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逝く者、遺された者、最後のご馳走7

 唐突に訪れた、耳が痛くなるほどの静寂。

 先程までは、ティターニアの叫びが響いていたというのに、今は何も聞こえない。

 更には宙を舞っていた蝶が、まるで停止画像のようにぴたりと停まっている。

 ケルカさんから伸びる緑も、彼に縋り付くティターニアも、苦しげな表情をしているジェイドさんや他の皆も……ぴくりともしない。完全に停まっていた。


 ――時間が、停まった?


 それはまるで、春に市場でティルカさんに梅酒を渡したときのような、そんな不思議な現象。

 けれど、ティルカさんの仕業ではないらしい。彼も他の皆と同様に固まっている。なのに、私だけは自由に動くことが出来るのだ。一体何がどうなっているのか――ひとり戸惑っていると、また裾を誰かが引っ張った。

 そちらへと目線を遣ると、そこにははなこがいた。



「ふ、ふふ」

「……はなこ?」



 どうも様子がおかしい。ドライアドと言うと、まめこも含めて、個体差はあれど小さな子どものような精霊だ。けれど今のはなこは、にたりと、どこか不気味な笑みを浮かべているではないか。

 ――それは、無邪気とは程遠い笑み。

 それを見た瞬間、違和感と共に、とても嫌な感じがして、全身に鳥肌が立っているのが解った。

 すると、はなこが話しかけてきた(・・・・・・・)



「あちきが、なんとかしてやろうではないか。けれど、代償がいる。……覚悟はあるのかえ?」



 ドライアドが普通に喋っている。内心酷く驚きはしたものの、はなこの「なんとかしてやる」という言葉を理解した瞬間、そんなものは吹っ飛んでしまった。しゃがみ込み、思い切りはなこの両肩を掴む。



「それは本当!? 代償を払えば……なんとかしてくれるの」

「そう、代償よ。何事にも、代償が必要。無償で何かを得ようなどと思うなよ。すべての現象は、すべて何かを差し出した上に成り立っておる。森羅万象の一部であるあちきも、それに従うだけよな。ふふ、ふふふ」



 はなこはゆらり、と体を動かして、ニヤニヤと笑っている。

 その姿には、あの可愛らしくご飯を強請ってきたはなこの名残は、もうどこにもなかった。

 そこで漸く、目の前の存在が、人間には理解しがたい理屈で動く、次元の違う生き物なのだと思い出す。


 ――どうする。


 自分に問いかける。

 今まで普通のドライアドだと思っていたはなこ……いや、そいつ(・・・)が、急に流暢な言葉を操り、意地が悪そうな笑みを浮かべて、意味有りげな要求をしてくるのだ。まるで、悪魔との取引のようではないか。こんな怪しげな取引、普通ならば受けないだろう。

 けれど――……今の私は、普通ではなかった。私には、時間も余裕もなかったのだ。



「代償って、何。危険なこと? それは、私に出来ることなの? 何かをあげないといけないの? 体の一部とか? ――それとも、魂?」



 するとそいつは、大きな口角を弓なりに歪ませて、へらへらと笑った。



「……なんぞ、その恐ろしい代償は。ねえさんはあちきのことをなんだと思っておるのやら。あちきが欲しいのは、料理じゃ。馳走じゃ。とある方のために、とっておきの馳走を用意するのじゃ」

「へっ!? 料理……!?」



 ――髪の毛とか、目玉とか、魂とか、この世で一番大切なものとかじゃないの!? そんなもので良いわけ!?


 すると、そいつは呆れた風に肩を竦めた。



「ねえさんは自らの価値をわかっておらぬのだなあ。今日()、ねえさんの料理は非常に美味であった。とっておきの黄金茸を出した甲斐があった。是非とも、あの方(・・・)へ献上したい。そうすれば、あちきの評価は……ぐ、ぐふ。ぐふふ」



 ……なんだろう。目の前のドライアドから、欲深いオーラがにじみ出ているような気がする。

 精霊って、もっとピュアなものじゃないのか。

 そんな考えが過ぎって、一瞬、呆けそうになったけれど、直ぐに頭を切り替える。

 料理を作るだけで、この状況をなんとかしてくれるなら、万々歳じゃないか!

