聖女の遺したものと、魚介トマト鍋 4
施設の厨房は、人数が多いからかそれなりに広い作りだった。
女の子に取り囲まれて身動きがとれないジェイドさんは、広間に置いてきた。物陰から、じいっと熱視線を送ると、若干顔が引き攣っていた。ふふふ、特に視線に意味はありませんよ? ええ、ありませんとも。
ちなみに、ユエはどこか憂鬱そうに、食堂の椅子に座っていた。年頃が近く見える少年が話しかけても、上の空だ。
我が家にいるときは、思い切りはしゃいでいることの多いユエだから、そんな姿は珍しい。
ユエには、無邪気にはしゃぎまわる姿が一番似合うと思う。けれど、ユエの気持ちを考えると、元気を出せと安易に言えるものではない。
なら、私ができることで、ユエを少しでも元気にしてあげたい。
……美味しい昼食。頑張って作ろう。美味しいご飯はきっと、一時でもユエの気持ちを軽くしてくれるはずだ。
厨房にやってきた私とメルルは、今ある材料を確認することにした。確かに、買い出し前とあって材料があまりない。
あるのは、玉ねぎにじゃがいも、にんじん。二枚貝に、小麦粉にバターに牛乳。
……おっ、チーズはたっぷりある!
「おう、獲ってきたぞ」
その時、浅黒い肌をした少年が手に大きな魚を握りしめ、全身から雫を滴らせてやってきた。
「ギランおかえりなさい!」
外は冷たい風で吹き荒れていると言うのに、ギランと呼ばれた少年は、全身ずぶ濡れでもケロリとしている。その少年が風邪を引くのではないかと、タオルを用意しようとひとり慌てていると、メルルは、その少年は海豹の半獣人だから気にしなくてもいいのだと言う。確かに、その青年のどこかおっとりとした顔には、海豹っぽいツンツンとした髭が生えていた。
「わあ、すごい! オドフィじゃない! あたしが料理を作る当番だからって、いつもより張り切ってくれたの? それに、海老も! ありがとう」
メルルは魚を受け取ると、蕩けるような笑みを浮かべてギランを見上げた。ギランはメルルに褒められると、ほんのりと頬を緩めて、私に会釈だけして去っていった。ギランが去った後、メルルは私の方へと向き直って、両手を合わせて眉を下げた。
「ギラン、ちょっと無愛想なの。挨拶もせずに、ごめんなさい」
「ううん。……それにしても、この冬の海で生身で魚を獲ってくるなんて。すごいのね」
「純粋な獣人に比べると能力は落ちるけど……半獣人、特に海獣の半獣人は冬の海の狩りに関しては、すごいのよ。ギランは来年から猟師になるの……あたしも、孤児院を出てギランと一緒に住むんだ」
メルルはぽっと頬を赤らめて、照れくさいのかもじもじと両手を絡めている。
メルルの結婚相手……それは、ギランなのだという。ふたりは海辺に家を借りて、漁師として生計をたてていくのだそうだ。ふたりは16歳。私の感覚で言うと、随分と早いように思うけれど、この世界での婚姻時期としては平均だ。
「そのために、料理の練習頑張っているんだね」
「うん。でも、あたし、才能なくって……」
そう言えば、マザーもメルルが料理の腕が上がらずに苦労していると言っていた。
……日本で言うと、高校生になったばかりの年頃だもんねえ。
ひとりしんみりとしていると、しょんぼりと肩を落としていたはずのメルルが、急にキラキラとした眼差しを向けてきた。
「でも! 大丈夫! 茜さんに料理を教えてもらえるんだもん! 新婚さんに相応しい、なんかこう……すごい料理を伝授してもらって、可愛くて料理上手な奥様として、近所に名を轟かせるんだから!」
「――期待が重い!」
どうやら、メルルは料理上手な奥様に憧れているようだ。くねくねと身をくねらせて、「にゃー!」と叫びつつ、自分の若奥様像を想像しているのか、頬を赤く染めている。私は、その様子を若干呆れ気味に見ながら、何が作れるか頭の中のレシピを捲る。今回は、シーフードはたくさんあるけれど、その他の材料を見ると、本当にシチューぐらいしか作れそうにない。シチューは飽き飽きしているという子どもたちの言葉もあったし……。
それに、今回は何も持ってきていないから、いつも使う日本の食材は使えない。うーん、非常に悩ましい。
「メルル。本当に、今使っていいのは、ここにある材料だけなのよね?」
「ん? そうね……あと、パンは沢山あるわ。にんにくと……あとはあっちに保存食があるわよ。トマトとか」
「――トマト!?」
何故この真冬に夏野菜が、と驚いていると、メルルは台所の隅にあった籠の中身を漁った。
戻ってきたメルルの手にあったのは、からっからに乾燥したトマト。ドライトマトだ!
