幼き精霊の帰る場所1
今日からまめこのお話です。4話くらいで完結予定です。
――その世界には火、水、風、木、土と5つの属性があり、それぞれの属性を司る「精霊」と呼ばれる存在があった。
精霊はその世界において非常に重要な役割を担っており、精霊王のもと今日も世界を縁の下で支えている――のだが、そんな役割を理解しているのは、ごくごく一部の上位精霊だけだ。一介の精霊は、己の課されている役割など知りもせず、自由気ままに生きている……それが実情だ。
そう――この幼い木の精霊ドライアドもそのひとり。
ジルベルタ王国、王城――大きな月が照らす晴れた夜のこと。中庭にある立ち木の間にその精霊はいた。
普通ならば、人気の少ない森の奥や、誰も訪れない泉、もしくは精霊を祀った神殿などでないと精霊とは会うことはできない。では、何故王城の中庭に精霊がいるのかというと、なんてことはない。少し前まで、ここにその精霊の棲み家があったのだ。
「んー……」
ふらふらとあてもなく中庭を彷徨っていた精霊は、何を思ったのか近くの木にしがみつくとよじ登り始めた。小枝をより集めたような歪な手を器用に動かして、小さな体に似合わずするすると登っていく。
「んん~……ばあっ!」
そして、一気に登り切ると葉っぱの間から顔を出した。がさがさと葉が擦れる音がして、驚いた小鳥が飛び去っていく。精霊は、近くの枝に腰掛けると遠くを眺めた。その方向には、手入れが行き届いた広大な城の中庭の中で、一角だけ芝が剥げている箇所があった。
「まー……めー……」
精霊はそうつぶやくと、足をぶらぶらと揺らした。
その姿、その仕草は、見るものによっては淋しげに見えたかもしれない。
――精霊の視線の先……そこには、少し前まで異界から召喚された家があった。
その家には、とある姉妹が住んでいた。
ひとりはこの世界の誰もが待ち望んでいた、邪気を祓う能力を持つ聖女。
もうひとりは――召喚に巻き込まれてしまった聖女の姉だ。
「あー……」
すると、自分に「まめこ」という名を授けてくれたその人を思い出したのか、精霊はせつなそうに声を上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――その精霊は迷い子である。
精霊の元々の棲み家は、大陸の東の果てにある深い森の奥だった。
森の最奥には、精霊の母であり棲み家である大樹があった。精霊は生まれてからずっと、母なる大樹の中で過ごしていた。何故ならば、精霊は幼く、まだ外界へ出る段階ではなかったからだ。
けれども何の因果か、精霊はある日突然ぽいと外へ放り出されてしまった。大地の上にコロコロと転がった精霊は、わけも分からず母なる大樹を見上げた。
――そこにあったのは、邪気に穢され、侵され……別物に成り果てた母の姿。
この世界には欠陥があった。数百年に一度、溜まりに溜まった世界の穢れが地表に噴出するのだ。邪気の大氾濫……東の地はどこよりも多くの邪気が噴き出し、困窮している地であった。邪気は東の地を黒く染め上げ、それは例外なく精霊が住まう森をも襲ったのだ。
大樹は、自身が邪気によって別のものに作り変えられていくのが分かると、最後の力を振り絞り、我が子を胎内から放り出した。そして、不安そうに自分を見上げる我が子に、ここを去れ、二度と戻るなと告げた。
精霊は母に縋った。邪気に穢され、漆黒に染まってしまった母の幹を必死に抱きしめて、必死に首を振った。そして、嫌だと、一緒に居てくれと願った。
けれども、母はそれを拒否した。更には大きな枝を振り上げ、精霊の小さな体をむち打ち、追い払ったのだ。
「あ……ああああああっ!」
精霊は半狂乱になってその場から逃げ出した。幼すぎた精霊には、母に追い出され拒絶されたことも、たったひとりで世界に放り出されたことも、到底受け入れられるものではなかったのだ。
