聖女が遺したものと、魚介トマト鍋 5
「うんめええええええ!!」
「猫姉ちゃん、本当に猫姉ちゃんが作ったの……? うっそだろ!? すげえ、シャレた味がする!」
「ふふふ。高級魚介トマトスープ……」
「これで、私たちもお金持ちの仲間入り……」
「揉みたい」
「いや、それはないだろ。あと何を揉む気だ」
子どもたちは、大はしゃぎでお皿にたっぷりと盛ったスープを飲んでは、目を輝かせている。
私は、隣でその様子を並んで見ていたメルルを笑顔で小突いた。
「やったね」
「茜さんのおかげ。……ありがと」
メルルは頬を緩ませて、子どもたち……というよりも、猛然とスープを食べているギランを見つめている。ギランは、あっという間に皿の中身をぺろりと平らげ、メルルを見ると、柔らかな笑みを浮かべた。
――おお、熱々だねえ……。
そんな新婚さんの邪魔をしちゃいけないと、私はその場を離れて、そっとテーブルの隅で食べているユエの様子を確認する。
その時ユエは、ほっぺを真っ赤にして、夢中で皿の中のスープを飲んでいた。さっきまでの憂鬱そうな表情は何処へやら、他の男の子たちと競争するように食べている。
「ユエ、おかわりは?」
私が声を掛けると、顔をふにゃふにゃにしたユエが、空になった皿を突き出してきた。
「――大盛りで!」
「はいはい」
ユエにおかわりを渡すと、またとんでもない勢いでがっつき始める。
……少しは元気が出たみたいだ。
私はほっと胸を撫で下ろすと、大人ばかりが集まるテーブルへと移動した。
「茜、お疲れ様。座って座って。ほら、君のぶん」
「ジェイドさん、ありがとうございます」
「茜さん、凄く凄く美味しいわ。これ、本当にうちにあった材料だけで作ったのね?」
「そうですよ、マザー。ギランくんが、美味しい魚を獲ってきてくれたのもありますけどね」
「まあ……。あのトマトも工夫次第で変わるのねえ……」
マザーは軽く目を見開いて、お皿の中を見つめている。
皿の中には、真っ赤に色が変わった尾頭付きの大ぶりの海老。それにぱかん、と口を開けた二枚貝。更には、分厚いオドフィ……鱈の身に、わざと大きめに切った、ごろごろしたじゃがいも。赤色に染まったそれらは、見た目だけで食欲を唆る。
「さあさ、茜さんも召し上がってくださいな。この人数の料理を作ってお疲れでしょう?」
「そうですね、そうさせてもらいます」
確かに、随分とお腹が空いている。それに、辺りに充満する、トマトと魚介の匂いが堪らなく空腹を刺激して、もう我慢できそうにない。
私はごくり、と唾を飲み込むと、スプーンでスープを掬った。
真っ赤なスープの表面には、旨味が詰まった油がぽつぽつと浮いていて、息を吹きかけるとそれがくるくると踊る。
立ち昇る香りを楽しみながら、そっと口をつけると――舌の上に広がった味に、思わず溜息が出た。
そう言えば、この間作ったミネストローネ。あれもトマトのスープだけれど、あれは言うなれば、動物性の旨味と、野菜の甘味が織りなすハーモニーを楽しむ料理だ。
けれど、このブイヤベースは違う。まごうことなき、魚介類一強。
確かに、香味野菜を入れてはいるけれど、それはあくまで魚介を引き立たせるための脇役。
舌が麻痺してしまいそうな程の、強烈に押し寄せる荒波のような旨味!
有頭のままで煮込んだ海老からは、濃厚な味噌の味が、殻からも香ばしい風味がスープに溶け出している。そこに、鱈のどこか優しい味が絡み合い、二枚貝のさらりとした品の良い旨味も、時折顔を覗かせるものだから、あらゆる旨味を味わうのに舌が忙しい。
そして、その複雑に絡み合った旨味をまとめ上げるのが……トマト。
トマトの甘味、酸味が程よく旨味と混ざり合い、飲んでも飲んでも飽きる気がしない。
――さて、スープを堪能したら、次は具材!
