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そして掴み取ったものは7

 ――戦場に笑顔が溢れている。

 誰もが涙を流し、剣を、槍を、弓を手放し、国も身分も関係なく手を取り合って、喜びの感情を爆発させている。

 私はティターニアにお願いして、氷上に降ろして貰った。時々転びそうになりながらも、一生懸命足を動かして、喜び合う人々の間を縫うようにして進む。



「ひより!!」

「おねえちゃん!!」



 穢れ島から出て来た妹は、私を見るなり満面の笑顔になった。

 私は妹に駆け寄ると、思い切り抱きしめる。ぶかぶかの騎士の鎧を着ている妹は、いつもよりも華奢に感じた。



「お疲れ様。本当に、心配したんだから……!!」

「えへへ。びっくりしたでしょう。私もね、すごく緊張したの。テオも無事で良かった。本当に良かった……!」



 先程の勇ましい姿とは打って変わって、妹はふにゃふにゃに笑って、私の肩に頭を預けた。

 私は腕の中に妹がいることが嬉しくて嬉しくて、その存在を確かめるように強く抱きしめる。今まで緊張のあまり硬く凝り固まっていた心が、優しく解れて行くような感覚に、私は頬を緩めた。

 ――その時だ。



『アアアァァァアアアァァアアアアアアア!!』

「な、何!?」



 何かの咆哮が聞こえたかと思うと、足下が揺れているのに気が付いた。

 妹は私を優しく押して腕の中から出ると、ゆっくりと前に出た。そして、私を庇うように立ちはだかり、輝石の嵌った杖を構えた。


 私は妹の背中越しに見えた光景に、思わず悲鳴を上げそうになってしまった。

 何故ならば、あの髑髏の魔物がこちらに迫って来ていたからだ。そのすぐ後ろには、古龍の姿もある。二体は時折もつれ合いながらも、地響きを上げて確実に距離を詰めて来ている。



「な、なんで!? 魔物は全部浄化されたんじゃないの!?」

「うーん。よっぽど長い時間、邪気に晒されていたのかな。さっきの浄化じゃあ足りなかったみたいだね。ジェイドさん!」

「ああ。茜のことは任せてくれ」



 妹はジェイドさんに私を預けると、杖に魔力を注ぎ始めた。すかさず、妹の周りにカイン王子やセシルくん、王国の騎士たちが集まり守りを堅める。ユエは黒竜に変化すると、空に向かって飛び上がり、髑髏の魔物に襲いかかった。


 私は息を飲んで、その様子を見つめる。

 他の魔物は、すべて光の柱によって消え去っている。髑髏の魔物が最後の一体。これが、本当の最後の戦いだ。


 妹の浄化の光を浴びると、髑髏の魔物は苦しげに氷上をのた打ち回った。すかさず、古龍が暴れる尾を噛み千切り、氷上に吐き捨てた。すると、尾は泡のように溶けて消え、以前のように復活することはなかった。



「撃て――!!」



 カイン王子の号令と共に、剥き出しの内臓だけ(・・)を狙って、矢が放たれる。まるで針山のようになった内臓からは、しゅうしゅうと黒い煙が立ち昇り始めた。

 行ける――そんな機運が高まり、一斉攻撃が始まる。四方八方から攻撃を加えられた髑髏の魔物は、為す術もなく悲鳴を上げるしかない。



『フェルの敵……!!』



 やがて、髑髏の魔物の動きの鈍った瞬間を狙って、ユエが必殺の攻撃を繰り出した。四肢に封じていた炎を解き放ち、炎もろとも髑髏の魔物に襲いかかったのだ。青白く燃える炎に包まれた髑髏の魔物は、徐々に動かなくなって行った。



「――これで、最後……!!」



 すると、皆に守られていた妹が、溜めに溜め込んだ浄化の力を髑髏の魔物に向かって放つ。白い閃光に撃ち抜かれた魔物は、ぐらりと傾ぐ。そこにすかさずユエが襲い掛かり、髑髏と胴体を繋ぐ脊髄とも言える部位を噛み千切った。