精霊は駆けた。どこまでも駆けた。最後の辺りには、何故自分が走っているのも分からなくなるくらいには駆け抜けた。そしてあっという間に見知らぬ地に迷い込み、ぽつねんと取り残されてしまった。
「うう……」
母の姿を思い浮かべて辺りを見回す。けれども、見知った景色はひとつたりともなく、ただ名も知らぬ鳥の声が辺りにこだましているだけだ。周囲を取り囲む木々も、素知らぬ顔で幼い精霊を見下ろすだけ。助けてくれる者は誰もおらず、精霊はあまりの心細さに動けなくなってしまった。
――その時だ。
精霊の鼻先を、芳しい香りがくすぐった。
「……んっ!」
精霊はぴょこんと起き上がると、その匂いの元を探った。
今まで嗅いだことのあるものの中で、何よりも唆るその匂い――それは、寂寥感に押しつぶされそうになっていた精霊の心を浮き立たせた。
くん、くんと鼻をひくつかせた精霊は、まるで犬のように四つん這いになって匂いの跡を追い始めた。
この匂いの先――そこには、きっと何かいいものがあるに違いない。そう思ったからだ。
事実、それは間違いではなかった。何故ならば、その匂いは邪気を浄化して回っている聖女の魔力の匂いだったからだ。
そして、その匂いを辿った先には――彼女がいた。
彼女――小鳥遊 茜は、聖女の魔力に惹かれて自宅に迷い込んだ精霊を、始めは戸惑っていたものの受け入れてくれた。食事を与えてくれた。笑いかけてくれた。名を与えてくれた――居場所をくれた。
母に捨てられ、どうすればいいか分からなかった精霊に、すべてを与えてくれたのは茜だった。精霊は感謝した。幼いながらも、目の前にいるこの人間に恩を返さねばと心に決めた。庭の桜の木の中で、彼女の傍にいられる幸せを噛み締めていた。
……けれども、それも長くは続かなかった。
聖女の役目は終わり、茜は元の世界に帰ってしまった。
異界から喚ばれた家も戻ってしまったので、精霊が棲み着いていた桜の木もなくなってしまった。――精霊は、またひとりぼっちになってしまった。
ひとりぼっちになった精霊は、どこへ行くでもなく城の中庭に滞在し続け、樹上からじっと大好きな人が居た場所を眺めている。
彼女が居なくなってしまったあの日から、ずっとずっと眺めている。
「あぁ……ぁ……あー……」
精霊は茜が戻ってくるのを信じて待っていた。
なぜなら、時折あの芳しい匂いが風に乗って漂ってくるのだ。今も忘れられない、聖女の魔力の匂いがするのだ。だから、もう一度会えるかもしれない。そう思ったのだ。
――精霊は知らない。彼女が自分を探していたことを。
すっかり姿を見せなくなってしまった自分を、酷く心配していたことを。友人の妖精女王に探すように頼んでいたものの、女王の配下であるいたずら好きな妖精たちによって、意図的に会えなかっただけだったということを。
そして、茜とニアミスしそうになるたびに、妖精たちの力で茜がいる方向とは逆に誘導されていたことを。
それは、自分たちの女王よりも親しげに茜に接している幼い精霊に、妖精たちが嫉妬した結果だった。たったそれだけのことだったのだ。たったそれだけのことが――幼い精霊を孤独にさせていた。
「あうー……」
精霊は小さく声をあげると、ひらりと樹上から降りた。
もうすぐ太陽が地平線の彼方から昇ってくる。そうなれば、城内で働く人間が大勢動き出す。それは、精霊にとって好ましくないことだった。
――よく知らない人間は怖い。
だからいつも人間に見つからないように、姿を隠すことにしている。
そんな行動そのものも、茜から遠ざかる一因になっていることを精霊は知らない。
精霊はとてとてと歩みを進めると、適当な木を探した。そして、寝床になりそうな木に目星をつけると、するりと内部に滑り込んだ。
そして目を瞑って、眠りが訪れるのを待つ。けれども、母なる大樹と違って普通の木は寝心地が良くない。なかなか訪れてくれない眠りにいらだった精霊は、かつて茜に撫でて貰った時、眠たくなるほど気持ちよかったことを思い出して、歪な手で自分の頭を乱暴に撫でた。
