聖女を待つものとお弁当 前編
途中三人称が挿入されてます。
じゅわわわわわっ!
酒と醤油と生姜、にんにく、後少しの摩り下ろしの玉ねぎに漬け込んでおいた鳥もも肉に、小麦粉と片栗粉を纏わせて油で揚げていく。
粉は多めがいい。そのほうがカリッとして冷めても美味しい。
初めは少し低温の油。
鳥もも肉を入れると、ぶくぶくと大きな泡が油の中で弾ける。ゆっくり急がず揚げていって、泡が細かめになって高い音がきこえるようになったら、芯まで火が通る前に油から一旦あげる。
色味は少し控えめくらいがいい。この時点できつね色だとよろしくない。
暫く網を張ったバッドの上で放置。余熱で火を通す。
食べる直前になったら、油をカンカンに熱する。
ちょっとびっくりするくらい熱いのが丁度いい。
放置した鳥もも肉は、中から水分が出てきて少しふんにゃりしている。
それを、思い切って油に入れると、パチパチパチッじゅわわわわわっ!と、びっくりするくらい水分が弾ける。
あんまり長く揚げるのも良くない。
ここは表面がカリッとする程度で止める。
さっと揚げて、さっと上げる。そうすると、表面の水分がいい塩梅に抜けて、カリッカリの唐揚げの完成だ。
「おねえちゃん…味見…」
「駄目よ、ひより一個食べたら止まらないでしょ」
「味見しないと死ぬうー。私の口は今唐揚げを食べないと腐るーう」
妹にとことん甘い私は、笑ってそりゃ大変だと妹の口に唐揚げを放り込む。
便乗して、私もひとつ食べる。
ざくっ、じゅわっ。
サクサクの衣を抜けて、肉を噛み切ると肉汁が口の中に溢れる。余熱で火を通したから、鶏肉はしっとり。玉ねぎの摩り下ろしのお陰で鶏肉は柔らか。醤油の香ばしさ。その後ろでにんにくと生姜が一生懸命主張している。
口の中が、幸せな脂でまったり包まれる。飲み込むのが惜しくなるくらい、美味しい。
「はう。美味しいねー…。もいっこ」
「却下」
「おねえちゃんのいじわるー!」
伸びてくる妹の手を躱して、唐揚げは粗熱を冷ましておく。
熱していた鍋をちらっと確認。
中には塩を入れて水から煮たベーコンと皮を剥いたじゃがいも。
これから作るのはポテトサラダ。
ポテトサラダのじゃがいもは、レンジでチンしてもできるけれど、茹でたほうが断然しっとりして美味しい。序でに一緒にベーコンも茹でればベーコンからでる出汁が染みて、ぐんと風味が増す。ベーコンは別に炒めて、染み出した油と一緒にじゃがいもと和えても美味しいけれど、私はこっちの方がさっぱりとして好きだ。
水分が蒸発して、じゃがいもの表面がほくほく粉っぽくなる。そうしたら更に火を強めて、鍋をゆする。
ごろごろ転がるじゃがいもから、どんどん水分が飛んでいく。ここでしっかりと水分を飛ばさないと、サラダが水っぽくなるから注意。粗方水分が飛んだら、ボウルに移してマッシャーで熱いうちに潰す。
がしがし潰して、塊が無くなったらマヨネーズをたっぷりと入れて。粒マスタードもちょっぴり。
細かく刻んだゆで卵もひとつ。塩で揉んでおいたきゅうりも投入。最後に胡椒をミルでガリガリ削って、味を引き締めて完成だ。
「おねえちゃん、おにぎりは梅干しとシャケね」
「シャケは手に入らなかったから、シャケフレークで勘弁して」
「ええええ!異世界ないわー!わたしのシャケが!」
「そのうち鮭っぽい何かを探すよ」
そんな会話をしながら、私はお弁当におかずを詰めていく。中には甘い卵焼き、レタスの上にポテトサラダを乗せて、プチトマトと串に刺さったミートボール。残りのスペースには唐揚げを詰めて、あとは小さめのおにぎり2個。
お弁当に蓋をして、猫柄の可愛い布で包めば完成。
「へへへ。久しぶり。おねえちゃんのお弁当」
「定番のおかずばっかりだけどねー」
「それが良いんだよー。たまに無性に食べたくなるもん」
「そう?」
妹は、お弁当を大事そうに持って嬉しそうだ。
私は椅子に座って、その様子を見ている。
まだ7時前だというのに、もう空はだいぶ明るい。
空には雲はなく、このままだと昼頃には少し汗ばむくらいになるかもしれない。
初夏の爽やかな朝。
――今日は妹が浄化の旅に出る日だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ジルベルタ王国がある、この異世界で最大の大陸。
