閑話 王子と未来のために出来ること 前編
カイン視点です。
――道化師は言った。お前はこれから死ぬのだと。
――道化師は言った。お前は守りたいものも守りきれず、何も成し遂げられないのだと。
――道化師は言った。そんな未来はまっぴらごめんだと。
道化師の言葉に、王である父も、いつもは飄々としている兄も顔色をなくし、ふたりの幼い妹姫と、強いと思っていた母は只管涙を零して私に縋り付いている。
そんな私たちに向かって、道化師は言った。
「変えよう。未来を。自らの手で、変えるんだ」
「そんなことが出来るのか」
家族の温もりを感じながら、震える声で道化師に問う。
嘘で、冗談であって欲しいと願いながら。この後すぐに、人外の気まぐれな悪戯だと目の前の道化師が戯けるのを渇望しながら問うた。
けれど、道化師は冗談だとは言ってはくれなかった。
道化師はくるりとその場で回ると、ローブの裾を翻し大仰な仕草で跪く。そして、戯けることはなく、真剣な口調で言った。
「勿論さ。未来は常に変わるものだ。けれど、何かを成さねば変わらないものでもある。さあ、金色の王子。君は、最悪の未来を回避するために、何を成す?」
道化師は指を二本揃えると、自分の首を掻き切るような仕草をした。
「僕は、大切なものの悲惨な未来を回避するためなら、なんでも掛けるよ」
――そう、この生命さえもね。
そして道化師は、私に抱きついてさめざめと泣いている銀の妹に視線を投げかけると、そのまま掻き消えた。銀の妹の手の甲には、道化師の仮面に描かれた文様に似た印が浮かび上がっている。
あの人ならざる道化師は、ふたごの姫の片割れ、銀の妹の「守護者」になったのだという。
「守護者」――それは、人間と人外の間で交わされる、今はもう廃れつつある古の契約。
その効果は、契約中に庇護者が死ぬと、守護者も死ぬというものだ。
それは自らの生命を賭してでも、庇護者――銀の妹を守るという決意。
一体、ふたりの間に何があったのかはわからないが、道化師の並々ならぬ想いの強さが感じられた。
道化師が居なくなったその場には、嗚咽と鼻を啜る音、重苦しい空気だけが残った。
――最後の浄化までは、時間がない。私は、それまでに一体何を成せるのか――。
私はふたりの妹と母を抱きしめ、そっと天井を見上げた。
これが、後の王国史にも遺る、「道化師の予言」と謂われる事件。
そして、私に突きつけられた「死」への秒読みの始まりだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
道化師が去った後、泣きじゃくる母と妹たちを別室に下がらせ、急遽要職の者たちを集め会議を行うことにした。
「そもそも、道化師の予言とやらは信用に足るものなのか」
宰相であるルヴァンは、表情を曇らせ、眉間に皺を寄せた。
ルヴァンの言葉に、父はため息混じりに答える。
「普通であれば、人外の戯言なぞ信じるに値しない。だが道化師の予言は、妖精女王のお墨付きだったのだ。我らの祖先でもある妖精女王は、嘗てこの国の災難を幾度となく救ってきた実績がある。そのお墨付きとあれば、信用するほかあるまい」
父は疲れ切った表情で、玉座に体をもたれかけた。
自分の高祖母にあたる妖精女王。自らの血に人外の血が混じっている事は知ってはいたが、その人外自身がこの国を救ったことがあるなんて……。それは、王子である自分にとっても初耳で、内心かなり驚いた。
すると、ルヴァンと父の間に、兄である第一王子ルイスが一歩進み出る。そして、今後どうするべきかを話し始めた。
「伝統に則るのであれば、我が国、最果ての国ツェーブル、その周辺国三国の連合軍で穢れ島の浄化に当たることになりますが……カイン、お前は浄化の旅をしていて、感じたことはないか。邪気の量が、文献に残っているものよりも多いと感じたことは」
兄の視線を受けて、表情を引き締める。確かに、私もそれは感じていた。
「はい。明らかに、当時の記録よりも邪気に穢された範囲が広いと感じていました。テスラでは、森を超えて辺り一帯が邪気に穢されていましたから……」
「聖女が炎の精霊の『核』から聞き出した情報によると、邪気は人間の感情から生まれる屑のようなものだという。前回の邪気の急増期に比べると、各国の人口も増している。邪気の量が増えるのは当たり前のことだろう。……となれば、当然穢れ島の邪気の量も増えていると見ていい。つまりは、現状予定している戦力では足りないということだ」
父は、兄の言葉に小さく頷いた。兄は、集まった面々に視線を向けると、羊皮紙の束を侍従に持ってこさせた。
「これは各国から取り付けた、緊急時には軍を派遣するという契約書だ。邪気で疲弊している国が大多数だから、大した戦力にはならないと思うが……」
「……兄上! ありがとうございます!」
「『核』の話を聖女から聞いたときから、既存戦力では足りないのではないかと予想していたのだよ。大切な弟の一大事だ。兄として、出来る限りのことをしたまでだ」
思わず涙が滲みそうになって、袖でゴシゴシを目を擦る。
