ほろ酔いは、お豆腐と共に2
古の森から帰ってくるなり、私が号泣して城の中を歩いていたと噂を聞いた妹が、顔色を無くして家に飛び込んできたのを、なんとか宥めるのに小一時間。
ボロボロになっているティターニアと、見知らぬ精霊……しかも、核であると自称する精霊に、戸惑うジルベルタ王国の人たち――精霊信仰が盛んなこの国では、敬虔な信者が多くて、フォレを見るなり感涙する人たちが続出した――に、なんとか帰ってもらうのに小一時間。更には、興味津々でやってきた王様、王妃様、頭痛がするのか渋い顔のルヴァンさん、大笑いしているダージルさんに、お詫びをするのにまた小一時間。
気がつけば、あっという間に夕方に差し掛かっていた。
やっと落ち着いた私たちは、居間でティターニアの煤の汚れを濡れタオルで拭き取ってやりながら、一体どういうことなのか説明を求める。私が去った後、古の森で何があったのか、そしてどうしてフォレと共にここに帰ってきたのかを。
すると、ティターニアはふふん、と得意げな表情で、私に説明してくれた。
「こやつは、腐っても核じゃからな。いなくなっては、世界の均衡を崩す。それは、妖精女王である妾も同様じゃ。世界中に存在する妖精を纏める妾がいなくなれば、あっという間に世界の危機じゃ。それはフォレも、妾も望むことではない」
「……ティターニアって、私が思うよりも、ずっと偉かったんですね……」
「なんじゃ、お主は妾のことをなんだと思っておったのだ」
「……きまぐれ飲兵衛女王様?」
「間違ってはおらぬけどな!?」
つまりは、どちらが欠けても世界レベルで大変な影響が出るのがわかっていたので、力比べをして優劣をつけたのだそうだ。
「お主のことを連れ去ると言っている以上は、見過ごせぬじゃろう? だから、負かしてやった。妾の方が強いと証明してやったのだよ」
――強いほうが正義。つまりは、そういうことらしい。
フォレは負けたことがよっぽど悔しかったのか、袖口を指でいじりながら、グチグチ言っていた。
「――精霊信仰の最盛期であれば、妖精女王なんぞ一捻りなのに……」
「黙れ、負け犬」
「痛い!」
ティターニアがフォレをまた蹴ると、体勢を崩したフォレは、畳に上にごろりと転がった。
また喧嘩が始まるかとヒヤヒヤしたけれど、逆に蹴られたことがおかしかったのか、フォレはケラケラと楽しそうに笑っている。古の森では殺し合いをしそうなほど、険悪な雰囲気だったのに……本当に、人外の感覚はわからない。
私が呆れていると、ティターニアは、足蹴にしているフォレを見もせずに、胸を張って言った。
「それに、お主を精霊界になんぞ連れて行かれてみろ、妾が、旨い酒とつまみを食えないではないか! 妾は負ける訳にはいかない……お主のつまみは、妾のものじゃ!」
「なんと意地汚い」
「お前に言われたくないわ! 根腐れ精霊!」
また言い争いを始めたふたりを眺めて、ため息を吐く。
……実はこのふたり、とても仲が良いのではないのだろうか。
正直、このままでは話が進みそうにない。仕方がないので、脱線し続けているふたりに、結局どういう結果になったのかを改めて聞く。すると、口元を手で隠したフォレが、ぐふふと、ニヤつきながら言った。
「妖精女王がヒトの娘を連れ去るのは、どうしても駄目だと言うのでな、あちきが折れてやったのよ。けれど、約束の代償を貰わぬ訳にはいかぬ。仕方がないのでな、毎食旨い料理を、母のぶんも作ってくれれば許してやることにした」
「……はい?」
思わず、思考が停止する。……この精霊、毎食と言ったか。
そんな私の耳に、ティターニアの得意げな声が飛び込んできた。
「そうじゃそうじゃ。朝昼晩! 毎日三食! おやつは免除じゃ。精霊界に行かずとも、出来上がった料理をその根腐れ精霊に渡して『母』に届ければよい。前にお主が話していたじゃろ? 『でりばりー』じゃ。『でりばりー』をすればよい! 名案じゃろう? ああ、心配するなよ、茜。料理を渡す時に、根腐れ精霊が悪さをしないように、この妖精女王も毎食付き合ってやろう。そやつは、何をするかわからぬからな……妾が守ってやろう」
「はいいいいい?」
「ちょっと待て、お前たち」
すると、ジェイドさんが楽しげに話している人外たちの言葉を遮った。
ジェイドさんの表情は硬く、口元が引きつっている気がする。
恐らく、私も同じような表情をしているだろう。……だって、つまりこれは。
「毎食、毎食って。お前たち、どれだけこの家にいるつもりだ! まさか居座るつもりか!」
「ぐふふ! そうとも言う! 母に捧げる料理を手に入れるためには、やむを得まい!」
「ほほほ! 仕方がないじゃろう? その核を抑えられるのは、妾しかおらぬのだ!」
殺気立つジェイドさんに、ほほほ! ぐふふ! と笑う人外ふたり。因みに、テオは隅っこでおとなしくしている。テオの存在に、癒やしを感じる時が来るなんて! ――ああ、どうしてこうなった。
「さあ、手始めに今日の晩酌じゃ! 美味いものを期待しておるぞ! 茜!」
「ぐふ、ぐふふふ! 楽しみよなあ、楽しみよなあ!」
ふたりはいがみ合っていたのも忘れて、うきうきではしゃいでいる。
……誰か、止めてええええ!!