その大陸の其処彼処に、邪気が噴出する穢れ地がある。
この異世界で生きとし生けるもの達の生命活動の中で自然発生する穢れは一旦大地に染み込み、地中の奥底に溜まり、濃縮され、ある程度の量になると地上へ漏れ出す。それは邪気となって、地上を穢し、触れた生命を汚染する。
汚染された生命は、思考が闇に堕ち、血を求める獰猛な魔物に成り果てる。魔物となったそれらは、他者を傷つけ、全てを破壊しつつ、穢れを新たに産み出しながら静かに増えていく。
理性を失ったように見えるそれらだが、決して穢れ地から離れることはない。邪気の影響なのか真相は定かでは無いが、何故かそこに留まり、着々と穢れ地を増やすことに全てを費やす。
各国各地の騎士団は、邪気に汚染された魔物を駆逐する事に心血を注ぐ。ある程度の数を減らす事で、穢れ地の侵食を抑えることができるからだ。そうして人々は自らの国を、家族を、住む土地を守ってきた。
――しかし、地道な努力により守られてきた邪気と人の均衡はいとも簡単に崩れ去った。
地下奥深く、地上に噴出せずに眠っていた邪気が、増え続ける穢れによって、とうとう行き場を失い一気に地上へと噴き出し始めたのだ。
――邪気の急増期。およそ数百年前にも起こった、邪気の氾濫の始まりである。
人々の努力も虚しく、邪気の噴出は劇的に増え、騎士団が狩りとる魔物の数よりも、増えていく魔物の方が上回る。やがて、街は魔物に破壊され、略奪され、穢れ地はみるみるうちに範囲を広げていった。人々は邪気に、魔物に怯えて暮らすようになった。
各国の王は次々と、ジルベルタ王国へ遣いをよこした。
唯一邪気を祓う事の出来る、聖女を喚ぶ秘術を持つジルベルタ王国へ、縋る思いで乞い願う。
――聖女を!邪気を祓う事の出来る唯一の存在を!
一方、ジルベルタ王国も黙ってこの現状を見ていた訳ではない。邪気の急増期を見据え、予め何年、何十年と時間をかけ、聖女をこの世界へと喚ぶための準備を行ってきた。
そして恐れていた邪気の氾濫が世界を襲う。
ジルベルタ王国は召喚の儀を行うことを決めた。急増期を迎えた際に儀式を行うこと、それが周囲の国々との盟約であったからだ。
そして、召喚の儀は恙無く行われ…こうして、人々の待ち望む希望、聖女は召喚されたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
真っ白な城壁、いつもは遠目にみているだけのそこに私は立っていた。
地上からはかなり高い。眼下に見える門番の兵士が、まるで人形のようだ。
強い風が吹いて、私の髪や服を靡かせる。
私は城壁のへりをぎゅっと握りしめて、遠ざかる一団を見つめていた。
初夏の日差しを浴びて、ギラギラと騎士達の鎧が光を反射している。それは時折眩しくて目を顰めてしまうくらいだ。
一体何人いるのだろう。多くの騎士の先頭には、1人だけ漆黒の鎧を纏い、黒毛の馬に跨り長い槍を携えたダージルさんがいる。
その一団の中ほどにある、大きな二頭立ての馬車。
そこに私の妹と、カイン王子がいるはずだ。
「――…茜」
「ジェイドさん。きっと、きっと妹は無事に帰ってきますよね」
馬車を見つめたままそう尋ねると、ジェイドさんは「ええ、きっと」と答えてくれた。
しばらく経って馬車が見えなくなると、私はずっと握りしめていた手を漸く解く。随分と力を込めていたようで、指先は白く変色してしまっていた。
市場は今日も変わらずたくさんの人で騒がしい。
私は先日出来上がった梅干しの壺を手に、薬草売りのもとを訪れていた。
「やあ。久しぶり」
「お久しぶりです。…これ、塩漬けです。もう食べられますけど、後3ヶ月くらい冷暗所で置いておくと、塩味がまろやかになって美味しくなりますから」
壺を薬草売りに渡すと、彼はふむ、と一瞬考え込んでその中身を覗き込む。
くん、と匂いを嗅いで、一瞬驚いた顔をした後に、ひとつ口に運ぶ。
「あ。」と思ったけれどもう遅い。
「〜〜〜〜ッ!?!?」
薬草売りはよっぽど酸っぱかったのか、涙目で口を押さえて、蹲ってしまった。
「だ、大丈夫ですか…?」
薬草売りは、蹲ったまま片手を心配するなというようにひらひらと振って、露店の奥にある木箱の中から水の入った瓶を取り出して一気に煽る。