行儀が悪いのを知りながら、大きな海老を素手で持ち上げる。熱さに耐えながら、ばきっと豪快に頭をむしり取って、殻を剥いた先に現れたぷりぷりの身に齧りつく。煮込みすぎないように気をつけた海老の身は、非常に弾力があり、ぶるん、と歯を弾きながら口の中へと入ってきた。
スープが旨味が濃厚だったぶん、淡白に感じる海老の身は、それだけで充分なご馳走だ。
手を拭いて、再びスプーンで、鱈の身を口へと招き入れれば、ほろほろの身が口の中で広がった。
トマトが染みきった鱈の身。柔らかなその身は、仄かな甘味と脂の旨味を煮込んでも尚主張して、食べごたえがある。
「〜〜〜ん! ああ、美味しい!」
「本当だね。パンを食べる手が止まらないくらいだ」
ジェイドさんは、切り分けたパンをスープに浸して、夢中で食べている。確かに、トマトと魚介の旨味たっぷりのこのスープは、パンに途轍もなく合うに違いない。けれど、私はジェイドさんが新しいパンを取ろうとしたのを止めた。
「……どうしたの? ああ、茜も食べたいのかい。大丈夫だよ、茜のぶんもあるから。誰も盗らないよ」
「なんですか、人を食いしん坊みたいに! ひ、否定はしませんが。……そうではなくてですね、とっておきのシメがあるんですよ。だから、お腹いっぱいにはならないようにしてくださいね」
「……?」
そして、皆が粗方、皿の中身を食べ尽くした頃。
「よっし! 皆、お腹いっぱいになってない? 大丈夫?」
台所に繋がるドアから、メルルが顔を覗かせて皆に声をかけている。
それに、子どもたちは元気いっぱいに応えた。
「「「だいじょうぶー!!」」」
「ふっふっふ。諸君、よくやった! さあ、とくと味わえ! 茜さん直伝! 鍋のシメだー!」
メルルは満面の笑みを浮かべながら、両手で持たないといけないほどの、大きなフライパンを手に広間に入ってきた。
そのフライパンには、残ったスープを煮詰めて、そこに茹でたパスタを絡めたものが入っている。煮詰められたことで、濃厚になったトマトと魚介のスープが、太めのパスタに絡んで、フライパン一面を真っ赤に染め上げている。
大きなテーブルの上に、どん! と勢い良くフライパンを置いたメルルは、急いで台所から大きなチーズの塊とおろし金を持ってきた。そして、得意げな表情を浮かべたまま、それをほかほかと湯気を立ち上げているパスタの上で、おろし始める。まるで雪のように、削られたチーズがパスタの上に降り注ぎ、湯気に乗ってふわりとチーズの香りが鼻を擽った。
それを、大きなフォークとスプーンを使って、満遍なく混ぜていく。
――鮮やかな赤色だったパスタが、チーズが交じり合うことによって、白っぽく色が変わった。
……ごくり。
誰かが唾を飲んだ音が聞こえる。
メルルが皿を持って自分の前に並ぶように指示すると――皆が皆、目の色を変えて走り出した。
「うんまあ! うわあああ。たまんねえな……!」
「ぱしゅた! はじめてなの。おいしいの!」
「猫姉ちゃんの無駄遣いが役に立つ日が来るとはなあ……」
「あんたは食べなくてもいいよ?」
皆が大騒ぎして食べているなか、私もフォークでくるくる巻いたパスタを、ぱくりとひとくち。
煮詰めたことで、更に味が濃くなった魚介とトマトの味に、摩り下ろしたたっぷりのチーズが混ざり合って、太めのパスタにいい感じに絡みついている。言わずもがな、トマトとチーズの相性は抜群だ。魚介の旨味を充分すぎるほど含んだソースと、まろやかなチーズが合わさると……ああ、もう。食べる手が止まらない!