 どすん、と鈍い音がして、巨大な髑髏が氷上に落ちる。

 胴体は黒い残滓を僅かに残して消えた。やがて、髑髏も端からぼろぼろと崩れ、段々と小さくなって行く。

 ――死んだのだろうか。

 誰もが、その様子を固唾を飲んで見守っていると――髑髏の中から、何かが姿を現した。


 それは黒く染まった人間だった。

 ボロボロになったローブを纏い、手には錫杖を持っている。よくよく見ると、ローブも錫杖も、造りは随分と立派で、元々は高位の人間であったことが伺えた。その人は、聞くに堪えないうめき声を上げながら、氷上を這うようにして妹に向かい始めた。


 その様子を見ていた兵士や騎士たちの間に、動揺が走った。

 自分たちをあれほど追い詰めていた魔物が、元は人間だったのだと知り、皆、表情を引き攣らせている。たとえ聖女が邪気を祓ったとしても、それは一時的なものだ。邪気はこれからも生まれ続ける。彼らは、邪気と今後も付き合っていく必要があるのだ。同胞が、家族が……自身が、ああなる可能性もある。そういった危機感が、彼らの心をざわつかせたのだろう。



「…………」



 やがて、誰もが自然と口をつぐみ、無言でその人を見つめた。

 足下からボロボロと崩れながらも、聖女を求めて地面を這うその姿を。

 まるで、助けを求めるかのように、聖女に手を伸ばしているその人の姿を。


 辺りが静まり返ると、その人が何か小さく呟いているのに気がついた。

 ぼそ、ぼそと、腕を前に出す度に、足で地面を蹴る度に、掠れた声で何かを呟いている。けれど、あまりにも小さな声で、耳を澄ましてみても、何を言っているのか聞き取れない。


 すると、その人の様子をじっと見つめていた妹が、徐に一歩前に踏み出した。



「ひより、危険だ!」



 すかさず、カイン王子が妹を止める。けれども、妹は足を止めることはなく、その人の傍に近づいて行った。



「大丈夫。あの人には、もう何の力も残っていないよ」



 やがて妹は、地面に這いつくばるその人の前に立ち、じっと見下ろした。そして、杖の先をその人の眼前に突きつけた。


 すると、その人はぎょろりと目だけを動かして妹を見上げた。全身漆黒に染まっているからか、やたらと白目だけが際立って見える。

 そして、掠れた声で何かを呟きながら、震える手を妹に伸ばした。



「……ッ!!」



 すると、妹はびくりと体を竦ませ、まるで石像にでもなってしまったかのように、固まってしまった。その人が触れようと手を伸ばしても、にじり寄ってきても、地面に根が生えてしまったかのようにピクリとも動かない。


 私は顎を引いてまっすぐに前を見ると、次の瞬間には、妹の下へと向かって歩き出していた。

 私が行って、何が出来るのかわからない。けれど、私は行く。妹が迷ったり、立ち止まったりした時は、傍にいてあげたいもの。


 すると、私の手を誰かが掴んで引っ張った。



「どこに行くんだい。駄目だよ、危ない」



 それはジェイドさんで、顔面を蒼白にして酷く焦った様子だった。



「……行かせてください」



 私は前を向くと、未だ動けずにいる妹の背中を見つめた。



「ひよりが辛い思いをしているんです。私が行かなくちゃ」



 すると、はあ、と大きくため息を吐いたジェイドさんは、私の手を離してくれた。そして、私の横に並び立って、剣の柄に手を掛けた。



「……まったく。茜は相変わらずだね。俺も行く」

「……はい!」



 私は頬を少し緩めると、気合を入れて妹の傍まで歩いて行った。

 そして、丁度妹の真後ろまでやって来た時、ふと黒く染まった人の呟きが耳に飛び込んできた。



『憎い……』



 それは地を這うように低く、恐怖を強制的に呼び起こすような悍ましい声。

 人間の昏い部分を煮詰めて、垂れ流したようなそれはまるで呪詛。



『憎い。辛い。苦しい。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い――――』



 その言葉は、ねっとりと絡みつくように鼓膜に触れては、悪戯に脳内を掻き回していく。全身に鳥肌が立ち、寒気がして堪らない。私は、妹はきっとこの言葉に囚われ、動けなくなってしまったのだろう……そう思った。でも、実際は違ったのだ。



