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番外 王子と護衛騎士は、鮭茶漬けに何を見るか 後編

 聖女の姉である茜様と出会ったのは、城の中庭だ。

 茜様は、毎朝、兵士に混じって雪かきをしているのだと聞いた王子は、「面白いこと」の匂いを感じたのか、いつものごとく好奇心の赴くままに「気まぐれ」に彼女に近づいた。ご丁寧に、顔に認識阻害の魔法をかけて、兵士の鎧を身に纏って。



「……そんなことをしなくても、あの娘はお前の顔を知らないと思うが」

「念には念をいれてだよ。それに、こうしたほうが正体をばらすときに、盛り上がりそうじゃないか!」

「……変人」

「酷いな。私だって、傷つくんだよ!?」



 案の定、王子の気合の入った変装に、聖女の姉はまったく気が付かない。彼女は何も知らず、人懐こそうな笑顔を浮かべて、俺たちに挨拶をした。



「おはようございます! 新しい兵士さんですか? 茜と言います! どうぞ宜しくお願いします!」



 茜様は、俺から見てもいたって平凡で、可愛らしくはあるが、特に目立って美しいとかスタイルがいいとか、そういう女性ではなかった。けれど、誰にでもニコニコと笑顔で接して、雪かきをしてくれている兵士たちに、丁寧にお礼を述べている彼女に、王子はどこか惹かれたようだった。



「良かったら、朝食食べていってください!」



 雪かきが終わった後、彼女がそう言って出してくれたのは、白米に解したドラッドの身を乗せたもの。

 非常にシンプルなそれを目にした俺たちは、互いに顔を見合わせた。



「ああ、まだ完成してないんですよ。ちょっと待って下さいね……」



 すると、茜様は、海苔とかいう乾かした海藻を、手で揉んで砕いたものを散らした。



「最後の仕上げに、これに……」



 茜様はそう言うと、小さな茶器のようなものを、その上で傾けた。


 ――とく、とくとくとくとく……。


 茶器からは黄緑色の液体が流れ出て、それを、ドラッドの身の上から注いでいく。ふわりと湯気が立ち昇り、鼻を香ばしい匂いがくすぐった。



「緑茶をかければ、完成! ドラッド――鮭のお茶漬けです。鮭は、味噌漬けにしてあるんですよ。旨味が増して、とっても美味しいですから。あ、お漬物もありますよ。どうぞ、召し上がれ」



 そう言って、茜様はふわりと笑った。

 まじまじと、器の中身を見つめる。白い湯気が立っているその器を手に取ると、雪かきで冷えた指先に、熱がじわりと染みる。

 茜様は、箸は難しいだろうからと言って、スプーンを渡してくれた。

 どうすればいいかわからず戸惑っていると、茜様が食べ方を説明をしようとした。けれど、茜様は何かに思い至ったのか、急にぴたりと止まってしまった。



「……あ。そうか……! うわ。ええと、どうしよう」

「どうしたんだい?」



 急に慌てだした茜様に、王子が声をかける。

 すると、茜様は頬を若干染めて、恥ずかしそうに言った。



「……あの。私の国では、このお茶漬けというのは、お茶を飲むみたいにして、器に口を付けて食べるんですよ。中の具を汁ごと口に掻き込むんです。……この国では、マナー的にはどうなのかな、と思いまして」

「へええ。そうなのか。確かに、ちょっと下品と言われかねないかもしれないね」

「うっ」



 王子が、ニマニマと人の悪そうな笑みを浮かべて言うと、茜様は表情を強張らせた。


 ――まあ、確かに王族やら貴族やらからすれば、あまり馴染みのない食べ方かも知れないが、平民の俺からすれば、直接口を付けて食べるなんて、日常茶飯事だ。この王子は、それを知っていてわざと言っている。