「コルデア様、でしたか。……聖女様の為に、色々と頑張った人なんですね」
ジェイドさんが、パスタを食べながら、しみじみと呟いた。
私も本当にそう思う。
コルデアが遺したというこのパスタは、私のよく知る乾麺のパスタよりは太めだけれど、もちもちしっかりとした歯ごたえ、小麦の風味……すべてにおいて、元の世界のパスタと変わりないように思う。きっと、これなら先代聖女も大層喜んだに違いない。
するとパスタを配り終えたメルルが、私たちに向かって言った。
「コルデア様はすごいのよ。料理だけじゃなくって、色んな面で聖女様を陰日向となって支えたのよ。そんなコルデア様がいたからこそ、聖女様も悲しみの淵から立ち戻れたんだろうね」
「……ねえ、メルル。やっぱり、先代聖女様は、ここに来たばかりの時は、ずっと泣いていたの?」
「そうよ。いつだったか、マザーが読んでくれた聖女さまの本には、そう書かれていたわ」
――愛する王子を亡くした先代聖女。
浄化を終えた後、彼女はジルベルタ王国に戻らずに、この国へ直接来て、そのままここで余生を過ごしたのだという。
今見ると、先代聖女は様々な功績を残している。けれど、そこに至るまでに、ユエが言う「気弱で泣き虫な聖女」がどういう経緯を辿ったのか……私は、どうしても気になってしまった。
「……ねえ、そのコルデア様って人と、聖女様の話をもっと聞かせてくれない?」
すると、メルルは白い歯を見せて笑った。
「なんだ、おねえさん、聖女様のことあんまり知らないんだね。食事が終わったらいいところに連れて行ってあげる。きっと、あたしなんかが説明するよりは、聖女様のことを詳しく知れるはずだよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この施設は、嘗て人身売買のために親を攫われた半獣人を憂いた先代聖女が、私財を投げ打って作ったのだという。その為、ここには先代聖女の死後、彼女の功績を讃えるための記念館が建てられた。
記念館は、施設のすぐ隣に建てられていて、ふたつの建物は廊下で繋がっていた。
そこは誰もいなかったせいか、暖炉の火は落とされていて、かなり冷え込んでいる。
暖炉にメルルが火を入れるのを横目に見ながら、ジェイドさんと私、ユエは室内を見回した。
三角屋根のその建物は、天井まで吹き抜けになっていて、天窓から光が差し込んでいる。
そして、腰ほどの高さの本棚が壁際に設置されていて、皮の背表紙がずらりと並んでいた。
奥まった場所には、一段高い舞台があり、そこを囲むようにして椅子が設置されていた。
「お祭りの劇はここでやるんだよ」
暖炉に引き続き、ランプに灯りを入れているメルルが教えてくれる。
お祭りの際は、施設で無料で食事の振る舞いと、先代聖女を讃える劇が行われ、この場所は大変な賑わいになるのだそうだ。
そして、天井近くには沢山の絵画が飾られていた。それは、先代聖女が成し遂げた偉業の数々が描かれた絵画。文字が読めない人間でも、聖女様の行いを理解できるようにと描かれたのだという。
「すごいでしょ。これ全部、聖女様が私たちのためにやってくれたことなんだ。……聖女様は、大分前に亡くなられてしまったけれど、聖女様の教えに今現在も沢山の人が助けられてる。私も、聖女様が作られた施設のお陰で、飢えずに育つことが出来て、しかも結婚相手すら見つける事が出来た。……本当にすごい人だよ」
メルルの言葉には、確かな実感が篭っている。
「ほら、あの一番奥。ここにも、聖女様の由来の品があるんだよ」
メルルが指差した先を見ると、そこには書見台があり、立派な装丁の本が置かれていた。
金糸で縁取りされた、飴色の分厚い表紙に、異世界の言葉でタイトルが綴られているのが見える。
一体どういうタイトルなのか気になって、私はそこに近づこうと、一歩足を踏み出そうとして……やめた。
「……?」
