幼き精霊の帰る場所2
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次に精霊が目を覚ました時には、もうだいぶん日が高かった。
木のブローチから抜け出し、大きく伸びをする。
精霊は充分な睡眠がとれたことを満足に思い、機嫌よく頭を揺らした。
「……んっ?」
すると、ここでようやく自分の置かれた状況に気がついた。そして、いきなりその場で小さく飛び上がった。嬉しいのか、頭を左右に揺らし、危なっかしい足取りで辺りを走り回る。
そう、そこはあの姉妹が住まう家だった。彼女たちといつも会っていた居間ではなく、どうやら仏間であるようだ。部屋の隅には、小さな仏壇が設えてある。
ひとしきり走り終えた精霊は、次に茜の姿を探した。
がらりと勢いよくふすまを開け放ち、一目散に台所に向かう。
「――まめこ? 来たの?」
――一瞬、あの温かな笑顔が迎えてくれたような気がした。
けれどもそれは気の所為だったらしい。台所は冷え切ったままで人の姿は見えない。
ならばと、居間、客間、二階、納戸にトイレ――部屋という部屋を精霊は調べた。しかし誰も居ない。友人である犬のレオンの姿すらない。
「……むう……」
精霊は不満そうに頬をふくらませると、縁側に出て座った。
日本は、異世界よりも若干季節が遅れている。異世界はすでに秋めいてきているが、日本はまだまだ残暑が厳しい。縁側には人間にはきつすぎる太陽に光が燦々と降り注いでいる。
けれども、植物の化身とも言える精霊にとって太陽の光は好ましいものだ。全身に燦々と降り注ぐ太陽の光は心地よく、思わずその暖かさに浸る。
「……むうー……はっ!」
精霊はあまりの気持ちよさに眠りそうになってしまい、慌てて首を振る。
この調子では、茜が帰って来ても気が付かないかもしれない。これではいけないと、今度は小さな庭を散策し始めた。
どうやら、茜が帰ってくるまで時間を潰すつもりらしい。王城の庭のように豪華ではないけれど、きちんと手入れが行き届いているその庭は、精霊にとっては懐かしい場所だった。なにせ、その中にはかつて棲み着いていた桜の木がある。
「んっ!」
精霊は桜の木に近づくと、勢いよく幹に頭を突き入れ、内部を確認した。そこは精霊にとってのマイホームだ。自分が不在にしていた間に、他の何者に盗られたらたまったものではない。
……どうやら、人の棲み家を奪うような不届き者はいなかったようだ。
精霊は、桜の内部を確認し終えると、頭を引き抜き幹に寄りかかった。そして、古びた日本家屋を眺め、地面に這うアリを見つめて――少しだけ左右に揺れた。
――じゃりっ。
するとその時、誰かが砂利を踏みしめる音が聞こえた。
どうやら垣根の向こうを誰かが歩いているようだ。然程高くない垣根の向こうに、チラチラと麦わら帽子が垣間見える。一瞬、茜たちかと表情を輝かせた精霊だが、風に漂ってくる匂いが違うことに気がついて肩を落とした。
そして、先程までと同じように視線を地面に落とそうとして――視界の隅に色鮮やかな金色を認めて、ぱっと勢いよく顔を上げた。
それは夏を代表する花、向日葵だった。どうやら、垣根の外を歩いている人間が切り花を手にしているらしい。然程高くない垣根越しに、時たまちらりちらりと金色が顔を覗かせるのだ。
精霊は胸が高鳴るのを感じて、太陽の光を甘く煮詰めたような色をした花をじっと見つめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
向日葵は、精霊にとって特別な花だった。
――これはこの家がまだ異世界にあったころの話だ。
「まめこちゃん、見て。これ、私の好きな花なんだよ!」
ある日のこと。
暇を持て余していた聖女……ひよりは、精霊に色々と話しかけていた。もちろん、精霊は人間ほど言葉を巧みに扱えない。もっと長い年月を経れば話は変わってくるのだが、今は「あー」だの「うー」だのとしか反応が返せない。だが、ひよりはそれでも良かったらしい。手にしたスマートフォンの中身を見せては、精霊の反応を楽しんでいる。
その中の一つに、燦々と照りつける太陽の下、見事に咲き誇っている花の写真があった。
「これは向日葵って言うのよ。太陽に向かって、まっすぐ伸びる夏の花……おばあちゃんの家の近くにね、種を採るためにたくさん植えているところがあって。すっごく綺麗なの」
ひよりはそう言うと、私はこの色が好きなのだと笑った。すると、少し離れた場所で話を聞いていた茜が話に割り込んできた。
「向日葵ってひよりみたいだよね」
「――へ? 私?」
「まっすぐなところ、底抜けに明るい感じがするところ……。それに、ひよりってば毎年夏になるとあっという間に日焼けしてくるでしょ。太陽が大好きなところ、本当に向日葵っぽい」
「そうかなあ」
「私は絶対に日焼けしたくない派だからねー。その情熱がどこからくるのか知りたいわ」
茜の発言に、えー! と、途端に身を乗り出して夏の楽しみ方について語りだすひより。
クスクスと笑いながら、家事の手を止めてひよりの話に付き合う茜。
精霊はふたりの会話の邪魔をしないように、存在感を消して話を聞いているのが常だった。
