ぶるぶるぶるっと強く体を震わせると――一斉に体のあちこちから緑の芽が芽吹き出した。

 それ(・・)が体を震わせる度に、体から芽吹いた緑は早送りの映像の様に伸びていく。するすると伸びた芽はやがてたくさんの葉を茂らせ、一気にそれ(・・)を覆い尽くしていった。

 そして、それ(・・)は、さらに体を震わせた。すると、伸びた枝の先からみなれた房が顔を出した。

 その房を目にした私は、思わず目を疑う。

 ぷらぷらと何房か固まって成っているそれは――まさしく枝豆。

 数分後、漸くそれ(・・)の全身を覆っていた緑の成長が止まった。

 それ(・・)は、また嬉しそうに左右にぶんぶんと体を揺らす。すると全身を覆う葉がファサファサと一緒に揺れ、鈴なりに成る枝豆も一緒に揺れた。



 ――え、枝豆…!!



 私はごくりと喉を鳴らす。

 鈴なりの枝豆。ひとつひとつの鞘がとても大きい。

 ぷくぷくと盛り上がる鞘からは、中の豆が大きく食べ応えがありそうなのがわかった。

 鞘も葉も濃い緑色をしている。夏の太陽をたっぷり浴びて育った枝豆は、きっと濃厚な夏の味がするに違いない。


 …いや、太陽は浴びてない。そういえば、浴びてなかった。この枝豆はいま得体の知れない人外からにょきにょき生えてきたんだった。私の頭は今最高に混乱している。


 ――でも、それを差し引いても。

 …なんて美味しそうな…。

 枝豆ビールビールビール枝豆ビールビール…。


 思わず味を想像してしまい、ごくりと喉を鳴らす。

 さっきまで恐怖に駆られていたというのに、頭の中は枝豆でいっぱいだ。

 よくよく考えてみると、元の世界にいた頃はいつでも枝豆は食べることができた。冬ですら冷凍の枝豆が食べられる環境だったのだ。つまり、私の晩酌ライフは枝豆と共にあったと言っても過言ではない。

 だけれど、異世界に飛ばされてからは随分とご無沙汰だ。


 ――いい加減、枝豆とビールを飲みたい。

 そんな、お酒への欲望全開の私と、

 ――いや、待て!相手は人外だ。何をしでかすかわからないし、私に害を成そうとしているのかもしれない。油断しては駄目。

 必死に危険信号を送ってくる理性的な私が激しくせめぎ合う。


 枝豆と恐怖の合間で揺れる私の頭はぎゅるぎゅると全開で回転して、今にもパンクしそうだ。

 そんな私をよそに、それ(・・)は未だ楽しそうに左右に体を揺らしていた。

 それに合わせて、鈴なりの枝豆も揺れ、自然と目で枝豆を追っていた私の視線も左右に揺れた。



 右、左、右、左…。

 ぶらーんぶらーんぶらーんぶらーん…。

「枝豆…」

「ほ。その豆、枝豆というのか」



 そのとき、聞き覚えのある声とともに、私の腕に誰かが絡みついてきた。

 視界に映り込んできたのはふわふわの白金の髪。



「ティターニア!」

「ふふふん。もてなされに来たぞ。…で、何をしておるのじゃ。お主ら」



 ティターニアが半ば呆れた顔でこちらを見た。



「いや、ええと…なんだろね?」

「まめー」



 思わずその得体の知れないそれ(・・)と顔を見合わせてしまって、その瞬間、なんとも言えない変な空気に場が包まれた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「しゅ、収穫…ッ!」

「えあぁまめ!」



 鋏でぷちん、と枝豆を切る。



「い、痛くない!?大丈夫!?」

「あううー」



 誰かの体から生えているものを、刃物で切るのは心臓に悪い。

 私は椅子に座るそれ(・・)から枝豆を収穫してざるに入れていく。それ(・・)はおとなしく椅子に座り、何故か楽しそうに足をぶらぶら揺らしながら、素直に枝豆を切らせてくれていた。

 ティターニア曰く、それ(・・)は木のお化けではなく、木の精霊(ドライアド)だった。ティターニアによると、まだ力の弱い子どもの精霊らしい。


 何故そんなものがここに居るのかというと、妹が東の穢れ地を浄化した影響のようだ。

 恐らく邪気に当てられて変質していた精霊が、浄化の力で元に戻ったものの宿り木を無くして彷徨っていたのだろうと。

 そして彷徨っているうちに、珍しい聖女の一団にくっついてここまで来てしまったのでは無いかという事だった。



「くっついて…って、そんなくっつき虫じゃあるまいし」

「阿呆め。下位の精霊はそこらの犬猫とたいして変わらない自我しか持たぬ。…恐らく、聖女の濃厚な魔力の気配につられたのだろうの。害する気は無さそうだし、放っておいて平気じゃろう…で、なんでそんなものが、豆だらけになっておるのだ?」

「枝豆が欲しいというので…大豆を差し出したら、こんな事に」

「んん?意味不明じゃな」



 それはこっちの台詞だ。

 いきなり台所に変なものが現れたと思ったら、枝豆が生えてきた。

 これを即座に理解できる人がいるならばお目にかかりたいものだ。



「ありそうなのは、聖女とお主を勘違いして、恩返しのつもりでやらかしたんじゃないかの。…お主と聖女は魔力の質は似ておるし」

「魔力の量は雲泥の差なんですけどね…」



 改めてドライアドを見つめる。

 身体中に枝豆を一杯つけて、リズミカルに左右に揺れつつ、足をバタバタしているその姿は、子どもの精霊だと聞いたこともあって、人外で恐ろしい見た目なのになんだか憎めそうにない。