どうにもこうにも、自分の意思に反して、足が動かない。終いには、足が震えてきた。あの書物に近づいてはいけないと、まるで私の本能が危険信号を発しているようだ。
ジェイドさんも同じだったらしく、彼も強張った表情で動けずにいた。
けれど、ユエは違った。
ユエはゆっくりとした足取りでその本に近づいて、指先で本に触れた。
「これ、マユが書いた――魔法書だ」
「魔法書?」
「そうだよ。恐ろしいほどの量のマユの魔力を感じる。それも、聖女の澄み切った魔力だ。これじゃあ、普通の人間は魔力の強さに気圧されて、近づけないだろうね。これは……こんな場所にあるべきものじゃない」
ユエはとうとう耐えられなくなったのか、じりじりと後ずさると、私の下へと戻ってきた。
ユエは竜だ。竜は、魔力でものを見ると以前言っていた。魔力をあまり持たない私であっても、その本から得体の知れない威圧感を感じて、動けなくなるほどだ。ユエの目には、一体どういうものが見えているのだろうか。
すると、背後から聞き覚えのある男性の声が聞こえた。
「――その本は、この場所にこそ相応しいのだよ」
そこに居たのは、城で会った先王様だった。彼は、今しがた到着したところなのだろう。毛皮に付いた雪を払いながら、私たちの傍までやってくると、魔法書だと言う本に優しげな視線を向けた。
「それは、聖女様が自分の知識を残すために作った魔法書だ。後世に確実に遺すためにと、彼女が死ぬ間際まで魔力を込めていた品なのだ。聖女様の桁違いの魔力のせいで、対となる魔石を持った人間にしか近づけない。……だから、盗まれる心配もないのだよ。まあ、黒竜様のような力の強い人外であれば例外のようだが――」
「いや、僕でもこの本に安易に触れようとは思わないよ。……とんでもない魔力量だ。なんだか怖いよ」
「怖い? ――あなたはそう思われるのか。ふむ」
すると、先王様はにこりと笑って、白く長い顎髭を撫でた。
「私はその本が強い魔力を発しているのを見るたびに、嬉しくなるのだがね。だって、それは聖女様がこの国を思う気持ちの現れなのだと、私は考えているのでね」
すると、先王様はメルルに自分の毛皮のコートを預けて、マザーに渡してきて欲しいと頼んだ。
笑顔でそれを受け取ったメルルは、ぱたぱたと軽い足取りで記念館を出ていく。
その後姿を見送っていた先王様は、メルルの足音が完全に遠ざかるのを確かめると、懐から白い石を取り出して、ユエに渡した。
「これは、その本と対となる魔石だ。ああ、その本の中身を読めと言いたい訳ではないよ。その本に書かれたことは、既に実行に移されて、今の我が国を成すための礎となっている。聖女様の遺したものを活用して、我が国は栄えてきたのだ。……ここまでくるのに、街の様子を見てきただろう?」
「――うん。見た。半獣人と人間が共存している、豊かで……そして、美しい国だった」
「きっと、君の言葉は聖女様もお喜びになるだろう。これこそ、彼女が目指した国の姿だからね」
先王様はユエの頭を撫でると、そっとその小さな背中を魔法書の方へと押した。
「その本にはね、『あとがき』があるのだよ」
「あと……?」
「『あとがき』さ。聖女様が魔力を込めすぎたせいなのか、その本を作っていた当時の姿が、まるで記録のように本に残っていてね。それを今でも見ることが出来るのだよ。そのなかで、聖女様が本に込めた想いを語っていたから、まるで作者による『あとがき』のようだと思ってね。私はそう呼んでいる」
ユエは先王様の言葉を聞いても、中々理解できないようで、困ったような顔で首を傾げている。
先王様は見ればわかるだろう、と言ってユエの頭をぽん、と叩いた。
「残っている聖女様の姿は、丁度、本が出来上がった瞬間の姿だ。とてもとても貴重なものだよ。王子を亡くして、失意のままこの国にやってきた聖女様の晩年の姿だ。さあ、本の近くで、魔石に魔力を注いでご覧」
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