 自分の正体が知られていないからといってやりたい放題だ。……この野郎。

 王子は、慌てふためいている茜様を満足気に眺めた後、スプーンを手にとって器に口をつけようとした。すかさず、それを茜様が止める。



「……あ。む、無理して食べなくてもいいんですよ! すみません、私よく考えずに……」

「いやいや。折角用意してくれたんだ。いただこうじゃないか。それに――面白そうだし」



 王子はそう言って、にこりと笑みを浮かべて、湯気の立ち昇っているそれを、一気に掻き込んだ。



「……ぶはっ! あっつう!?」

「ああああ! ダニエルさん、熱いですから息で冷ますとかしないと!」



 禄に冷さずに、熱々の汁をいきなり流し込んだ王子は、火傷してしまったらしい。

 そんな王子に、茜様は眉を下げて、半ば呆れ顔で言った。



「もう! ダニエルさんはドジですねえ」



 茜様は冷やすものを取ってくると言って、台所へと小走りで駆けていった。

 その後姿を、王子はぼうっと見つめている。

 俺は、そんな王子を横目に見ながら、ポツリと言った。



「自業自得」

「うるさい」



 俺は器の中にふう、と息を吹きかける。

 その様子を、王子が恨めしい目で見てきたが、無視して食べることにした。

 ドラッドの脂が、橙色の油の粒となって黄緑色の汁の上に浮いている。それが吹きかけられた息に踊らされて、汁の表面でくるりくるりと回った。

 丁度いい塩梅まで冷めたら、ゆっくりと口へと流し込む。



「……!!」



 それを口にした瞬間、俺はその素朴な美味しさに、目を見開いた。

 これは緑茶と言ったか。

 緑茶は、青葉のような青い香りを放ちながらも、どこか香ばしく、そして苦味がありながらも甘い。

 鼻を抜ける香りはなんとも爽やかで、心を落ち着けてくれる香りがする。

 そして、その緑茶に浸かった白米は、渋い汁の中にありながらも、白米由来の甘さを主張していて、これまた優しい味だ。それに、白米は汁に浸っているからか、ぱらぱらと粒が解れていて食べやすい。たっぷりの緑茶とともに、思い切り口へと流し込む食べ方は納得だ。スプーンでチマチマ食べるよりかは、口いっぱいに頬張れる食べ方のほうが、お茶漬けの美味さが引き立つような気がする。


 ――そして、このドラッドの身の美味さと言ったら!

 味噌漬け――確か、茜様はそう言っていた。味噌と言うのものが、一体何かは知らないが、俺の知るドラッドとはまったく違う風味がする。

 ドラッド自体は、フリットにしたり、ソテーしたりと食べ慣れている食材だ。どちらかと言うと、なにがしかのソースを付けて食べる、そんなイメージだったが……。

 このドラッドは、味噌というものの味なのだろうか。少しきつめの塩気を感じる。そして、ドラッド自体の味を何十倍、いや何百倍にも増幅させたような、濃厚な魚の旨味! 確かに、俺の知るドラッドの味なのに、ぎゅっと濃縮されたような――……。


 ――はふっ、ずる……っ!! ずるる……!!


 俺は、夢中になってそれを口の中に掻き込んだ。

 しょっぱめのドラッド。それをさっぱりとした緑茶と、白米。磯の香りがする、海藻と掻き込むと箸が止まらない。

 食べているうちに、腹の奥からぽかぽかと熱が上ってくる。じんわりと、額に汗が浮かび、あっという間に椀の中身は空になった。



「……はあ」



 椀を置くと、俺は熱い息を吐き出した。

 先程まで、寒い中雪かきをしていたとは思えないほど、体の末端から内臓までがホカホカとしていて、心地よい余韻が体を満たしている。



「鮭の味噌漬けのお茶漬け、美味しいでしょう。暫く漬け込んで置いたので、程よく水分が抜けて、味が濃くなっているんですよ。あ、旨味成分も増えるんですって、不思議ですよね」



