そして掴み取ったものは2
「――駄目だよ」
「えっ」
ジェイドさんは笑顔のままそう言うと、私を自分の方へと引き寄せて強く抱きしめた。
「俺も、茜と同じでね。結構な頑固者なんだ。だから、俺も行く。絶対についていくからな。嫌がったって、逃げたって駄目だ。茜を守るのは、俺だ」
「……なにを……!! 駄目です。ジェイドさんを巻き込みたくないんです!」
「――ほう。面白いことを言う」
すると、ティターニアが楽しそうな声で言った。その手には、知らぬ間にグラスが握られ、綺麗な瑠璃色の葡萄酒がたっぷりと注がれていた。
「そもそも、お主を巻き込んだのは、こやつら人間だろうに」
「……それはそうなんだけど」
「巻き込まれたお主が、これらを巻き込み返して何が悪い。当然の権利じゃろう? 何を遠慮することがある」
「えええ……」
突然の暴論に、私が戸惑いを隠せないでいると、ジェイドさんが笑っているのに気がついた。
ジェイドさんは蜂蜜色の瞳を細めると、そっと私の頬に触れた。
「俺は、茜を守ると決めたんだ。どうか、一緒に居させてくれよ。置いていかれる方が辛い」
「いいんですか……?」
「当たり前だ。ずっとそばにいるって言っただろ?」
途端に視界が滲む。でも泣いてはいけないと思い直して、袖で涙を拭って笑顔になった。
「……後悔しても、知りませんよ」
「茜と一緒に居て、後悔することなんてないさ」
胸の奥が温かくてしょうがない。この人と出会えてよかった。こんな素敵な人に出会えたことが、堪らなく嬉しい。すると、パチパチと拍手が沸き起こった。はっとして周囲を見ると、皆優しい眼差しで私たちを見ているではないか!
……ひ、人前でなんてことを……!!
途端に、顔から火が出そうなくらい熱くなる。慌ててジェイドさんを見るも、彼はケロリとしていた。
「じぇ、ジェイドさん……! はず、恥ずかし……!!」
「うん? ああ。まあ、いいじゃないか」
「よ、良くないです! 馬鹿ー!!」
ひとりあわあわしていると、益々皆からの視線を意識してしまい、逃げ出したくて仕方がなくなってしまった。するとバターンと誰かが倒れた音がして、ビクリと身を竦ませる。
恐る恐る音がした方に目を遣ると……王妃様が顔を真っ赤にして倒れていた。何故か「愛……愛だわ……!」とうわ言を呟いている。
「お医者様を。それと氷嚢を持ってきてください」
いやに冷静なカレンさんが、集まってきた侍女に指示を飛ばしている。
そして一段落すると、忌々しそうにぽつりと呟いた。
「まったく。場所を弁えていちゃついて欲しいものです」
「……ご、ごめんなさいいいいいい!!」
「でも」
カレンさんは、若干目元を緩めて言った。
「自分を守ると言ってくれる人を、大切になさい。そして、無事に帰ってきなさい。また、お茶会をしましょう。とっておきの茶葉を用意しておきますから」
「……はい!!」
その後、目を覚ました王妃様は、いつものように私をぎゅうと強く抱きしめた。
大好きだと、でもごめんなさいと謝られて、私は笑顔で王妃様に無事に帰ってくると約束した。泣きそうなふたご姫の頭を撫でて、帰ったら一緒にお菓子を作る約束をした。
男性陣はジェイドさんの周囲に集まって、彼を激励している。
私は内心ほっとしていた。もし許可を得られなかった場合、ティターニアにお願いして、こっそりと出発するつもりだったのだ。不安でいっぱいのまま出発するよりも、笑い混じりに希望を胸に旅立ちたかった。だから、色々あったけれど許しが得られたことは良かった。
でも、何も不安な気持ちが解消された訳ではない。誰も彼もが、笑顔の下に不安を隠している。それでも、彼らは笑顔で私に接してくれている。それが堪らなく嬉しいのだ。
――精霊王。やっぱり、貴女の創った世界のひとたちは、とっても素敵だわ。
先程までの雰囲気とはがらりと変わり、和やかな雰囲気が満ちた部屋で、私は心のなかでそっと呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こうして、無事に穢れ島に向かって出発することになった。