「辛かったね……」



 妹は、両目から止め処なく涙を零して、その人を見つめていた。

 呪詛のような言葉に怯えるでもなく、嫌悪感を示すでなく、ただただ悲しそうに顔を歪めて、涙を零していた。妹の零した涙は、その人の伸ばした手の上に落ちて、ぽつりぽつりと染みを作っていく。

 私はその瞬間、自分を恥じた。そして、妹の成長を感じて、胸が震えた。



「――大丈夫?」

「……結構キツイ」



 私が声を掛けると、妹は涙を拭って唇を尖らせた。私は寄り添うように妹の傍に立つと、その華奢な肩に手を乗せた。



「私が傍にいるよ。頑張れる?」

「わかんない。……でも、頑張る」



 妹は頷くと、杖を握り直した。けれど、上手く集中が出来ないようで、苛立たしげに眉を寄せている。妹の手は震え、今にも杖を取り落としそうだ。するとその手に、そっと誰かの手が重なった。



「ひより、私もいるぞ。大丈夫か?」

「うん。ごめん、カイン……」



 それはカイン王子だ。彼は碧色の瞳を心配そうに曇らせると、妹に尋ねた。



「……怖いのか?」



 すると、妹は顔を歪めて、こくりと小さく頷いた。カイン王子は、柔らかな笑みを浮かべると、静かに語った。



「――浄化は、この者にとって救いになるはずだ。私は、そう信じている」

「本当に?」

「ああ。そう思う」

「……そっか」



 ふたりの会話を聞いていて、私ははたと気がついた。

 もしかしたら、妹は人型の魔物と対峙したことがなかったのかもしれない。植物や動物、人外が魔物化したのとは違う。嘗ては自分と同じ人間であった者を、浄化によってこの世から消し去ることに忌避感が拭えないのだろう。

 そう思っていると、妹の杖にまた誰かの手が重なった。



「聖女様はいつもは猪突猛進なのに、こういう時は繊細なんですねえ。僕も微力ながら助力しましょう」

「ひより。と、友だちだからな。僕も一緒にいてやる」



 それはセシル君と、ユエだ。ふたりは妹に笑顔で声を掛けて励ましている。妹は嬉しそうに彼らの声に耳を傾け、頷いている。

 すると、どうしたことだろう。ダージルさんを始め、マルタや騎士たち、兵士たちが我も我もと集まってきて、妹に声を掛けた。



「聖女様。大丈夫だ、俺たちもついている!」

「そうだそうだ。ただの一兵卒だけどよお。応援ぐらいは出来らあ!」

「俺たちは貴女に救われました。貴女と共に戦えたことを、心から誇りに思っています!」



 妹を応援する声が、段々と大きくなっていく。妹は彼らの応援に、じわりと瞳を滲ませると、大きく頷いた。そして、ゆっくりと目を瞑って魔力を練り上げ始める。すると、杖先の輝石が僅かに光を放ち始めた。

 ――その瞬間、天から柔らかな光が差し込み、妹の周囲を照らしだした。空を見上げると、精霊王が降りてくるのが見えた。全身に光を纏った、神々しい精霊王の出現に、誰もが息を呑む。精霊王は、妹の傍に舞い降りると杖に手を添えた。



「聖女の力は、わたくしの力。さあ、わたくしからも助力を」



 すると、輝石の光が一気に強くなった。妹は驚いたように輝石を見つめ、精霊王を見る。そして、こくりと頷くと、這いつくばっているその人に声を掛けた。



「……――あなたに、救いの浄化を」



 その光は、髑髏の魔物を襲ったような強い閃光ではなかった。柔らかな優しい、それでいて清浄な光は、その人の体全体を包み込み、黒い邪気を剥がしていく。



「……お、おおおお」



 その人は、自分の体から邪気が抜けていくのを目にすると、呪詛を吐くのを止めて長く息を吐いた。空中に溶けるように邪気が抜けていくと、やがてその人の本来の姿が露わになっていく。艶めく銀髪が溢れ、肌は透けるように白い。唇は薄く、桃色に色づいていて、鼻筋は通っている。

 その人――彼は、見惚れるほどの美形だった。

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