閑話 護衛騎士と苦しい胸のうち 前編
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――脳天を鈍器で殴られたような。
突然、団長の執務室に呼ばれて言われた言葉は、そんな表現がぴったりだと思うほどには衝撃的だった。
「……茜には、絶対に漏らすな。あの娘は、見た目よりも遥かに脆い」
団長は、深刻な面持ちで俺にそう言った。青灰色の瞳を向けられ、その鋭さに思わず姿勢を正す。
団長は、茜と一緒にいる時は、笑い皺を沢山つくって、顔をくしゃくしゃにして笑う。そんなときは、ただの酒好きのおっさんにしか見えない。
そのくせ、騎士団長として人の前に立つと、途端に威圧感を発する。それは、団長の見た目のせいもあるのだろうけれど、何もせずにそこに立っているだけで異常なまでの存在感を放つのは、きっと一団を率いるもののカリスマというやつなのだろう。
……ああ、久しぶりに団長らしい団長を見た気がする。
こういう団長の姿に、憧れる若い騎士も少なくない。
けれど自分にとっては、一升瓶を片手に楽しそうに酒の話をしている姿のほうが、好ましく思えるのは何故だろう。
「ジェイド。聞いているのか」
「は、はい」
団長の声で、現実逃避から強制的に戻された俺は、慌てて返事をした。すると、団長は深く嘆息し、俺の頭を乱暴に掻き混ぜた。それはまるで子どもを慰めるような、そんな仕草。
「心配するな。たかが、人外の戯言だ。それも、道化のような姿をした巫山戯た態度のやつだったと、王から聞いている。そんな不吉な未来は永久に来ない」
「……」
「聖女様と同じ船に、俺も同乗することになっている。絶対に、茜が泣くようなことにはならないさ」
団長はそう言うと、ぽんと俺の肩に手を置いて、部屋から出ていった。
誰も居なくなった部屋で、俺は暫く動けなかった。それは、先程の言葉の衝撃のせいもあったけれど、団長が口にした人外の容姿に覚えがあったからだ。
「道化の姿をした人外の、戯言」
俺は確信を持って、そいつの名を呼んだ。
「――テオ」
「なんだい」
すると、案の定直ぐに答えが返ってきた。この道化の人外は、いつもどこからともなく現れ、気がつくと姿を消している。観客の要望を巧みに読み取り、笑いに昇華する道化師の如く、必要とされる場面を逃しはしないのだ。
「お前の言葉は戯言だそうだよ」
何度も盃を交わした顔なじみにそう告げると、テオは悲しそうなそぶりを見せ、天を仰いだ。
「……戯言であれば、どれほどよかったか」
テオはそう言うと、用は済んだとばかりに姿を消した。
俺は近くの椅子を引くと、どかりと乱暴に腰掛ける。そして、団長のせいで乱れた髪の毛を直しながら、苦笑した。
「団長殿、亡くなった奥さんに、気遣いも嘘も下手くそすぎるって、よく怒られてたんだっけ」
団長の酒の席でのぼやきを思い出して、なるほどなと納得する。
そして、天井をぼうっと眺めながら、泣き虫な恋人のことを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――人の口に、戸は立てられないと言う。
特に、不吉なことは不安を紛らわせるために話題に上ることが多い。緘口令が布かれていたはずのテオの未来視は「予言」と呼ばれ、水面下でじわじわと人々の間に広がっていった。
普通ならば、人々の間で混乱が起きても仕方のない状況だった。けれど、未来は変えられると「予言」した本人が言ったものだから、人々は不安を覚えつつも暫くは未来を肯定的に捉えていた。
けれども、聖女が最後の浄化に出発してから暫くすると、状況が変わった。
「……王子も聖女もお亡くなりになるのでしょう?」
「もう、この大陸は終わりだ。家族だけでも、少しでも安全な場所へ逃がそうか……」
人々は不安そうに眉を顰め、あちらこちらで救いのない未来について、互いに囁き合うようになってしまった。
切っ掛けは、穢れ島の邪気の大噴火だ。城や王都からはっきりと見えるくらい、天高く噴き上がる邪気を目にした人々は、絶望と混乱に一気に染まった。
いつの間にか「未来は変えられる」という文言は忘れ去られ、不吉な「予言」の内容だけがひとり歩きし始め……やがて「予言」そのものが、確定した未来のことのように語られるようになってしまった。
結果、人々は保身に走るようになった。次から次へと王都からは住民が逃げ出し、商人たちは早々に店を引き払って、他国へと逃げ出した。
同時に、大陸中に撒き散らされた邪気によって、様々な野生動物や人外、精霊たちが穢されて、魔物となって襲ってくるようになった。地上のそこかしこで化物がうろつき、人々を襲うようになり、上空には異形の鳥が飛び交って、常に地上を狙っている。
先日までの平和な日々が、まるで嘘であったかのように、世界は一変してしまった。
そうなると、中庭という無防備な場所にある民家に、茜を置いておく訳にはいかなくなった。いつ襲ってくるかわからない魔物から、一軒家を守るのが難しいというのもあったが、主力が浄化の為に出払ってしまっている状況で、国を守るための貴重な戦力を、一個人のためだけに割くにはいかなくなってしまったのだ。それに、国中に「予言」のことが広がってしまった以上、どこで茜の耳にその内容が入ってもおかしくない。
