番外 おねえちゃんと禁断の夜食
番外編ということで、少し時間を遡って春の中頃、梅仕事あたりのお話です。
夜遅くに読む方は、ご注意ください。
――ほう、ほう。
何かの鳥が鳴いている声がする。
私は、むくりとベットから起き上がり、お腹のあたりをそっと摩る。
――ぐううううう。
私のお腹が盛大に鳴る。
ああ、無性にお腹が減って仕方がない。
今日の夕飯が軽めだった所為だろうか。それとも、昼間に家の周りの草むしりをした所為で、いつもより体がエネルギーを欲しているのか。
時計を確認すると、夜11:30。
今食べると確実に太る。明らかに食べたぶんは脂肪となって、お腹を守る鎧と化すに違いない。
――だけど、ああああ。カップ麺。
――カップ麺食べたい。
――醤油のあっさり味のやつが無性に食べたい。
カップ麺のジャンクな味を想像して、口の中によだれがしみてくる。
カップ麺。日本人の心の国民食、カップ麺。
お手軽で、ジャンクで、偶に無性に食べたくなる中毒性を持つカップ麺…。
――ぎゅるるるるるる!
私の腹の虫は、夜中でも絶好調のようだ。
くそう。駄目だ。耐えられない。
私はベットから立ち上がり、パジャマの上にカーディガンを羽織ると、一階へ足音を立てないようにそっと降りていった。
やかんをガスコンロに乗せて、火にかける。
カップ麺は、スープと麺にこだわった、至ってスタンダードなカップ麺にした。
こういう夜に食べるカップ麺は、シンプルな方がいい。しかも長年愛されているような定番のやつ。
しゅんしゅんしゅんしゅん…
静かな台所に、やかんが熱せられる音だけが響く。
私は、ぴりぴりとカップ麺の蓋を開けて、かやくを麺の上に乗せる。
シンプルなカップ麺だけに、乾燥したねぎとメンマしかない。他には後乗せの海苔。
なんだか物足りなく感じて、冷蔵庫の中を漁る。
この時点で、私の頭の中には太るという言葉はない。
如何に美味しくこのカップ麺を食べるか。
私の思考の全てはそこに向かっている。
チルド室を覗くと、良さげな物があった。
――よし、これを入れよう。
そう思って、それを一つ取り出し、カップ麺の容器の中に入れた。
――コンコンコン。
その時、窓をノックする音が聞こえた。
ふと視線をあげると、ダージルさんが窓の外に立っていた。私は窓を開けて、ダージルさんに声をかける。
「今晩は。ダージルさん、お仕事終わりにしては遅いですね?」
「いや、今日はルヴァンと飲んでいてな。遅くなったんだ…、お嬢ちゃんこそどうした?今日は晩酌する日じゃなかったろう?明かりがついていたのが見えたからな。寄ってみたんだが…何かあったのか?」
「いや、夜中目が覚めたら、お腹が無性に空きまして…ちょっと夜食を。ダージルさんも如何ですか?」
「いや、腹一杯なんだ。遠慮しとく。あー…でも冷たい茶を一杯くれないか。少し飲みすぎたんだ」
「あら、珍しいですね。わかりました。靴を脱ぐのは面倒でしょう?縁側に座って待っていてください」
「ああ。助かる」
ダージルさんはそう言って暗闇の中に消えた。縁側の方に向かったのだろう。
ピーーーー!
