精霊王とおもてなしご飯4
本日、カドカワBOOKS様より「異世界おもてなしご飯2〜精霊の歌声と約束の杯〜」の発売日です。
書き下ろし多数(二万字程度)、WEB既読のかたでも楽しめるように、色々と盛り込みました。
今日は、活動報告にて書籍のみの新キャラクターのキャラデザの公開、そして「異世界おもてなしご飯〜番外編〜」に発売記念SSを投稿しております。
是非、そちらもご覧になってくださいね。
――精霊界は、すべてが入り混じる場所だ。
現在、過去、未来。時間だけではなくて、現実に妄想までもが混じる、人間の理解の範疇を軽く凌駕した場所なのだという。
そこでは、目にするものを信じてはいけない。
それが、現実に起きているものなのか、過去の記録が蘇っているだけなのか、未来に起きる予定のものがきまぐれに姿を現しているだけなのか判断がつかないからだ。
妄想や願望が、現実を装って幻影となり、悪戯に現れることすらある。
精霊界で悪意を持った幻影に翻弄される道化師の物語は、この異世界ではあまりにも有名だ。
そして、精霊界は生者に混じって、死者すらも現れる場所でもあった。
お盆の頃、まめこに連れられてやってきた精霊界で、両親に再会できたことは記憶に新しい。
だからといって、簡単には信じてはいけない。
目の前の――優しげに微笑む母が、私の願望が作りだした、都合のいい存在の可能性を否めないからだ。
「どうかしたの? 辛いことがあったのかしら」
くすんだ栗色の髪、私よりも少し高いくらいの身長。最近、増えてきたと気にしていた目元の皺。妹に似た目鼻立ち……私の記憶と、寸分違わない姿を持ったその人は、なんだか泣きそうな顔をして、私を強く抱きしめてきた。
せっけんの匂いと、得も言われぬ甘い匂い。無性に安心するその香りと、温かな体温。幻影かもしれないけれど、紛れもなく記憶の中の母のものと同じ。
「本当のお母さんなの……? それとも、私が作り出した偽物?」
「ふふふ。どうかしらね? 私にもよくわからないの」
母は、私の問いに曖昧に答えた。
どうも、自分がどういう状態でここにいるのか、本人にもわからないらしい。
気がついたときには、途方に暮れている私が目の前にいたので、思わず抱きしめたのだという。
「わからないことだらけで参っちゃうわね。でも、いいじゃない。『本当の』かどうかなんて関係ないわ。私は私。どうあったって、茜のお母さんには変わりないもの」
母は柔らかく笑うと、私に頬ずりをした。
「ひゃあ!? もう、やめてよお母さん!」
「ふふふ。茜だわ。嬉しい。また会えるなんて」
それはとても愛情に溢れた仕草で、くすぐったくて堪らない。そんな母に、私はどう反応すればいいのかわからずに動けないでいた。
そんな私の耳に、聞き慣れた――それも、なんとも懐かしい声が聴こえてきた。
「お母さんばっかりずるいぞ! 俺も茜をぎゅーする!」
「おい。いい年した大人がみっともないぞ……本当に、儂の息子か?」
「紛れもない、あんたの息子ですよ。私が不貞したとでも?」
「ぐ……! 婆さん、これは言葉のアヤというやつでな」
じわりと、お腹の底から喜色が沸き起こってくるのを感じながら、母越しにその人たちを見る。そこには、会いたくて……でも絶対に会えないはずの人たちがいた。
その中のひとり……祖父は、少し寂しくなった頭を手でつるりと撫でると、はにかんだ笑みを浮かべて、私に向かって言った。
「茜、じいちゃんが来たぞ」
それは、まるで盆や正月に会った時のような、なんでもない挨拶。
でもそれを聞いた瞬間、玄関先で祖父を出迎えた時の記憶が、色鮮やかに蘇る。自家栽培していた野菜が採れる度に、トラックに山ほど積んで持ってきてくれる祖父。美味しい果物を期待して、秋頃は妹と一緒に祖父がくるのを楽しみにしていた。
