エピローグ 姉妹と桜舞い散る大宴会1
春は宴の季節だ。
長い冬から目覚めた太陽は、大地を凍らせていた雪を溶かし、暖かい風を大陸中に送りこんで、招待客を起こしていく。眠っていた動物たちは狭いねぐらから顔を出し、春の恵みに舌鼓を打つ。鳥たちは空を飛び回って高らかに歌い、魚たちは居心地の良くなった水の中で、楽しそうに踊っている。
勿論、春の宴に参加するのは動物たちだけではない。
冬という、長く辛い試練の季節を越えた人々は、野に咲く可憐な花を摘み、窓辺に飾る。埃っぽくなった街を雪解け水で綺麗に掃除して、色とりどりの旗を飾りつけ、春を寿ぐ祭りを開くのだ。
「――茜!」
「わあ……!!」
いつも通り、ジェイドさんと市場に買い物に来ていた私は、突然視界が花でいっぱいになって、思わず声を上げた。それは、大きな花束だった。春を寿ぐ祭りでは、其処此処で花が売られていて、どうやらジェイドさんはそれを買い求めたらしい。
私は、甘い花の香りを胸いっぱいに吸い込み、控えめながらも可愛らしく咲く花に目を細める。白い花で作られたその花束は、銀色のリボンで束ねられていた。
「花売りがおまけしてくれたんだよ。大きい花束だろう」
「ほんとう! ……ふふ、ありがとうございます!」
私はジェイドさんにお礼をいいつつも、その大きな花束を抱きしめた。
この祭りは去年も開催されていた。その時は、色とりどりの花が売られていて、様々な色で彩られた街が、とても華やかだった覚えがある。
けれども、今年の祭りで売られているのは、白い花ばかりだ。その花は、よくよく見ると若干青っぽく、銀色に見えなくもない。
銀色の姫君。それが、この花の名前だ。
「さあさ! 聖女様のお蔭で苦しい時期は終わった! 更には新しい神官長様が誕生された、記念すべき年の特別な花だよ! 是非とも買っていっておくれ。収益の一部は、穢れ島への神殿建設に使われるよ――!!」
花売りが、往来の人々に向かって声を掛けている。
私は賑やかな市場の喧騒を聞きながら、穢れ島から帰って来た日のことを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――あの日、穢れ島から帰ってきた私たちは、王族が勢揃いした謁見室で、報告がてら今後のことについて話し合いをしていた。
妹の活躍によって、一応の危機は去った。
各地の邪気は祓われ、今現在は小康状態となっている。けれども、暫くすれば、また地中奥深くから邪気が沸いて来るのだそうだ。各国の騎士団や軍隊は、急増期が来る以前のように、新たに生まれた魔物を狩る日々を再開することになる。
現状のまま放っておけば、また邪気の急増期が訪れる。けれど、邪気を生み出す元となる人間が増え続けている以上、次回の急増期は今回よりも早く訪れるだろうし、更に吹き出す邪気の量は増えて過酷になるのだろう。
それを防ぐために、精霊王は各国の王に神託を下した。
――精霊王を……この世界の管理者である自分、そして眷族である精霊を信仰せよ。穢れ島へ、王を讃える神殿を建設せよ。日々祈りを捧げよ。さもなくば、滅びが訪れるだろう。
突然現れた、神々しい姿の自称「管理者」に、王たちは大いに動揺したらしい。
けれど、精霊王の不思議と惹き付けられる力と「滅びが訪れる」と言う文言を重く見た王たちは、こぞってジルベルタ王国へと遣いを出したのだそうだ。
「我が国は、古来から精霊信仰を続けているからな。王たちは、真実を見極めるために、我が国を頼ったらしい。勿論、あの精霊王様は本物だと言ってやったさ。土着の信仰を持っている国も多いから、中々簡単にはいかないとは思うが、それぞれ精霊信仰の普及に向けて動き出したそうだ」
「穢れ島での建設は、儂らドワーフ族が担うことになった。暫くは、一族揃って穢れ島へと移り住むことになる」
ゴルディルさんはどんと胸を叩くと、自分の残りの人生を掛けて、素晴らしい神殿を造るのだと豪語した。同時に、新しい長老候補の育成も始めるのだと語った彼は、生き生きと目を輝かせていた。