旅にはマルタも同行してくれることになった。マルタは、本来であれば浄化組に同行していたはずなのだけれど、出発前に発熱したせいで置いていかれたのだそうだ。実は、マルタ以外にも騎士を同行させると王様は言ってくれたのだけれど、それは断った。今も王国中を魔物が襲っている。人員を私のために割くくらいなら、浄化が終わるまで国民を守り抜いてくださいとお願いした。それでも王様や、特に王妃様はかなり渋った。けれど――。
「茜には妾がついておる。何を心配することがあるのか」
妖精女王にそう言われたら、王様たちも引き下がらずにはいかなかった。
流石、女王の貫禄。年の功! なんて言ったら、ティターニアに滅茶苦茶怒られたのはまた別の話だ。
出発前、騎乗用の大鷲を待つために集まった中庭で、マルタは興奮気味に叫んだ。
「あたし、今度こそ団長様の役に立つんだから……!」
マルタは小麦色の肌をほんのり染めて、気合いは充分のようだ。
けれど、私の心中は複雑だ。戦場行きを免れたマルタを、危険な場所へ連れ出そうとしているのだから。すると私の考えを察したのか、マルタはニカッと太陽みたいに笑った。
「茜、あたしに気をつかわないでよ。あたしは治癒術師。戦場で働くのも仕事の一環なんだから。それとも、もしかして邪魔だった? ふたりの邪魔はしないからさあ」
「そそそ、そういうことじゃなくって……!!」
マルタはひとしきり私をからかうと、拳を握りしめて言った。
「それに、団長様の役に立ったら、褒めてもらえるかもしれないじゃない。身分違いの叶わぬ恋と言えど、好きな人に褒めてもらえるチャンス、逃してなるものか……!」
「マルタは強いね」
「ふっふっふー! 恋する乙女は、最強なんだから!」
「じゃあ、私も強いかな」
「リア充は除きます」
「えええ!?」
ふたりで笑い合う。そして約束した。
「……絶対に、無理はしないこと」
「……絶対に、無事に帰ってくること」
「「帰ってきたら、一緒に飲むこと!!」」
最後に握手をして、ぎゅっと抱きしめ合う。
マルタは異世界に来て出来た女友達。彼女がいるだけで、不思議と勇気づけられるから不思議だ。するとそこに、ティターニアがやってきた。
「――おなごふたりで何をしておるのじゃ。人間の間では、そういうのが流行っておるのか?」
「ティターニアもする?」
「冗談はよせ。それよりも、乗り物を手配しておいてやったぞ。大鷲なんかよりも、もっと速いやつをな」
「乗り物……? そんなのどこに」
キョロキョロと周囲を見回しても、乗り物らしきものは見つからない。
するとその瞬間に、巨大な影が上空を通り過ぎていった。
「……え!?」
驚いて空を見上げる。すると、鼓膜を震わせるほどの咆哮が聞こえ、遠くの森から鳥が飛び去っていった。城の兵士たちが、大騒ぎして空を指さしている。そこには、とんでもない数の巨大な竜が、空を埋め尽くさんばかりの勢いで飛んでいたのだ。
ティターニアは、ぽかんと口を開けたまま空を見上げる私たちに、自慢げに言った。
「偶々暇そうにしている竜を見つけてなあ。それで、茜が起きるまで、妾がわざわざ酒と料理で歓待してやった。なにやら、ぶつくさ面倒なことを言っておったから、妾がみっちりと説いてやったのじゃ」
「りょ、料理……?」
「ジェイドに作らせたのじゃ。ほほ、一週間ぶっ通しでもてなしてやったから、竜たちも満足していたようじゃぞ」
ティターニアは、空を舞い飛ぶ竜を眺めて満足げだ。
「ジェイドはお主が居ない間、頑張っておったぞ。なにせ、竜に加えて我らの同胞も一緒にもてなしたからのう。何度、同胞に食われそうになったところを救ってやったか……まったく、まだまだじゃのう」
「何をしているの……!!」
「だって、お主が眠っておったから……。仕方ないじゃろ?」
――ジェイドさんがやつれていたのって、このせいかあああああ!!