すると、誰かが私を後ろから抱きしめてきた。
「なんだい、よくわからないけれど、苦労したんだねえ。茜はいいおねえちゃんだよ。えらい、えらい」
少し掠れた、とても温かな声。
皺の寄った骨ばった手が、私の頭を優しく撫でている。長年、農業をしてきたからか、決して綺麗な手ではないけれど――私はこの、祖母の手が大好きだった。
「皆、ずるいぞ! 俺を除け者にするなよー!」
「うるさいぞ。黙っとれ」
「酷い!」
お調子者の父。真面目な祖父によく叱られていたけど、我が家のムードメーカーはまぎれもなく父で、それにやるときはやる、かっこいいところもある父だった。
――彼らは皆、私の前からいなくなった……死んでしまった家族たち。もう二度と会えないはずの、大切な大切な家族だ。
そんな彼らが眼の前にいる。声が聞こえる。温もりを感じる。
すべてが終わるまで泣かない。そう決めたはずなのに、みるみるうちに視界が歪む。でも、でも……泣くわけには……。
そんな私の様子に気がついたのか、母が小さく笑った。
「あらあら。どうしたの? 変な顔して。泣きたいなら、泣けばいいじゃない」
「ひ、ひよりと約束したの……っ! な、泣かないって……」
必死に涙を堪える私に、母はうーんと考え込むと、何か思いついたのか、ぱっと表情を明るくさせた。
「よし、たった今からそれは涙じゃなくて、汗よ。汗」
「……な、なにそれ」
「だから、思う存分流しなさい。大丈夫よ、汗は一杯かいたほうがいいって、テレビで言っていたし!」
それは、本当に生きていたころの母の口ぶりそのものだった。あまりにも変わらなすぎて、呆気に取られてぽかんとしてしまう。もし目の前の母が、私が作り出した幻影だったのなら、もう少し取り繕っていい部分だけ見せそうなものだし、かといって本当の母ならば相変わらずすぎる。
「ほら。きっと、なにかあったんでしょう? 吐き出してしまいなさい。すっきりするわよ」
母はそう言って、私の耳元で「大丈夫よ」と小さな声で囁いた。
――小さい頃は、いつもお母さんにこうやって慰めてもらっていたっけ。
そのことを思い出した瞬間、私は目の前の母が幻影なのか本人なのか、どうでもよくなってしまった。
この匂い、温もり、優しい声、言動……すべてが、私が求めてやまない母そのものだったから。精霊王に拒否されて、極限まで追い詰められていた私は、母に縋って大泣きするしかなかった。
「う、うわあああああ!!」
「よしよし。大丈夫よ、大丈夫……」
「お、おか……おかあさん! ひよりが、ひよりが……!!」
「落ち着いたら話を聞くからね。ほら、今は何も考えないの」
「あああああ……!!」
母の優しい声に促されて、思う存分涙を零す。泣き終わったら、本当に妹が帰ってくるまでは泣かない。そう心に決めて、自分の泣き声を頭の隅で冷静に聞いていた。するとその声に混じって、少し離れた場所から、家族の声が聞こえてきた。
「あ、茜が泣いている……!! ひよりに一体なにがあ!?」
「お前は黙ってろ。一家の大黒柱たるもの、どんと構えとけ。ばかもん」
「まあまあ。茜は相変わらず泣き虫だねえ」
ああ、なんて懐かしい声だろう。まるで、皆が勢揃いしていたあの頃に戻ったみたいだ。
ここにひよりが居たらいいのに。きっと喜ぶだろうなあ……。
そんなことを思いながら、私はまるで子どもみたいに泣き続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふにゅう……」
暫くして、漸く落ち着きを取り戻した私は、フォレを抱きしめたままだったのに気がついた。
私と母に挟まれてのぼせてしまったのか、フォレは目を回して、可愛らしい声を上げている。
「きゃー! どうすれば……! ちょ、ヴィント!? ヴィントー!!」