そして、口をすぼめて梅干しの種を吐き出したと思ったら、急に笑い出した。
「あははは!なんだいこれは。チコの実は塩漬けにするとこんなに酸っぱくなるんだねえ。一瞬、口の中がどうにかなったのかと思ったよ!」
よほど可笑しいのか、薬草売りは長い事笑っていた。
そしてやっと笑いが収まったのか、涙を拭って露店のいつもの場所に座り直す。
「ああ、可笑しかった。――いつものお嬢さんなら、一緒に笑ってくれそうなものだけれど。今日のお嬢さんは…少し元気がないね?」
そう言って、懐から橙色のグラスを取り出す。
「ほら、約束の杯だよ。お嬢さんに、幸せが訪れますように――」
私はそれを複雑な気持ちで受け取る。
今までなら、綺麗な文様のそのグラスを受け取るたびに嬉しくなって、本当に幸せが訪れるような気分になれたものなのだけれど、今は何だか薬草売りの言葉が空々しく聞こえる。
折角、故郷の杯をプレゼントしてくれている薬草売りに、なんだか申し訳ない気分だ。
「ありがとうございます。…大切にします」
薬草売りはそんな私の内心を見透かしたように、紅い瞳でにんまりと笑って、ぽんぽん、と私の頭を軽く叩いた。
「…帰ったのか」
家へ戻ると、なぜか仏頂面が出迎えてくれた。
ルヴァンさんは縁側に座って、ひたすらレオンの持ってくるボールを投げている。
…この人は一体何をしているんだろうか。
ぽーん、だだだだだ!ぽーん、だだだだだ!
レオンは舌を出したまま、非常に満足げな様子でボールをルヴァンさんの元へ持ってくる。
「…ちょっと君からも、レオンに辞めるように言ってやってくれないか」
「はあ…」
「もう終わりだと言っているのに、延々とボールを持ってくるので、正直困っている」
銀縁眼鏡の縁をくいっと持ち上げて、本人は酷く真面目な顔でそんなことを言う。
ダージルさんが居たらきっと爆笑していたに違いない。そんな状況に思わず体の力が抜けそうになる。
「ボールを隠してしまえばいいと思いますよ」
「ぬ。…成る程。そういうことか」
ルヴァンさんは合点がいったのか、そのボールを自分の文官服のポケットに入れた。…そこがもっこりと膨れ上がって、如何にも怪しげだ。
レオンはいきなり消えたボールを探して、ルヴァンさんの手を嗅いだ後、ふんふんと鼻を鳴らして周りを探っている。
…見るからにそこにあるのに、見つけられない愛犬がなんだか…情けないような…馬鹿な子は可愛いというべきなのか、悩むところだ。
「…で、今日は如何されたんですか?調査って今日はお休みの筈ですよね」
忙しいルヴァンさんがここにくる理由なんて、調査ぐらいのものだ。どうやらお友達になったらしいレオンは、好きな時に自分でルヴァンさんに会いにいっているようだし。
私の問いに、ルヴァンさんは暫く視線を彷徨わせて、もごもごと口を動かした後、自分の陰から陶器の大きな瓶を取り出す。
「あー、なんだ。…ダージルがな。君に差し入れを」
「ダージルさんが?」
ぐいっと差し出された瓶を受け取ると、ずっしりと重く、中でちゃぷちゃぷと液体が揺れる音がする。
「…この辺りの漁村でよく飲まれている、乳酒だ。…ほんのり甘くて飲みやすいが、酒精もなかなか強い。…眠れぬ夜に寝酒として飲むぶんにはぴったりの酒だ」
「…え」
「君は酒が好きだからな。いつも馳走になっている礼だと言っていた」
私から少し視線をずらしてそう言ったルヴァンさんは、すっくと立ち上がるとそのまま去ろうとする。
突然のことに固まっていた私は、そんなルヴァンさんをみて慌てて呼び止める。
「ちょっ…ルヴァンさん!待っててください!」
「なんだ、私は忙しいのだが」
急に不機嫌になったルヴァンさんをそこに待たせたまま、私は慌てて台所へ飛び込む。そして、祖父が使っていた弁当箱を取り出すと、妹に持たせたお弁当の残りを急いで詰め込んで、縁側へ戻った。
「容器は後日返却してください。お昼ご飯にどうぞ」
そんな私に、ルヴァンさんは変な顔をしてから、もごもごと口の中で小さくお礼らしき言葉を言って帰っていった。
手の中の乳酒の瓶を見つめる。前に乳貝を調理するときにダージルさんに貰ったことのあるお酒だ。
ふっと頰が緩む。
太陽が眩しい。
気づけばそろそろ昼時だ。
私はジェイドさんの方を振り返って、彼を昼食に誘った。