 私はそいつの肩を掴んでいた手に力を込めると、思い切り叫んだ。



「――私の料理なんかでいいのなら、いくらでも作るから! 精一杯、おもてなしするから――!! どうにかして!!」



 すると、そいつはにたりと、またいやらしい笑みを浮かべた。



「……言ったな?」



 ――その言葉に、ドキリとする。


 ああ、なんだか。恐ろしい選択をしてしまったような。そんな予感がする――。

 顔面から血の気が引いていく。撤回したほうが良いと、頭の何処かで警鐘が鳴っている。

 すると、そいつは直ぐにくるりと体を反転させると、ケルカさんを指差して言った。



「森の民は嘗て、木の股から生まれた。つまりはあちきたち木の妖精の眷属。あやつらの体をいじることなぞ、容易いこと。ほんのわずかの時間、あの子に猶予を与えてやろう」



 そして、指先をちょいちょいと動かすと、「ほうれ」とのんびりした声を上げた。

 するとどうしたことだろう、伸び切っていた枝が、一本の木と化そうとしていた幹が、みるみるうちにケルカさんの体の中へと戻っていく(・・・・・)!!



「……こ、これは?」



 いつの間にやら、停まっていた時間が動き出していたらしい。

 ティターニアは、ケルカさんの内へと戻っていく緑を見て、酷く動揺していた。ジェイドさんたちも、各々戸惑いの声を上げているけれど、今はそれどころではない。私は、すかさずティターニアに声をかける。


 ――このチャンスを逃してなるものか!!



「ティターニア! あともうちょっとだけ! ちょっとだけ、時間の猶予を貰いました!」

「茜……?」

「だから――勇気を出して!」



 頬がまだ涙で濡れたままのティターニアは、一瞬だけ驚いた表情をしていたけれど、くしゃりと顔を歪ませると、真っ赤な顔で頷いた。



「……茜!? 一体何を――」



 ジェイドさんが、酷く心配そうな表情で私を見つめている。

 私は胸の中に渦巻く不安感に耐えながら、彼の腕にぎゅっとしがみついた。



「事情は、後で説明します。また、迷惑をかけるかもしれません。でも、今はあのふたりの行く末を見守りましょう」

「……絶対に、話してくれるね?」

「はい」



 私が頷くと、ジェイドさんは困ったように眉を下げて、私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 そして、目の前の光景へと目線を戻す。

 そこでは、ケルカさんとティターニアの最後の語らいが始まろうとしていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ティターニアは、すっかり数分前の姿に戻ったケルカさんの頭を撫でると、ゆっくりと語りかけ始めた。



「――ケルカ。ケルカ……友が、茜が時間をくれたぞ。聞いておくれ、妾の言葉を。妾の気持ちを」

「ああ。……忙しいね。行ったり戻ったり……」



 ケルカさんは、掠れた声でティターニアに答えた。

 ティターニアは瞳に溢れそうなほどの涙を浮かべて、ゆっくりと話し始めた。



「妾には、過去に何人かの夫がおった。その誰もが命の限りあるヒトであった。妾は愚かであるから、置いて逝かれるとわかっていながらも、何度も恋をした。何度も死に別れた。何度も……後悔した。もう二度とヒトと恋などせぬと、心に決めた」

「……うん」

「けれど、惹かれてしまう。惹かれてしまったが最後、妾は相手の色に染まる。染まってしまう。ケルカ、お主にも染め替えられてしまった。……美しい紅色に、妾の心は彩られている」



 ティターニアは自分の胸を見下ろして、微笑みを浮かべた。

 まるで、そこに大切なものが宿っているかのような、そんな微笑みだ。



「それは、光栄だね」



 ケルカさんもどこまでも優しい声でそれに答える。

 すると、ティターニアは心底嬉しそうに、大輪の薔薇のごとく美しい笑みを浮かべた。

 ああ、どうしてケルカさんの目はもう失われてしまったのだろう。今のティターニアは、まるで一枚の絵画のごとく美しい。


 ティターニアはケルカさんの顔に、自分の顔をそっと近づけた。そして、愛おしそうに頬ずりすると、ぽろり、と大粒の涙を零した。



「前にも話したじゃろう? 妾は必ずといって、命の灯火が消えかけている夫に、こう問う。――共に、妾と共に永遠の時を生きないかと。ヒトの運命の輪を外れて……人外にならないかと。人外とは、世界の淀みから生まれる異質な存在でもあるが、意志あるものの強き想いからも生まれる。誰かに望まれたり、自らがそうありたいと望んで、人外になったものもおるのだ。だから問うのじゃ。夫に、妾と未来永劫寄り添ってくれないかと」