「私が枝豆が欲しいって言ったから、叶えてくれたのかな…」

「なんじゃ、その豆美味いのか?」



 私の言葉を耳聡く聞きつけたティターニアが素早く食いついてくる。

 私はそんなティターニアを優しい目で見下ろして、「愚問ですね」と言った。そして――…



「枝豆は、お酒の恋人です」

 そう満面の笑みで言い切った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 枝豆は茹でる時間と塩加減が大事。

 時間が長すぎても、塩が多すぎても駄目だ。

 枝豆を茹でる水の4パーセントの塩。それをきっかり守れば、美味しい塩ゆでが出来るのだ。



「ふふふん、ふふーん」



 鼻歌交じりに枝豆の鞘の両端をはさみで切り落とす。

 地味な作業だけれど、これをすることで塩味がよく染みる。美味しい枝豆にたどり着くまでの大切なプロセスだ。

 手の中の枝豆が愛おしい。

 鞘の中の大切な豆を傷つけないように、丁寧にはさみで落としていく。



 ドライアドは枝豆を全部収穫したら、どういう理屈か全くわからないけれどすっかり葉が全て抜け落ちてしまって、元の姿へ戻ってしまった。

 今のところどこかへ行くつもりは無いようで、台所の椅子に座って足をぷらぷらさせている。

 ティターニアはまだ準備が出来ていないことを知ると、「少し出かけてくる」とどこかへ行ってしまった。

 いつ帰ってくるかはわからないけれど、帰るまでには支度を終えなければ。



 せっせせっせと、枝豆の両端を切り落とし続けて15分。やっと全て終わった。

 私はその枝豆に分量内の塩を振ると、ごりごりとその塩で揉んでいった。



「あうー」



 いつの間にか隣にドライアドが寄って来て、私の手元をしげしげと眺めている。そして、こちらに顔らしき部分を向けて来た。

 何となく「何してるの?」と聞かれている気がしたので答えてみた。



「塩で揉んで、表面の産毛をとってるんだよ。このままだと口当たりが悪いからね」



 私がそう言うと、ドライアドは言葉を理解したのかどうかわからないが、何となく「ふーん」と言うような雰囲気で手元の枝豆に視線を戻す。

 その様子を確認して、私も手元の枝豆を揉む作業に戻る。

 だいたい全体をもみ終わったら、残りの分量の塩を沸騰したお湯に入れて、枝豆もそのままお湯に投入する。

 薄い色だった枝豆がお湯に入った瞬間、さっと鮮やかな緑色へ変化する。

 私はいつも枝豆は硬めに茹でる。ちょっとコリコリした方が、食べ応えがあって好みだ。大体2、3分くらいだろうか。丁度よく煮上がったらザルにあげてそのまま冷ます。

 …これで塩ゆでの枝豆の出来上がりだ。



 ひとつ、枝豆をとって味見。うん、丁度いい茹で加減。このまま冷ますと、塩味が豆まで染みて丁度いい塩梅になる。茹でたても美味しいけれど、ちょっと冷めた方がお酒に合う。


 ――明日のひよりのおやつは枝豆だな。


 まだまだ手をつけていない枝豆は沢山ある。明日も枝豆を茹でることにしよう。枝豆はひよりの好物でもあるから。

 夏に縁側に座って、暑い中氷たっぷりのサイダーとスイカと枝豆を食べるのが何時もの定番だった。

 今年も一緒に枝豆が食べられる。

 あたりまえのように思っていたけれど、それはとても尊いことだったのだと今になってしみじみ思う。



 ふと隣を見ると、ドライアドがザルにあげた枝豆をじっと見つめていた。

 何を考えているのだろう。葉に覆われた頭部からは読み取ることは出来ない。

 私はなんとなくひとつ枝豆をとって、手のひらに豆を取り出した。



「食べる?…あ、自分から生えたやつは嫌かな…」



 思いつきでそう言ってはみたものの、またも山の主の時のような共食い案件を作り出すところだった。

 危ない危ない…少しは学ぼうよ、自分…。

 そう思っていたのだけれど、ドライアドは意外なことに、ぱっと嬉しそうに顔をこちらへ向けると、ぐわっと大きな口を開けた。

 一瞬その口の大きさに恐怖を覚えるけれど、なんとか気を取り直して、その中にぽとん、と豆を落とした。

 ばくん、と勢いよく口を閉じたドライアドは、口をごりごり擦り合わせ咀嚼する。すると、また先程の様な緑色の光をうっすらと纏い、軽くぶるるっと頭部を振った。

 すると――にょきにょきと一株枝豆の苗が頭から生えてきた。今度は実をつけなかったけれど、枝と枝の間に小さな白い花が咲いた。

 そして、ドライアドは機嫌良さそうにまた左右に揺れ始めた。



「――ぶっ。…あはははは!」



 思わず私は吹き出し、笑ってしまう。

 だって、ドライアドが揺れるたびに枝豆の苗も左右にぶらぶら揺れてなんだか間抜けなのだ。

 表情はわからないけれど、左右に揺れるドライアドの楽しい気持ちが伝わってきて、なんだか私も楽しくなってしまう。

 人外で見た目が恐ろしくて得体の知れない。そんなものと一緒なのに、何故だか私の笑いは止まらない。

 本当に。本当に久し振りに、私はお腹の底から笑った。

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