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プロローグ 新しい始まりは、日常と共に

連載再開しました。


新しい章「週末異世界編」となります。

どうぞよろしくおねがいします〜! 毎週土曜日更新です。

 白銀で染められた世界が、暖かな太陽の光で溶かされ、若葉が芽吹き始めた頃。

 優しい春の日差しに照らされて里山が色づき始めると、そこに住まう人々も慌ただしく活動し始める。


 妹はクリーニングしたての、パリッと糊が効いた制服を身に纏うと、通学用鞄に荷物をたっぷりと詰め込んで、勢いよく朝ごはんを掻き込んだ。そして、真新しい自転車に跨ると、元気いっぱいに言った。



小鳥遊(たかなし) ひより、今日から高校二年生! 頑張ってくるよー! おねえちゃん、行ってきます!!」



 そして、元気よく手を振ると、勢いよく自転車を漕いで行った。



「いってらっしゃい!」



 その背中に声を掛けながら、苦笑する。今日の妹は、いつもよりもやたら張り切っている。

 ……学校で、何かやらかさなきゃいいけれど。

 ふと振り返ると、そこにはジェイドさんが立っていた。春色のセーターにスラックスを着ている彼は、手に洗濯かごを持っている。



「茜、洗濯物一緒に干すかい?」

「はい、そうしま……そそそ、そうしようかー!」



 私はいつもどおりに返事をしようとして、慌てて言い換える。

 敬語禁止令が出てから、早三ヶ月。未だに、敬語がぽろっと出そうになる。ジェイドさんは蜂蜜色の瞳を細めると、私の頭をぽん、と優しく叩いた。



「減点1。今日の持ち点はあと2点だな。さあ、減点3になったら、今日はビール禁止だぞ」

「そんな、殺生なー!」

「約束だろ? 頑張れ、頑張れ」



 私は、涙目になりながらジェイドさんの後を追う。ジェイドさんは、朗らかに笑いながら、縁側に向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――異世界から戻ってきた私たちは、まず日本を離れていたことの遅れ(・・)を取り戻さねばならなかった。


 私たちが戻ってきたのは、召喚されたあのクリスマス・イブの日。

 こちらの世界ではちっとも時間は進んでいないけれど、私たち自身はそうはいかない。

 暫くの間、学校の勉強から離れていた妹は、冬休みの宿題を見て絶望したらしい。


 どうも、日本を離れていた間に、高校で習った公式やら文法やらが、すっかり頭から抜け落ちてしまったようだ。危機感を覚えた妹は、大慌てで勉強の出来る友だちを頼って、復習に復習を重ねた。お蔭で、三学期の期末試験はそこそこの成績をおさめることが出来た。


 更には、妹はこの春から塾に通うことになっている。

 春休みだって、大好きなスキーもせずに、頻繁に図書館に通っていた。

 正直なところ、周囲の人間は妹の変化に大層驚いていた。高校の先生に、どうしたのかと保護者呼び出しをくらったくらいだ。


 異世界にいる大切な人たちの役に立つために、目標に向かって努力を重ねる妹は、前を向いて、新しい日々を生き生きと過ごしている。

 そして、私はと言うと――。



「じゃあ、行ってくるね。あっ、今日は遅くなりそうなの。新人の歓迎会があって」



 私は、スーツを着込み、通勤用の鞄を手に持つと、ジェイドさんに声を掛けた。

 エプロンを着けたままのジェイドさんは、手の中のお弁当を渡しながら言った。



「今日は、俺も仕事だからね。気にしなくていいよ。聖女さ――ひよりの夕飯は、用意しておくから」

「うん。ごめんね、もう少ししたら落ち着くと思うから」

「ああ、わかってる。気をつけて行くんだよ」



 私はジェイドさんに見送られながら、玄関を後にした。納屋に駐車してある車に乗り込むと、エンジンを掛けてゆっくりと進む。すると、玄関に立っているジェイドさんが、手を振っているのが見えた。