「……何をしているんだ。お前らは」
ヴィントは私の慌てっぷりに、呆れたようにため息を吐くと、私の腕の中からフォレを受け取って、容赦なく往復ビンタをかました。
「ぷぎゃ! ……おお、ヴィントか」
「まったく。お前は手が焼ける」
ヴィントはやれやれと肩を竦めると、フォレの乱れた服装を直してやっていた。……扱いが丁寧なのか、雑なのかはっきりして欲しい。
そして、ヴィントは勢揃いした私の家族を眺めて、眩しそうに目を細めた。
「こいつらは、お前の知り合いか?」
「うん。私の『家族』なの」
「『家族』……?」
「そう。『家族』よ。だいぶ前に亡くなってしまった『家族』。もしかしたら、私の作り出した幻影かもしれないけれど……」
すると、ヴィントはそっぽを向いて言った。
「ここでは、幻影も死者も変わらない。そこにある、ただそれだけのことだ」
「……ヴィント」
「それよりも、我々には考えねばならないことがあるだろう」
「そうだね」
すると、私たちの様子を見ていた祖父が、どうしたのか事情を聞いてきた。
祖父たちに私たちの事情を話す。妹が死ぬかもしれないなんてことは、口にするのも憚られたけれど、ここは本当のことを包み隠さずに伝えた。
「ひよりが……?」
両親が、青白い顔をして震えている。
祖父母も眉を顰めて不安げだ。私は家族に、その最悪の未来を変えるために動いているのだと伝えた。
そのためには、精霊王の助力が必要なこと。そして、私に協力してくれている精霊の「核」たちは、塞いでいる精霊王をなんとか元気づけたいのだと伝えた。
すると、家族は顔を見合わせた後に、苦笑した。
「……どうしたの?」
「いやあ、神様っちゅうもんは、どこの世界でも一緒なんだと思ってな」
祖父はそう言うと、得意気に言った。
「要するに、あの繭みたいなもんに引きこもった神様を引きずり出して、んでもって、ご機嫌で願い事を聞いてもらえりゃあ最高っちゅうことだろう? まずは、あそこから引きずり出すところからだ。つまりは、天岩戸作戦を決行するときがきたっちゅうことだな!!」
「あ、天岩戸!?」
「大事な孫娘のためだ。儂に任せろ」
私は、満面の笑みを浮かべて自信満々な祖父を、胡乱げな目で見つめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――天岩戸。それは、日本に古来から伝わる神話だ。
神代の昔、多くの神々が暮らしている世界に、太陽の神「天照大御神」とその弟の「須佐之男命」がいた。須佐之男命は、大変な暴れん坊で、田んぼの畦を壊したり、馬を逆剥ぎにしたりといたずらばかりしたという。
あまりに酷いいたずらに、天照大御神は怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れてしまった。太陽の神である天照大御神が隠れると、世の中は暗闇に包まれ、作物は育たず、病気が蔓延したりと大変ことになってしまった。
その天照大御神を天岩戸から出すために、八百万の神々が色々と手を尽くし――最終的には、天照大御神を天岩戸から出すことに成功するという話だ。
その神話の中で、八百万の神々のうち、天細女命が招霊の枝を持って舞いを踊り、それを囃し立てた神々の賑やかな声に誘われて、天照大御神が天岩戸から顔を覗かせた逸話は大変有名だ。
「……精霊王が塞いでいても、別に世界は暗闇に覆われたりしてないんだけどね?」
どちらかというと、セルフで自宅を作って引きこもって、駄々を捏ねているような状況だ。
あれ、こっちのほうがしょうもない気がする……それについては、考えてはいけない。
すると、祖父はがはは! と大きな口を開いて笑った。
「まあ、こまけえことは気にするな!! 似たようなもんだ。うんうん」
普通、気にするよね……!?
