三巻発売記念SS:いつもの三人(カイン・ひより・セシル)
カイン視点。
3巻時点…なので、秋の浄化の旅出発前のお話です。
真夏の太陽が眩しい、とある朝のこと。
「おねーちゃーん! 靴下がない! ああ、ピンもない! なんでえ!?」
私とセシルは、大騒ぎしているひよりの声を聞きながら、居間で出されたお茶を飲んでいた。今日はひよりと出かける約束をしていた。……が、いつまで経ってもひよりは待ち合わせ場所に現れず、痺れを切らしてこの家に迎えに来たところ、玄関先で寝間着姿のひよりと遭遇したという訳だ。
「……カイン? あれ、今日はお休みじゃ……って。ああああ!!」
ひよりは、私たちとの約束をすっかり忘れていたらしい。可愛らしい悲鳴を上げたひよりは、大慌てで身支度を始めた。
「お待たせして本当にすみません」
茜が申し訳なさそうに、私に頭を下げる。
「いや、よいのだ。そう急ぐものではないし」
……それに、ひよりの寝間着姿を見られたことだし。
「うちの殿下はむっつりですなあ」
「私の心を読むな、馬鹿者!」
ぺし、とセシルの頭を叩くと、幼馴染の護衛騎士はぺろっと舌を出して戯けた。
「それよりも、ひよりったら遅い……!」
王子である私を待たせるなんてと、茜は落ち着かない様子だ。まあまあと茜を宥めながら、暫く居間で歓談していると、どこからかいい匂いが漂ってきた。それは、小麦が焼ける匂いと酸味のある匂いが混じり合った、なんとも堪らない匂い。三人で顔を見合わせ、キョロキョロと周囲を見回していると――。
「あ、カイン。待たせてごめんね。もうちょっと待っててくれる?」
居間と台所を繋ぐ戸から、ひよりが口をもぐもぐさせながら顔を出した。
その瞬間、すぐ隣で怒気が膨れ上がったのを感じ――私はそっと両耳を手で押さえた。
*
「まったくもう! 人を待たせているのに、のんびりご飯を食べているなんて!」
「お昼ご飯まで何も食べないのは無理!」
ひよりは茜に説教されながらも、皿に乗せたパンを千切った。そのパンは、白い何かでパンの内側を縁取り、その中に卵を落としたものだ。それをカリッと焼き上げ、塩コショウを振ったのだという。
「ね、カインもそう思うでしょう?」
ひよりは、パンに卵と白いソレをたっぷりと絡めつつ、私に声を掛けた。けれど、正直言って私はそれどころではなかった。私の視線はパンの上でうっすらと焦げが着いたアレ……そう、マヨネーズに釘付けになっていたのだ。
マヨネーズが発する匂い、マヨネーズの熱でトロトロになった姿……それらが朝食を食べたはずの私の胃に総攻撃を仕掛けてくる。その時、私の脳裏には生姜焼きを食べた時の記憶が鮮やかに蘇っていた。食べごたえのある肉に絡みつく、すっぱくて濃厚なマヨネーズのあの味……アレを焼いたなら、一体どんな味がするのだろう……。
「……? あ、カインも食べてみる?」
私の視線に気がついたひよりが、なんとも嬉しい提案をしてくれた。私はすかさず頷こうとして――けれど、茜に遮られた。
「ちょっと待って! 流石に王子様に食べて頂くような料理じゃあ……」
「あー……まあねえ。ちょっと庶民的すぎかも。ごめんごめん」
ひよりは私に謝ると、大きな口を開けてパンに齧りついた。
「うーん。美味しい!」
「…………」
美味しそうにマヨネーズを堪能する想い人。私は、その様子を絶望を抱きながら眺めることしか出来なかった。そんな私の肩を、誰かがぽんと叩いた。
「はっはっは。不憫ですねえ」
私は無言で、爽やかな笑みを浮かべたセシルの脇腹に拳をめり込ませた。
「ぐふっ!!」
「……ふん」
すると、その様子を見ていたひよりが徐に動いた。千切ったパンを崩した卵黄に絡める。柔らかそうなパンに黄金色が絡みつき、染みていく。
ひよりはパンに充分に黄身が絡んだのを確認すると、「はい!」と私にそれを差し出した。
「……ひより?」
「だって、食べたいんでしょ? ほら」
「……ッ!? ちょ、え……!?」
「ひより、カイン王子にそれは失礼じゃない?」
「ええー。嫌なら断ればいいよ。美味しいよ、食べてみなよ」
ひよりは、パンを手に持ったまま、ニコニコしながら私の口元にそれを差し出してくる。
――ななななな、なんだこれは! こっ、子どもじゃあるまいし……!!
私は大いに動揺して、思わず固まってしまった。目と鼻の先に差し出されるパンから、マヨネーズの酸っぱい匂いが漂ってくる。口内に染み出してくる涎をごくりと飲み込めば、ひよりの瞳がゆっくりと細められたのが見えた。
「はい。あーん」
「……う、うううう……」
私はどうすればいいか迷っていると、隣でテーブルに突っ伏して笑いを堪えている護衛騎士の姿が見えた。
――こいつ!!
「……ふがっ!!」
私は、日頃の怒りを込めてセシルの頭をテーブルに押し付けると、半ば自棄糞になってパンに齧りついた。
「美味し?」
「………………美味い」
――口内に広がるマヨネーズの味。
――嬉しそうに笑う想い人の姿。
私は、どういう顔をすればいいかわからなくなって、思わず俯いてしまった。
……ああ。顔が熱い。