 笑顔で手を振り返して、まっすぐ前を見つめる。

 新緑が眩しい春の道は、運転するのも心地いいものだ。


 ――私は、以前から勤めていた会社を、もうすぐ退社する予定だ。

 今日入社してくる新人に引き継ぎをしてからになるから、あと数カ月は働く予定ではあるけれど。我が家は、王様から頂いた宝飾品のお蔭で充分な蓄えがある。無理に働く必要はないし、それに今後の事を考えると、こちらの世界で仕事を続けるのはあまり現実的でない。


 信号が赤に変わったので、車を停める。そして、私は思わず顔を伏せた。



「はっ……ああああああ!! 今の会話、滅茶苦茶新婚さんっぽかった! ひええ」



 顔が熱い。ジェイドさんとの会話を思い出すと、なんだかムズムズする。

 私は自分に、まるで呪文のように落ち着けと何度も言い聞かせ、息を整えた。


 ……私とジェイドさんは、結婚を視野に入れて色々と準備を進めていた。ひよりが自立した後は、あちらの世界でのんびり暮らすつもりだ。

 町中で小さな食堂でも開いて暮らそうか、なんて話もしている。

 そのために、馴染みの居酒屋の大将のところで、ジェイドさんを雇ってもらっている。彼は大将お得意の鳥つくねをマスターするのだと、張り切っているらしい。


 実際のところ、この国に戸籍のないジェイドさんが腰を落ち着けると言うのはなかなか難しい。今はいいとしても、将来何かあった時は大変だろう。

 将来的に異世界に住むことは、私も納得している。ひよりのやりたいことを考えると、この先、生活の基盤を異世界に置いた方がいいとは思うからだ。

 ……それにしても。



「け、結婚……」



 その単語を口にするだけで、心がふわふわしてきて、どうにもこうにも落ち着かない。まさか、自分に将来を考える相手が出来るとは思わなかったし、同棲している今の状況も信じられない。

 ちらりと右手の薬指を見る。そこには、小さな石が嵌った指輪があった。


 その瞬間、後ろの車から短いクラクションを鳴らされてびくりとする。

 見ると既に信号は青に変わっていた。

 急いでアクセルを踏むと、車がゆっくりと動き出した。顔の熱を冷ます為に、車の窓を細く開ける。すると、緑の香りが入り混じった春の風が頬を撫でた。


 ――新しい年。新しい生活。新しい関係。


 今年の春は、いつもと違う風が吹いているような気がした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 歓迎会を終えてタクシー会社の代行運転を利用して家に帰ると、台所に電気が着いているのに気が付いた。

 妹が起きているのかと思い、ひょいと中を覗く。するとそこには、ジェイドさんの姿があった。



「おかえり。お疲れ様」

「今日は随分と早いのね。いつも、日付が変わるギリギリに帰ってくるのに」



 ジェイドさんは苦笑すると、今日はお客さんが来なくて暇だったから、帰されたのだと笑った。手元を見ると、何かを油で揚げている。なんだろうと覗き込むと――えのき茸だ!



「どうせ、お酌したり他の人の世話を焼いたりして、禄に食べも飲みもしてないんだろ?」

「うっ」



 ……確かに、お腹は空いているし、飲み足りない。会社の飲み会だと、どうしても気を遣ってしまって、いつもこんな感じになってしまうのだ。ちょっぴりしょんぼりしていると、ジェイドさんは、私の顔を見るなり小さく笑って言った。