 気がつくと、茜様は氷の入った水を持ってきていて、王子に手渡していた。

 王子は水を一気に飲み干すと、氷を口に含んで、ギロリと俺を睨みつけた。



「……エーミール。腹立たしいことに、非常に満足そうな顔じゃないか」

「ああ。美味かった。あっさりしていてな、朝食には持ってこいだな」

「なんだ、君にしては珍しく饒舌だな……ああ、この舌じゃあ、熱いのは食べられそうにないじゃないか」

「注意力散漫なお前が悪いな。こんなにも美味いのに」

「うう! 失敗した……! なんてことだ……」



 王子は俯いて、ぶつぶつと呟いている。

 ――どうも、その様子がおかしい。ただ、お茶漬けを熱いまま口に運んだ、それだけのことなのに、王子は顔色を失って、強張った表情をしている。見間違えでなければ、震えているのかもしれない。

 ……こいつ、まさかこんな小さな失敗に――。

 この王子が抱える業というものに、今更ながら戦慄していると、茜様は、不思議そうに俺たちを見比べると、ふわりと優しい微笑みを浮かべて言った。



「ダニエルさん、誰にだって(・・・・・)失敗はありますよ(・・・・・・・・)。気にすることはありませんよ?」



 それを聞いた王子は、なんとも間抜けな顔でパチパチと目を瞬いている。

 ――うわ。

 俺は、顔には出さなかったが、内心酷く驚いていた。王子が外で素の顔を見せるのはかなり珍しい。

 変装していようと、表情を崩さない。それがこの王子なのに。



「――また、今度作りますから。失敗なんて、私は日常茶飯事なんですからね! あ! 熱いのが駄目なら、おにぎりなら食べられますかね? ちょっと待っていてくださいね……」



 そう言って、茜様は台所の方へと足早に消えていった。

 その後、茜様が用意してくれたおにぎりを、王子は神妙な面持ちで、噛み締めるようにして食べていた。


 ――その日の帰り道。



「誰にでも失敗はある……か。今まで、私にそう言ってくれた人はいなかったね」

「そうか」

「まあ、きっと彼女は私の身分を知らないからこその発言だろうね。きっと王子であると知れば変わるだろう」

「そうだな」



 ぽつん、と王子がそんな感想を呟いたのは、今でも印象深い。

 それ以降、何を思ったか、王子は身分を隠したまま、何食わぬ顔で茜様の下に通い始めた。



「彼女が、間者であるという可能性は捨てきれないからね。ちゃんと調査しなくっちゃねえ」



 そんなことを言いながら、王子は出会った時と同様に、ご丁寧に認識阻害の魔法を施して、兵士の鎧を身に纏い、「ダニエル」という偽名を名乗る。

 その様子は、まるで諸国を巡っていた時のように生き生きとしている。どうも嫌な予感がした俺は、ある日の早朝、執務に勤しむ王子に忠告をした。



「ルイス。惚れるなよ」

「――なんのことだい?」

「聖女の姉。あれをお前の后になんて、非常に厄介で面倒なことにしかならん。それに――あれには、恋人がいるからな。わかっているだろう?」

「わかっているよ。一応、私にも婚約者はいるからね。最も、顔も知らない遠い国のお姫様だけれど」

「絶対だな」

「ああ、絶対だ」



 ルイスはそう言いながらも、今日も陽が登りきる前に大半の執務をこなしてしまった。

 それもこれも、聖女の姉に会う時間を確保するためだ。

 ――もしかして、こいつは気がついていないのだろうか。

 今までは無意識に避けていた、人通りが多い聖女の家までの最短距離を、普通に歩けていることも。

 自分が、聖女の姉にどれだけ素の表情を見せているのかも。


 ――どう見ても、惚れている。そうとしか受け止められない。そんな行動をしていることを。


 俺は暗澹たる気持ちで、溜息を吐く。

 雪かきに参加している兵士や、場内に務める人々は、どことなく王子が聖女の家に足繁く通っていることに、気がついているようだった。当たり前だ、変装しているとはいえ、俺という目立つ風体の男が常に一緒にいるのだ。わからないはずがない。それでも、兵士たちは優秀な王子には深い考えがあるのだろうと、そっとして置いてくれていた。……それは良かったのだが。