「――それで、新しく造られることになる新しい神殿の管理者なのだが」
そこで、宰相であるルヴァンさんが発言した。
彼は一瞬だけ黙り込むと、皆を見回して言った。
「神殿の管理者は、精霊王に対する儀式の復興を兼任することになる。その役目を――シルフィ姫に任せることになった」
途端、その場にいた者すべてが、困惑の表情を浮かべて顔を見合わせた。
当の本人であるシルフィは、澄ました顔をして母である王妃の隣に座っている。
すると、ルヴァンさんは小さく咳払いをすると、どこか苦々しい表情のまま話を続けた。
「これは、本人のたっての願いでもある。今回、最大の障害となった、嘗ての精霊信仰の最高指導者……彼の償いをするのだと」
するとその時、シルフィ姫が席を立った。それを見たルヴァンさんは小さく頷いて、一歩下がる。そして、シルフィ姫は皆を見回してから口を開いた。
「すべてはわたくしの我儘なのです。皆様、どうぞお許しください」
正直なところ、私は驚きを隠せなかった。なぜならば、立ち振る舞い、口調――そのどれもが、以前のシルフィ姫とは異なっていたのだ。セルフィ姫と無邪気にはしゃいでいた面影はなく、ひとりの王族として皆に相対している。そう思わせる強かさがあった。
「かの魔物と化した人間は、銀の髪を持っていたそうですね。――ルヴァン、合っているかしら?」
「はい。間違いありません」
「銀の髪は、嘗て最果ての国の王族の特徴でした。今は、銀の髪を持つ王族はいなくなってしまったようですが。さて、わたくしの母は、最果ての国出身であることはご存知でしょう。そして、わたくしの髪は銀色」
「――待って!!」
すると、セルフィ姫がシルフィ姫の言葉を遮った。セルフィ姫はふたごの片割れの傍に駆け寄ると、その手を取った。
「シルフィ。どうしたの……? シルフィらしくないわ。そんなことを言うなんて」
「セルフィ。わたくしは、わたくしよ。何も変わっていない。でもね、わたくしは自分の成すべきことを見つけたの。金と碧の一族の中で、たったひとり銀に生まれた意味を知ったのだわ」
「それでも! 顔も知らない人の罪を償う必要なんてないと思うの!!」
セルフィ姫の悲痛な叫びが、謁見室に響く。けれども、シルフィ姫は優しい笑みを浮かべて、セルフィ姫の頭を撫でると、静かな口調で言った。
「そうね。遠い遠い血縁の罪を償うなんて、変な話だわ。でもね、この任はわたくしが一番適しているの。きっと、他の誰にも出来ない」
「……うっ、ふぐ……っ。そ、それは、どうしてなの?」
セルフィ姫が大粒の涙を零しながら聞くと、シルフィ姫は取り出したハンカチで涙を拭ってやりながら言った。
「まず、わたくしは女だわ。彼の人のように、精霊王に恋することはない。それに、ツェーブルとの血縁もあるから、穢れ島に最も近いあの国とも上手くやっていけるはず。それに、一番の理由は――」
「僕がついているからさ」
すると、その場に唐突にテオが姿を現した。
テオは、シルフィ姫の手を取ると、甲に唇を落とした。途端に、セルフィ姫は険しい表情になって、テオを睨みつけた。
「僕は、未来を識ることが出来る。これから、精霊王という偉大なる存在と付き合うことになる銀の姫にとって、これほど有利なことはないと思わないかい?」
「……でも!」
「なんだい。怠惰な道化師が一緒じゃあ、不満かな? ならば、僕は道化師を辞めよう」
するとテオは、徐に仮面を外した。そして、露わになった顔を見て、セルフィ姫は恐怖の表情を浮かべた。肌が引き攣れ、更には目玉のないその姿は、幼い姫君には些か刺激が強かったようだ。セルフィ姫は泣くのも忘れて、呆然とテオを見上げている。
「先の戦いで、この仮面にヒビが入ってしまったんだ。きっと、潮時だと言うことなのだろう――」
テオは怯えているセルフィ姫には構わず、仮面を粉々に砕くと、ぱちん、と指を鳴らした。すると、驚いたことにテオの服装がみるみるうちに変わっていく。宝石に彩られたローブは地味な色合いに代わり、シルクハットは消え失せ、雪のように白い髪が溢れた。そして、どこからか立派な錫杖を取り出して携えた。その姿は、まるでどこかの伝承にある賢者のようだった。