「今、軽く摘めるものを作っているから、飲もうか。着替えておいで」

「……うん!」



 私は嬉しくなって、急いで自室に戻って着替えると、いそいそと椅子に座った。そして、料理をしているジェイドさんの後ろ姿を眺めた。

 我が家の台所で、ジェイドさんが料理をしている。出会った時は、卵ひとつ割れなかった彼が、こうして台所に立っていることが不思議でならない。


 しゅわしゅわと、油の弾ける音が聞こえる。

 ジェイドさんは、手慣れた手付きでえのき茸を揚げ終えると、さっと塩を振り掛けた。



「出来たよ。えのき茸の素揚げ。それと――」



 次にジェイドさんは、フライパンで焼いていたものを皿に盛った。それは、厚揚げだ。



「フライパンで、厚揚げを表面をカリカリになるまで焼いたやつに、油淋鶏風のタレを掛けたんだ」



 ジェイドさんはそう言うと、きつね色に焼きあがった厚揚げに、刻んだ長ネギがたっぷりと入ったタレを掛けた。赤い粒粒は赤唐辛子だろうか。



「うわあ、美味しそう! このレシピ、どこで知ったの?」



 すると、ジェイドさんはなんでもないことのように、さらりと言った。



「ああ、この間ネットで見て」

「ネット」

「そう、ネット」



 私はじっとジェイドさんと見つめ合うと、堪らず噴き出した。



「ぷっ……!! じぇ、ジェイドさん、本当にこっちの世界に慣れたね」

「笑うなよ……」



 ジェイドさんは冷蔵庫からビールを取り出すと、私にコップを渡した。ジェイドさんにビールを注いで貰いながら、ここ数ヶ月のことを思い出す。


 ――帰ってきてからは、本当に慌ただしかったのだ。

 妹は冬休みだったけれど、私は普通に仕事をしていたし、叔父が来ることをすっかり忘れていて、真っ青になったりした。



『お、俺の身欠ニシンがーーーー!!』

『叔父さん、ごめええええええん!!』



 毎年、我が家で食べる身欠ニシンを心から楽しみにしていた叔父は、四つん這いになって泣き出したんだよね……。しかも、生酒はないわ、見知らぬ男はいるわで、叔父さんのボルテージが全開に上がって宥めるのが大変だった。


 ……身欠ニシンの悲劇。今年の正月の出来事は、この先ずっと忘れられないだろう。


 しかも、年始の各種光熱費の徴収でも一騒動あった。電気、ガス、水道の検針に来た係員は、揃って首を傾げた。



『これは、計器の故障でしょうね。一ヶ月で、こんなに使えるはずがありませんし』



 水道に至っては、水漏れがあるんじゃないかと、大規模な調査が入ったくらいだ。

 その様子を見守りながら、私は内心、平謝りしていた。だって……。


 ――異世界で、普通に使っていましたなんて言えないもの……!!


 あのときの、なんとも言えない申し訳なさよ。払うとも言えず、去年の使用量を参考にした数値しか請求が来ていないのを見て、本当に居た堪れなかった。


 ……まあ、確かに色々とあった。すごく大変だった。でもなあ。


 私はちらりと視線を上げて、ビールを注いでいるジェイドさんを見る。

 きっと、彼の方が大変だっただろう。ここは、常識もなにもかもが違う、彼にとっての異世界。ヴァンテさんの手伝いをしていたおかげで、日本語を多少は読めたのは僥倖だった。けれど、それでも色々と戸惑っていたのを知っている。


 それでも、弱音ひとつ吐かずに、にこやかに傍にいてくれている。

 私は、彼の支えになれているだろうか。



「――ほら、茜。そんなに睨まなくても、とらないから」

「なっ!? ジェイドさん!?」

「あはは」



 私は顔が熱くなるのを感じながら、零れそうになった泡を慌てて吸った。

 そして、ジェイドさんにもコップを渡してビールを注ぐ。ジェイドさんは目を細めて、コップに黄金色の液体が溜まっていくのを見つめていた。


 そして、ふたりでコップを手にしてぶつけ合う。

「乾杯」と言い合って、ぐいとビールを飲み込めば、そのほろ苦く爽やかな味に頬が緩んだ。

 その時、ジェイドさんの呟きが聞こえた。



「……茜と飲むビールは美味しいね」



 ――また、顔が熱くなる。

 この人は、ふとした瞬間に、欲しい言葉を言ってくれる。それが嬉しくもあり、気恥ずかしくもあって――私は照れ隠しをするように、えのき茸の素揚げを勢いよく口に含んだ。



「……んん!! 美味しい!」



 その瞬間、口の中に広がった味に、思わず声を上げる。

 シンプルに、えのき茸をきつね色になるまで揚げ、塩を振り掛けただけのおつまみ。見た目は、サクサクしていそうだけれど、そうでもない。元のサイズの半分ほどにまで縮んでしまっているえのき茸には、しっかりと弾力が残っている。