「わあ、すごい! たくさんある!」
「このあたりじゃあ、夏頃に採れるリコリスの実と交換に、長い冬に備えて夏野菜を大量に仕入れるのよ。それを、乾燥出来るものは乾燥させて、冬の保存食用にとっておくってわけ」
よくよく見回すと、台所の隅には、トマトだけではなくて、瓜類や果物など、様々な乾物の瓶詰めが置いてあった。
なるほど、雪に閉ざされてしまうこの国では、生野菜を手に入れるのは至難の業なのだろう。これも、長い冬を乗り越えるための工夫のひとつと言うわけだ。
「へえ……ジャムとか、塩漬けじゃなくって乾燥させるんだね。へえ……」
ひとり感心していると、ふと脳裏に疑問が過った。ドライトマトというと、オイルに漬けて使うイメージ。そのまま齧ったりすることもあるけれど、料理に利用するとなると、そのままだと不便ではないか。
「ねえ、これってオイルに漬けたりは――」
私が疑問を口にすると、メルルは一瞬ポカンとしたあと、おかしそうに笑った。
「オイル? 何に使うの? これはね、魔力を注ぐと、瑞々しく復活するんだ」
メルルは指先をくるくると回して、ふわりと橙色の魔力をまとわせると、ドライトマトにそっと触れた。――途端、驚いたことに、しわしわだったトマトが、まるで空気を入れられた風船のように膨らんだではないか!
……ああ、そうか。乾物を作る魔法があれば、元に戻す魔法もあるわけか……!
道理で塩や砂糖に漬けて保存しないわけだ。魔法で戻るのであれば、そのままのほうが都合がいい。
メルルから手渡されたトマトを触ってみると、随分と柔らかいけれど、確かに水分を含んでいるのがわかる。
「うわあ、便利だねえ。すごい! こんな魔法もあるんだねえ……!」
すると、メルルは複雑そうな表情で、首を振った。
「この国みたいな、冬が長い国じゃあ当たり前に使っているけれど……。他国にはない魔法かもしれないね。でも、魔法で元に戻したといっても、乾燥させる前と比べると水分が飛んでいるから、サラダで食べるとあまり美味しくないのよね。まあ、保存食だからね。仕方ないわよね」
「それでもすごいよ……! 料理に使うなら充分だよ! ねえ、メルル。今日はお鍋にしようか」
「なべ……?」
「ああ、鍋を食べるんじゃなくってね! なんて言ったらいいかな……そう、トマトを使った具沢山の魚介スープ!」
私がそう言うと、メルルは驚愕の表情を浮かべて固まってしまった。
一体全体どうしたのだろう。目の前で手を振ってみても、反応がない。
「め、メルル!? どうしたの!? だ、大丈夫……!?」
「……ッ、ぶはっ! いやあ、あんまりにもびっくりしちゃって」
「なにが? 私、変なこと言った?」
漸く息を吹き返したメルルは、額の脂汗を拭うと、怪訝な眼差しを私に向けた。
「茜さん、駄目よ。こんな貧乏人に夢を見せるようなこと言っちゃあ」
「へ?」
「確かにすごいのがいいとは言ったけどさ、トマトと魚介のスープだなんて、あれでしょ? お城に近い高級レストランとかで出されるっていう、おしゃれなスープでしょ? 一般市民お断り、ドレスコードがあるお店で、みんな小指を立ててスプーンを持っているアレでしょ?」
「なにそれ」