タイミングを見計らった様に、やかんがけたたましい音をたてて、お湯が沸いたのを知らせてくれる。私はお盆にお湯を入れたカップ麺とダージルさん用のお茶を乗せて、台所を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うあー。飲んだ後の冷たい飲み物っつうのは、しみじみ美味いな」
「ええ。わかります。生き返りますよねえ」
ふたり縁側に並んで座る。
ダージルさんはぐびぐびと麦茶を一気飲みして、酔いを冷ましている。
そんなダージルさんの横で、私は出来上がったカップ麺の蓋を開けた。そして後乗せの海苔を乗せる。
途端あたりに広がる、しょうゆ味のカップ麺の匂い。
私は容器に鼻を近づけて、くん、と匂いを嗅ぐ。
ふわっと香る、香ばしい醤油と鳥だしの優しい香り。
…うぅ。夜中の空きっ腹には堪らない。
そんな事を考えているうちに、ぐう、とまた私のお腹が主張し始めたので、スープを一口飲む。
――ごくっ。
「…っ、はぁー…」
…堪らん。あったかいスープがお腹に染みる。
スープにこだわったとパッケージにあるだけあって、さっぱりしながらも鳥の旨味がよく出ている。醤油の濃さもだしの邪魔をしておらず丁度いい。
まあ、そうは言っても所詮はカップ麺。
支那そばの有名店なんかと比べるとどこかチープ。
だけどそれがいい。それが癖になる。それがカップ麺の醍醐味だ。
私は箸を持つと、縮れた麺を掬った。
緩やかにウェーブを描いている麺は細め。
たっぷりとスープが絡んだ麺は、ノンフライ麺。
これもメーカーこだわりの麺らしい。
ずる、ずるるるるるるっ
掬った麺を、一気に吸い上げる。
ちゅるん、と最後まで啜り、麺を咀嚼する。
ノンフライのもちもちぷりぷりの麺は、なかなか美味い。これは逆にお店では食べられないもちもち加減だ。
ごくん、と飲み込んだらスープをもう一度。
ふた口目だからだろうか、なんだか醤油の味が強く感じる。スープと一緒に口に含んだ小さなメンマはこりこり。味がほぼしないのは残念。食感担当といった感じだ。
「ふう」
色々と注文をつけたくもなるけれど、今私の心は満足感でいっぱいだ。
こんな時間に食べている背徳感も相まって、異様に美味しく感じられるのが夜中のカップ麺。
――毎日は無理だけど、偶にはいいものだねえ。
そう思って、思わず笑みをこぼした。
…その時、隣から強烈な視線を感じた。何かと思って隣を見ると、「ひっ」と思わず息を飲む。歯を食いしばり、必死であげそうになった悲鳴を堪える。
何故なら、私の前ではいつも優しげな表情のダージルさんが酷く険しい顔でこちらを凝視していたからだ。
「だ、ダージルさん?」
「嬢ちゃん…そりゃあ、何だ」
「何って、カップ麺ですよ。即席麺ともいいます。お湯を入れるだけで作れる私の国の保存食…なのかな」
なんだかうまく説明できない。頻繁に食べているせいで、保存食感が薄いカップ麺については置いておくことにして、何はともあれダージルさんの視線と顔が怖い。
――私、何かやらかした?
そう思って、自分の行動を振り返ると――「…あ。」と、ひとつのことが思い当たった。
「ごめんなさい!ダージルさん、麺を音を立てて啜るなんて、マナー違反ですよね!こっちだと」
「あ、ああ…」
「ですよねー!不快な思いをさせてしまいました!ごめんなさい!私たちの国では、麺を音を立てて啜るのは特別マナー違反ではなかったので…。弁解させてもらうと、こういう汁物の麺類は、音を立てて啜ると麺とスープが一緒に口の中に入ってくるから、一番美味しいんです。なんとも理にかなった食べ方なんですよ!」
「一番美味しい…」
「ええ!一番美味しいんです!」
そう力説すると、ダージルさんは恐い顔のまま固まってしまった。
声をかけてみても反応しないので、私は麺が伸びてしまう前にカップ麺を食べきることにする。
仕方ないので、麺はなるべく音を立てない方向で食べて、箸でスープの中を泳いでいる海苔を掴む。
海苔は充分にスープを吸ってふんにゃり、ぶよぶよだ。
ぱくりと口に含むと、ふわりと匂う海苔の香り。スープの醤油風味と混ざり合って、これはこれで美味しい。
――そうだ、あれを入れたんだった。
ふと思い出して、カップ麺の底を箸で探ると、ごろりとしたそれに行き当たった。落とさないように箸でしっかり掴んで持ち上げる。
「…カップ麺とやらにはソーセージが入っているのか?」
「いや、入ってませんよ。普通」
「じゃあ、それはなんだ。ソーセージっぽい別の何かか?」
「やー、ソーセージですよ。みたとおり」
このカップ麺は、先ほども言ったとおり、スープと麺重視のシンプルなカップ麺だ。肉類は全くと言って入っていない。今日は何だかお肉が食べたい気分だったので、先日市場で見つけた肉屋のおっちゃんお勧めのソーセージを入れた上でお湯を注いでみた。
このソーセージは、家畜化した暴走猪という魔物の肉で作られていて、何より素晴らしいのは皮がパリッとしているところだ。
ハーブたっぷりのぷりぷりの生ソーセージも美味しいけれど、日本の庶民の感覚としてはパリッとしたソーセージが一番食べ慣れている。異世界であっても、それが恋しくなるのは仕方ないことだろう。
スープの海から持ち上げたソーセージは、汁を滴らせて如何にも美味しそうだ。
ひと口かじると、パリッといい音がする。
歯が皮を突き破ると、中から旨味の詰まった肉汁がじゅわっと溢れ、こりこりの硬めの肉は噛み応えがあって美味い。
「――うわあ。お前、そりゃ反則だ」
ソーセージをもぐもぐしながら、ダージルさんを見ると何故か頭を抱えてぶつぶつ唸っている。
…悩み事かな?
