逝く者、遺された者、最後のご馳走1
今日からエピソード完結まで、1日おきに連載です!
古の森に住まう森の民。
彼らは死を恐れないのだという。
何故ならば、死後に彼らを待ち受けるのは、甘い蜜と、緑に溢れた理想郷。そこで、魂は何にも煩わされることもなく、永遠の時を過ごすのだ。そして、現世に遺された身体は樹木へと変わり、やがて森の一部になる。
それは、木の股から生まれたという伝説があるエルフからすれば、理想の死後の在り方。
だから、彼らは死を恐れないし、厭わない。
死後の世界に憧れすら抱いている――それが、彼らの死生観。
けれど――現世に理想郷よりも魅力的なものがあったとして、そんなものと運命的な出会いを果たしてしまったのならば……森の民は死の間際に何を思うのだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
冬にしては珍しい晴天の日。
太陽の光でキラキラと雪が輝くなか、私たちは旅立つユエを見送るために、庭に出ていた。
温かいもこもこのマフラーに、厚めの手袋。風を通さないダウンコートの下には、柔らかいセーター。
靴下も二重に履かせて、濡れた時のために沢山着替えを持たせた。
「竜は寒さに弱いんだから、ちゃんと人間形態のときは着込むのよ。ほら、帽子で耳まで隠して!」
「こんなに着込んだら暑いよ!」
「でも、寒さで動けなくなるよりはマシでしょ! ほら、ホッカイロ。一杯、鞄に入れておくから……」
「〜〜〜〜んん! もう、わかったから……」
古龍に、浄化に参加をする許可を貰いに、ひとり古の森へ向かうユエを、寒くないように充分に厚着をさせる。ユエは不満そうに唇を尖らせてはいるけれど、それでも私の用意した服などを拒否せずに受け取ってくれた。
――今の私に出来るのは、これくらいしかない。
古の森で、きっとユエは色々なものと対決するのだろう。この幼い竜にとって、それは大変な心痛を伴うことであることは、想像するに難くない。
けれど、私がどうこう出来る問題でもないのだ。ユエが自分で考え、決断したこと。それを私なんかが、否定するわけにも、止めるわけにもいかない。そもそも、妹と一緒に危険な浄化の旅へ赴いてくれるのだから、寧ろ感謝すべき立場とも言えるのだ。
ユエの小さな手に、風呂敷で包んだ大きなお重を渡す。
ユエの大好物をばかりを詰め込んだそれは、ずっしりと重い。
「お弁当も作ったから、途中で食べるのよ。リリのぶんのお肉も包んであるから」
こんな些細なことくらいでしか、ユエを支えることが出来ない。それがとてももどかしく――自分の無力さが情けない。私に出来るのは、まるで心配症の母親の如く、口うるさく道行きを案じることくらいだ。
「……あっ、あと。リリと喧嘩したら駄目よ。仲良くするのよ」
『小娘。絶対強者の竜に、一介の大鷲の我がどうこうするか、馬鹿者』
リリは『ヒトとは、恐れ知らずにも程があるな』と、巨大な黄色い嘴で羽毛を整えている。
実は、寒さに弱いユエのために、古の森の入り口まで大鷲のリリが乗せていってくれることになったのだ。
当初、自分よりも遥かに強大な力を持つ竜を、背に乗せて飛ぶことを拒否していたリリだけれど、ジェイドさんに頼まれると、渋々ながら了承してくれた。
ジェイドさんはリリの胸の辺りを撫でながら、声をかけてやっている。
「――リリ、ユエを頼んだぞ。それに、お前も。冬の空は不安定だからな、飛ぶ時は注意しろよ」
『言われずとも』
「旦那さんが待っているんだからな」
『ぐっ……』
そうなのだ。実は、リリは秋の旅から帰ってきてからすぐに、お見合いをしたらしく、生涯を共にする番を見つけたのだそうだ。
ジェイドさんと話しているリリを見ていると、以前とは様子が違う。
以前は体を擦り付けて、全身を使って思い切りジェイドさんへの愛情を表現していた。
大きな体でジェイドさんに甘えながらも、私を遠ざけようと、盛んに威嚇をしていたのを覚えている。
……そう、リリは小さい頃から面倒を見てくれたジェイドさんに、種族を超えて恋心を抱いていたのだ。
けれど、今はリリからはそういう感情は読み取ることは出来ない。
『ふん。あれは我にベタ惚れだからな。早く帰ってやらねば、寂しくて寂しくて、狩りすら出来ずに飢えてしまうに違いない』
「あははは。リリはもう旦那さんを尻に敷いているのか。すごいな」
リリはジェイドさんに撫でられると、機嫌が良さそうに目を細めた。私が知らぬ間に、リリはジェイドさんへの恋心に折り合いをつけたようだった。
『……小娘。ちょっとこっちへこい』
呼ばれたので、ジェイドさんの隣に移動してリリを見上げる。リリは、じっと私たちを見下ろして言った。
『恐らく、今年の冬の間に卵を産んで、春には子が生まれるだろう。――ジェイド、見に来てくれるか』
「勿論だよ」
『――仕方がないから、小娘も一緒に来るがいい。きっと我の子は、大層可愛らしいだろうから、自慢する相手は多いほどいい』
「楽しみにしているね、リリ」
すると、リリは「別に、小娘は来たくなければ来なくてもいいからな」と、そっぽを向いて嘴をカチカチと鳴らした。
――くっ。このツンデレめ!