 同時にこんな噂話が、城内で密かに囁かれていた。


 ……次期国王であるルイス王子は、聖女の姉と想い合っている。


 時たま、こう思う時がある。この王子は自分は変装している癖に、俺は鎧を変える程度で、認識阻害の魔法もかけずに素顔で連れ回している。その理由は、そういった噂話が流れるのを見越していたからではないのか。


 ――なんて性格が悪い!


 無意識なのか意識的になのかわからないが――聖女の姉の外堀を埋めようとしているのかと、気を揉みながら日々を過ごす。聖女の姉をたいそう気に入っているという王妃様には、まだ気付かれていないようだ――もしかして、知っていて静観しているのかもしれないが。そんな恐ろしい想像からは目を逸しつつも、王子に何度、聖女の姉に惚れているのかと問いただしても、躱されるばかりで埒が明かない。

 そうしているうちに、噂話はじわじわと城内で広がっていく。

 おそらく、聖女の姉の恋人の耳にも入っただろう。

 ……きっと、気が気じゃないに違いない。可哀想に。

 

 ある日のこと、王子は気まぐれに、茜様にこんな質問を投げかけた。



「ねえ、もしここに王子が来たらどうする?」

「なんですか? 王子? カイン王子ですか? ……ああ、第一王子の方ですか。会ったことないんですよねえ。その人は、何をしに来るんですか? 雪かきをしてくれるんですか?」

「ゆきかッ……ぷ、くく……。た、多分、雪かきはしてくれないと思うよ。だって彼は王子だもの」

「ですよねえ。じゃあ、用事がないなら適当にお帰り頂いて、兵士さんへ朝食を振る舞うのを優先します。今は、朝食の時間ですからね――あ! お疲れ様です! どうぞ、朝食を用意していますから――」



 すると、話している間に、他の兵士がやってきたようだ。

 茜様はそちらの兵士に朝食を振る舞いに行ってしまった。

 そっと、隣の王子を見る。王子はお腹を抱えて、ぷるぷると震えている。



「……お前、なるべく速く帰ってやれよ」

「ぶ、く。ひー……お腹痛い……! でも、私は雪かきをしているから、帰らなくてもいいんじゃないかな……」 



 そして、ある日王子はとうとう行動を起こした。



「――今度、あの子の護衛騎士を、騎士団に呼び出させる」

「……は?」

「その時に、仕掛けてみよう。護衛騎士の代わりとして、私たちが護衛として潜り込むんだ――ああ、ワクワクしてきた!」



 その時の茜様の反応を想像しているのだろうか。

 王子は酷く楽しげに、うっとりと目を細めた。そんな王子に、俺は心底呆れてしまった。



「ひねくれ王子」

「ふふふ。まったくそうだね。……でも、きっと彼女なら」



 王子はそう言って、少し離れたところでせっせと雪かきをしている茜様を眺めていた。


 ……そうして、王子は茜様に自分の身分を明かした。

 自分の手料理を家族に振る舞いたいと、王妃様やふたご姫を呼び寄せたりして――茜様にとって、一番衝撃的に感じるように、わざわざ貴族らしい服に着替えて、自分を演出して。



「後で事情を説明して頂けますね……?」



 茜様は、王子が王子だった(・・・・・)と知るやいなや、鬼のような形相で睨みつけた。

 王子に出会えたことに感激するでもなく、高貴な身分の人物に馴れ馴れしく接していた事実に、慄くこともなく。茜様が不機嫌そうに肩を怒らせて、台所から去っていく後ろ姿を見送っていた王子は――。



