聖女を待つものとお弁当 後編
庭の桜の木の下。今は青々とした葉が茂るその木の下にレジャーシートを敷いた。
そこにジェイドさんと、ふたり座ってお弁当を広げる。
初夏の日差しは段々ときつくなってきたけれど、木陰はまだまだ涼しくて丁度いい。
水筒から、キンキンに冷やした麦茶をコップに注いで、いただきます、とふたりで手を合わせた。
唐揚げは冷めても美味しい。
揚げたてのジューシーな感じはなくなるけれど、しっかりと下味を漬けた唐揚げは、にんにくと生姜のおかげでご飯が進む美味しいしょっぱさだ。
だけど、冷めた唐揚げを食べた記憶はあまりない。夕飯に唐揚げを作ると、妹は太るといいながら、いつも完食してしまうからだ。それを祖母と一緒に呆れてみていたっけ。
妹好みの甘い卵焼き。正直私は醤油派なのだけど。偶にお弁当に甘くない卵焼きを入れると、妹はしっかり完食しておいて、帰ってから文句を言いにくる。
照焼きだれのミートボール。妹はケチャップ味より照焼きのほうがいいっていつも言ってたっけ。
ポテトサラダも、妹の好物だ。かならず翌日までとっておいて、朝ごはんにトーストにポテトサラダを乗っけてチーズと焼くのが定番だった。……あれ、食べたことないけど、妹はいつもにこにこ食べている。……美味しいのかな。
お弁当のおかずに一通り口を付けて、麦茶を飲む。ほっと一息ついて、妹もそろそろお弁当を食べている時間かな、と考える。
妹はお腹が空くと機嫌が悪くなるから、あんまり空腹になる前に食べれていればいいけど。
おにぎりを頬張る。
ノリの磯の香り。ちょっと硬めに炊いたご飯と、梅干しの酸っぱさが食欲をそそる。
「……茜」
ジェイドさんが、私を後ろから抱きしめてくる。
――ジェイドさん、セクハラは駄目だって言ったじゃないですか。
そう言いたいけれど、口いっぱいおにぎりを頬張っている私は声が出せない。
――視界が歪んで、景色が見えない。
――いつもより、おにぎりがしょっぱい気がする。
「強い貴女は、素敵だと思います……でも」
咀嚼していたおにぎりをやっと飲み込む。
「こんな時まで、強くなくてもいいんですよ」
――何故だろう。喉がひくついてうまく息が吸えない。
震える手で、お弁当におにぎりを戻す。
その手を温かなジェイドさんの手が包んでくれる。
私の口から自然と言葉が漏れ出る。
「……も、もうっ……妹しかいないんです……」
ジェイドさんは黙って私のたどたどしい話を聞いてくれる。
「おとうさんも、おかあさんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも……みんな、みんないなくなっちゃった……。私には、妹しかいなくて。妹は私が守らなきゃいけないのに!私、おねえちゃんなのにっ……!
今度の事だって!妹のことを思うなら、妹を殴ってだって聖女にさせるべきじゃなかった!命の危険があるような事!おねえちゃんなら止めるべきだった!