 ぽつん、ぽつんとティターニアの涙は、ケルカさんの体に、たくさんの染みを作っていく。

 まるで、雨が乾いた木を濡らすように、ぽつん、ぽつんと。



「妾はお主を愛しすぎた。愛しすぎたからこそ……その問いをして、拒絶されるのが怖かった。人ならざるものに変化するなど――化物になるなど、並大抵の覚悟では出来まい。だから、拒絶され、傷つくのが怖かったのじゃ。弱い妾を許しておくれ。そして、愚かにも過ちを繰り返す妾を嘲笑っておくれ」



 ティターニアは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出すと、酷く切なそうな表情で言った。



「――ケルカ。妾と共に、人外として永遠を過ごして欲しい」



 ティターニアは、僅かに震えながらも、ケルカさんをまっすぐに見据えて、そう告白した。

 ケルカさんはティターニアの言葉に、じっと耳を傾けていた。そして、妖精女王の告白が終わると、ゆっくりとした動きでティターニアを抱きしめる。そして、虚のような瞳を閉じて、言葉ひとつひとつを噛みしめるように言った。



「……ああ。やっと、やっと言ってくれたね」



 樹木への変化の途中である彼の顔から、表情を読み取るのは難しい。

 けれど、ケルカさんの様子からは、以前の彼ならば――安心しきった、安堵の表情を浮かべているのだろうことが伺えた。



「やっぱり、私は意地悪だね。……君に言わせてしまった。君の言葉を待ってしまった。君が私に――永遠に共に在ろうと言ってくれるのを」

「……ケル……カ……?」

「私はどうしようもない意気地なしなんだ。自分からは何一つ言い出せない、駄目な男なんだ。理想郷を――自分から捨てようとする覚悟も根性もない。こんな私は、君にふさわしいだろうか?」

「それは……っ、ケルカ。それって」



 ケルカさんは、ゆっくりとティターニアから体を離すと、ティターニアの顔を手で挟み、こつん、と額を合わせた。



「私もね、君を心から愛している。私の心の奥で、常に燻っていたもの。それは、君を愛する心だ。それと、君から離れたくない、君を独占したい、君にもっと触れたい。……君ともっと一緒にいたい。そんな、エルフらしからぬ、現世への未練。私だって君を愛しすぎてしまったんだ。理想郷なんてどうでもよくなるくらい――」



 ケルカさんは、樹木化が進んだ顔で、ぎこちなく微笑んだ。もう虚となってしまった瞳から、透明な雫が次から次へとこぼれ落ちる。

 同時に、樹木化がまた始まった。体中から緑が伸びてきて、ゆっくり全身を覆っていく。


 ケルカさんは、ティターニアを強く抱きしめて、白金の髪に顔を埋めて言った。



「――愛する子猫(キティ)。私を、未来永劫君の傍に置いておくれ」



 すると、ティターニアを中心にして、薄黄色の魔力がうずまき始めた。

 その魔力は、周囲の花たちの花びらを巻き込み、「春」の暖かさを風を乗せて、空高く舞い上げる。



「皆、下がるんだ!」



 異変を察知したジェイドさんやユエが、私を後方へと引っ張った。

 その間にも、ケルカさんの樹木化はみるみるうちに進み、既にケルカさんの体は、木へと変化を遂げようとしていた。



「ティ、ティターニア……!!」



 渦巻く魔力のなかで、呆然とケルカさんだった(・・・)若木を抱きしめているティターニアに声をかける。折角、ふたりの想いが通じ合ったのに、間に合わなかったのだろうか。