昔から兄は、いつも自分の危機には颯爽と現れて、問題を解決してくれた。その采配はいつも見事で、皆に頼られる兄は私の目標であり憧れだった。
そんな兄が、力を尽くしてくれている。ほんの少し、光明が見えた気がしたのだが、次の瞬間には兄の表情はみるみるうちに曇っていった。
「――が、恐らくこれはなんの解決にもならないだろう」
「……兄上、それはどうして」
「道化師の予言がなくとも、邪気の増加は予想出来たことだ。恐らく、未来の私も、このカードを切ったに違いない」
羊皮紙の束をじっと見つめていた兄は、眉間を指で解してため息を零した。
「これでは駄目だ。もっと、別の手を打たねばならない。それこそ、普通では絶対にやらないような。それでいて、決定的な何かを――」
「……それなら、僕なんかはどうかな」
すると、その場に少年特有の澄んだ高い声が響いた。
声がした方に視線を遣ると、うす汚れたコートを着た黒髪の少年がこちらにやってくるのが見えた。その場にいた貴族たちは、唐突に現れたみすぼらしい姿の少年に眉を潜め、不躾な視線を向けている。けれど、私が少年に親しげに声を掛けると雰囲気が和らいだ。
「ユエ!」
「カイン。久しぶり」
古の森で古龍の説得に当たっていたはずの友人の久しぶりの姿に、思わず頬が緩む。
けれど、その表情はいつもの子どもらしさは鳴りを潜め、どこまでも真剣だった。
ユエは私の近くまでやってくると、その場で反転し、居並ぶ貴族たちに向かって頭を下げた。
「初めまして。僕はユエ。人間の作法はよく知らないから、失礼があっても許して欲しい。僕は人間じゃない。竜だ。そして、ここにいるカインの……友だ。我ら竜も、この国の浄化に同行することを伝えに来た」
途端、貴族たちの間からどよめきが起きる。
竜というのは、基本的には人間に深く関わり合うことはない。けれども、絶大な力を持っていることは知られていて、その能力の凄まじさは、大陸中の生き物の頂点に君臨していると言えるだろう。そして天翔る竜は、昔語りでよく用いられる題材であり、人々の憧れの的でもあった。
貴族たちは揃って興奮気味に頬を染め、互いに視線を交わしあった。そして、「竜がいるならば」「大陸最強の生物が味方になってくれるのであれば……!」と囁きあっている。
けれど、私にはひとつ気がかりな点があった。
ユエはいつも自己紹介のときに、自慢げに「竜族の次期長」であることを言っていた。けれど、今回はそれがない。それが意味するものを考えると、胸が締め付けられる思いだった。
「だが黒竜よ」
その時、王である父がユエに声を掛けた。
「私は以前から、カインより竜も浄化に参加をしてくれる可能性があると聞いていた。これは、道化師が視た未来であっても同様なのではないか? それに、道化師が語った未来には、竜の姿はなかったように思う。これは、未来を変える一手となりうるのだろうか」
――確かにそうだ。
道化師は、自分が見た未来について、仔細に報告してくれていた。その中には、一際目を引きそうな竜の姿はなかった。
それに、ユエは古の森に出発する前に、浄化に参加することを約束してくれていた。その約束が反故にされたのでなければ、予言のなかに竜の姿がなければおかしい。
するとユエは、眉を顰めて何か考えこむような仕草をした。
「……もしかしたら、何かあったのかもしれないね。穢れ島は最北にある。竜は寒さに弱いんだ。浄化に間に合わなかったのかもしれない」
「竜が穢れ島に駆けつけられないほどの、吹雪や――寒波が襲った?」
「その可能性はあるね。どうしたものか」
途端、ユエの表情が曇る。私はユエの頭に手を乗せると、軽く撫でてやった。すると、ユエは複雑そうな表情で私を見上げた。
「……なんだよ。子ども扱いするなって、いつも言っているだろ」
「子ども扱いしたんじゃない。感謝の意を表しているだけだ」
「その表し方が、子どもに対する態度みたいだって言ってるだろ!」
顔を赤くして怒っている友人の姿に、小さく笑う。本人は大人ぶっているつもりなのだろうが、この友人は他の誰よりも純粋で、そのせいで子どもっぽく見えてしまうのだ。
「すまないな。でも、感謝している。ユエのお陰で、対策を取ることが出来る。対策が上手くいけば、浄化の際に竜の姿がないということはないだろう。予言はひとつ覆された。きっとうまくいく」
すると、ユエは金の双眸を涙で滲ませ、口を引き結ぶと、そっぽを向いてしまった。
「当たり前だろ。お前が死ぬなんて、くそったれな未来。僕は絶対に認めないんだからな。……大切な友達を、二度も失ってたまるか!」
ユエは、そう言い捨てると、つかつかとルヴァンに近づいて、あれこれと相談を始めた。
――聖人フェルファイトス。穢れ島で死んだかの王子は、黒竜ユエの親友であったと聞く。
「私だって、友を亡くす悲しみを、二度とお前に味あわせたくはないよ」
私は口の中で呟くと、父と話し込んでいる兄の下へと近づき、今後のことを話し始めた。
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