多分、私なら妹を止められた――でも、でも……!」
……私の醜い部分を、ジェイドさんに知られたくない。
だけど、言わずにはいられなかった。
心の奥底に溜まった黒いものを吐き出したくて堪らない。
「私は自分が可愛かったの!異世界に来て、聖女の姉でさえあれば、衣食住は約束される。もし、聖女を断って、何の伝手もない異世界に放り出されたら――……苦労するのは目に見えてる。
どうなるかわからないもの……」
醜い。なんて醜いんだろう。
私は自分のために妹を異世界の人々に生贄のように差し出したのだ。
こんな事、妹には絶対に言えない。こんな私だけど、妹にとって頼りになる姉でありたい欲は捨て去れない。
「ジェイドさん。私はこんな人間なの。だから――あんまり、優しくしないで……」
体に力が入らない。
私は何も見たくないし、見られたくもなくて、そこに蹲りたいのだけれど、ジェイドさんが強く抱きしめてくるせいでそれも儘ならない。
「それでも俺は、貴女に優しくします」
「…………」
「それでも俺は、貴女を甘やかすことをやめません」
ジェイドさんの声はどこか辛さを含んでいる。
「貴女や、聖女様のお陰で、俺たちがどれだけ救われたことか。貴女に知って欲しい。
滅びに向かっていたこの世界は、貴女たちのお陰で漸く希望の光を見出した。……例えそれが、貴女たちの犠牲の元にあったとしても。どれだけ謝っても足りないのは解ってる。謝ったって、どうにもならないことも。
でも俺たちは無力で、この世界はどうしようもなく行き詰まっていて――聖女という存在に縋るしかなかった。だから、言わせて欲しい。
茜。ありがとう……この世界に来てくれて、ありがとう」
私は居たたまれなくなって、イヤイヤと頭を振る。
そんな私をジェイドさんは更に強く抱きしめる。
「いつも笑って美味しいご飯を作ってくれて、ありがとう。――聖女様を支えてくれてありがとう。
聖女様は貴女がいたからこそ、いつも笑っていられたんだ。誰にでもできることじゃない。貴女はその事を誇ってもいいはずだ。
俺も一緒に待つよ。ふたりで聖女様達が無事に帰ってくるのを待とう。俺たちに出来ることを、これからもしていこう。
例え貴女が心のうちにどんな事を思っていても、この世界にとって――俺にとって、貴女は救いだ」
嗚咽が堪えきれずに喉の奥から漏れる。
ジェイドさんの温もりが心地よくて。その声が優しくて。駄目だって思っても、耐えきれなくて――私は、振り返りジェイドさんの胸に顔を埋めて、大きな声をあげて泣いてしまった。
ぽん、ぽん。と優しく私の背中を叩いてくれるジェイドさんの仕草は、いつだったか妹に自分もしていた仕草で。
無性に妹が恋しくなって、また涙を溢れさせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝起きたら、掃除をして朝ごはんを食べる。市場へ行って食材を買って、昼ごはんのついでに夕飯の下ごしらえもして。その後は城壁の上で、妹が帰ってくるであろう方向をずっと見ている。
それが最近の私の生活パターンだ。
最近は城壁の警備の兵士さんとも顔見知りになって、少し話す程度には仲が良くなったと思う。
日陰のない城壁の上は、初夏といえど中々辛いものがあり、日傘を差してはいるけれど腕はほんのりと日焼けしてしまった。
妹が出発して早2週間が経とうとしている。各地で妹とカイン王子は大活躍しているらしく、浄化の知らせがどんどんと舞い込み、それだけが私の心を安らげてくれる。
ドーナツを作ったあの日から、ふたご姫が度々我が家を訪れるようになった。勿論クルクスさんは何処かに置き去りだ。
ふたご姫は、私がフェルファイトスが「旅先で死んだ」聖人であることを知らないと、あのあと聞いて真っ青になったらしい。クルクスさんをはじめ、周りの大人にこってりと絞られたふたご姫は、聖誕祭の事だけを知らないと勝手に誤解して、私を傷つけた事をポロポロと泣きながら謝ってきた。
それ以来、贖罪のつもりなのか、美味しいおやつを手土産に2人揃って遊びに来るようになった。
子供らしい気遣いなのだろう。ふたご姫の可愛らしい姿はとても癒されるけれど、妹の小さい頃を思い出して、少し胸が苦しくなる。
ティターニアは、私の妹を守って欲しいという望みをきいてくれたのかわからないけれど、あの日以来姿を見せない。気まぐれな妖精女王のことなので、気分が乗らなくて来ないだけなのかもしれないけれど――出来れば妹の力になっていればと願うばかりだ。
今日も私は城壁の上で遠く東の方角をずっと見つめている。
そんな私に、ジェイドさんはいつも黙って付き添ってくれている。本当に、彼にはいつも助けられてばかりだ。
さわ、と熱を帯びた風が頬を撫でる。
途端、耳に少女の美しい声が聴こえた。
「――ああ。くたびれた。お主、今夜は酒盛りじゃぞ。妾は思う存分飲むぞ。誰も妾を止められぬ」
思わず私は周りを見回す。
「これ。余りよそ見をするでない。妾はお主にだけ聞こえるように話しかけておる。鎧の雄に聞かれると、説明が面倒じゃ……はぁ」
――ティターニア!