悩みがあるのなら、後で聞いてあげよう――そう思いつつも、私はカップ麺の残ったスープをごくごくと飲んで完食した。
「――っふう。ごちそうさま!」
ぱん!と手を合わせて、大満足。
塩っ辛いスープを飲み切ったせいで、流石に喉が渇いてきた。台所にお茶を取りに行こうと立ち上がったその時、居間のほうからもう寝ているはずの妹が目を擦りながら現れた。
「おねえちゃん…あ!カップ麺食べてたの!?ずるいー!」
寝ぼけ眼だった妹は、カップ麺の存在を知るや否や一瞬にして覚醒したらしい。
妹は、ばたばたと足を鳴らして、上の戸棚を開けるとカップ麺を物色し始めた。
それにいつの間にか靴を脱ぎ散らかしたダージルさんが混ざって、ふたりであーでもないこーでもないと騒いでいる。
「ダージルさん、お腹いっぱいなんじゃ」
私がそういうと、ダージルさんは目を釣り上げ早口で捲し立ててきた。
「お嬢ちゃん、そりゃないだろ!?食うなってか!?あんだけ美味そうな匂いさせて、あんだけ美味そうに食べておいてよ!生殺しかよ!?この鬼!」
「やだ!おねえちゃん、そんな見せつけるような事しておいてお預けとか…!このひとでなし!」
「慰謝料として、俺はソーセージ2本を要求する!」
「そ、ソーセージ!?おねえちゃん、なんて罪深い…!私はお米を要求する!」
「なんだ!聖女様、米を貰ってどうすんだ!」
「残った汁にぶちこんでやるのさ!」
「な、なんだってえ――――!?」
私は少し離れた場所で2人の楽しそうな様子を眺める。
異様に高いテンションは、恐らく深夜ならではなのだろう。
お腹いっぱいになって、正直眠くなってきた私は歯を磨いて寝たいのだけど、ふたりはきっと許してくれない。
しょうゆ、豚骨論争に発展しかけているふたりを尻目に、私は台所にお湯を沸かすために足を向けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ずるずるずるずるっ
――ごくごくごくごくっ
「「ぷっはぁー!」」
縁側に座って、カップ麺を食べるふたりは実に幸せそうだ。
「飲んだ後のカップ麺…美味い。美味すぎるな!なあルヴァン!」
「…食べていない私に同意を求めるとは…理解不能だ」
ダージルさんの忘れ物を届けに来たルヴァンさんはいつも以上に不機嫌な顔をしている。
「ああ!美味かったー!いやあ、満足満足!」
「私ももうお腹いっぱい…食べ過ぎたかも…。明日の訓練は山登りにしてもらおう…カロリーを消費しないと…。ふぁ、眠い」
元気一杯だったふたりはあっという間にカップ麺を食べ終わると、徐に縁側から立ち上がり、各々部屋や自宅に帰っていった。
そして、何故かルヴァンさんと私が取り残され――どっかりと縁側に座りこんだルヴァンさんは、私に向かってさも当たり前のようにこう言った。
「茜。私にも一杯」
「はい!?」
「ダージルに出せて私に出せない理由があるのか?」
「いや、えーと。でも」
「君の食べたのと同じものでいいが?」
「いや、そうじゃなくてですね…。私、もう眠いんですけど…」
どうにかして帰って欲しくて、もごもごとそう言うけれど、ルヴァンさんは銀縁眼鏡を指で持ち上げて、珍しくにっこりと笑った。
「飲んだ後のカップ麺は最高なんだろう?楽しみにしている」
「――ひゃい…」
そう言われると弱い私は、肩を落とし重い足取りで、3度目のお湯を沸かしに台所へ向かったのだった。
本編に入れることができなかったカップ麺話でした。
夜中のハイカロリー料理は魔性の味。