ティターニアの口ぶりにゾッとする。つまりは、精霊界に行っていなかったら、自分が竜や人外たちをもてなすことになっていたということだからだ。
……あああ。ジェイドさんに後で滅茶苦茶謝ろう。誠心誠意謝ろう……。
がっくりと肩を落としていると、見知らぬ人がこちらに近づいてくるのに気がついた。
それは白髪交じりの髪を持った、厳格そうな見た目をした高齢の男性だ。
彼を見た瞬間、私は首を傾げた。
確かに知らない人のはずなのに、その鋭い青色の眼差しや、彼が纏う雰囲気に覚えがあったからだ。その人は、私の前まで来ると小さく頭を下げた。すると、髪飾りが揺れて、黒い男性用のアオザイのような服に掛かる。その服を見た瞬間、私はそれが誰なのか理解した。その服は、ユエと色違いのものだったからだ。
「古龍……長様ですか?」
「――ああ。そうだ。ヒトの娘、古の森で会って以来だな」
古龍はそう言うと、自分が私たちを穢れ島まで連れて行くと告げた。
私はお礼を言いつつも、頭の中は疑問でいっぱいだった。古龍は竜族の長だ。彼は「竜の掟」に従い、浄化には関わらないと宣言していたはずだ。
すると、私の疑問を感じたのか、古龍は薄く笑った。
「……触れてくれるな、ヒトの娘よ。我らもまた――親であったというだけのこと」
古龍が苦々しい表情で言うと、ティターニアが割って入ってきた。彼女は、からかうような目線を古龍に送りながら、得意げに説明してくれた。
「これらの竜は、邪気の浄化を手助けしに行くのではない。危険な場所に行ってしまった、若い竜たちを連れ戻すために行くのだそうじゃ。その先で、偶々魔物と出くわしたら――子を守るために戦うやもしれぬ。そういうことらしい。……ああ、面倒じゃ! 掟なぞ、捨ててしまえと言うたのに」
「それは出来ぬと言ったであろう。妖精女王」
「その結果が、この遠回しな言い訳じゃろう? 竜は、長いこと生き過ぎて脳が固まってしまったに違いないわ」
古龍はじろりとティターニアを睨みつけると、ふいと顔を逸した。
「それに、あの場所には因縁がある。……どうも、我の力が必要な予感がしてならないのだ」
そう言うと、古龍はその体を巨大な竜に変えて空へと飛び立った。
私は大空をゆったりと飛んでいる古龍を眺めて、頬を緩めた。
「掟」にあれほど拘っていた古龍たちが、どんな理由であれ穢れ島へ行ってくれる。
一週間の間に一体何があったのかは知らないけれど、ティターニアが彼らを説得してくれたということらしい。
「……ティターニア!!」
「ぶふっ!!」
私は思い余ってティターニアに抱きつく。
竜――それも、伝説級の竜たちが参戦してくれるのならば、これほど頼もしいことはない。
それに、ティターニアの同胞というと、きっと人外たちだ。彼らも、不思議で強大な力を持っているのを知っている。怪しくて怖くて愉快な彼らが一緒に来てくれる……なんてすごいことなんだろう!
「ありがとう……! ティターニア、最高! もう……もう!! 大好きー!」
「なん、ななななな……だ!? だいす……!?」
ティターニアは透けるように白い肌を薔薇色に染めると、私の腕のなかでバタバタと暴れだした。私は、素直じゃないけれど、友だち思いの妖精女王を力いっぱい抱きしめた。
「……ぐ、ぐるじい……」
「なんだ。妖精女王とヒトの娘は随分と仲がいいのだな」
「ねえ。妬けちゃうわよね」
古龍とマルタが半ば呆れてこちらを見ている。
ティターニアはふたりに向かって、助けを求めるように腕を伸ばした。けれど、彼らは笑っているばかりで、動く様子はない。
「お主ら……! 見てないで、助け……うっ」
「あ。……ティ、ティターニア……!!」
慌てて腕を離すと、息も絶え絶えのティターニアにこってりと怒られた。でも、怒る妖精女王の姿もまた可愛くて、頼もしくて……顔がにやけるのを止められなかった。
やがて、ジェイドさんも中庭にやってきた。
その後ろには、見送りのためか王族やルヴァンさんやゴルディルさん……私の知っている人たちが勢揃いしている。
私は古龍の背に乗ると、彼らに向かって大きく手を振った。
「無事に帰ってきます! 未来を手にして――絶対に、笑顔で帰ってきますから!」
すると、古龍は風に乗って、みるみるうちに上昇していく。
たくさんの巨竜を引き連れて、古龍は空を駆ける。上空の空気は、肌を刺すほどに冷たい。けれど私の胸は高鳴っていて、寒さは然程苦には感じなかった。