わし、わし、とごわついた自身の頭を撫でる。けれども、ちっとも眠気はやってこない。
「……?」
精霊は首を傾げると、何度も何度も自分の頭を撫でた。……が、やはり目は冴えたままだ。
――その時だ。
「まだ夜も明けないうちにだなんて、勘弁してほしいわ!」
「しょうがないでしょう? 王妃様が、茜様がいらっしゃるまでに用意しておけっておっしゃったんだもの」
「それにしても木のブローチだなんて、なんで急に……?」
「茜様、高価なものは受け取ってくれないんだそうよ。だから、木のブローチ」
「王妃様の誕生日プレゼントのお返しだっけ? ……確かに、異界の美容クリーム、王妃様とっても喜んでいらしたものね。私も欲しいくらい。……でも、これも高価なものよ? 木の精霊が棲んでいたという聖なる木で作られているもの」
「茜様には黙って渡すつもりよ、あの方。……きっとこれの価値を知ったら、茜様ひっくり返っちゃうわ」
「茜」という単語に反応した精霊は、ぴょこんと木の幹から顔を出した。
精霊が入り込んだその木は、中庭の端に生えていた。その横には小路が作られていて、城に勤める者たちの間では近道として知られている。
丁度、そこを通りがかっていた侍女ふたりは、眠気を振り払うように賑やかに話しながら歩いていた。その内容に「茜」の話題が含まれていたのだ。それは、精霊の興味を大いに誘った。
木からするりと抜け出した精霊は、小路の中央に躍り出た。
それは、急ぎ足で歩いていた侍女たちのちょうど真ん前である。
「えっ……何……ぎゃ、ぎゃあああああああああああああ!!」
「お、オバケぇぇぇぇぇぇ!!」
精霊の存在に気がついた侍女たちは、手に持っていた木のブローチを放り投げて、一目散に逃げ出した。精霊を信仰するこの国にとって、木の精霊ドライアドは尊い存在である。悲鳴を上げて逃げるなんてもってのほか。普通ならば、平身低頭して祈りを捧げるくらいの場面であるが――今日ばかりは時間がよろしくなかった。
今は夜明け前。月明かりだけが照らす中庭で、頭から葉が生え、体は木肌のようにごつごつしている少女のような何かが現れれば、逃げたくもなるだろう。
精霊は侍女たちの後ろ姿をしばらく眺めていたかと思うと、道に落ちてしまったそれの存在に気がついた。派手ではないけれども、丁寧に作られたと思われる箱――その蓋がわずかに開いて、中のものが露わになっている。
それは先程侍女たちが話していたブローチだった。
木材は綺麗に楕円状に削られ、真ん中に乙女の横顔が彫られている。その意匠は見事なもので、ひと目でかなりの匠が作ったものだと分かる。……まあ、精霊にはその価値はちっとも分からないのだけれど。
だが、逆にそのブローチの素材の良さは誰よりも理解ができた。
精霊はそっとブローチに手を伸ばした。そして、指先で表面を撫でると――しゅるんっと内部に滑り込んだ。
そこは、木の精霊にとってはどこまでも居心地のいい空間。
他の精霊が長年棲んでいた木の内部は、あの母なる大樹の中のようだ。
ここならば、きっと熟睡できるだろう――精霊は体を丸めて目を瞑った。
そして、母と過ごした日々の夢を見た。それはとても懐かしく、嬉しく、哀しい夢。
「うー……」
精霊は、眠りながら涙を零した。
――そのブローチは、翌朝無事に侍女に回収された。
箱もブローチそのものにも傷はなかったので、高価な品だったこともあり、それはそのまま王妃の下へと運ばれた。そして――無事に茜の手に渡ったのだった。
異世界おもてなしご飯をいつも読んでくださり、ありがとうございます!
きたる10/4(木)に、コミカライズ版おもてなしご飯2巻が発売になります。
コミックスでしか読めない描き下ろしもあり、非常に読み応えがある一冊となっています。目玉焼き先生の描く茜たちの物語は、小説と結構違う部分も多いんですよ。この機会に、是非読み比べてみてはいかがでしょうか。