……ああ、祖父ってこうだったなあと思いつつも、思案顔のヴィントを見る。
ヴィントは腕を組み、無言のままだ。
すると、祖父の笑う姿を呆れ気味に見ていた祖母が、おっとりした様子で言った。
「まあでも、助力を得るにはあそこから出さなくっちゃ何も始まらないわよね。……一度は茜の料理を完食したらしいし、そこは付け入る隙になると思うのよねえ」
「付け入るって、ばあちゃん……」
「ふふふ。敵の弱点に攻め込むのは、勝利のための常套手段よね?」
いつも朗らかな祖母の新しい一面を垣間見たような気がして、なんだか落ち着かない。そう言えば、祖母は祖父を攻めて攻めまくって落としたという逸話があったっけ……。
女って怖い。そんなことを思っていると、ヴィントがぽつりと呟いた。
「所謂、ご馳走というのを並べて、歌い踊る。つまりは……皆で宴会をするということか。そして、その宴会で母上を釣り出すと……」
「ああ、そうだ。話が早くて助かる」
「あ、美味しいお酒も用意しなくっちゃね。宴会には、美酒はつきものよねえ」
ノリノリでお酒を要求したのは母だ。母は、お酒ってここでも手に入るのかしらと、何故かウキウキしている。そして、何かに気がついたのか、ぽんと両手を打って表情を輝かせた。
「もしかして、茜とお酒が飲めるんじゃないかしら。私が死んだ時は、茜は未成年だったものね。やだ、最高だわ! お義父さん! ひよりの明るい未来を祈念して、今宵は飲みますよ!」
「ムッ! そうか……酒盛りじゃな!」
「親父!? 母さんも、何を言って……」
「「乾杯〜!!」」
戸惑う父を他所に、母と祖父はジョッキを持つような仕草をして、浮かれっぱなしだ。
「お、お母さん……ちょっと」
「よし、お母さんはりきっちゃうぞ……! ひよりのために!」
「話、聞いてる? お、おかあさぁん……?」
どうしてこうなった。さっきまでの悲壮感溢れる空気は、一体いずこへ……!?
ひよりの一大事だというのに、お酒で浮かれている場合じゃないでしょう!?
すると、私の肩をぽんと誰かが叩いた。それは祖母で、どこか諦めたような顔で首を振っている。
「あなたのお母さんはね、旦那を放っておいて、爺ちゃんと酒盛りにくるような人だったからね。ああなると、もう止まらないわ。諦めなさい」
「そうだったの!?」
「それに、何事も前向きに楽しんだもの勝ちよ。嘆いたり、悲しんだりしたって、ちっとも上手くいかないものね。あのふたりも、自分を奮い立たせているんだわ。無理にはしゃがないと、頑張れないときってあるじゃない。誤解しちゃ駄目よ」
祖母はそう言うと、皺が深く刻まれた手で私の両手をそっと包み込んだ。
――ああ、祖母の手が微かに震えている。
「茜、私たちは『家族』なんだから、なんでも言ってね。私に出来ることならなんでもするわ」
「ばあちゃん……」
「人生ってね、くやしいけどうまくいかないことの方が多いの。それに困難ばっかりで挫けそうになることも多いわ。でも、自分に出来ることをがむしゃらに頑張れば、未来だって変えられるはず。――足掻けるときは、とことん足掻くのよ。それが、小鳥遊家の家訓でしょう?」
――祖母が語った言葉は、私がいつも胸に抱いている想い。
自分に出来ることを、高望みせずに只管やれば、いずれ結果がついてくる。
ああ、私のルーツが目の前にある。
祖母の教えが、私の胸に確かに生きている。
「ひよりがこっちに来るのは、まだまだ早いわ。ばあちゃんはそう思う。ね、茜」
「……うん!!」
私は大きく頷くと、ヴィントに向き合った。
ヴィントは、黒目がちな瞳で、私を真っ直ぐに見つめている。
彼の眼差しには、真摯な輝きが秘められているような気がした。
「ヴィント。天岩戸作戦……やろう!!」
「ああ……頼む」
ヴィントはそう言って、小さく頭を下げた。するとその瞬間に、彼の背中を祖父が思い切り叩いた。
「なあに言ってんだ! お前らも一緒にやるんだよ。『家族』だろう?」
「――『家族』?」
すると、ヴィントは非常に不思議な顔をして首を傾げた。