どうやら、城の近くにトマトスープが有名な高級料理店があるらしい。メルルにとって、そのスープというのは、憧れの料理らしく、目を輝かせながら人づてに聞いたその味を語りだした。
「まるで海の中のすべての旨味を溶け込ませたようなスープは、ひとくち飲むと、母なる海に戻ったような、天にも昇るような気分になれるのよ……!」
……それって、ちょっと死にかけてはいないだろうか。
メルルはそのスープの凄さ素晴らしさを思う存分語り尽くすと、はあ、と熱い吐息を吐いて、うっとりとした眼差しを宙に向けた。
「……いつかは、ギランと一緒に飲んでみたい……そんな憧れのスープだけどね。乾燥させてない、フレッシュなトマトやら、超高級白身魚や貝をふんだんに使っているって噂よ? そんなの、ここで作れる訳がないでしょう。ははは、無理無理無理」
手をパタパタ振って、半笑いしているメルルの肩に、ぽん、と手を置く。
そして、私はにやあ、と悪い笑みを浮かべると、声を顰めてメルルの耳元で囁いた。
「――その憧れの料理を、自分の手で作れるって言ったら……どうする?」
メルルはごくりと唾を飲み込む。
――そして、まるで悪い取引きをもちかけられた商人のような顔で私を見た。
いや、悪いことは何もないけどね!?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今回作るのは、所謂、ブイヤベース風トマト鍋と言う奴だ。
ブイヤベースは、フランスのマルセイユという街で食べられていた漁師料理だ。
見た目が悪かったり、商品価値のない魚を自家消費するために作り出されたのだという。
なんとなく、自宅で作るのは難しそうなイメージがあるけれど、元は漁師料理。作り方さえわかれば、然程難しくはない。
ギランが獲ってきてくれたオドフィは、あちらの世界で言う、鱈相当の魚だった。蛋白な白身の魚は、鍋では定番の魚。私とメルルは喜び勇んで、オドフィの解体に挑んだ。
半猫人であるメルルの魚を捌く手つきは、それはそれは見事なものだった。話によると、料理は苦手だけれど、魚を捌くのだけは大得意なのだという。猟師の奥さんになるんだからね、と照れた顔が可愛らしい。
オドフィの身は三枚におろして、残ったアラは出汁を取るのに利用する。
ちなみに、お家でこの鍋を作る時に、出汁がとれるようなアラがなければ、普通にブイヨンなどで代用しても良い。具からも充分に魚の出汁は出る。
みじん切りしたにんにくを、たっぷりの油で炒めて、いい香りが立ってきたら、そこに香味野菜――今回は、たまねぎと人参――を入れて、塩コショウ。野菜は、油で揚げ焼きにしていく。
ここでしっかりと火を通して、甘味を充分に引き出したら、そこにアラを投入!
「ねえ、茜。これって普段捨ててる部位なんだけど」
そう言ったメルルの口元は、よく見るとヒクヒクと引き攣っている。
それはそうだ、メルルからすれば高級料理を作るつもりなのに、普段捨てている部位を使うなんて、矛盾と捉えられても仕方がない。
けれど、魚のアラから取る出汁というのは、一味違う。
骨や頭の部分からは、魚の最高に美味しいエキスが染み出すのだ。これを捨てるだなんて勿体ない!
