精霊王とおもてなしご飯1
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私が「予言」のことを知ったのは、妹の無事を祈りながら、離宮で過ごしていたある日のこと。
夜も更け、ジェイドさんも帰って後は眠るだけとなったとき、いつもならすぐに帰る侍女さんが、おどおどとした様子で話しかけてきた。
侍女さんの話によると、実家に帰ることになったので、明日からは別の人間が世話をすることになったという。彼女との付き合いは、私がこの世界に召喚されたときからだったから、少し寂しくもあった。だから聞いてみたのだ。なぜ、実家に帰るのかと。
侍女さんは憂鬱そうに俯くと、事情を説明してくれた。その際に、ぽろりと「予言」のことを漏らしてしまったのだ。
「聖女様と王子様がお亡くなりになったあと、この国はきっと荒れるでしょうから……」
「……それってどういうこと?」
「あ……っ!! 茜様、どうか。どうか、聞かなかったことに……!!」
「いいから。話してくれる?」
私は、青ざめ震える彼女を慰めた。どうも、このことは王様から諫言令が布かれていたらしい。「予言」のことが私に漏れたと知れれば、彼女が罰せられてしまうかもしれない。
「大丈夫。内緒にしておくから。私はあなたから何も聞いていない」
「……茜様……!!」
「だから、安心してお家に帰ってね。家族と仲良くね」
私は涙ぐむ彼女を見送って、部屋にひとりになると椅子に座り、背もたれに頭を預けて天井を見上げた。目に飛び込んできたのは、我が家の板張りの古びた天井とはまったく違う、豪奢な造りの天井。
「……帰りたい」
思わずぽつりと呟く。すると、視界に泣き顔の仮面が入り込んできた。
「帰るために、何を成すべきか?」
「……謎掛けみたいね」
後ろを振り向くと、そこには道化師らしいやたら派手なローブを着たテオが立っていた。テオは優雅に一礼をすると、言葉を続けた。
「あながち間違ってはいないね。この先僕たちを待ち受ける、最低最悪な未来を回避するための答えを、僕は常に探している」
「その答えは見つかった?」
「いや。僕の忌々しい目に映る未来は、未だ絶望に染まったままだよ」
「……そう」
椅子に座り直して、目を瞑る。そして、侍女さんの語った「予言」の内容を思い返す。
カイン王子が死に、聖女である妹も死ぬ。浄化は失敗し、世界は混沌に包まれる――あまりの衝撃に、頭がまわらない。けれどそれ以上に、「予言」を人づてに聞いたことがショックだった。
きっと、王様が諫言令を布いていたのは、私を慮ってのことだろう。私が王様の立場であってもそうする。だから、彼らを責めるつもりはない。
「泣いちゃ駄目」
滲んできた涙を袖で拭う。
それでも、大切な妹の生命に関わることを、今の今まで知らなかったことが無性に腹立たしい。それは、予言のことを教えてくれなかった皆への怒りではなくて、教えてもらえなかった自分の無力さに対してだ。
私が妹のように特別な力を持っていたら。若しくはもっと強かったなら、彼らは「予言」のことを隠しておく必要はなかったのだから。
「……帰るために、何を成すべきか」
先程のテオの言葉を、反芻する。
あの家に帰って、妹と笑ってご飯を食べるために、私に何が出来るだろうか。
すると、テオは私の耳元に顔を寄せて、楽しげな声で囁いた。
「――家に帰りたいかい? 妹の居る未来が欲しいかい? そのための手段を、僕が知っていると言ったらどうする?」
それはまるで、悪魔の囁きのようだった。
「僕が視た未来は、あくまで暫定的なものだ。なにか切っ掛けがあれば、簡単に変わる程度の未来。けれど、その切っ掛けが難しい。決定的なものでないと、未来を変える事はできないんだ。恐ろしい、なんて恐ろしいんだろうか。ゾクゾクするね?」
「……テオ。何が言いたいの」
