閑話 護衛騎士と苦しい胸のうち 後編
俺は意識のない茜を腕の中に収め、強く抱きしめる。頬を軽く叩いて、何度も呼びかける。けれど茜は硬く目を瞑ったままで、何も反応を返さない。
――一体、何が。どういう……!!
混乱する頭で考えてみても、何も思いつかない。フォレが何かをしたことには間違いないだろうが……。
幸いなことに、茜の呼吸はしっかりしており、死んでいるわけではなかった。額に触れてみても、体温が高い訳ではない。至って普通だ。意識がない以外は特に異常は見られなかった。すると、唐突に聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「……行ったか」
それは、ティターニアだった。茜が名付け親になり、親しくしているという妖精の女王。妖精女王は、空色の瞳を物憂げに伏せ、悲しそうな表情で意識のない茜を見下ろしている。
「精霊どもめ、大勢で押しかけおって」
まるで人形のように整った顔を歪ませた妖精女王は、精霊たちが居なくなった部屋を見渡して、憎々しげに呟いた。そして、テオを呼び寄せると、茜に魔法を施すように指示を出した。テオは「僕はもう君の下僕ではないのだけれど」とぶつぶつ言いながらも、大きな魔石を取り出してなにやら準備を始めた。
俺は腕の中の茜を抱き寄せ、妖精女王を睨みつけた。
「何をするつもりだ。……それに、茜がこうなったのはどういうことだ。説明しろ」
「……」
すると妖精女王はすう、と目を細め、ベッドに腰掛けて脚を組んだ。そして、気怠げに言った。
「――言葉に気をつけろ。妾は女王ぞ」
その瞬間、妖精女王から凄まじい量の魔力が放出され、息が詰まる。
ビリビリと肌を刺激するような、圧倒的な存在感。冷たく突き刺さるような魔力が降り注ぎ、全身から冷や汗が噴き出した。
そんななか、ひとり魔術の準備をしていたテオが、場違いにのんびりとした声で言った。
「騎士くん。忘れてはいけないよ。僕も、妖精女王もヒトではないのだよ。あの娘がいることで、奇跡的に友好関係を築けていたことを、覚えておかねば」
テオは、不思議な光を放つ瓶をいくつも懐から取り出しながら、歌うように言った。
「それに、妖精女王はとても気が立っているんだ。大切な友人が、自分の手の届かないあちらに行ってしまったからね」
「テオ。黙れ」
「おやおや、怖い怖い。僕も気をつけねばね」
そして、テオは瓶に入っていた輝く粉で、ベッドのシーツの上に魔法陣を描き出した。随分と複雑な文様の魔法陣だ。けれど、テオは実に見事な手つきで、あっという間に魔法陣を描ききった。
それを見届けた妖精女王は、こちらに手を差し出してきた。
「…………ふん。ほれ、お主。茜を寄越せ。その魔法陣は、抜け殻になった体に、邪なものが入り込まないようにするための魔法陣じゃ。悪いものではない」
「……」
「なんじゃ、その目は。信用ならんと? ほほ。まあ、相手は人ならざる化物じゃからの。普通は怪しむものじゃ。人外であろうと、人間であろうと信用に足ると判断したら、全幅の信頼を置くのはこの娘くらいのものよ」
妖精女王は座っていたベッドから立ち上がり、俺の傍らにしゃがみこむと、意識のない茜の頬に触れた。その手つきはとても優しげで、妖精女王が茜に注ぐ視線には温かなものが含まれているように思え、俺は体から少しだけ力を抜いた。
「……それが、茜のいいところだろう?」
「お人好しがすぎるとは思わぬか?」
「そうだな。……偶に、酷く危なっかしい」
きっと、今回のこともフォレが茜を誘い出したに違いない。フォレは、古の森の一件があったあと、やけに茜に懐いていた。精霊というのはどこまでも純粋な存在だ。一時期は邪なものに見えたフォレも、話を聞くうちに、純粋に「母」――精霊王を慕い、己を生み出してくれた存在のために、何かをしたかっただけであったことを知った。
精霊というものは、一度心を許すと、まるで警戒心を持たずに近寄ってくる。
それは茜の家に、代わる代わる現れる精霊たちを見ればわかることだ。
フォレも、不器用ながらも茜に好意を寄せているように見えた。そのフォレが、茜を騙すようなことをするだろうか。寧ろフォレも含め、あの場にいたすべての精霊たちが茜のために動いていたようにしか思えない。
――ああ、俺も茜に影響されて、随分とお人好しになっている気がする。
でも、今はそれが一番正解に近い考えのように思えた。
俺は先程の無礼な態度を謝り、妖精女王に茜は体を置いてどこへ行ってしまったのか聞いた。すると、その口から飛び出した茜の行き先は衝撃的なものだった。
「フォレは、茜の魂を精霊王の御下に連れて行ったのじゃ」
精霊王――すべての精霊を司り、創世にも関わったとされるその存在のおわす場所は、精霊界の最奥にあるという。……まさか、そこに茜が!?
「そんな。まさか、嘘だろ……?」
「嘘ではない。茜は自ら行ったのだ。最悪の未来を変えるために」
「……なっ!」
俺は自分の耳を疑った。妖精女王の言葉では、まるで茜が「予言」のことを知っているかのようではないか――!