「――おや。可愛い顔が台なしじゃないか。僕のせいだね」
テオは顔面蒼白になっているセルフィ姫に気がつくと、銀のリボンを取り出し、顔に巻き付けて伽藍堂になった目を隠した。けれども、リボンの間からは闇が漏れ続けている。それは賢者風の服装と相反して、彼が人外なのだとまざまざと語っているようだった。
「さあ、これで完成だ。『道化』の終わり。新たな『予言者』の誕生だ。皆、歓迎してくれたまえよ」
その場にいた誰もが、反応を返せずにいる中――突然、シルフィ姫が笑いだした。テオはシルフィ姫の顔を覗き込むと、「どうしたんだい?」と語りかけた。
「……だって、テオったら。『予言者』なんて大層なものになったのに、言動が変わらないのだもの。まるで『道化』のままだわ」
「それはいけない! ううむ、中々に『予言者』足りうることは難しいのだねえ。ある日突然出来るわけではない」
「それはそうだわ。それに、わたくしだって、精霊王様にお会いできるような、立派な所作はまだ出来ないもの。お揃いだわ!」
「そうだね。お揃いだ」
シルフィ姫は無邪気な笑顔をテオに向けている。テオも穏やかな笑みをシルフィ姫に返し、なんとも和やかな雰囲気だ。その笑顔は、以前のシルフィ姫のままと変わらず、テオとシルフィ姫の絆を感じられた。
シルフィ姫はくるりとセルフィ姫に向き合うと、ぎゅっと抱きしめた。
「わたくしには、守護者で『予言者』のテオがついている。だから、心配しないで。それに、言ったでしょう? わたくしは、まだまだ幼くて未熟。精霊王様の前に立つには、たくさん勉強をしなくては。それには時間が要る。すぐに神殿が完成するわけでなし、離れ離れになるのはもっと先のこと」
「……シルフィ……」
「それまで、いつものようにわたくしと一緒にいてくれる?」
シルフィ姫の碧い瞳が、セルフィ姫の碧い瞳を覗き込んでいる。全く同じ色、同じ輝きを持つ二組の双眸は、じっと見つめ合うと――同時に頷き合った。
シルフィ姫はセルフィ姫の手を握ると、皆に向き合う。
そして最後にこう言ったのだった。
「皆様。精霊王様にお使えする神官として、わたくしは誠心誠意努めて参ります。どうか、幼いわたくしに、お力添えを頂けますよう――」
そして、皆が見守る中、ぺこりと小さな頭を下げたのだった。
「――茜?」
ふと気がつくと、ジェイドさんが私の顔を覗き込んでいた。
物思いに耽っていた私は、一気に現実に引き戻されて、市場の賑やかな喧騒が戻ってくる。
私は、小さく頭を振ると、ジェイドさんに笑顔を向けた。
「すみません。ちょっと、ぼうっとしてしまいました」
「大丈夫かい? この間まで、連日、人外たちにお礼のおもてなしをしていたからね。疲れが残っているんじゃないか?」
「あはは! 流石に、もう数日経っていますから、それはないですよ」
「でも、ちょっと休んだ方が――」
私は、心配そうに見つめるジェイドさんに「相変わらず過保護!」と戯けると、市場を眺めた。人々は皆、笑顔で春の祭りを楽しんでいる。なんて、穏やかで幸せなひとときなのだろう。これが、妹と私たちによって得られた光景なのだと思うと、誇らしい気持ちでいっぱいになる。
「それに、庭の桜が満開なんですよ。皆でお花見しなくちゃ、もったいないでしょう? だから、買い出しはちゃんとしなくっちゃ」
私はくるりとジェイドさんの方を向くと、笑顔になって言った。
「この世界にいられるのも、後少しなんですから――」
そんな私を、ジェイドさんは眩しそうに見つめている。
――ひゅう。
その時、私の頬を春の温かな風が撫でて行った。
穢れ島の決戦。あの場にいた道化ふたりは、こうしてふたりとも最後を迎えたのでした。
さてさて。最後に残った、異世界に残る、日本に戻る問題をなんとかして参りますよ〜!
エピローグ、今の所5話構成です(長い……)最後までどうぞよろしくお願いします!