 すると、ティターニアはゆっくりと私の方へと顔を向けた。

 その顔は、涙で濡れていながらも、喜色に染まっていた。



「心配するな、我が友よ」



 ティターニアが柔らかく微笑むと、一層ふたりを取り巻く魔力の色が濃くなる。

 それはケルカさんだった一本の木を優しく包み込み、その成長を手助けしているようにも見えた。


 若葉が茂り、それが落ち、白い花を咲かせ、また若葉が茂る。

 それを何度も何度も繰り返し――とうとう、ケルカさんは、立派な木へと成長した。



「……さあ。ケルカ、おいで」



 ティターニアが声をかける。すると、その木は枝の先の蕾を段々と膨らませていく。

 難く閉じていた蕾が開ききると、そこに純白の白い花が咲いた。


 ――これは。


 そこで、私は漸く気がついた。何度もケルカさんの体に咲く花を目にしていたのに、どうして気が付かなかったんだろう。その花は花弁の中心から薄黄色の雄ずい(・・・)が放射状に出ている花。小さく可憐なその花は――梅の花だ。

 そして梅の花は、この世界ではこう呼ぶのだ。



「チコ、の花……」



 ケルカさんがティターニアに贈った髪飾り。そのモチーフとなったチコの花。

 花の香りは人ならざるものを惹きつける、魔性の香りを放つのだという。



「……ああ、なんてケルカらしい選択じゃろうか」



 ティターニアは柔らかく微笑むと、幹を抱きしめて、更にその木に魔力を注いだ。

 すると、ひらひらと白い花びらが散りはじめる。そして、青い葉が茂り始め、花が散った場所からぽこぽことたくさんの丸い実が成り始めた。

 その中のひとつ、丁度ティターニアの頭上に、ひとつだけ透明な紅色の実が生っている。

 それはみるみるうちに大きく成長して――やがて、ぽとりとティターニアの手の中に落ちた。


 ティターニアはほんの少し、その実に見蕩れていたかと思うと、涙を浮かべてぎゅっと胸に抱きしめた。



「なんて綺麗な紅の色。ケルカ。ずっと、ずっと一緒じゃ」



 それは、ケルカさんの魂の結晶。

 理想郷を捨て、行き場所がないケルカさんの魂が迷わないように、そこに閉じ込めたのだという。

 これから、ティターニアは祈りの日々を過ごすのだと語った。

 愛するケルカさんが、人外としてこの世界に戻ってこられるように、毎日毎日祈りを捧げるのだという。

 ケルカさんが、人外としてこの世に実体を持つまでには、何年かかるかわからないらしい。



「妾は妖精の女王。永遠の時を生きるもの。ずっと待つさ。ケルカと共に生きる未来を思えば、数十年、数百年掛かろうが、構わない」



 ティターニアはそう言うと、ケルカさんの木に注いでいた魔力を、一気に発散させた。



「……わあ!!」



 その瞬間、ティターニアの魔力の影響を受けたのだろうか。

 周囲にあった、冬枯れていた低木たちの枝先にあった蕾が、一斉に膨らみ始めて――次から次へと開花し始めたではないか!



「すごい、ここはチコの木の林だったんですね」

「ほら、赤い花に桃色の花に薄黄色の花もある! ――まるで……春が来たみたいだ!」



 ジェイドさんと顔を見合わせる。

 辺り一面が、梅の芳しい香りに包まれ、雪で白く染まっていた世界が色鮮やかに彩られ始める。

 そこにいた誰もが、真っ白い雪のカンバスの中に描かれた、極彩色の梅の花たちを眺めて笑顔になっていた。



「ケルカ、綺麗じゃなあ。こんなに綺麗な光景は、初めて見たかもしれぬ。……ああ、新しい発見じゃ」



 ティターニアはケルカさんの魂の結晶に、チコの花の色で彩られる世界がよく見えるように掲げてやりながら、楽しげに笑っていた。

ティターニアの物語は、一貫して「梅」……「チコ」の実や花にまつわる物語でした。

このあと、後日譚的な短いお話で、今回語られていないあれこれを茜とふたりで語ってもらおうかなと思っております。次回更新は、ちょっとだけお休みを頂いて、12月2日の土曜日です。飲ん兵衛ふたりなので、晩酌回です。どうぞよろしくお願いします!

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