「どうして、泣きそうな顔をしている」

「……そう?」

「お前は罵られて、快感を得るタイプだったのか……」

「ち、違う!」



 酷く情けない――まるで子どもみたいな表情で、茜様が消えた方向を見つめていた。

 そして、その後王まで巻き込んで、茜との晩酌をすることを決めた王子は、一晩色々と茜様と話をしたようだ。聖女の家から、自分の部屋へと帰る道すがら、うっとりと雲一つない星空を眺めながら言った。



「――ああ、茜ちゃんは最高に面白いね! おや、エーミール。どうして睨んでいるんだい? ああ、心配しなくても大丈夫さ。気に入りはしているけれど、惚れてはいないよ。大丈夫さ。……大丈夫。これは、恋なんかじゃあないさ。だって、私は王子だからね。自分の立場をわきまえているさ……」



 肩を竦めて、そう言ってのけた王子に、俺は心の中で叫んだ。

 ――このひねくれ、性悪、変人王子!


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あっははははは! 振られちゃったよ! エーミール! すごいな、茜ちゃんは。これでも、王子だよ。しかも、次期国王。晩餐会のときもそうだったけれど、清々しいほどに眼中にない! ああ、面白い!」



 月明かりに照らされた雪道をゆっくり進みながら、酒で顔が赤い王子は酷くご機嫌だ。

 踊るように、わざと雪が積もっている脇道に逸れて、ぼすぼすとまっさらな雪を踏み荒らしている。

 俺はその様子を、若干呆れながら眺めていた。


 先程まで、王子と一緒にモツ煮込みとかいう異界の料理をつまみに、聖女の姉と一緒に酒を飲んでいた。

 そして、一瞬俺が席を外した隙を狙って、立場をわきまえていたはずの王子は、あの聖女の姉に告白のようなものをしたらしい。



「ああ! なんてことだろう! もう、あまりに眼中にないから、カチンときてさ。とっておきの情報を漏らしちゃったよ。そしたらさ、まるで鬼のような形相になって、私を押し倒したんだよ。その直前まで、私に抱きしめられて戸惑っていたのに」

「ルイス、悪趣味だな」

「そうだね。私も悪趣味だと思うよ! まるで、大衆演劇のようじゃないかい? 横恋慕した男が、本命の男の隠していた情報を漏らす――揺れる恋心、絞まる私の首! あはははは! 最後だけ、定番からずれている! なんとも滑稽だ!」



 ルイスはよほどおかしいのか、雪道に蹲って笑い始めた。

 ふるふると震え、涙を浮かべて笑うそのさまは、失恋の痛手を忘れようとして、自棄になっている……わけではなさそうだ。心の中から笑っているようにしかみえない。



「晩餐会で、わざと大勢の前でダンスを断らせていたから、諦めたのかと思っていたが。……まだ、未練があったのか」



 炎の神殿での、国王夫妻主催の晩餐会。この国の貴族の大部分が来ていたあの晩餐会で、聖女の姉が王子のダンスの誘いを断ったことから、場内の「王子が聖女の姉と想い合っている」という噂は立ち消えていた。

 傍でその様子を見ていた俺は、茜様を諦めた王子が、不要な噂話を解消する為に、ああいう行動に出たのだと思っていたのだが――。


 俺がそう言うと、ルイスは心底驚いたような表情をしてこちらを見上げた。

 そして、へらりと気の抜けた笑みを浮かべて言った。



「……私は、どうやら結構未練がましいらしいよ。晩餐会のときだって、万が一にでも彼女が私の手をとってくれればと、夢想していた。そうしたら周囲が猛烈に反対しようと、絶対に彼女を幸せにするとまで、未来を思い描いて――ああ、無駄な時間だったな。……でも、途轍もなくソワソワして、心が羽を得たみたいにふわふわして……幸せな時間でもあった」