すると妖精女王は、呆れたように俺を見て、小さくため息を零した。
「お主は隠し通せていると思っていたようじゃが、あれもお人好しではあるが馬鹿ではない。どこかで『予言』のことを知ったのであろうよ。あれはあれで、自分の出来ることを探して旅立ったのだ」
「どうして、俺に相談してくれなかったんだ」
思わず本音を零す。そんなにも俺は、茜にとって頼りがいのない存在なのだろうか。
そんな後ろ向きな考えが浮かんだ瞬間、俺の馬鹿らしい考えを吹き飛ばすかのように、妖精女王は愉快そうに笑った。
「くくく……アレも、気を遣いすぎるところがあるからのう。お主に心配を掛けたくなかったのだろうよ」
「……」
「ああ、人間とはとことん面倒じゃ。本音でぶつかりあえば良かろうに、勝手に互いを思いやってすれ違う。……おっと、それは妾も人のことを言えぬの。のう? ケルカ」
妖精女王は嬉しそうに、頭上に揺れる髪飾り……その中に嵌められた紅い石に語りかけた。
その時、俺はとても複雑な気持ちだった。
「……はあ。お前のほうが茜をよく知っているみたいだ」
「ほほほ。そうかの? 恋人失格じゃのう。別れてもええのじゃぞ」
そうしたら、茜の飯は妾が独占してやろう。妖精女王はそう言って、更に愉快そうに笑った。俺は顔を顰めると、腕の中の茜を持ち上げて魔法陣の上に横たえる。そして、彼女の乱れた髪を直してやった。
「茜、頑張っているんだな」
そして、意識のない恋人の頬に唇を落とす。
茜が俺の知らないところで思い悩んで、またとんでもないことを仕出かそうとしている。
茜は、妹が突拍子のないことを仕出かす度に嘆いていたけれど、本人も大概だ。本当に、似たもの姉妹。
でもそんな彼女のお陰で、どれだけの人々が救われたことだろう。
「精霊王の御下に、どうすれば行ける?」
「ほほう?」
きっと、茜は何か大きなことを成し遂げようとしている。
――だったら、俺もなにかしなくちゃな。
俺にだって、出来ることがあるはずだ。物語のお姫様のように、王子様が来るのをただ待つだけなんて、まっぴらごめんだ!
俺は立ち上がり、妖精女王を真っ直ぐ見据える。
「俺も行く。教えてくれ、妖精女王!」
「くく……あはははは!」
すると、妖精女王は何がおかしいのか、肩を震わせて笑っている。そして、目端に涙を浮かべて……ゆっくりと左右に首を振った。
「お主が精霊王の下へ? おかしなことを言うものよ。精霊どもは、茜には恩義は感じておるだろうが、さてさて。お主にはどうじゃろうなあ」
「それは……」
「精々、精霊界の隅にでも放り出されるのがオチよ。やめておけ」
「ぐっ……!!」
なんてことだろう。俺はなんて無力なんだ。茜の傍に行くことすら出来ないなんて……!!
爪が食い込むほど、両拳を強く握りしめる。恋人のために、何も出来ない自分が情けなくて仕方がない。
けれど同時に、精霊界に行けないのであれば、別の方法で何かできることはないかと考え始めた。
ここで手をこまねいて待っているだけなんて、絶対に駄目だ。
俺は、彼女に出会って生まれ変わった。無気力だったあの頃の俺はもう居ない。今の俺があるのは、茜と出会ったからだ。彼女のためになら、なんでもしてやる!!
俺は、にやついている妖精女王を睨みつけて言った。
「他に……精霊界に行く以外に、俺に出来ることはないのか。妖精女王」
「ほほ。妾にそれを聞くのか?」
「悔しいが……今の俺には、なにをすればいいのか見当もつかないんだ。なあ、教えてくれ。最悪の未来を変えるために、俺はどうすればいい!」
すると、妖精女王は怪しげな笑みを浮かべて、こちらへ近寄ってきた。
そして、俺の顎の辺りを指でなぞりながら言った。
「――なんでもするか?」
「ああ」
「言ったな?」
「……ああ!!」
人外との口約束ほど恐ろしいものはない。人外は、人間には到底理解の出来ない原理で動くことがあるからだ。けれど、そんなことは言っていられない。俺は腹に力を込め、来る妖精女王の要求に備えた。すると、妖精女王はくつくつと喉を鳴らして笑い、俺の肩をぽんと叩いた。
「お主は、ほんに茜に似ておる。おかしなことよな」
「……?」
「まあよい。ならば、お主にしか出来ぬことを頼むとしよう。それは――……」
一体、何を要求されるのか。
ごくりと唾を飲んだ俺に、妖精女王はやたらにやにやしながら「俺が出来ること」を言った。
「料理じゃ」
「……は?」
一瞬、なんのことやらわからずに間抜けな声を出してしまう。
すると、妖精女王は苛立たしげに舌打ちをした。
「ああ、もう。何度も言わせるな。じゃから、料理だと言っておろう。お主は、茜の傍でずっと料理を手伝ってきた。そうじゃろう?」
「あ、ああ……そうだが……」
もっと危険を伴うことを覚悟していた俺は、なんだか肩透かしを食らった気分だった。
けれど、次の妖精女王の言葉を聞いた瞬間、気持ちが引き締まったような気がした。
「ならば、茜の味を完璧に再現してみせろ。お主の料理で、妾が連れてくるあらゆる人外どもをもてなせ。お主なら出来るじゃろう? ……ああ。万が一にでも、人外どもの口に合わなかった場合――料理の代わりに、お主が喰われるかもしれぬがのう。精々、頑張ることじゃ」
そう言って笑う妖精女王は、如何にも人外らしく、悪戯に悪意をばら撒いている。けれど、これも茜を想ってしてくれていることだと思うと、すんなり受け入れられるものだから不思議だ。俺は妖精女王をまっすぐに見つめた。そんな俺を見た妖精女王は、笑いを引っ込め、真剣な面持ちで扉に向かって一歩踏み出した。
「さあ行くぞ。これも、未来を変える一手じゃ」
「――ああ。やってやる!」
俺は決意を込めて頷き、妖精女王の後に続いた。
やっと次は茜のターン!