思わず叫びそうになるけれど、私は一生懸命それを飲み込む。
日傘を深く差し、私はジェイドさんに聴こえないくらいの小さな声で姿の見えないティターニアに話しかける。
「……どうして、ここに」
「ほ。どうしたも、こうしたも……お主。自分の望みを忘れたのかのう……ヒトは忘れっぽくて困る」
耳元でティターニアが笑った気配がする。
「妾は今晩、あの酒に漬かった果実と、魚と乳の白いつまみを所望するぞ。忘れるなよ。忘れたら呪ってやるからの」
そう言い残して、ティターニアの気配が搔き消える。
私は堪らなくなって、その場に日傘を置き去りにして走り出した。
「え――……!?茜!?」
遠く後ろの方で、ジェイドさんの驚いた声が聞こえる。
私は扉をあけ放ち、城壁の中、下まで続く石造りの階段を時折足を縺れさせながら降りていく。
どくんどくんと心臓の音が煩い。
息が苦しい。汗がどんどん噴き出してくる。
――ティターニアの言葉!それが本当なら、チータラもお酒も!大盤振る舞いしてやる!呪う暇もないくらい、完璧にもてなしてやるから!
――覚悟してろよ、妖精女王!
漸く階段の1番下までたどり着く。
城門は高くそびえ立ち、固く閉ざされたままだ。
門の近くで沢山の兵士が、慌てた様子で動き回っている。
私は門の前に立つと、息を整えてまっすぐ前を向いた。
すると、丁度そのタイミングで城門がギギギ……と開いていく。
徐々に開いていく門の隙間、そこから僅かに見える景色の中。遠くにギラギラと光を反射する一団が小さく見える。
私はごくりと唾を飲み込んで、また走り出す。
制止する声が何処からか聞こえるけれど、それに構わず走り続けた。
一団の先頭、漆黒の騎士――ダージルさんがこちらに気づいたのか、馬を操作して戻っていく。そして、誰かを馬の上に抱え上げて、こちらへ猛スピードで走ってきた。
早く会いたい、その一念で私も走るスピードを上げた。
「ひより――――!!!」
多分まだ向こうに私の声は届いていない。
けれど、私は気にせずに叫ぶ。
「ひより――――!!!」
「………………………………ちゃん!」
微かに聞こえる。
馬上の誰か――……妹も叫んでいる。
「おねえちゃん!」
涙が溢れそうになるけれど、ぐっと堪えて、転びそうになりながらまた走る。
私の体力が尽きかけた頃、漸く黒毛の馬が目の前までたどり着いて、勢い余ってぐるぐると回る馬の上から、妹が私に向かって飛び降りてきた。
私はそんな妹を支えきれるはずがなく、2人で抱き合いながら地面を転がる。
ようやく勢いがなくなり、地面に2人で横たわると、妹はガバッと勢いよく起き上がり、改めて私に抱きついて、
「ただいま!おねえちゃん!」
満面の笑顔でそういった。
私もぐちゃぐちゃの歪んだ笑顔で言い返す。
「――おかえり、ひより……!」
ぎゅうぎゅう抱きしめあって少し痛いくらいだ。
「おねえちゃん、今晩はご馳走にして! 私、おねえちゃんのご飯がないと死んじゃう!」
「あはははは!死んだら困っちゃうねえ。ご馳走にしようか。ひよりの好物をいっぱい作ろう」
走りすぎて体中が痛い。気管支もひゅうひゅういって、喉もカラカラ。散々な状態だけど、気分は晴れやかだ。
「おねえちゃんに任せておきなさい!」
「流石おねえちゃん。期待してる!」
そう言って、ふたりで笑いあった。
初夏の爽やかな午後。
ひよりの初めての浄化の旅が終わったのだ。
まるで最終回のような展開ですが、まだまだ続きます(笑)