そんな、誰にも叶えられそうにない私の願いは、奇跡的に次の瞬間叶えられることになる。
奇跡を起こしたもの――それは、視界の隅を高速で通過していった緑の影だった。
「まめええええええええ!!」
それは、小さなドライアド……まめこだった。
まめこはフォレに猛然と襲いかかると、小さな手で、ぽこぽことフォレを叩き始めた。
「ぎゃあ! 痛い! 痛い! この幼子、なんであちきを殴るのだ! あちきは核であるぞ、凄いのだぞおおお! わかっておるのか、このっ!」
「まめ、まめええええええ!!!」
――ぽこぽこぽこぽこぽこぽこ!!!
フォレを、まめこが怒り(?)の叫びを上げながら、思い切り叩いている。
どうやら、まめこは私を精霊界に連れ去ろうとしたフォレに、抗議をしてくれているらしい。
ティターニアによると、フォレは度々まめこに憑依して、私のご飯を食べていたようだ。正直、普段のまめこからフォレっぽさを感じたことはないので、いつ憑依していたかは知らなかったけれど、きちんとまめこの同意の上での憑依ではあったようだ。
「あのドライアド、二度と体は貸さぬと言っておるぞ。えらい剣幕じゃな。はっはっは! ざまあみろ!」
「……だ、大丈夫なんですか? フォレは核だからドライアドの中でも偉いんじゃ……?」
「力は強くとも、精霊にとっての上位の存在は精霊王だけよ。精霊同士では上下関係はないらしいがの。まあ、強大な力を持っているから、普通は畏れられるものじゃが、あやつは威厳がないからのう」
ぽかぽか殴られているフォレは、痛がってはいるけれど、まめこの反応を面白がっている風にも見える。
……まあ、本人が良いならいいんだけど……って、んんん?
そこで、私はあることに気がついた。ティターニアが、なにか恐ろしいことを言ったような。
「……ねえ、フォレが何度も言っている『母』って、まさか」
「多分、精霊王のことじゃろうなあ。精霊王と言えば創世に関わった、神と同等の存在じゃ。とうとうお主も、そんな存在に料理を振る舞うまでになったか。感慨深いの」
ティターニアはにこにこして頷いている。私はそんな彼女の肩を掴むと、強く揺さぶった。
「神ってなんですか。か、神!? お、面白がっているでしょう!? どどどど、どうすれば。口に合わなかったりしたら、天罰が下るとかするんですかね!?」
「ははは、知らぬ」
「知らぬじゃないでしょう!?」
この世界に来て、いろんな人や人ならざるものに、自分の手料理を食べてもらったけれど、まさかそんな存在にまで!?
がっくり項垂れて、お腹に手を当てて、シクシク痛む胃を慰める。
……ケルカさんのことに関しては、ティターニアにとって最良の結果を得られたから、後悔はしていないけれど、後始末が本当に大変だ……。
すると、ティターニアはからからと笑って言った。
「天罰が下るかどうかの心配なぞ、まずいと言われてからすればよかろう。お主は、自分に出来ることをする。違うか?」
「そうなんですけど。そうなんですけどね!?」
尚も狼狽える私に、ティターニアはにこりと笑みを浮かべて、「今日の晩酌も楽しみにしておる」と私の頭をぽん、と叩いた。そんなティターニアを、私は涙目で見つめると、大きく嘆息した。
「そんなすごい存在にご飯を作るんなら、明日以降にしてください。今からじゃ無理ですよ……」
「ほ! お主が料理に関して弱音を吐くのは、珍しいのう」
「誰かさんのために、今日は朝早くから色々あって、疲れてるんですー」
「ぐぬ……し、仕方ないのう」
すると、私たちの様子を見ていたフォレが、暴れるまめこを羽交い締めにしたまま言った。
「これ、勝手に決めるでない! ……妖精女王も、そのヒトの娘には甘いのう。女王たるものが、そんなことでいいのかえ?」
私たちは顔を見合わせ、くすりと笑い合う。そして、がっしりと肩を組んで、フォレに向かって言った。
「妾と茜は、女王とヒトである以前に、友達じゃからの」
「友達には、優しくするものですよね」
すると、フォレは顔を顰めて、忌々しげに言葉を吐き捨てた。
「女王も人間に毒されたものだの。まるで、ヒトのよう。気持ち悪い」
ティターニアは、フォレの言葉に一瞬目を丸くすると、胸元からケルカさんの魂の結晶を取り出し、強く握りしめた。
「――……確かに、そうかも知れぬな。妾は、ヒトに寄ったのやもしれぬ」
「ならば、妖精の女王である自覚を持って、人外であるという誇りを――……」
「だが」
フォレの言葉を遮ったティターニアは、チコの花の髪飾りも取り出し、その飾り部分に魂の結晶を嵌め、自らの髪へと差し込んだ。
キラリ、と優しく輝く紅い石と、小さく可憐なチコの花の飾り。それが、ティターニアの美しい白金の髪色には、とても映えて見えた。
頭上で揺れる飾りに、指先でそっと触れたティターニアは、嬉しそうに目を細め、私へ視線を移すと、穏やかな笑みを浮かべた。
「それも善き哉」
それが、とても嬉しくて。私は、大きく頷いて微笑み返したのだった。