――結果、皮肉にも、初めて彼女が召喚された当時のように、離宮に引きこもらざるを得ない状況になってしまった。
「茜。お茶を侍女が用意してくれたよ」
離宮にある豪奢な一室で、一人がけのソファに座り虚空を見つめている茜に声を掛ける。
「……ありがとうございます」
けれど、彼女から返ってくるのは、気の抜けた返事ばかりだ。
「まだ、聖女様の状況はわからないそうだ。もう少し情報を待とう」
「……ありがとうございます」
「大丈夫かい? 何か必要なものはあるかい?」
「……いえ」
そんな彼女を見るのは、酷く苦しい。少しでも慰めになればと、そっと茜の手を取ると、彼女は寂しそうに瞼を伏せただけだった。
――どうしてだろう。彼女との距離が遠く感じるのは。
恐らく、今の彼女の表情が、初めて会ったときと似ている――いや、あのときよりも更に沈んでいるからだろう。彼女の視界には俺の姿は映っておらず、彼女の頭の中は妹のことでいっぱいだ。あの天真爛漫で、それでいて姉思いの聖女様の。
――今の俺に出来ること。
茜がいつも言っていた「自分に出来ることをするだけ」という言葉。それは、彼女の前向きな性格を象徴しているようで、とても好ましいと思っていた。けれど、実際その言葉を自分が胸に抱くようになると、なんて重い言葉なのだろうと実感する。
目の前に道はなく、行き先を示してくれる者もなく、細々と出来ることだけをこなすしかないこの状況は、まるで暗闇の中を宛もなく彷徨っているようだ。
今、自分のしていることが、正しいかすらわからない。わかることと言えば、救いのない未来を示した「予言」だけ――。
……ああ、最悪だ。
俺はなるべく茜の傍から離れないように、彼女の心が少しでも和らぐようにと心がけて過ごした。聖女様に関する情報は、途切れ途切れに舞い込んではくるものの、そのどれもが安心できるようなものではなく、俺と茜はじりじりと心をすり減らしつつも、吉報が届くのを待っていたんだ。
そんなある日。
紅茶を飲もうと思い立ったものの、その日は偶々近くに侍女がいなかった。国内が不安定になったせいもあり、職を辞して実家に戻る侍女が相次ぎ、人手が足りていなかったのもある。なので、手の空いている侍女を探して部屋を出て――ほんの数分、彼女から目を離した隙にことは起こった。
その部屋は、元々王族が使用するための部屋で、かなりの広さがある。
侍女に無事、紅茶の準備を頼み終わり、戻った俺の目に飛び込んできたのは、広い部屋が狭く感じるほど、みっしりと精霊で埋め尽くされた光景だった。
……ざわざわ、シャァ……クスクスクス……ピルルルル……
精霊たちがひしめき合い、それぞれが上げる小さな音が渦になって、部屋の中に充満している。その精霊たちの中心に、僅かに空間が開いており、そこに茜とフォレの姿が見える。
直ぐにでも茜の下へと駆け寄りたいのに、精霊たちから注がれる視線に全身に鳥肌が立って、どうにも体が上手く動かない。
「――ジェイドさん?」
すると、俺が来たことに気がついた茜が、傍にいる木の精霊の「核」フォレの手を取ったまま振り返った。そして、振り返った茜の表情を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
――それは、見覚えのある表情だった。
どこで見たのだったか。……ああ、そうだ。まだ出会って間もなくて、茜をつまらない護衛対象だと思い込んでいたあの頃。茜色に染まった中庭で、姉のご飯がいいと妹に泣き付かれ、自分の成すべきことを見つけた瞬間の――何かを決意した時の表情だ。
すると、未だ入り口の扉に立ち尽くしている俺に、茜はにっこりと微笑んだ。
「ちょっとそこまで、行ってきます。私が成すべきことを、私にしか出来ないことをしてきますね」
「茜……!?」
「絶対に、戻ってきますから。私を信じて待っていてください」
そう言うと、茜は小さく手を振った。
俺はその瞬間走り出していた。なぜだかわからない。今、彼女を止めなければ、後悔すると思ったのだ。そうだ、扉から茜の居る位置まではそう遠くない。だから、きっと間に合うはず――。そう思って、犇めく精霊たちを掻き分けながら茜の下へ向かったんだ。
全力で駆けながら、茜に向かって思い切り手を伸ばす。
あと少し。ああ。茜が驚いた表情をしている。待っていろ、今行くから。
……届け。届け、届け、届け、届け――!!
結果、俺の手は茜に触れることが出来た。彼女の柔らかくて、温かい体に触れた。触れられた。細い腕を掴むことも出来た。出来たが――。
けれど、そこにあったのは彼女の抜け殻だった。彼女は、糸の切れた人形のように脱力すると、その場に倒れてしまったのだ。
「……さあ、茜。行こう」
すると茜の傍に立っていたフォレは、虚空を見つめてそう言った。それは、まるでそこに茜がいるかのような口ぶりだった。そして、次の瞬間には、周囲に居た精霊たちもろとも掻き消えてしまった。
コミカライズ4食−1も更新されています!
ジェイドから見た茜……塩対応ジェイドはとっても貴重なので、是非どうぞ!
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