その時、騒がしい声が聞こえて、誰かがこちらへと走ってくるのが見えた。それは、妹とカイン王子、それにセシル君だった。
「――ユエ! 良かった。間に合った」
「どうして、私たちに教えてくれなかったの!」
「相変わらず、ユエは素直じゃないですねえ」
ユエは三人の姿を見ると、口をパクパクと開閉して、勢い良く私を見た。
視線が、どうしてこの三人が来たんだと聞いている。
「私が教えたのよ。ユエ、内緒にしていたみたいだったから」
「――どうして!」
「どうしてって……浄化のことだもの。内緒にしていられないでしょう? ちゃんと話さなきゃ」
「ぐぬ……」
すると、小走りで近づいてきた三人が、一斉にユエを揉みくちゃにした。妹はユエを正面からぎゅうぎゅう抱きしめているし、カイン王子は背中を思い切り叩いているし、セシル君はニコニコしながらユエのほっぺを引っ張っている。
ユエは顔を真っ赤にして悲鳴を上げてはいるけれど、満更でもない様子だった。
暫くして落ち着いてくると、カイン王子がユエの手を取って言った。
「浄化に参加してくれるとは本当か」
「……うん」
「そうか。大丈夫なのか。竜の掟の方は」
「今から、古龍のところに行って、大丈夫なようにしてくる」
すると、カイン王子は一歩下がって、ユエに向かって頭を下げた。
「――ちょ、なにしているのさ!」
「ユエ、感謝している。竜であるお前が参加してくれるのは、とても心強い」
「僕はお前に頭を下げられる覚えはないよ」
ユエは不満そうに唇を尖らせている。そして、浄化に参加するのは、自分のためだと言い切った。
すると、今度は妹がユエの小さな手をとって、その金色の瞳を覗き込む。
妹もどこか複雑そうな表情をしていた。
「ねえ、ユエ。浄化に参加してくれるのは嬉しいよ。でも、そのせいでユエが大切なものを失うのは、違うと思うんだ」
「――なんだよ、大切なものって」
「……おねえちゃんに聞いた。竜の長にならないって、本当?」
すると、ユエは一瞬たじろぎ、下を向いた。けれど、すぐに顔をあげると、まっすぐに妹とカイン王子の方を見た。
「――友達の命よりも、大切なものは僕にはないよ」
「……!」
ユエの言葉に、妹はくしゃりと顔を歪めると、またユエを強く抱きしめる。カイン王子も、感極まったのか妹ごとユエを抱きしめた。
「……おや、乗り遅れてしまいましたね」
セシル君は、苦笑しながら抱きしめあっている三人を眺めている。
その場にいた他の人々も、そんな彼らを温かく見守っていた。
するとその時、やけに冷たい旋風が吹き込んできた。同時に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「――ああ、僕はまた空気を読めなかったようだ。感動的な場面は悉く僕に壊される! きっと僕はそういう星の下に生まれたのだね。まったく、物語の登場人物としては最低の出来だ!」
旋風の中心に目を遣ると、ある人物が忽然と宙に姿を現していた。
それはつるりとした白い仮面を着け、大きなシルクハットに宝石がジャラジャラと着いた、派手な格好をした道化。妖精女王の下僕――テオだ。
「けれど、それが道化の定めなのだろう。人から笑われ、嗤われる。そして、報われない。それが道化なのだろう――」
テオはふわりと大地に降り立つと、一直線に私の下へと歩いてきた。
そして、私の手をとると、いつものように芝居の俳優のような大仰な仕草をしながら言った。
「お迎えに上がりました、妖精女王の名付け親、そして友よ」
まるで、姫君を迎えに来た騎士のように、片膝を地面に着いたテオは、私を見上げながら――歌うように言った。
「どうか、どうか――助けておくれ。この愚かな道化には、もう打つ手がない。愛するものが苦しんでいるのに、慰めることすら出来ない僕を哀れんでおくれ。僕の愛する妖精女王……彼女は美しく、強く恐ろしく、そして残酷で気まぐれだ。けれど、途轍もなく寂しがりやでもある」
「テオ、もしかして」
テオの様子に、言葉に、胸の奥がざわつく。
……まさか。まさか、まさかまさか……もう……!!