何故なら、ふたりが作り出すこういう日常の雰囲気……それが好きだったからだ。
「今年は異世界にいるから、向日葵は見られないね。ちょっぴり寂しいかも」
ひよりは少しだけ残念そうに語る。そんなひよりに、茜はぽつりと呟くように言った。
「今年ばっかりは仕方ないね。私も寂しいなあ。……向日葵の種、おつまみに良いんだよねぇ」
「……おねえちゃん?」
「あ、あはははははは。何でもない! さって、家事の続き!」
「ぷっ……あはは! まったく困ったおねえちゃんだよ。ねえ?」
「まめー」
「まめこちゃんもそう思うよね~」
「こら! ひより、まめこに変なこと吹き込まないの!」
日本家屋に響き渡る笑い声。
母のように、自分を大切にしてくれる茜。妹のように、たくさん遊んでくれるひより。
ふたりと一緒にいられる時間そのものが、幸福の象徴のようだった。
……ひよりの好きな花。ひよりみたいな花――向日葵。
いつか見てみたいと、精霊が常々思っていた花が向日葵だった。
その花が今、目の前にある。写真よりももっと色鮮やかな金色が、まるで自分を誘っているように思えたのだ。
「まめー!!」
精霊は、垣根の向こうを横切っていく金色めがけて突進した。
けれども、然程広くない庭だ。あっという間に垣根が迫ってきて、精霊は仕方なく足を止めた。向日葵と精霊の間には、大きな垣根が立ちはだかっていて、裏に回り込もうにも行き方がわからない。
なので、精霊は頭上を揺れながら横切っていく花に向かって何度も跳ねた。存在を主張するように、必死に声を掛ける。そうすれば、花の方がこちらにやってくるかもしれない――そんな風に考えたのだ。
それは酷く異世界の住民らしい考えだった。植物は動物ではないのだ。自らの意志を持って、植物の方からやってくるはずがない。しかし、異世界にはアルラウネやら人食い花やら……移動する花は決して珍しくはなかったのだ。
精霊は夢中になって、何度も何度も飛び跳ねた。が、もちろん向日葵はやってこない。
しばらくそうしていると、やっと向日葵の動きが止まった。精霊はぱあっと顔を輝かせて、頭上の金色を期待の籠もった瞳で見つめている。けれど――。
「……?」
――精霊の想いは届かなかった。向日葵は、そのままどこかへ行ってしまった。
「むう……」
精霊は向日葵が見えなくなると、がっくりと項垂れた。けれど、すぐさま気を取り直して、キョロキョロと周囲を見回し――あるものを見つけた。
それは、垣根の隅に空いた小さな穴だ。大人ともなれば、生い茂った葉に隠れて見えない位置にあったが、身長の低い精霊からはよく見えた。
「……んっ!」
すると、精霊は小さく頷いて、その穴に思い切り頭を突っ込んだ。けれども、流石に精霊の体を通すほど大きくない穴に、体がつっかえてしまう。
「んー! んんんー! んっ!」
精霊は両手を踏ん張り、両足をじたばたと動かして必死に垣根から抜け出そうともがいた。
しばらくして、大分苦労して垣根から体を引き抜いた精霊は、肩で息をすると顔を上げた。
――さわ。
その瞬間、夏の風が吹き込んできて、精霊の頭の葉を揺らした。
精霊の目の前に広がっていたのは、遠くまで広がる青々とした田んぼだった。
水田端特有の、水と緑の青さが入り混じった匂いが精霊の鼻をくすぐる。
まだ色づいてはいないが、若い稲穂が尖った葉の間から顔を覗かせている。田を埋め尽くすように茂る稲の葉が、風に吹かれるとまるで海原のようにうねった。
一面の緑の向こうには、ちらほらと民家があるのが見えた。けれど、決して多くはない。きっと、民家の数よりも田の枚数の方が圧倒的に多いに違いない。そんな民家の向こうには、山々が連なっている。峰が途切れることはない。ここは山々に囲まれた場所らしい――。
これが、茜たちが普段住まう場所だ。
南東北に位置し、冬は豪雪が降り積もり、夏は盆地のせいでやたら暑い。都会に比べれば何もない。けれども牧歌的な景色に、のんびりとした空気。豊富な自然はここにしかないものだ。都会であることにこだわらない、小鳥遊姉妹のような人間からすれば酷く居心地がいい。そんな場所だった。
始め、単純にこの家がまた自分の世界に戻ってきたのだと考えていた精霊は、予想外の光景に固まってしまった。城とは似ても似つかない光景に呆気に取られて、向日葵のことを一瞬忘れてしまうほどだった。
「……う。ううー!」
けれども、すぐに調子を取り戻した精霊は、向日葵が去ったと思われる方向に向かって走り出した。その時点で、精霊の頭の中からは驚きは拭い去られている。
確かに、目の前の光景はあまりにも想定外で驚きはした。
――しかし、そんなことはどうでもよかったのだ。
精霊の帰る場所はあの茜たち姉妹の住まう家だ。精霊にとっては、あの場所があるだけで充分。あの場所に帰れるのであれば、茜たちのそばにいられるのであれば、それがどこにあろうと関係ない。
だから、精霊は駆け出した。衝動に身を任せて、熱せられたアスファルトを踏みしめて。あの日聖女が見せてくれた金色を追いかけて、日本の夏の中に飛び込んだ。
その時、精霊の胸は確かに高鳴っていた。