 そして、雪の上に足を投げ出して座って、空を見上げた。



「なあ、エーミール。私は恋に関しては、酷く愚からしい。自分の立場を失念して、勝ち目のない勝負を仕掛けて……そして――惨敗した」



 ふう、と息を吐いた王子は、直ぐに溶けて消えてしまう白い息を、名残惜しそうに眺めている。



「もしかしたら、彼女と手と手を取り合って、異界へと逃げ出したかったのかもしれない。私の根底にあったのは、逃走願望――そういうことか。何もかも投げ出したかったのか。……王子失格だね」



 俺は王子の隣に立つと、今にも泣きそうなそいつを見下ろした。



「ひとりに執着した時点で、王子としては失格だろう。……けれど、男としては――まあ、格好悪い結果になったが、いいんじゃないか」

「……おや、君が私に慰めの言葉を吐くなんて。珍しいね」

「ふん。偶にはいいだろう。……誰だって(・・・・)、失敗くらいするものだ。誰もお前のことを、責めやしないさ(・・・・・・・)



 すると、王子はその場で倒れ込み、両手をぐい、と伸ばした。



「あはは……。そうか、失敗したんだ。私は。……失敗、失敗かあ」



 そして、少しだけ晴れ晴れとした表情で、ぽつんと呟いた。



「――うん。そうか。失敗。……うん、意外と悪くない」



 がばり、勢い良く体を起こす。そして、らしくない無邪気な笑みを浮かべた王子は、ふふん、と得意気に笑った。



「やっぱり、私の目に狂いはなかった。……君を護衛騎士にして良かったよ、エーミール」

「なんだいきなり」



 最後に王子は、大きな声を上げて、へらりと気の抜けた笑みを浮かべた。



「冬の夜はかなり冷える! あの温かいお茶漬けがまた食べたいな! 今日の愚行は酒のせいにして誤魔化して、また茜ちゃんに強請ろう。たっぷり、鮭を乗せてもらうんだ。梅干しとやらでもいいな、でかい器に入れてもらおう」

「茜様の嫌そうな顔が目に浮かぶな」

「あっはっは! 仕方ないよ、私は自分が気に入った人物には、とことんしつこいんだ」

「……俺のようにか」

「そうだよ、最大の被害者は私の目の前に――うわ、雪を投げてくるのは止めろ! 冷たい! 首元に雪が――ひゃあ!」



 雪まみれになった王子は、屈託のない笑顔を浮かべて、けらけらと雪の上を転がった。



 その後、ひねくれていて、変人で、性悪の王子は、普段からほんの少し気を抜くようになった。

 以前は、他人の目を気にして常に気を張っていたのに、時折、執務を放り出して(・・・・・・・・)ふらりと出かけることがある。

 周囲は、王子も年頃になって、いよいよ国王に似てきたと噂している。

 当の国王は、私も若い頃はああだったと自慢げに言って、王妃様に大目玉を喰らっていた。


 将来を期待された、優秀な王子。

 最近は、以前よりも親しみやすくなり、益々将来が楽しみだと言われている。

 そのことに、本人は苦笑いしていたけれど。

 俺は相変わらず、気まぐれにフラフラ城を彷徨う王子に付き従うだけだ。

 なにせ、俺はこのひねくれた王子の護衛騎士だからな。



「なあ、エーミール。私に敬語をつかう予定は?」

「まだまだ先だな。正直、見当もつかん」

「うわあ。じゃあ、ほどほどに(・・・・・)頑張ろう。そのうち、敬語をつかいたくなるだろうしね」

「……好きにすればいい」

「ああ! 好きにするさ! じゃあ、今日も出かけよう――何か楽しいことに出会えればいいな」



 王子はそう言って、晴れ晴れとした表情で、冬の冷たく――けれど、透き通った空気のなか、今日も軽やかに一歩踏み出した。

ジェイドは期待してもらえなかった人。

ルイスは期待されすぎた人。

ふたりは正反対でありながら、どこか似ているのです。別の世界線だったら、ルイスがヒーローだったかも。

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