ゆっくりと瞼を開けて、息がかかりそうなほど近くにあった、泣き顔の仮面を見つめる。
ここは我が家と違って、夜はランプの灯りのみだ。だから、きっと照明のせいなのだとは思う。思うのだけれど……どうしても、テオの泣き顔の仮面が歪な――それでいて、邪悪な笑みを浮かべているようにしか見えなかった。
「僕は人間どもの行動に少し怒っているんだ。折角、僕が色々と教えてやったのに。こんな、真綿で包むような守りかた。――真綿だって、何重にも重ねれば窒息してしまうのに。気に入らない。気に入らないねえ」
白い手袋を嵌めた手が、私の頬を優しく撫でる。私は、全身に鳥肌が立っているのを感じていた。いつも戯けてばかりで、一見無害そうに見えるテオ。……ああ、忘れかけていたけれど、テオもやっぱり人ならざる存在なのだ。
その時、私の頭に先程の侍女さんの姿が思い浮かんだ。今の今まで隠し通してきた「予言」のことを、あっさりと私にばらしてしまった彼女。それは、もしかして――。
背中を冷たい汗が伝う。何度も杯を交わし、沢山の時を一緒に過ごしてきたはずの彼が、一気に化け物じみて感じた。
「君は、どうしようもなく当事者だ。物語は、君なくしては進まない。君だって仲間はずれは嫌だろう?」
「……私に、どうしろというの」
テオは、私の頬を撫でるのを止めると、そっと被っていたシルクハットを脱いだ。
すると雪のように白い髪が溢れ、その髪は銀のリボンで結んであった。
「鍵は精霊王だ。わかるだろう?」
「……精霊界へ行けということ?」
「そうさ、混沌が支配するあの場所へ。君はもう一度行くべきだ。そして、精霊王に助力を頼むんだ。君ならきっと出来る」
テオは指先でリボンを弄びつつ、言葉を続ける。
「おや、もしかして、行きたくない? まあ、そうだね。精霊界は混沌とした世界だ。時間すらも過去から未来へと流れる保証などない。あそこへは行くのは簡単なのさ。けれど、戻るのは非常に難しい! 僕が言うんだ。間違いないよ。経験者は語るってね! ははは!」
すると、テオは笑いを引っ込めて、酷く冷めた声で言った。
「いざ戻ってきたら、知り合いすべてが死んだあとだったなんてこともあるんだ。……君に、その覚悟はあるのかな」
容赦のないテオの歯に衣着せぬ言葉。その言葉ひとつひとつが私の心を切り刻み、有無を言わさず奥底から恐怖心を引きずり出す。私は震えないように体を抱きしめつつも、表面だけは平気な風を装って軽口を叩いた。
「……テオったら、えらく嬉しそうね」
「いやあ。僕は自分の守りたいもの以外は、興味はないのでね」
「そう、なの。あなたって、意外と怖いのね」
「おやおや。人外にとって、最上級の褒め言葉だね。ありがとう」
……どうやら、今のテオには何を言っても響かないようだ。
夏のあの日に見た、精霊界の景色を思い浮かべる。
精霊界は、空に幾つもの月が並び、発光する不思議な植物が風にそよぐ場所だ。そこでは、得体の知れない生き物の鳴き声が常に響き、時間や場所、現実と妄想、生者と死者すら入り混じる混沌とした世界。幻想的で美しい世界だとは思ったけれど、常に未知の恐怖を感じていた。
「私が精霊界に行けば、未来は変わるのかな」
「予言」をした当の本人に問いかける。すると、テオは肩を竦めた。
「さあね。不確定な未来のことだ。僕なんかが、確約できるはずがないだろう?」
「……無責任」
「それも最上級の褒め言葉だね。ありがとう」
テオのひねくれた返事に、少しだけ笑う。そして、大きく深呼吸をする。
……うん。頭がシャキッとした気がする。
「つまりは、私が帰るために……妹を救うために成すべきことは、精霊王の下へと行って助力を請うこと。けれど、帰ってこれるかどうかわからないのね?」
「なかなか、皮肉が効いていて良いだろう?」
「なんにも良くない」
「おや。言うねえ」
――よし!!