 まるでスルメのように、噛めば噛むほど旨味が染みてくる。茸の優しい旨味、それにしっかりと揚がっているから、とても香ばしい。

 しかも、揚げ物なのに茸だから罪悪感が然程ないのも良い。



「こっちも美味しいよ、ほら」



 ジェイドさんはお箸で厚揚げを摘むと、私に差し出してきた。厚揚げの白い断面に、タレの色が絡みつき、ぽちょん、と汁が滴っているのがなんとも悩ましい。

 私は、ごくりと唾を飲むと、行儀が悪いのを知りつつも、箸にそのまま齧りついた。



「……んっ!!」



 外はカリッカリに香ばしく焼けた厚揚げ。噛みしめると、さくっといい食感がする。勿論、厚揚げだから、中はふわっふわ。それに絡むのが、刻んだネギに、唐辛子で刺激を添えたたれ(・・)。酢と醤油の混じった、酸っぱくてしょっぱいたれが厚揚げに絡むと、豆腐の甘みと相まって……もう、美味しい!!


 私はテンションが上がってしまって、思い切りグラスのビールを呷ると、大きく息を吐いた。



「〜〜〜〜はああ……! ジェイドさんの作ったおつまみ、最高! きっと、幸せってこんな味だよね」



 すると、ジェイドさんは一瞬キョトンとすると、ほんのりと頬を染めた。



「……あ、ありがとう」

「う? う、うん!!」



 その様子に、なんだか私まで気恥ずかしくなってしまって、そっと視線を反らす。

 そして、互いのグラスが空になっているのに気がつくと、また交互にお酌した。


 その後は、ふたりで、今日あったことをぽつぽつと報告し合った。

 なんでもないことを笑いあって、小さな出来事に感心して、笑って――。

 それはいつもの日常。いろんな事を乗り越えて手に入れた日常は、とても愛おしくて尊いものだ。


 その時、ふと思いついたことがあった。

 日常もいい。でも、非日常もいいよなあ、なんて思ってしまったのだ。



「ねえ、ジェイドさん。今度の週末、旅行に行かない?」

「旅行?」



 すると、ジェイドさんはグラスを口にしながら首を傾げた。



「週末は、いつもみたいに妖精女王のもてなしだろ? あの人、今週末も食べて飲むんだって、張り切っていたぞ」

「そうなんだけど。ほら、向こうで住む場所を探そうって言っていたでしょう。ジルベルタ王国以外でもいいんだよね?」

「まあ、そうなんだけど……。まだまだ先の事だしなあ」



 私はにっと笑うと、ビールの入ったグラスをジェイドさんに差し出しながら言った。



「まだまだ時間がある今だからこそ、よ。旅行がてら、向こうの世界の色んな場所の下見に行きましょ。美味しいものを食べて、いろんな場所を見て――心から、ここに住みたいって場所を探そうよ!」

「……それはいいけど、妖精女王はどうするんだ?」



 私はふふん、と笑うと不敵な笑みを浮かべた。



「別に、一緒に行けばいいじゃない。寧ろ、妖精女王付きの旅行なんて、安心安全で最高じゃない!」



 ジェイドさんは苦笑すると、「そんなこと言えるのは君だけだよ」と言った。

 そして、大きく頷いてくれた。



「……じゃあ、そうしよう。俺たちの新居探し。楽しそうだ」



 私は嬉しくなって、コップを掲げると、ジェイドさんと勢いよくぶつけ合ったのだった。

本日、新連載「あやかし世界の貸本屋さん」も開始しております。

妖怪が住むかくりよを舞台にしたほのぼの、温かい物語になります。たまに、おもてなしご飯のように切ないお話もはさみつつ、優しい気持ちになれる物語を目指しました。是非ともご覧になってみてくださいね。


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