「恐らく、今度の番は妖精女王が最も愛を注いだ番だ。……それなのに、彼女は泣くこともできずにいる」
テオは項垂れると、力なく私の手を離した。そして、だらりと腕を下ろし、俯いたまま動かなくなってしまった。
テオの芝居気たっぷりな様子は、いつもどおりだ。嗚咽を漏らしながらも、笑みを浮かべて楽しげに踊るような――掴みどころのない人外。それがテオだと思っていた。
けれど、こんなテオは見たことがない。
今、私の目の前で項垂れているテオは、心の底から嘆き、悲しんでいるように見えた。
嘘偽りなく、その仮面に描かれた顔と同じように、本当に涙を零しているに違いないと、そう思ったのだ。
「……テオ。私をティターニアの下へ連れて行って」
「茜!?」
ジェイドさんの驚いた声が聴こえる。妹や他の人たちも、固唾を呑んで私を見つめていた。
すると、テオはゆっくりと仮面の顔を私に向けた。
「来てくれるのかい」
「勿論よ。だって、ティターニアは……私のかけがえのない友達だもの!」
すると、テオはふるりと震えた。そして、道化らしい奇妙な動きでぴょんとその場から立ち上がると、私の肩を抱いた。
「――感謝する! ああ、今この瞬間だけは、僕は幸せだ。この些細な幸せが、大きな幸せに繋がることを祈るのみだ。どうだろう、どうだろうね。物語はどう進むのだろうね。さあ、妖精女王の友を連れて飛ぼう。愛するあの人のいる、雪に埋もれた白銀の古の森。森の民の故郷へ飛ぼうではないか!!」
そして、魔力を辺りに巡らせ、風を巻き上がらせ始める。
もしかして、人外の摩訶不思議な魔法で、その白銀の森とやらに転移しようと言うのだろうか。
――だ、大丈夫かな……!
不安な気持ちが沸いてくるけれど、目の前の人外を信じるしかない。
私は、ぎゅっとテオの服にしがみついた。
「……俺も行く!」
すかさず、ジェイドさんがテオを掴む。
「いいだろう? 茜をひとりでは行かせない!」
ジェイドさんはそう言うと、私を見て頷いた。それだけで、安心感が胸に広がるのがわかる。
テオは、文句を言うかと思ったのだけれど、黙ってそれを受け入れている。そして、更にはユエまでもがテオにしがみついた。
「……妖精女王の番。つまりはケルカのことでしょ? なら、丁度いい。僕も行く。古の森には古龍も居るんだ」
すると、私たちを取り囲んでいた風が、一層勢いを増した。
耳元で風の音が轟々と鳴っている。その風の音の合間に、皆の声が聞こえた。
「おねえちゃん! 気をつけて!」
「ユエ、帰ってくるのを待っているからな!」
「帰ったら、一緒に準備をしましょう。絶対ですよ!」
『ジェイド、小娘を守れよ!』
皆、とても心配そうだ。だから、私は皆を心配させまいと、精一杯声を張り上げて叫んだ。
「――心配しないで! 大丈夫!」
私の声は妹たちに届いただろうか。
その瞬間、視界が風に巻き上げられた雪で白く染まり、まるでフリーフォールに乗ったときのような、嫌な感覚が私を襲った。
異世界おもてなしご飯コミカライズ、一話後編が公開されました。
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11/9 記述を追加。