私は両手で頬を叩いて、更に自分を鼓舞すると、テオに向かって言った。
「精霊王に会いに行くには、どうすればいいの」
すると、テオは満足げにくるりとターンをして、ここに来たときのように、優雅に一礼したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「君がまず最初に始めるべきことは、学ぶことさ」
精霊王の下に、直ぐにでも連れて行かれるのかと身構えていた私に、テオはそう言った。そして、そのために最適な教師も用意したのだという。そのあまりの用意周到さに、私は呆れてしまった。
「はじめから、私に選択権はあった?」
「僕は、目的のためならなりふり構わないタイプでね」
「そうみたいね……」
苦笑いしつつも、部屋に集まった教師たちを眺める。
テオの用意してくれた教師――それは、精霊たちだった。
火水木地風――すべての精霊が、部屋中溢れるほどに犇めいている。彼らが、私に必要な知識を与えてくれるらしい。
テオは手から指輪を外すと、私の指にそれをそっと嵌めながら、これからやるべきことを教えてくれた。
「君がこれから学ぶのは、精霊王の物語さ。この世界の創造から、今に至るまでを知ってもらう」
「それを学ぶことに意味があるの?」
「これから会う相手のことを知っておくことは、決して無駄にはならないはずさ。本当ならば、直ぐにでも君を精霊界に放り込みたいところなんだが……実は、迎えが少しばかり遅れていてね。そいつの尻を蹴飛ばして連れてくるから、それまでの間、精霊たちの語る物語に耳を傾けていておくれ」
そして、テオは嵌めた指輪に魔力を纏わせた。どうも、この指輪が精霊と話を聞くために必要な道具らしい。すると、金の指輪がぼんやりと輝き始めた。
「さあ。君も魔力を注ぐんだ。この指輪が、君を助けてくれる。ほんの少しずつでいい。魔力を注ぎ続けるんだ……糸から雫を垂らすように、ちょっとずつ……ちょっとずつ……」
テオに言われたようにして、指輪に魔力を注ぎ込む。すると、頭のなかに精霊たちの声が響き始めた。
――茜、聞いて。私たちの生みの親、精霊王のことを。
――茜、聞いて。すべての生みの親、精霊王のことを。
――強くて、慈愛に溢れた、すべてを司る精霊王のことを。
――弱くて、さみしんぼう、ひとりぼっちのあのひとのことを……!
恐らく、周囲の精霊たちが一斉に私に向けて意志を飛ばしているのだろう。それはまるで、耳元に置かれたアンプから、爆音が発せられたようだった。
あまりの音の大きさに、堪らず耳を塞ぐ。けれど、精霊たちの声は脳内に直接響いているのか、耳を塞いでも意味をなさない。
「……ああ、ぐっ……!!」
割れそうなほど痛む頭を抱えこみ、蹲る。すると、誰かが私の背中を優しく擦ってくれた。
「まったく。下手くそだな、君は」
「だって、魔力の扱いなんて……! うう……」
「ほら。指輪に注いでいる魔力を絞るんだ。注ぐ魔力を減らせば、感応能力も落ちるから。さあ……そう。上手だ」
テオが背中を撫でる感触が、何故かとても心地良く感じる。
私はその手の動きに合わせて息を整え、徐々に魔力を絞っていった。
そして、外がうっすら白んできた頃、漸く精霊たちの声を丁度いい大きさにするのに成功した私は、疲労のあまりベッドに倒れ込む。そんな私に、テオは一晩中付き合ってくれていた。彼は私の頭を軽く撫でると、優しげな声で言った。
「さあ、疲れただろう。ゆっくりとおやすみ」
「……うん」
ふかふかの布団に包まり、大きなクッションを抱きしめて目を瞑る。
よほど疲れていたのだろう。あっという間に、深い眠りの底に意識が引きずり込まれていった。
「……大変だろうけれどね。頑張るんだよ。君が思う以上に、世界は君の手に掛かっている」
眠りに落ちる寸前、テオのそんな声が聞こえた気がした。