「まあまあ。騙されたと思って。それに、普通は捨てている部分を有効活用するなんて、なんだか出来る奥様っぽくない?」
「出来る奥様……!」
私の言葉に、メルルはへらり、と表情を緩めると、頭に浮かんでいた疑念なんて吹っ飛んでしまったらしく、フライパンの中のアラと真剣に向き合い始めた。
「木べらで、アラと香味野菜を潰すのよ。そうすると、出汁がよく出るのよ」
「力仕事なら得意だよ!」
アラの水分のせいで、随分と油が弾ける。普通ならば、引いてしまいそうなその現状も、未来の若奥様は気にならないらしい。メルルは、茶色い猫しっぽを機嫌良さそうにふりふりと左右に揺らしながら、ガッシャガッシャとフライパンの中身を豪快に潰していった。
……将来、肝っ玉母ちゃんになりそう……。
そんなことを思いながら、あらかたアラが潰れたら、そこに白の葡萄酒と熱湯を被るぐらいまで注ぐ。そのままグツグツと、大体二十分ほど煮込んでいく。
「後は具材を入れるのね!」
「ちょ、ちょっと待った……! これは煮込み終わったら濾すの。こんなグチャグチャのに具を入れても、美味しくないでしょう。それに、具材も下ごしらえしてないでしょ!?」
「ええ……最終的には一緒に煮込むんでしょ? 変わらないってば」
どうやらメルルの料理下手な要因は、その大雑把さにあるようだ。
私は渋るメルルに、下ごしらえの重要性と手順を守ることが料理成功の秘訣だと語り、そして、ひとつひとつ丁寧に下ごしらえを進めていった。といっても、そんな難しいことではない。
海老は殻付きのままの方が、良い出汁が出るので、殻の隙間から串を差し込んでワタを抜いておく。
オドフィ……鱈は、軽く塩を振っておく。アサリのような二枚貝は砂抜きをして、じゃがいもは、皮を剥いて軽く下茹でしておく。玉ねぎは適当な大きさに。
「うう。面倒くさい」
「面倒でも、ひとつひとつの積み重ねが、美味しさに繋がるんだからね」
「……深いね!」
「面倒くさそうな顔のまま、そう言われてもな」
「バレた……!」
メルルが尻尾を逆立てて、慌てている様子を笑って眺める。そうこうしているうちに、下ごしらえが完了した。すると、出汁をとっていた鍋を覗き込んだメルルが、感嘆の声を上げた。
「うわあ、すごいよ。茜さん。スープからすごい美味しそうな匂いが」
ぐらぐらと沸いている出汁は、白濁して魚の旨味が充分に溶け出しているように見える。
――よし、充分に出汁が出てくれたみたい。
それをザルにあけて、濾す。最後の一滴まで残さないように、アラや香味野菜をザルにお玉の背で押し付けるようにして搾り取る。そうしてとれた出汁に、皮を剥いて刻んだトマトをたっぷりと入れる。月桂樹の葉は、流石シチューが名物の国。常備してあったので、それも数枚一緒に入れて、グツグツ煮込んでいく。
本来なら、もっと沢山ハーブ類を入れるのだけれど、今回は手に入らないので割愛。そして、丁度いい塩梅まで煮詰まったら、そこに魚介類とじゃがいも、玉ねぎを投入して数分。魚介類が固くならない程度に煮込んで、塩で味を整えたら――完成!
――ブイヤベース風トマト鍋!
「うわあ……噂と一緒。血みたいに真っ赤。それに、凄く唆る匂いがする……」
メルルは今にもよだれを垂らしそうな表情で、鍋の中身を見つめている。
そこで、私はふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「私の世界だと、トマトと魚介って定番なんだけどな。ジルベルタ王国でも、トマトの煮込みはあったよ。クラーケンの脚の煮込みは美味しかった! この国ではあまり食べないの? それこそ高級料理くらい?」
「……うーん。トマトって、基本輸入ものばかりなんだよね。生のトマトが出回る頃は食べられないのよ、高くって。お金持ちは好んで食べているって聞くけどね。保存食に出回るトマトは、夏の間移動中に悪くなっちゃったようなやつを加工したものでね。なんというか、あまり美味しいイメージがなくって……積極的に活用する気が起きないというか」
メルルはひとつドライトマトを手にとって、渋い顔をしている。
けれど、何かを思い出したのか、あっと声を上げたメルルは、戸棚の奥を漁り始めた。
「そういえば、去年の聖女様のお祭りで、コルデア様由来の食材が売られててね……美味しくトマトを食べるには、これと一緒ならイケる! って、屋台のおっちゃんに乗せられて買ったのがあったんだった。でも、買ってはみたものの、使い方がわからなくって……あ、これだ!」
「……メルル、それって」
「ねえ、これってどうやって使うか知ってる?」
――メルルが見せてくれた食材。それは、トマトとぴったり合う、元の世界で食べ慣れた食材だった。
それを見た瞬間、私は神に――いや、先代聖女に心からの感謝の祈りを捧げた。
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